第29狂・クルミ__虚無の心音
流血描写有り。
いよいよ動き始めた歯車と、それぞれの陰謀。
そもそも貴女が悪いのよ。
私達を隔てる分厚い鏡。
それは取れだけ叩き落としてもヒビすら入らない。
その鏡には、焦がれて止まない同じ分身の姿すら写らない。
(この心は、身体は、もう何も感じない)
純架を御影家から引き離す事、呼び寄せる事、
もう誰も双子の妹に指先一つ触れる事が出来ない世界を創り出した。
ただ
感覚も感性も欠落した不感症になってしまった身体は、何も感じない。
(私は純架を、取り戻しても、無情なのだろうか)
充足感や安堵感、幸福すらも感じない。
他者に何も感じなくとも、
双子の妹は特別な存在で別物だと思い込んでいた。
彼女に対しては何かしら思うものではないか、と
予想していた心はモノトーンのコントラストの風景を残したまま何も変わらない。
妹へ無感情な自分自身が恨めしい。
純架に対する感情は新たに湧き上がらないだろうか。
入眠困難の睡眠障害と隣り合わせにベッドに横たわりながら、その無機質な瞳で腕に巻いた包帯を、
透架は冷ややかな眼差しで見詰めていた。
(私、空っぽになった)
今の自分自身は、
目標の終着駅に辿り着く列車に閉じ籠もっている人形。
純架に対して抱いている感情も、実は
贖罪による使命感だけとなっていたとしたら?
あの頃の様な双子の妹に抱いていた感情も私情なものを
もう、彼女に対して向ける事は出来ないのだろうか。
もう身体に染み付いた不眠と鬱病特有の気怠さが、
透架の身体を襲う。物憂げな瞳を閉ざし枕に顔を埋めた。
暗闇の中で木霊するのは、あの言葉。
『では貴女は
“妹さんを道具としか見ていない”。という事ですね』
『反論出来ないでしょう。
貴女にとって御影純架は、“最高の実験台であり人形”。
どちらにせよ彼女を踏み台にして
貴女は医師としての階段を上がる事には代わりない筈です』
(……もし、そうなったら、貴方はどうしますか)
あの時、
あの青年に問いかけた言葉を、自身に問いかける。
………言葉は何も還ってこない。それ程に自分自身は無情なのだと想い知らされる。
(私はいつか、
純架の事も、他人事の様に思ってしまうの?)
その瞬間、
反射的に鋏を素早く取り、反対側の腕を切り付けた。
刹那、色白の肌から溢れ出す赤い真紅色の一本線。
こんな事を思ってしまった自分自身が赦せなくて
衝動的に行動していた。
(そんな、それだけは、嫌)
(そんな事を思っては許されない。
いいえ、そもそも脳裏に浮かんで欲しくなかった………)
ずっと双子の妹___純架の事を支えに生きてきた。
大人の身勝手な事情で生き別れ、引き裂かれても、
違う環境下に居ても透架の心には、いつも純架がいた。
機械的ながら自分自身が生きて来られたのは、純架のおかげだろう。
純架が、妹が生きる糧だった。
生き別れてからも、現に透架は彼女の事しか考えていなかった。
彼女が心の支えだったのは如実で、間違いだなんて言わせない。
(私は、
純架しか要らない。純架だけを思って生きればいい)
腕を押さえながら、何度も首を横に振り続ける。
悲哀に満ちた心が、その陶器の様な頬に
涙を一粒伝わせる。
医者としての野心も野望も微塵もない。
医学の道を進んで彼女への贖罪を果たすのが役目だ。
妹の事をを道具だと、ましてや他人事として見るのなら、
透架は、自身には存在意義はないと思った。
感情が収まった頃、項垂れる様に肩を落とす。
血に染まる腕を押さえながら、茫洋とした虛の双眸。
静寂な世界で溜息をひとつ、着いた。
__翌日、病室にて。
「純架さん、ご兄弟はいらっしゃるの?」
智恵の言葉に純架は固まる。
心に冷ややかな水が浸水していく様な感覚を覚えながら、表向きは穏やかに微笑んだ。
「はい。年の離れた兄と
私自身が双子で姉がいるんです」
「末っ子さん、なのね」
悪気なくとも、計画的ではなくても
他人は容赦なく、この心を土足で踏み込む。
随分と慣れてきた筈なのにこの感覚は苦虫を噛み潰したようなものだ。
御影家には、“透架の存在は殺せ”と言われているが
純架ほ完全無視している。
(どうして、
姉を、私の同細胞を持つ人を否定させるの?)
姉の存在は、純架にとって拠り所だ。
透架の存在を名乗らないという事は、彼女の存在を否定するに等しい。
あの優しかった姉。
何も知らずに御影の罠に縛られ続けている。
それも憎らしくて想うだけで、槍を投げたくなる。
(この心臓が止まる前に、あの事実を伝えないと)
(透架は記憶喪失なら、きっと“全てを知らない”)
きっと、自身の先は長くない。
その前に伝えなければ。
智恵とは入れ替わりで入ってきた玲緒は、純架に向けて告げる。
「___いいの? 偽って」
「___何の事かしら」
その刹那、純架は
何かを思惑を孕んでいる様な微笑みを浮かべ視線を向ける。
「玲緒。私が透架と再会するまでは
兄で居てくれて、協力してくれるのでしょう?」
「____好きにしたら、いいけど」
「絶対に赦しはしないわ。私達を引き離した御影も………そして」
「_____透架も、ね」
口角を上げて、深い微笑みを浮かべる。
玲緒はぞっとした気分になりながらも、“純架の思惑“
を知っている彼は何も言えない。
大人になってから、最近はよくこの思惑じみた微笑を浮かべる様になった。
(純架は、何がしたいのだろう?)
御影透架の思惑も、イマイチ分からない。
天才的な心臓外科医と謳われながらも、向上心が見えない。
__循環器科 医局。
「ねえ、貴女って、純架ちゃんの他にお兄さんがいたのね」
「…………え」
その憂いを帯びながら真剣も眼差しで
電子カルテで看護師が記入した患者の看護記録を見て
いた透架が呆気に取られた様に、智恵に視線を向けた。
「…………あれ? 違うの?」
「…………違う。私と純架の二人姉妹よ、兄は居ないわ」
「でも、純架ちゃん。しっかり言ってたわよ?
『年の離れた兄と
私自身が双子で姉がいるんです』って………」
「……………」
目を丸くした後に、透架は頬杖を付いて考え込む。
(年の離れた兄? ………どういうこと……?)
自分達の素性を巻く為に、純架は嘘を付いたのか。
けれども二人姉妹だ。純架以外に、血を分けた者は
いない筈だ。
何度でも申しますが、
登場人物の性格と、物語構成上であり、
自傷行為を助長する意図は一切御座いません。
またご気分を悪くされた方に
深くお詫び申し上げます。




