第30狂・ポピー__翻弄される者
お久しぶりです。お待たせ致しました。
「私の嘘は、もうバレてるかな」
「どの嘘?」
純架は、嘘つきじゃない。
素直で純粋無垢な彼女が付いた最大限のまやかし。
兄、という存在感に透架は心当たりがない。純架と二人姉妹だった筈だ。
瞳を閉じて、瞑想する様に闇の中で記憶を辿る。
“まだ穏やかだったあの頃”。純架と母と、憎しみ人と
4人の家族。篠宮透架。双子の姉妹として認められていた。
(………あれ)
(………何も浮かばない?)
指先を、手を組んだまま頭を項垂れる。
透架の瞳が揺らいだ。篠宮貴宏、篠宮玲伽、篠宮純架
そして自身。
事実である人間関係や、人物名は思い出せても
あの頃をどう過ごしていたのか、鮮明な情景の記憶が現れない。
(…………私、どう過ごしていた?)
どんな娘だった?
どんな性格だった? 純架とどう過ごしていた?
何度心の目を凝らしても睨んでみても、
その全てが微動せず、黒い幕に覆われた様に視えない。
(私は幼少期の記憶が、ない?)
愛しい妹との日々を自ら消した。
そんな自分自身に憎悪を抱きながらも、足が宙に浮いた感覚を覚える。
心当たりが、ない。
刹那に御影透架、という自分自身の人格に疑問すら抱く。
今までは怒涛の生活を歩んできたが故に何も思わなかった。
気付かなかった。疑いすらしなかった。
_____一瀬循環器病センター、屋上。
自然が溢れる花園、という印象を抱いた。
此処は病棟とは違った異世界の様に錯覚しながら、
高台に聳え立つこの病院から一望出来る町の風情は、ゾエトロープにも似たコントラスト。
スロープ柵に組んだ腕を置いて、茫洋と景色を見詰めていた。
その姿や佇まいは、深窓の令嬢のようだ。
純架は、嘘を付くのが苦手だ。
付いたとしてもその素直で純真な性格故に、すぐに顔に現れてしまう。
兄の存在感を素性のフェイクとして使ったのか、けれども
“本当に透架が覚えていないだけで”、兄という存在は居たのか。
答えが出ない。
大前提に、兄が居たとしたら、あの日、兄はどうしていた?
あの後は? 自分自身は御影家に追放され、純架が御影家に
束縛られているのなら、彼は今、どうしている?
改竄された戸籍謄本。
其処に兄らしき人物の名前も匂わせもない。
けれども御影の人間である限り、何かの天罰を御影から下されている筈だ。
(元々の篠宮家の戸籍は、どうなっていたのか)
記憶喪失の中で生きている中で、
そもそも、自身は純架と双子として生を受けたのか、
とすら思ってしまう。
「また黄昏ている。黄昏れるのは、貴女のご趣味ですか」
嫌な意味で
聞き慣れてしまった低い声が、頭上から降ってきた。
何処かでうんざりとした気持ちで視線を向けてやや見上げる。
爽やかさを称え、飄々とした雰囲気を纏う高梨玲緒だ。
「…………何故、此処に?」
「いや、気になりましてね。貴女の動向と__思惑?」
興味本位で近付く人間は、大嫌いだ。
だからこそきつい言葉を投げかけて近付いて欲しくない感情、純架が慕っている人だからと何処か蔑ろに出来ない複雑化したこの感情に頭を抱えてしまう。
「私に近づいても貴方には得はないです。
反対に損をするだけです。そもそも貴方様と、私に接点は無いですし、
作る必要もないでしょう? 貴方は御影純架さんの来訪者様?」
抑揚のない冷たい声音。
微動もしないその表情は、何処か掴めないままだ。
彼女はいつだって自身の軸を持っていて、その天秤は揺るがない。
ただ一つだけメッセージカードという名の言葉を添えるならば。
(_____純架に翻弄にされる、唯一無二の人形)
ここまで妹にしか翻弄されない人間は稀だろう?
それに、
(そのミステリアスさに惹かれてしまうのだ)
玲緒はつくづくそう思った。
追えば遠くなる孤高の存在感は、御影透架にしかない____
「孤高の、貴女は魅力だ」
透架は、あんぐりと口を開けている。
(私に、魅力がある?)
世論や何も知らない女。御影家、双子の妹の事しか
頭になかったあの頃、透架にとっては全てがどうでも良くて
素通りしてきた。きっと双子の妹の為なら冷酷非道の手段を選ばない女だろうに。
双子の妹に取り返しのない傷を追わせた最低最悪に、価値も魅力もない。
泥の様な薄汚い女だと思って生きてきた。その刹那に。
(人間の情と性を捨てて、冷たい屍と化したの。
最早、貴女は人間を捨てたのよ)
脳内にいる、自分自身が、何処かで囁く。
(私は純架に対して、狂喜乱舞して陶酔しているのか)
何処かで天狗となっていたのかも知れない。
純架を守れるのも、救えるのも自分自身だけなのだと。誰にも守れやしないと。
生まれる前から共に生き、自身と全く同じ同細胞を持つ宿唯一無二の存在。
「魅力、それは貴方の自惚れた誤解です。
貴方は純架さんに関わっていればいいでしょう? ………泥臭い人間性の私より」
そよ風の誘惑と言うべきか。
背に流した髪が、大人の事情等、知らずに優美に揺れている。
その刹那、白衣のポケットに忍ばせていた携帯端末が震えた。
タイマー機能だ。今から担当患者の心臓手術を控えている。
だからこそ、感情を天秤の様に震わす青年には会いたくなかった。
「………それでは」
「何故、貴女は、過剰に一人になりたがる?」
背中越しに聞こえたその質問は、聞こえなかったふりした。
髪を結わえながら、
けれどもあの日の鮮明な記憶だけは、
どうしても現実味を帯びていて、透架の心を罪悪感と贖罪の念に支配し続けている。
あの日の鮮明な感覚は昨日の様に、不意に手のひらを
見詰めれば現在のように身近に感じては心を蝕んだ。
(いいえ、この器があるから、純架を傷付けたのよ……)




