第39狂・ドクニンジン__傾く理想郷
モノトーンの、セピアカラーに染まった世界。
個室のICU <集中治療室>、パーティションを挟んで
窓の向こう側の部屋を見詰めていた。
其処には管に繋がれた少女が横たわって眠り続けている。
「せっかく来てくれたのに、ごめんなさいね。
____は、夢の世界でおやすみしているのよ」
そう頭上から降り注いだ優しい声音と共に、頭を撫でられた。
「原因は栄誉不足と過労、ですか」
透架自身は少女が転落した際、少女と衝突後、
そのまま事切れた人形の如く横にある並木の草森に沈んだ。
幸いな事に木々の茂みがクッションになったと思われ、
大事に至らず擦過傷と全身強打を負う結果になったが
事は重大なものだ。
転落した少女よりも、透架の方が重体。
「純架ちゃんの事はいいの?」
ベッドに眠る彼女は、何も答えない。
あれから一ヶ月。彼女は一向に目を覚まさない。
頭部強打はしていないか、というのが気がかりとなり、
智恵は
御影透架に対して何度もMRIとCT検査を重ねているものの、異常はなし、とされた。
(今が、透架にとっての、安堵の一時なのかも知れない)
精神的な理由が
心因的なものが原因で、精神的に目覚めたくないのかも知れない。
透架は常に緊張の糸に張り巡らせながら、生きている。
彼女が彼女である限り、一時も安堵の時は訪れない。
智恵の計らいにより透架は、
偽名である香取真帆として、集中治療室から人知れぬ病室で眠っている。
自分自身は鬼にはなれぬ。
情の脆さ故に純架の無垢な懇願に負けて、姉妹を再会させた。
智恵の覚悟は据わっている。
(透架が目を覚ました時、憤慨されてもいいわ)
あれから時々、純架から
透架のところへ行きたいと告げられては、
面会を許可し病室まで彼女の所へ連れてゆく。
一度連れて行けば、純架は透架の元を離れたがらない。
まるで、寂しさを覚えるウサギのように。
それはそうだ。
ずっと純架は姉と生き別れだったのだから。
双子の姉への姉を見詰めるその瞳は
無条件に、暖かく穏やかで微笑ましいものの、智恵は時々、気になってしまう。
純架が、透架を見詰めるその眼差しに
不意に何かに取り憑かれた様に何処か複雑味を帯びている事を。
言葉には出来ない。けれども、暖かい春が消えた様なものだ。
そして、あの御影桜という女性が
病室に出入りするのを目撃する機会が増えた。
そして聞き捨てならない事を聞いたのは、その後だ。
「罵声が聞こえるんです。
あれは、純架さんの声で間違いないと思うのですが……」
看護師は消え入りそうな声音で告げた。
万が一に備え、純架の病室はナースステーションに面した廊下の入口の右側にある。
智恵はあの穏和な表情が特徴で話し声と物腰の柔らかい彼女が、と不審に思った。
否。と思考を巡らせを変える。
その罵声が、あの女性によるものならば。
今までは、
監視官の如く純架を見守っていた透架がいた。
しかし透架の意識が戻らない今、
自分自身が影武者として努めを果たさねば、という使命感が疼いた。
(………大丈夫よ。透架。
貴女が務めていた役目は、影武者である私が務めるから)
どちらにせよ、心臓には毒だ。
「他にはある?」
「罵声の後で、面会に訪れた女性は、常に憔悴した顔をしていて……。何度も見ました」
「解ったわ。情報をありがとう」
ロッキングキーには、
タイムカードの様に面会者の番号と訪れた日の日付けが記載されている。
パソコンで調べてみるとずらりと【4040】の番号が並んでいる。
御影桜と名乗った女性のカードキーである番号だ。
(これは、透架が知るべき案件かも知れないわね)
穏やかな男女の元に、小さな少年が笑顔で駆け寄っている。
女性のお腹は膨らんでいて、少年はそれを微笑ましく撫でている。
そして笑顔を浮かべて、彼女を見上げた。
「____?」
聴こえない。
少年は、何を告げたのか。
____病室。
「権力を振りかざせば何でも出来るのね。………脱帽するわ」
「………何の話?」
窓の向こう側にある夕焼けを、物憂げな眼で見詰めながら
頬杖を着いたまま、怜悧にそう呟いた。
「私、騙されていたのかしら。………貴女と御影家に」
「相変わらず言い掛かりと、被害妄想だけは達者な子ね」
「そう思わせてる程に信用がないのよ、貴女も、御影家も。
でも、神は私に味方をしてくれたみたい。
私が20年間、待ち焦がれてきた事を、現実のものとしてくれた」
「…………何が言いたいの?」
桜は眉を潜め、怪訝な面持ちになる。
対して何処か勝ち誇った恍惚な微笑みを純架は浮かべていた。
「…………私ね。透架と再会したの」
その刹那、
桜の瞳は見開かれ、驚きの表情でこちらを見ている。
桜は今、玲伽の秘密を探る為に血眼で、御影透架を捜しているというのに、
(純架が、透架と再会した?
……………純架は身動きが取れない筈なのに)
有り得ない。否、再会されては、困る。
それに桜自身、純架のその言葉を認めたくない。
「妄想癖? 妄言? 姉に陶酔して、
いよいよ現実の境目が分からなくなったの?」
強気に、嘲笑う様に告げたのに。
嬉しそうな笑みを一瞬だけ崩して、純架は冷めた面持ちを向ける。
「貴女は人の人格を、決め付けて思い込むのがお上手だこと。
私の心なんて“あの日”から狂っているわ。___御影が、私から透架を奪った瞬間から、ね?」
「____だったら、何処で………」
何処で。
彼女は今、どうしている? どう過ごしている?
どんな会話を交わしたのだ?
聞きたい事は山の様にあるが、逆鱗の狂気を前に強気に出れず
それよりも、と桜は背筋が凍り付きそうな思いだった。
そして不安が過ぎる。
もしも透架が全てを覚えていて純架に伝えたのなら、と。
「御影家のあなた達がなんとしても
阻止してしまいたかった事が現実の事となってしまったわね。
でも覆せない。後にも退けないわ。
透架が記憶喪失になった事を良い事に、
それらを上手く利用したのね。………透架は透架ではなくなっていた」
「どういう事?」
「あからさまな嘘の癖に。気分が悪いわ。
御影家と、御影の手下である貴女が1番お解りでしょうに」
(記憶喪失なんて、嘘だった)
大人の穢れを知らない
世間知らずの子供なら、何と言えど言い包められる。
それらを言い続けられれば、
無垢な子供は、穢れた大人の言葉が本物だと洗脳される。
純架はそう思っていた。
温もりのない凍りの様な手から伝わるのは、無情だった。
姉はこの20年間、ずっと植物状態のままか、
御影家に操られていたのでは、という思いが脳裏を掠める。
痛々しい手首の傷も、心の物憂げさを写し称えた顔付きも。
記憶喪失となり、御影透架ではない誰かになっていたのなら、
別人格の雰囲気やまだ生気や息遣いを感じられた。
けれども、純架が再会した、双子の姉は
あの頃の面影を残したまま全てを奪われ、空っぽになった様に思えた。
その表情も、虚ろな存在感も純架にとっては忌まわしい“あの人”の雰囲気を連想させた。
時が止まった眠り姫___それが第1印象だった。
(この雰囲気を漂わせるまで、
追い詰める事が出来る人間は………あの人達だけよ)
御影家の人間に虐げられぞんざいに扱われた末に、
植物状態になってしまったのではないか、そう思っていた。
個々の感情は、狂気を孕みながら一方通行に進んで行く。
遅ればせながら、明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願い致します。




