第43狂・黒い薔薇____記憶喪失になったとしても
御影透架は、
心の忠信を失ってしまったようだ。
彼女が双子の妹を忘れてしまった時、彼女は殻となるだろう。
私が、目を覚まして2周間が経つ。
私は事故で記憶喪失になったのだと教えられた。
香取真帆。
それが、私の名前らしい。
自分自身の事も、歩んできた記憶すら、私はない。
ただ毎日、病室に訪れる女の人は、私に何故かとても優しい。
全てを忘れた私なんかと話していても楽しくないだろうに。
_____消灯時間。
寝転んだ。
この身体は不思議だ。
意識は眠りにくく、身体には無数の傷痕が浮かび上がっている。
たまに眠りの底に私が落ちた時、
そして無作為に脳裏に浮かぶのは途切れ途切れの、誰かの記憶。
亡くした記憶の断片かと最初は思ったが、
それにしては何処か客観的で遠いものの様に見えた。
ただ確かなのは、
(私は誰かの記憶を観ている)
それにどんな意味が込められているのだろう。
私には無関係にも伺える。青年の記憶は、
途切れ途切れの中継放送の如く、絶え間なくセピアカラーの情景が脳裏に流れ込んでいる。
硝子の断片に映る記憶が、脳裏に浮かんでは消えて、
また浮かび上がっては、悪戯の様に消えていく。
まるでジグソーパズルみたいに、ピースを掛け合わせ、
割れた硝子の破片を集めるかの様に。
けれども、集めた硝子体の正体が何者なのかは、分からない。
______純架の病室。
最初に驚いたのは、御影透架が、記憶喪失だということ。
双子の妹の存在こそが生きる支柱だと言わんばかりの心儀で生きている彼女が、
(その妹の存在を忘れてしまった)
その現実のマイナスは大きい痛手だ。
毎日、彼女の元に向かっている純架にとっても、ショックは計り知れない筈なのに。
だが。
意外にも、純架は平常心のままだ。
20年ぶりに再会した姉が記憶喪失だ、という現実を、彼女はどう思っているのか。
「…………あの」
ちょうど心理学の文献と、玲緒が用意した
心理学の模範解答の用紙に向き合っていた純架が此方へ視線を向けた。
玲緒は何処か歯切れの悪い事を純架は流し目で見詰めながら
「なに?」
彼女は、気付かないふりをした。
「…………その、さ。
お姉さんの事。ずっと待ち焦がれていたでしょ?
沢山、聞きたい事もあるって言っていたのに、それで…」
歯切れが悪い上に少しばかりか、
しどろもどろになっている事を玲緒は後悔して俯いた。
「待っていたのは記憶喪失で、ボロボロだった透架だった、と」
まるで玲緒の心を読む様に、純架はそう告げる。
他人のわりにこの青年がこんなにもダメージを喰らっているのか。
それが純架には分からない。
このところの、純架は何処か“愉しそう”だ、と今更気付いた。
双子の姉に再会出来たから?
記憶は無くても、御影透架が其処にいるから?
「…………最初は悲しかったわ。
でもね。切り札になれると思うと気付いたの」
「………切り札?」
途端に純架の声音が影を落とす。
玲緒は聞き返す。彼女の心情が読めない。
無慈悲に見えるかも知れない。
けれども人は時に、残酷になる時も必要だと言い聞かせた途端に
純架の心は御影への対抗色である黒に染まった。そう想う事にした。
「新しく生まれ変わって貰えれば、私が、全てを洗脳出来る」
玲緒は固唾を飲んだ。純架はゆっくりと視線を移す。
たまに魅せる姉だけに向ける脅威と狂気は、刃物の様だ。
まるで淡く鮮やかなユリの花に毒薬を噛んで含めている様なもの。
(私の手元には、無垢な透架がいる)
穢れも傷跡も何もかも忘れてしまった、彼女が。
「この20年、この心に、無為に秘密を抱えたまま、
生きてきた。でも透架がもう一度、全てを忘れてくれたら」
「………純架。君はどうしてそこまでして………」
「………加害者であり被害者だからよ」
玲緒は背中に凍り水を浴びせられた感覚だ。
凍り付いた声音。純架は鼻で嘲笑いながら、呟く。
「いえ、正しくは“私が加害者にしてしまった”が正解ね。
だからこそ、私が透架に対して二度と消えない傷痕をあの子に埋め込んだの」
「……………どういう事だ?」
姉は、妹の、加害者であり、被害者だ。
「母が、透架を手放そうとしたからよ」
あの時、庇ったのは姉を想う気持ちと交差した思惑。
透架がその意識を手放すその時まで、自分自身を忘れ無いように。
(どうせならば、相手に二度と消えない傷跡を残してしまいたい)
二度と消えない傷痕でも構わない。
透架の心が絶対に妹の存在を忘れられない様に。離れない様に。
傷痕という名の、純粋な束縛と呪縛。
優美に嘲笑う純架に、玲緒は固まっていた。
(双子のどちらかを、手放そうとした………?)
脳裏に衝撃が走った。
最終的に双子の姉妹は離れ離れになってしまったけれど、
姉妹の母親が、離れ離れにしようとしていたのか?
(…………何故、そんな……)
(貴女は、娘達を可愛がっていた筈だったでしょう?)
純架が、本領発揮を示してきましたね
そして玲緒はどうなのか。




