第19狂・パープルバーベナ__少年にとっての少女の存在理由
物語の都合上、再構成しております。
ご了承下さい。
透架の存在理由を知った宏霧のお話。
母親の思惑に戦慄と吐き気を感じる。
宏霧は、胸に渦巻く靄、複雑化したこの感情を呑み込めない。
それよりも、宏霧は、驚きを隠せなかった。
(___あの子は、御影家の娘?)
薫が突然、少女を連れてきたきた事。
何処から来たのか、少女は何者なのかずっと謎だった。
少女は何も語らない。自らの名前も、素性も。
もう5年も同居しているのに、
不思議と少女の事は何も知らない。
彼女は何も言わないし、発言権等、あってないようなもの。
ただ命懸けに
医学部進学に突き進み、薫に忠実に従っている。
透架が連れて来られたのは、妹の身代わりだけではない。
彼女が澁谷家に、此処に生きる理由は、
自身の身代わりの為に替え玉になる為に、
国家資格取得を目指す為。
だからこそ厳しく育てていた。
………医師となった暁には、権利を自身に渡す為に。
(他人の身代わりなんて、替え玉なんて出来る訳ないのに)
宏霧は彗星の如く現れた才女に疑問に思ったのに。
それが御影家の少女、というだけで分かってしまった。
(僕の為に、あの子はいる?)
胸に受けた衝撃は計り知れなかった。
(母さんは、僕に失望したの?)
自分自身の器量の無さ、欠落した才能、
対して彼女の天才的な器量の良さも悟っている。
毎回、赤点ばかりのボンクラ息子とは違い、
常に学年トップの座を誇る才女。
___御影家から子女を貰ってきたという事は。
透架を引き取った理由は
宏霧を医師にする為と、御影家から渡される養育費が
目的であって、“本当はそれじゃない“。
それは表向きの理由だ。
その養育費は全く透架の為に使われていない筈だ。
全額、澁谷家の生活費と薫の遊興費に消えている。
妹の身代わりというならば、
薫は何もなく透架を、無条件に可愛がる筈だ。
けれども現実は毎日、罵詈雑言で埋め尽くされている。
宏霧は半分を透架に感謝して、もう半分は透架を疎んだ。
透架から現れてからのこの数年、
彼女への哀れみと嫉妬を抱いてからだ。
(透架が現れてから、母さんは変わった)
透架が現れてから、薫もこの家は変わり果てた。
里穂に献身的を看病し、慈しんでいた優しかった母は、
恋愛に盲目的に女として生きる事しかせず
荒み切ってしまってあの頃の面影は消えた。
家には冷たさが横たわり、
まるで雪が降り積もった積雪の世界の様に思っていたのだ。
(彼女は里穂の代わりとしてではなく、“あの腹いせ”だとしたら?)
(御影家の子女が現れなければ、彼女も苦しむ事はなかったのかも知れない)
憎しみと、同情が交差する。
だからこそ反面、
心の何処かで透架を憎んでいた事を否めない。
透架さえ現れ無ければ、里穂が生きていたら、
薫は変わらないまま優しい母親の人物像のままだった。
(母さん、僕の思っていた事が当たりなら
貴女は、酷く愚かだ)
(この上ない酷い話かも知れない)
同性としての嫉妬を剥き出しにしながら、
罵詈雑言、悪党雑言を言いながらもこの家に置いていたのは
自分自身の為。
宏霧を医師にする為に、
“そして、あの時の報復を果たす為”
薫は息子を無視し苦労等の苦悩の全てを少女に任せた。
薫はそれを愛情と言った。自分自身の為だと。
けれども誰かを犠牲にして、成り立つものを
受け取りたくはない。
(可愛さなんて抱かず、憎さ100倍だった)
彼女は、里穂の身代わりでもない。
薫の心に抱えたあの積年の感情を果たす為に、
そして医学部へ進学させる為に。
健気に生きる儚い花を、同情の感情を拭えない。
(______ごめん)
喉元まで出掛かった言葉は、紡げなかった。
今更になって手のひらを返す様に何も言えない。
けれども宏霧の無関心な軽薄な眼差しと薫の罵倒に晒されてきた少女は孤独に耐えて生きてきた。
_____きっと、今も。
彼女が施す家事で
この家はモデルルームの様な無機質さと綺麗さを保っている。
不意に見ると、
硝子は赤色に染まっていた。
硝子で手を切ったのだと気付いた時、
宏霧は悪寒がして背筋が凍る感覚がして卒倒しそうになった。
彼女は、この家で何度、硝子で手を切った?
学校から帰宅すると、
リビングでカチャカチャ、という音が聞こえた。
不意にリビングに向かうと、
傍らに掃除機や新聞紙を置いて、
割れ物の片付けをしている透架の姿。
薫がグラスを割ったのだろう。
そのワイングラスの破片が縦横無尽に散らばっている。
「脅かせてしまい、ごめんなさい」
「………いや、気にしなくていい」
透架は傷付いていた。
腰を抜かしている宏霧を他所に
自身で器用にテーピングをし、処置した手が痛々しく、
白い包帯には鮮血が滲んでいる。
労り込めて、淹れた紅茶は、驚く程に薄い。
「………手、大丈夫? 利き手だろ」
「………いいえ。大丈夫です。問題ないです」
刹那に、彼女が両利きだと知った。
彼女は肩を落として目を伏せている。
烏色のストレートロングヘアに端正な顔立ちは
何処か影を落とした薄幸さを伏せて持っている。
それすらも綺麗としか思えず、惹かれてしまいそうになる。
少女の事など、
興味を持たず、何も知らなかったと思い知った。
彼女をぞんざいな扱いをしていたと言うのならば、
形は違えど、自分自身でも同じではないか。
思えば、
面と向かった事も、言葉を交わした事もない。
薫から硬く禁じていたからだ。互いに話しかけるな、と
言い聞かされていた。愚かにもそれを素直に信じ守っていた。
子供は大人の言葉は絶対的だと信じ、思い込む。
それに素直に従って薫の透架への虐待へも見てみぬふりをした。
知らず知らずに毒素は伝染する。
『あいつは悪い子だがら、ママがお仕置きしているのよ』
あの言葉を本気で信じていた。
けれども目の前にいる少女を、どうしても、
全てを悟ってしまった今、悪人として見る事は出来ない。
「_____名前、なんていうの?」
いつか少女に向かって聞いた言葉。
薫は「あんた」「あいつ」「曰く付き」としか
言わない事が気になって少女の名前が知りたくなった。
宏霧に視線を合わせたまま、
澄ました表情で、彼女は、こう告げた。
「名乗る程の者でもないです」
「………ナナシ? じゃあ、君、誰なの?」
結局、名乗る事もなかった。
だから宏霧は今まで透架の名前も、知らないままだった。
「すまない。言い過ぎた」
「…………」
透架は愕然とした。
言い過ぎた、言葉なんて聞いた事がなかったからだ。
『曰く付きの娘』『傷物』と扱われてきた16年、
大人達の罵詈雑言の言葉の暴力は当たり前で、
其処には優しさ等ない。
罪深き穢れた自分自身は、
その詫びに相当する人間だろうか、と思いながら、
「………僕の為でしょ? 君がこんなに頑張る理由」
「………………」
透架は目を伏せて俯く。
そして心の中で溜め息を吐くと宏霧が、
“あの秘密”を悟ってしまったのだと理解した。
あの母親とは似て非なる程のおぼっちゃまくん。
宏霧は、根はとても残酷な程に優しくて、何処か世間知らず。
そして毒素を知らない、純粋無垢そのものだ。
(ごめんなさい、その優しさを受け入れる事は出来ない)
幼少期からの度重なる人間不信。
この凍り付いた心に、その優しさは毒だ。
この心は自分自身だけのもの、
誰も入れぬ様に刺々しい蔦で、守ってきたのだから。
この心には誰にも踏み込ませない。
誰にも心を赦さないと誓ったあの日。
自分自身だけを信じる事しか出来ない。
人の感情に触れてしまえば、悪寒が迸るのだ。
薫が自らを引き取った理由を聞いて、
透架が、宏霧の為に頑張り、励んでいたと言えば
答えは完全にノーだ。
純架の笑顔が脳裏に霞んだとしても、
宏霧の事を考えた事は今まで、一ミリもなかった。
純架の為、純架の守る為、あわよくば自分自身の為。
医学部へ進学と
国家資格の医師免許取得、それが絶対に約束されたこの館で
双子の妹の事しか頭になかった、なんて言えない。
志望は循環器科、心臓外科医。
医師になれば、
純架を見つけ出して、彼女の主治医になること。
それ以外に思う事も、想いを馳せる事もないのだ。
純架への贖罪の為に、透架は医師になる道を選んだ。
「………だとしたら、どうしますか」
「え?」
「私は、宏霧さんに医師免許を渡した後に静かに消えます。
きっと時が過ぎれば、
貴方の記憶からも消えてしまう事でしょう」
「………そうとは限らないだろう?」
透架は、静かに首を横に振った。
「………私は悪人です。
私の事は、使い捨て人形として思って下さい。
そう思えば割り切り易いでしょう?」
冷たい声音。
宏霧は、自責の念に駆られた。
薫の言いなりになって、透架をおざなりにした事を。
お人好しな彼は知らない。
硝子で手を切ったのは、怪我ではなく
透架自身が自ら下したの自傷行為だという事も。
(この館の、悪人は、私なのかも知れない)
その表情と言葉、それは、残酷なものだった。
何度も申しますが、
物語の構成上のですので、主人公の自傷行為を助長する意図はする事は御座いません。
ご理解いただけますと幸いです。




