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第18狂・シダレザクラ__引き取られた意味



 きっと包帯を巻いていても

無関心の薫は、気付かないだろう。




 御影の呪縛に囚われず、純架を助ける術はなかろうか。


と想いは膨らむけれどもまだ10代の自分自身には何も出来ない。

誰かの養育下にいる少女が出来ることは

無力にも等しいのだから。


 切符は持っていても、改札は反応しないのと同等だ。


 澁谷家にいる意味は己の財力と権利を

手にするまでの修行だと透架は思っていた。

医師免許取得、医学部の進学を望むならば、

この館は絶対的に必要な場所。


 理不尽でもなんでもいい、最終的な権利さえ貰えれば。



 深夜3時。

今は、宏霧から逃げる様に、地下室に籠もっている。


 いつもも通りに小さなランタンのランプをつけ、

先程の事はなかったかの様に深夜勉強をしていた。


 けれども何処か少女は挙動不審で、

時折にキョロキョロとドアを見詰めては視線を反らす。


 その刹那。

派手にドアが開き、わざとらしい存在感を示す足音。

慌てて階段を上がると、広い玄関に倒れる女が一人。




「おかえりなさい。……薫さん」




 強い酒気を帯びた香り、

髪に染み付いた煙草の独特な香り、強い香水の香り。


 それらのそれぞれの主張と個性が

空気に混ざり何とも言えない香りを生み出していた。

今日もかなりの酒気を帯び、足許は覚束無おぼつかない。



 薫をリビングルームのソファーに寝かせると、

透架はおぼんからコップ一杯分の水をテーブルに

差し出した。


「あ、そうだ。……トーカ。あれ、見せなさいよ」

「………はい」



 いつもの事だ。いつもの儀式。




 透架がポケットから

差し出したのは、学校の通知表だった。

機能が2学期の修業式だったのだから。




 五教科の成績は全てオール5の好成績だ。

内申点の評価も誉め言葉ばかりが並んでいる。

次第に薫の顔色が不穏になり、思い切り顔をしかめた。




 透架は正座して

瞳を伏せ、顔を俯かせ、肩を竦すくめている。

まるで怯えた仔犬の如く。


(………卑怯な子。どうして天は二物を与えたのよ)



 非の打ち所がない、

というのは正にこの事を言うのだろう。

透架は、宏霧の将来の安泰の保証書と思えばいいが、

ただ、この少女の優秀さには嫉妬の(ほのお)

消えず気に食わない。


 内申点と通知表をビリビリに破り捨てる。



「曰く付きの割りに生意気だこと。


 まあ、いいわ。

このまま宏霧ちゃんの為に、

国家資格を、医師免許を取って頂戴。

 

 宏霧ちゃんがいるから、

あんたは、この家に生きて居られるのよ?

そうでないと、ただ曰く付きの用済み案件の癖に」




 乱れた髪が顔に張り付いてその隙間から見えるのは

敵を見据える様な瞳。薫はじっくりと透架の顔を

見詰めながら、次の瞬間、




「惨めよね? みっともないわよね?」


「…………」




 冷たい感覚に襲われた。

最初は何がなんだか分からなかったが

透架に向かって薫が、コップの水を浴びせていた。


 ちょうど

髪と顔に直撃して前髪が、濡れている。

俯き加減の透架を見て、薫は品もなく嘲笑う。




「あはは、あはは!! いい気味!!

あんたが生意気だからそうなるのよ? 不様ねえ?

曰く付き物件お似合いだけど。


ずっと見たかった、その不様な様をね」




 全ては壊れていた。


若くして嫁いだ彼女は、娘を失ってから、

現実逃避する代わりに自分自身の性分に目覚めてしまった。

……母親を捨て、女として生きるものを。



 そうと思えば、

可愛い一人息子への執着は増していく。

荒れ、狂い、乱れたこの館。



(………これが当たり前の風当たりなの。

当たり前で、あの人の言い分は正しいの。


 私は、“曰く付き”の娘。とにかく耐えればいい。

そうすれば、純架は無事は約束されるのだから)



 こんな事ごときで、

胸を傷ませるのは贅沢ではないか。

こうされる事は当たり前なのだ。


 医学部進学、医師免許取得の為しか考えていない。

自分自身がいるこの館は、ある意味、温室なのかもしれない。

薫との利害が一致していなければ、全てなかった話なのだから。



(自分自身の身の程を受け入れなければ)


こんな衣食住が保証されているだけでも、

有難く思わないと行けない。


 戯言に何かを思いを馳せる事は贅沢ではないか。



そして、ぐい、と前髪を引っ張られる。

顔を上げると舌を出した悪女が、愉しげに微笑んでいる。


(そうよ。見たかった顔。

惨めな顔。でも何故なの? 満たされないのは)



 穏やかな愛娘とは、正反対の顔立ち。

彼女が生きていれば、と心の隅で思うと、

更に目の前の人形に憎しみが湧き、酷い仕打ちをしても

不思議と心は満たされず、晴れる事はない。


 生気のないドールフェイス。

虚空を見詰めるかの様な掴めない物憂げな雰囲気と双眸。


「ねえ、トーカ」



 粘着のある猫なで声に、思わず背筋が凍る。



 自分自身には罵詈雑言が当たり前で、

鮮やかな嘲笑を浮かべる薫はソファーベッドに寝そべり

反射的に包帯を蒔いた手を反射的に隠し

透架の華奢な反対側の腕を掴み、

柔い腕に鮮やかな深紅に塗られた爪が食い込んでいく。


「いい気分だから、

あんたを引き取った理由わけを教えてあげる」



 腕を強く引かれそのまま、思わず膝を着いてしまう。

へらへらと笑うその呼吸に混じっている酒気と煙草の香り。



 存在感が強く示す

鮮やかな薔薇色の華やかな存在感だけが、記憶に色濃く残る。



“曰く付きの娘め”


 それはまるでお伽噺(おとぎばなし)の、

白雪姫に毒林檎を渡す魔女の囁きに似ている気がした。



 “誰が養育をしてやって貰ってると思っているの?

 本当は、引き取りたくなかったけれど。

 こんな曰く付きの薄気味悪い娘。

 


 唯一の価値は御影の娘というだけ”かしら。

 でもそんな価値もあたしがズタズタに

 潰してやる。


 目的を果たしたら

 あんたみたいなボロ雑巾、すぐに捨ててやるんだから。





 鈍器で殴れられた様に、

心に亀裂が入りひび割れていく。


 偶然にも、里穂が亡くなった年の冬に

自身と妹は生まれている。彼女の身代わりでもと

思っていたのが馬鹿者でしかない、影武者という道具なだけ。


 


 人は、他人は誰かの代わりになんてなれやしない。




 言われても当たり前な言葉が、

脳裏をけたたましく巡り、鉛の様に存在感を残す。


 聞き流して聞き流せば良いのだ。

他人事を聞いていると脳裏を錯覚させて。

散々、疎まれて、軽蔑されてきたのだから、



 今更、感情が動く必要はないのだ。

 今更、凍り付いた心に灯りを灯す必要は何処にもない。




 薫は微笑みながら、

子羊の様に微かに震えている透架の頬を撫でた。

その人形の様な無機質さと幸の薄さ、読めず掴み難い、

澄ました表情が気に食わず、思い切りつねる。



“あんたを引き取ったのは、お金が貰えると聞いたからよ。

それは本当だったわ。


あんたの為の養育費を御影家から貰っているの。

でも曰く付きで、いつもも大人を怒らせるあんたに

使うお金が惜しいの。


貴女のお金はあたしの(ふところ)にあるのよ。

貴女には絶対に渡さない。


 お金も曰く付きの娘より、

あたしに使われる方が嬉しいと思うけれど。

それであたしを満たして貰わないと。


そうでないと、あんたなんかを引き取った意味がないわよ”



 金銭の代わりに此処にいる。

御影からの養育費は、澁谷家の生活費と薫の豪遊に消える。



(何処までも、面白くない子)




 残酷な耳許の囁き。




 その刹那、

何処かで、硝子が割れる音がした。

同時にドミノ倒しの如く、心に雪崩れが来て、突き刺さる。



(だからこの人は、私によくしてくれたのだ)


 この人は里穂を求めていた訳ではない。

御影家からの養育費という名の金銭の授受。

だからこそ御影家の手当てを貰っているから、

生活に困った節がないのだ。

 

 悪党雑言の毎日でも、

薫は消して透架を手離したりしない。

宏霧の替え玉をさせる為に、そして御影家から渡される養育費の為に。



 嗚呼、そうか、お金の為に。



 透架は悟った。


 自分自身は、御影家が、澁谷家に自身を売った代物。

 金銭の授受という利害関係の元に_____。

 

澁谷家に売られた自分自身の価値はどのようなものなのだろう。



 酒は、心の叫びを、本音を呼び寄越せる。

今まで薫はそんな裏事情を口にした事は一度もなかった。

 

 しかし虚言とは思えない。

それはとても残酷に幻想ではない現実味を帯びている。



(そう、私は澁谷家に身売りされた)




 厄介者だから。

曰く付きの穢れた娘を追い出したいから。

清い身の娘は必要でも曰く付きの穢れた娘なんて要らない。

でも


(でも、良かった。純架の耳に入る事が無くて)




 あの純粋無垢な妹に、

こんなどす黒いナイフを心に与える訳には行かない。

耳に入るなんて事があれば、優しい彼女は深く傷付く筈だ。



 一生モノの傷に為りかねない。

 そして硝子の音の理由が解ってしまった。

凍り付いた心の破片が零れ落ちて壊れた音なのだと。




思い返せば辻褄が合う。


 出会った瞬間に好意的だった事も。

御影家の目の離れた場所に透架を追いやり、

ぞんざいに扱っていた事も。


____その割りに薫が絶対に透架に手放さなかった事も。




 全ては。

利害関係の末に。



(嗚呼、

人間って、どす黒い)

 



 けれども

これらも仕方ない事と捉えて自分自身が、

傷付いて、傷付いて、耐えればいいのだ。


___だって。




(私は、犯罪者の娘だもの)


 



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