第59狂・ハルジオン___枯れ葉になる心
足取りが重くても、行かなければと思った。
行かなければ、それが禊を果たさなければと思っていた。
あの頃に比べるとコンクリート壁はひび割れ、
庭は廃墟と貸した様に枯れた草が生い茂っている。
無人の家と錯覚したが、けれども、明かりが付いていて
まだ住人はいるのだと思い直す。
澁谷、という表札。
震える指先で、インターホンのボタンを押した。
応答はない。けれども暫くするとガチャリと、
ドアが開いた。
「どなた?」
あの頃よりも、ただれた。
手入れされていない。ボサボサの髪。
激情が走る度に感情が刻まれた皺が色濃い。
透架は、静かに頭を下げた。
_____澁谷家、リビングルーム。
「医学部に落ちた出来損ないが、恥知らずに来たわね」
「……………」
「今更、何よ?
まさか居候させてくれなんて言わないわよね?」
「……………………」
透架は、静かに薫を見詰めている。
何も言わず何処か儚く、今にも泣きそうな面持ちで。
あの無表情な少女とはまるで別人に見えた。
「何よ? 気持ち悪い、何か言いなさいよ」
透架は、静かに膝を折り畳む。
正座した後に頭を項垂れた。
「申し訳御座いませんでした」
薫は固まっている。何時もの透架とは違う。
「なに? 医学部の受験に落ちてしまったこと?」
「………違います」
「じゃあ、なによ?」
「______貴女の娘様の事です」
その言葉に、薫は固まる。
「私の母は、取り返しの着かぬ、過ちを犯しました。
娘様のドナーでありながら、私と妹を選びました」
あの夢は、夢ではなく現実。
刹那に、全身が冷えていく。
薫がバケツの水を、正座している透架に浴びせた。
床には毛先から、ぽたりと水滴が滴っている。
「それを詫びにきたって言うの? 今更過ぎるわ」
「………承知しております。恥知らずだという事も」
悲哀の表情が崩れない。
薫は、本当は、ずっと辛かった筈だ。
「…………澁谷様の娘様が、生きるべきでした。
そして私と妹は生まれるべきではありませんでした。
澁谷様があれだけ懇願したにも関わらず、
母が選んだ選択は間違いだった事は明らかです。
私達は、生まれてはいけない存在だった………それだけは確かな事です………」
浴びせた水じゃない。
今にも消えそうな声音の中で、透架の瞳に一筋の涙が伝う。
(どうして?)
薫が抱いた違和感。
今になって現れて、自身はともかく、妹の存在まで
御影透架は否定の体から入っているのだ。
まるで、妹も罪人であるかの様に。
偽りの謝罪ではない事は、透架の涙が表している。
無関心だったが、この娘に涙の演技は出来ない。
あの頃、何度も考えた。
自身が御影玲伽の立場なら、と。
けれども現実は無慈悲に愛娘の命のリミットは近付いていく。
「私達が居なければ、娘様は貴女の傍で今も微笑んでいた筈です。
母は取り返しの間違いを犯した。
その欲望が故に澁谷様の娘様が犠牲になった事は、
誠に遺憾です。この過ちはお詫びのしようもありません」
(私達は、御影玲伽の狂気によって生まれた、
生まれながらの罪人。其処に存在価値はない)
自身も、純架も。
純架に生きていて欲しい、という気持ちはあの言の葉で
消え失せた。蛙の子は蛙。玲伽も純架も変わらない。
そして、自身も。
妹を助けるという自惚れで、澁谷家に居続けた。
身勝手な欲望の為に、誰かを犠牲にしてまで、
見殺しにしてまで生きるべきじゃないだろう。
(現に私と純架は、里穂を殺した)
事の発端が、玲伽の狂気だとしても
里穂の犠牲の上で生まれたのだから。
「誰かを犠牲にした上で成り立つ命に、存在価値はないのです。
現に母が選んだ選択が、
私と妹が、貴女の娘様にした仕打ちの様に。
私達は無価値に等しいのです………娘様が生きるべきだった………。
私と妹が生まれた事は過ちでしかなかった。
それでも…………母に代わって、お詫びを………償いを………させて下さい………母が、申し訳御座いません………」
もう一度、頭を下げる。
その姿が痛々しく、そして儚く見えた。
傷んだ指先。袖の隙間から無数に見える自傷行為の痕。
それ以上に
御影透架の言葉が、腕の傷痕よりも自虐的で哀しい。
透架はこんなに小さかったか。
感情が止まらない。
玲伽が悪い。憎い。全てを知った今。
自身も無論、純架すら穢らわしく感じてしまう。
「母が大罪を犯したにも、関わらず、
澁谷様は私を引き取って下さいました。精神的にもお辛かった事でしょう。
この御恩は忘れておりません。
澁谷様の慈悲や懇願を、母は無視したのです。
けれども、私や妹には生きる存在理由は___」
「もうやめて」
薫の鶴の一声に、透架は、顔を上げた。
「分かった。分かったわ。
誠意は伝わった。だから、そんなに責めないで頂戴。
試したの。
実は医学部に合格した事、宏霧が教えてくれた。
医学部を受験した理由も、妹さんの為って。
最初から憎かったわ。憎くて憎くてたまらなかった。
だって自分自身の娘を見殺しにして女の娘ですもの。
不幸にしてやろう、里穂の代わりに復讐してやろうって
貴女を引き取った。
あの頃はあたしの手でくすんでいくのが、
恍惚的で、嘲笑ってた。でも………今の貴女は、まるで
違う。
貴女達は生まれて、里穂が亡くなった。
でもね。だったらあの子の分まで、生きて貰わないと
困るわ。母親も妹さんも否定しないで。じゃないと、
里穂の死はくすんでしまう」
「…………ですが、」
「あたしもそうよ。思い返せば
里穂に顔向け出来ない酷い事を貴女に仕打ちで返してきた」
(両成敗にしましょう、ね?)
微笑みかけても、透架の瞳は虚ろだった。
(_____許されて良い筈がない)
利用したと罵詈雑言を浴びて欲しい。
薫は優し過ぎた。このままで、いいのか。
(_____純架。貴女も、道連れさせて貰う)
彼女は、単なる同細胞ではない。
愛しい気持ちは消え失せては、透架は覚悟を決めた。
(二人で罪を償いましょう。そして、地獄の業火に焼かれよう)
____その前にあの人に、会いに行こう。
「協力して欲しいと………貴方から食い下がるのは珍しいですね。
で、僕は何をしたらいいのです?」
「面会に一緒に行って欲しいのです。あの人は娘相手になると沈黙しますから」
「それ、僕も一緒です。息子の僕ですら無理なのに」
「_____じゃあ、スリリングに行きません?」
「…………え?」
(もう終わらせよう。この負の連鎖を)
断ち切れるのは、自身しかいない。
【訂正】
この場を借りてお詫びと申しますが、
『犠牲の上で成り立つ命』は物語の構成上での言葉なので
登場人物を事を指しているので、現実ではそう思わないで頂きたいです。
複雑めいていて、本当に申し訳ないです。
ごめんなさい。




