第四話 過去
応接室での話を終えた後、天倉に案内され、禮たちは訓練区画へ移動した。
禮歌と慧、久世は観察室へ向かい、禮だけが訓練場に足を踏み入れる。
その中央では、見知らぬ男がすでに待っていた。
「今日の対戦相手、御影だ」
天倉の紹介を受け、禮が改めて男を見ると、御影もこちらを真っ直ぐに見返した。
言葉を交わすより先に、互いの出方を窺うような短い沈黙が流れる。
その距離は十数メートル。
「さてと」
軽く首を鳴らす。
「どのくらい強いのか分からんが」
御影を見る。
「最初から本気で行こうか?」
御影は少しだけ目を細めた。
そして笑う。
「その方が助かる」
迷いはない。
「久世さんに勝った奴が相手なのに」
一拍。
「手加減される方が困る」
「了解」
禮の口元が上がる。
観察室。
慧が小さくため息を吐いた。
「聞くまでもなかっただろ、これ」
久世も笑う。
「御影なら絶対そっち選ぶと思った」
禮歌は何も言わず、禮を見ていた。
次の瞬間、禮が右手を開いた。
「神器」
創が集まり、少しずつ形を作っていくが、現れたものは剣でも槍でもなかった。
一冊の本が宙へ浮かび、静かに開く。
「《ノア》」
御影の表情が僅かに変わった。
「……本?」
「神器だ」
「それは見れば分かる」
御影は《ノア》をじっと見つめたが、昨日の久世との戦闘で初めて披露された神器について、その詳細まで知っているわけではなかった。
ただ、久世から一つだけ聞いていた言葉がある。
――厄介。
それだけだった。
御影がゆっくり構える。
「じゃあ」
御影の足元で、床に生じたほんの僅かな変化を、禮の目は見逃さなかった。
「こっちも最初から行く」
御影が右手を前へ出した。
「俺の能力」
一拍。
「神成とは、たぶん相性悪いぞ」
禮の目が少し楽しそうに細くなった。
「さて」
禮の身体が僅かに揺らぎ、構造、密度、重心、方向のすべてが絶えず組み替わっていく。
「無手・創乱」
御影がその変化を見る。
「……なるほど」
そして腰へ手を伸ばした。
そこにあったのは神器ではない。
通常の槍型顕装、黒鉄の柄。
鈍い銀色の穂先。
御影がそれを構える。
「じゃあ」
一歩、踏み込む。
「まずそれから崩す」
禮の目が僅かに細くなる。
御影が消える。
速い。
だが久世ほどではない。
榊原のような空間移動でもない。
純粋な踏み込み。
御影の槍が禮の右腕を狙う。
禮が身体をずらす。
穂先が腕を掠めた。
その瞬間。
「定着」
「――?」
禮の右腕、そこだけ。
《無手・創乱》の変化が止まり、構造が切り替わらない。
密度も方向も触れられた瞬間の状態で固定されている。
御影がすぐに槍を引く。
「俺の能力は《定着》」
少し笑う。
「触れたものを」
一拍。
「その状態のまま固定する」
禮の右腕だけ、今も変化しない。
御影が槍型顕装を構え直した。
「お前みたいに」
「状態を変え続ける能力とは」
笑う。
「たぶん、相性悪いぞ」
「なるほどね」
禮は固定された右腕を見ながら、少しだけ笑う。
「なら」
御影を見る。
「これはどうだ?」
右手を前へ向ける。
「《創》」
一瞬。
空気が鋭く歪んだ。
そして禮が告げる。
「壊穿」
「――は?」
観察室。
慧が思わず禮歌を見る。
禮歌も僅かに目を見開いていた。
《壊穿》。
それは禮歌の技。
破壊の力を一点へ集中させ、対象を貫く。
本来。
《創》とは真逆に近い性質。
普通なら。
禮には使えない。
だが禮は破壊そのものを使ったわけではなかった。
《壊穿》という技。
その構造、成立条件。
軌道、結果。
それらすべてを《創》によって作り上げた。
つまり破壊を使ったのではない。
《壊穿》を創った。
「っ!」
御影が槍型顕装を横へ振るう、《定着》。
接触、固定。
だが今度は触れた瞬間。
御影の表情が変わった。
「……何だこれ」
固定したはずなのに技そのものが別の形で成立し直す。
《定着》によって一つの状態を止められても禮がその技の完成形を再び。
《創》で構築する。
御影が一歩、後ろへ跳ぶ。
直後、《壊穿》がその直前まで立っていた場所を一直線に貫いた。
床へ深い穴が開く。
「…………」
御影が禮を見る。
「今の」
一拍。
「お前の技じゃないよな?」
禮は少しだけ笑った。
「お?」
禮が少し意外そうに笑う。
「よく分かったな?」
観察席を軽く指差す。
「これは禮歌」
「そこにいる奴の技だ」
御影が一度だけ。
観察席の禮歌を見る。
「……なるほどね」
それ以上。
深くは聞かなかった。
禮歌について。
御影が知っていることはそう多くない。
禮は右腕へ視線を戻す。
「まぁ」
「他人の技はあまり使うつもりないし」
一拍。
「俺の技で攻略しないとな」
宙に浮かぶ《ノア》。
ページが静かに開く。
「《無手・創乱》」
同時。
「創約」
二つの技が一度に成立する。
禮の身体が再び。
絶えず組み替わり始める。
そして御影の《定着》によって固定されていた右腕。
その状態へ《創約》が干渉する。
固定された状態を壊すわけではない。
《定着》によって変化を止められる度に《創約》が《無手・創乱》による変化状態を再び構築する。
止める。
創り直す。
止める。
創り直す。
「……へぇ」
御影が僅かに目を細め、右腕が再び揺らぎ始める。
完全に《定着》が消えたわけではない。
だが固定し続けなければ。
すぐに《創約》によって変化側へ戻される。
しかも禮自身はそれを維持していない。
《ノア》。
発動した二つの技を神器側が同時に維持している。
御影が槍型顕装を握り直した。
「なるほど」
今度は禮ではなく。
《ノア》を見る。
「固定した状態を」
「そっちがずっと作り直してくるわけか」
禮の右腕。
完全に《無手・創乱》へ復帰する。
「でも」
御影が槍を構える。
「それなら」
一歩、踏み込む。
「一ヶ所ずつ止める必要もないな」
御影の槍が床へ突き立てられた。
《定着》。
だが今度の対象は禮の身体ではない。
禮を中心とした周囲の空間。
御影がその場そのものを固定しようとする。
「なるほどなぁ」
禮は御影が固定した周囲の空間を見渡す。
「つまり」
一拍。
「能力の相性的には、俺の方が不利って感じか」
御影が槍型顕装を構えたまま笑う。
「今のところはな」
「なら」
禮の右手に、《創》。
一本の剣が瞬時に形を作る。
余計な能力は持たせない。
ただ全力で振っても壊れないだけの強度。
「近接はどうなるかな?」
禮が踏み込んだ。
「――!」
御影の目が一気に鋭くなる。
速い。
能力ではない。
純粋な神成禮自身の身体能力。
距離が一瞬で消える。
そして禮は剣を振り抜いた。
全力。
真正面からの一閃。
御影が槍型顕装を横へ構える。
激突。
凄まじい衝撃が訓練場全体へ響く。
「っ……!」
御影の身体が後方へ押される。
靴底が床を削る。
受けた。
だが止めきれていない。
「……重っ!」
禮はさらに押し込む。
御影が歯を食いしばる。
そして剣と槍、接触したその瞬間。
「《定着》」
禮の剣が止まった。
「……お?」
壊れたわけではない。
弾かれたわけでもない。
振り抜こうとしており、その状態、その角度。
その位置。
剣そのものが空間へ縫い付けられたように動かない。
御影が槍を滑らせる。
そのまま禮の懐へ踏み込む。
「近接でも」
槍の石突が禮の腹部へ迫る。
「触れられれば、俺の領域だ」
「なるほど」
禮は止められた剣を見ながら、少しだけ笑う。
「あくまで」
「俺の能力そのものに」
「直接干渉できるわけじゃないんだな」
御影の目が僅かに細くなる。
「……気づいたか」
「創ったこと」
「創ったもの」
禮は固定された剣へ視線を落とす。
「そこになら干渉できる」
一拍。
「そんな感じか」
御影は答えない。
だがその反応だけで禮には十分だった。
「なら」
右手を離す。
固定された剣をその場へ置き去りにする。
「使い捨てればいい」
次の瞬間、《創》。
禮の手にさっきと全く同じ形の剣が再び創られる。
「――!」
御影の表情が変わる。
固定した。
確かに止めた。
だが禮にとって。
その剣そのものに拘る理由がない。
止められたなら。
捨てる。
そしてまた創る。
それだけ禮が再び踏み込み、御影が槍型顕装を構え、二本目の剣、振り下ろし。
受ける。
接触、《定着》。
剣がまた止まる。
だが禮は今度は迷わない。
手を離す、《創》。
三本目、横薙ぎ。
御影が受ける。
《定着》、四本目。
今度は逆袈裟、五本目。
突き、六本目。
斬り上げ、一本。
止められるたびに次の剣。
さらに次の剣。
御影の周囲へ固定された剣だけが次々と増えていく。
「……そう来るか!」
御影が初めて。
大きく笑った。
禮も少し楽しそうに返す。
「止められるなら」
一拍。
「止めればいい」
《創》、七本目。
「俺は」
剣を構える。
「何本でも創れるぞ」
「ちなみに」
禮がふと思いついたように御影を見る。
「同時にはできるのかな?」
「何が?」
「これ」
《創》。
今度は片手ではない。
左右。
同時に、禮の両手へ全く同じ剣が二本。
一瞬で創り出される。
「剣二本」
御影が僅かに眉を上げた。
「なるほど」
「試してみるか」
「ああ」
禮が二刀を構え、次の瞬間、踏み込む。
右、左。
ほぼ同時、別々の方向から二本の剣が御影へ襲いかかる。
御影が槍型顕装を横へ構えた。
一撃目。
右の剣が穂先側へ接触。
同時に、左の剣が柄側へぶつかる。
その瞬間、御影が告げた。
「《定着》」
二本。
同時に止まった。
「お」
禮の目が少しだけ開いた。
右も左も振り抜けない。
二本とも接触した瞬間の状態で完全に固定されている。
御影が笑った。
「できる」
「一個限定じゃない」
「俺が触れた対象なら」
一拍。
「複数でも維持できる」
「なるほどな」
禮は固定された二本を見比べる。
御影が少し挑発するように言う。
「十本でも百本でも創ってみるか?」
禮の口元が僅かに上がった。
「まあ」
禮は固定された二本の剣からあっさり手を離す。
「そんなことしても」
一拍。
「あまり意味はなさそうだ」
二本の剣がその場へ残る。
そして禮の横。
宙に浮かぶ《ノア》へ視線を向けた。
「じゃあ」
少し笑う。
「どうだ?」
御影が槍型顕装を構え直す。
「何が?」
「触ったら」
《ノア》のページがひとりでに開く。
「ゲームオーバーの技には」
一拍。
「どうする?」
ページへ文字が浮かぶ、記録。
「夢虚無幻」
直後、禮の傍ら。
空間が静かに欠けた。
「…………」
御影の表情から笑みが消える。
本能的に槍を向ける。
だが踏み込まない。
「……これか」
久世から聞いており、防御するな、触れるな。
まともに受けようとするな、そのどれかを間違えれば。
そこで終わる。
《夢虚無幻》がゆっくり。
御影へ動き始める。
「さあ」
禮が言う。
「《定着》するか?」
「いや」
御影は即座に答えた。
「それには触らない」
「へえ」
「触れた対象を固定できるからって」
槍の石突を床へ当てる。
「何でも触りに行くほど馬鹿じゃない」
《定着》。
変化したのは《夢虚無幻》ではない。
その周囲、空間。
位置、距離。
《夢虚無幻》が存在している。
その場所そのもの御影は技へ直接触れることなく。
周囲の状態を固定する。
進んでいた《夢虚無幻》が僅かに鈍った。
「お」
禮の目が少しだけ細くなる。
御影が槍を握ったまま。
禮を見る。
「触れられないなら」
一拍。
「周りを止めればいい」
《夢虚無幻》は消えていない。
《定着》されたわけでもない。
ただ進もうとするたび。
周囲の空間がその位置を保とうとする。
完全に止まるか、それとも《夢虚無幻》が固定された空間ごと侵すか。
二つの力がぶつかり始めた。
御影が僅かに笑う。
「さて」
「これは」
「どっちが勝つ?」
「完全に固定されてれば」
禮は《夢虚無幻》とその周囲を縛る《定着》を見る。
「俺の負けなんだけどな」
御影が僅かに眉を上げる。
「……なんだけど?」
禮が笑った。
「ほんの少し」
一拍。
「歪みを作るだけでいい」
《夢虚無幻》。
止まっている。
ように見える。
だが完全ではない。
《定着》された空間とそこを侵そうとする虚無。
二つが同じ場所へ存在しようとしている。
その境界、ほんの僅か。
目で見ても分からないほど小さな、歪み。
「そこから」
《夢虚無幻》が入り込んだ。
「――!」
御影の目が見開かれる。
小さな歪み、たったそれだけ。
だが一度、虚無が入り込めば。
そこから侵食する。
固定された空間が少しずつ。
欠け始めた。
「……マジかよ」
御影が即座に槍型顕装を引く、《定着》。
さらに二重、三重。
侵食される場所へ複数の固定を重ねる。
進行が再び鈍る。
禮がそれを見る。
「やっぱ相性悪いな」
御影が苦笑する。
「どっちが言ってんだよ」
「俺」
「こっちも結構嫌なんだけど」
「まあ」
禮は《ノア》へ一度視線を向け、それから御影を見る。
「同じ技ばかりも」
一拍。
「飽きてきただろう」
「……?」
禮の雰囲気が変わり、《夢虚無幻》、《無手・創乱》。
《創約》。
これまで御影へ止められた剣、固定された身体。
固定された空間、御影の槍。
接触の条件、複数同時《定着》。
そのすべて一度見た。
一度受けた。
一度攻略した。
一度失敗した。
その情報が禮の中で一つへ集まっていく。
「最龍聖歌」
「――――」
観察席。
久世の表情が変わった。
「……待って」
慧が横を見る。
「何?」
「これ」
久世は禮から目を離さない。
「昨日の三つと違う」
禮歌だけが静かに見ていた。
訓練場。
御影は直感的に槍を構え直す。
「……何した?」
「簡単に言えば」
禮は御影を見る。
「今までの全部」
成功、失敗。
対応、再対応。
御影が禮へ行った対策。
禮がそれへ返した対策。
さらにその次。
それらを別々の技としてではなく、一つの戦闘体系として組み上げる。
御影が僅かに息を吐いた。
「……嫌な予感しかしねえ」
次の瞬間、《夢虚無幻》が動く。
御影が即座に周囲を《定着》。
だが今度は固定された瞬間。
《創約》が歪みの生まれる場所へ最初から再構築を重ねる。
同時に、禮自身が踏み込み、御影が槍を向け、禮の身体へ触れようとする。
だが《無手・創乱》の変化が御影の槍の軌道まで読んだように接触しにくい構造へ先回りして変わる。
「っ――!」
御影が槍を切り返す。
そこへ禮が新しい剣を創る。
御影は触れる。
固定する。
その瞬間、禮は最初から剣を捨てている。
次の剣。
さらにその行動で生まれ、僅かな体勢の崩れへ《夢虚無幻》。
「…………!」
御影が大きく後ろへ下がった。
今までとは違う。
技が強くなっただけではない。
御影が何をするか、それに対して。
禮が何を返すか。
さらに御影がそこへどう対応するか。
その先まで一つの流れとして組み上がり始めている。
御影が槍を握り直す。
そして笑った。
「……なるほど」
一拍。
「これは確かに」
足元へ槍の石突を叩きつける。
複数の《定着》が一気に広がり、禮、《夢虚無幻》。
床、空間。
さらに自分自身の周囲。
御影は固定する対象を一気に増やした。
「普通にやってたら」
御影の目が鋭くなる。
「飲まれるな」
「んー」
御影が多数の《定着》を展開していく中。
禮は少しだけ考える。
そして観察席へ視線を向けた。
久世。
こちらを真剣に見ている。
「そろそろ」
禮が笑う。
「久世にも」
一拍。
「俺の本当の強さがどんなものなのか」
「少しくらい見せてもいいか」
「……?」
久世の眉が僅かに動き、その瞬間、宙に浮かぶ。
神器。
ページが一斉にめくられる。
「禁忌開放」
空気が変わった。
御影も即座に反応する。
「……禁忌?」
《ノア》。
通常の《記録》とは完全に隔離された領域。
そこへ新しく、一つ。
名前が増えている。
先ほど。
禮自身が使用したことで新たに記録された技。
《最龍聖歌》、そして今。
禁忌には四つ。
並んでいた。
再竜聖歌、再龍聖歌。
最竜聖歌、《最龍聖歌》。
禮が息を吸う。
「四重詠唱」
次の瞬間、四つの声が完全に重なった。
「《再竜聖歌》《再龍聖歌》《最竜聖歌》《最龍聖歌》」
同じ瞬間、同じ読み。
だが《ノア》のページには四つの異なる文字が同時に浮かぶ。
観察席。
慧が固まった。
「……増えてない?」
禮歌が小さく答える。
「増えたね」
久世は笑っていなかった。
昨日、三重。
それでも十分すぎるほどであり、なのに今日は四重、しかも増えた一つはさっき。
初めて使ったばかりの技。
「……神成」
久世が小さく呟く。
「本当に戦いながら増えてるんだ」
訓練場。
最初に、《再竜聖歌》。
これまで御影との戦闘で得た。
すべての情報、《定着》。
接触、複数同時固定。
空間固定、創造物への干渉。
直接《創》そのものへは触れられない。
それらを含め。
技が再構築される。
次、《再龍聖歌》。
再演された技同士が自律的に噛み合い始める。
そして《最竜聖歌》。
その全てが現在の禮が到達できる。
最高の形へ更新される。
さらに最後、《最龍聖歌》。
今まで別々だった。
成功、失敗。
対策、対策への対策。
フェイント、読み。
近接、能力。
神器、戦闘経験。
その全てが一つの体系へ統合される。
「…………」
御影の表情が完全に変わった。
今までなら。
禮が何かをする。
自分が《定着》する。
禮が攻略する。
そこへさらに対応する。
そういう攻防だった。
だが今は違う。
御影が何かする前から複数の技がその行動を前提として動き始めている。
《夢虚無幻》、一つ。
ではない御影が固定しやすい位置、固定したくなる場所。
そこへ向かいながら。
別の技がその選択肢を狩る。
禮自身も同時に踏み込み、御影が槍を構える。
その瞬間には既に禮の身体。
《無手・創乱》が槍の接触しやすい軌道を外し始めている。
「っ――!」
御影が《定着》、空間を固定。
だがその固定によって生じた僅かな境界。
そこへ《夢虚無幻》が侵食する。
《創約》が侵食状態を維持、固定を増やす。
なら固定した場所そのものが今度は禮にとって。
御影の行動を読むための目印になり、御影の目が見開かれた。
「……これ」
一歩。
下がる。
そこにも既に次の攻撃。
さらに横、禮。
正面、《夢虚無幻》。
上、別の軌道。
御影が槍型顕装を強く握る。
「相性悪いとか」
苦笑する。
「そういう話じゃなくなってないか?」
禮はまだ。
攻撃を止めない。
観察席。
久世がようやく理解し始める。
昨日まで自分が見ていた神成禮は、それでもまだ完成形ではなかった。
四つの《さいりゅうせいか》。
それらが同時に成立した時。
神成禮の強さは単純な技の数でも能力の出力でもない。
戦えば戦うほど。
相手の強さそのものを攻略材料へ変えていく。
御影の《定着》は、禮にとって確かに相性の悪い能力だった。
だからこそ、その相性の悪ささえ今や禮の戦闘体系へ取り込まれ始めていた。
「…………」
御影もそれを理解している。
このままでは駄目だ。
一つ固定する。
攻略される。
二つ固定する。
利用される。
空間を固定する。
僅かな歪みから《夢虚無幻》に侵食される。
ならもっと固定する?
違う。
数を増やすだけではまた。
その情報を禮へ与えるだけ。
「……なるほどな」
御影が小さく呟いた。
禮の剣が迫る。
御影は槍型顕装で受け――ない。
紙一重、身体をずらす。
その横で、《夢虚無幻》。
《定着》、床。
一点。
御影の足がそこへ触れる。
踏み込む、禮の追撃。
今度は槍を固定しない。
攻撃も固定しない。
自分が次に動くための足場だけ。
固定する。
「……お?」
禮の目が僅かに変わり、御影が飛ぶ、着地予定地点。
そこを先に《定着》。
足を置いた瞬間。
一切揺れない。
完璧な足場、そこから即座に方向転換。
《夢虚無幻》を回避。
《創約》によって再び追尾。
御影はまた。
次の一点だけを固定。
避ける。
「…………」
久世が観察席から身を乗り出す。
「御影……」
さっきまでと違う。
《定着》で禮を止めようとしていない。
禮の技を抑え込もうともしていない。
自分自身が生き残るために必要な、最小限だけ。
固定している。
禮が踏み込む、二刀。
左右。
御影が槍で右を受ける。
左、頭を下げる。
その瞬間、槍の石突が床へ触れる。
《定着》。
御影が槍を軸に身体を回す。
禮の剣が髪を掠める。
そこへ創連破斬。
御影の背後。
「っ――!」
振り返らない。
前へ踏み込む。
だがその先、《夢虚無幻》。
御影の足が止まる。
左右、斬撃。
後方、《創連破斬》。
正面、虚無。
上、禮。
「…………!」
完全に囲まれかけている。
それでも御影の目は死んでいない。
槍を床へ突き立てる。
《定着》、一点。
さらに別の一点、もう一つ。
空間そのものを広く固定するのではない。
点、点。
点、御影の周囲。
僅かな安全地帯だけを次々と作っていく。
その一点から次の一点へ最小限、動く。
斬撃を避ける。
虚無を避ける。
禮の剣を槍で僅かに逸らす、固定。
移動、固定。
回避、固定。
反撃。
その速度がどんどん、上がっていく。
慧が目を見開いた。
「……待って」
「こいつ」
一拍。
「戦いながら上手くなってない?」
「ああ」
久世が静かに笑う。
「御影の厄介なところ」
「そこなんだよね」
最初に、御影は《定着》の相性で禮へ対抗していた。
だが今は違う、《最龍聖歌》。
《再龍聖歌》、《再竜聖歌》。
《最竜聖歌》、四つ。
禮の持つ。
異常なまでの戦闘適応。
それを真正面から受けながら、御影自身も成長している。
禮が次にどこへ《夢虚無幻》を置くのか。
何度も見た。
《創連破斬》がどこから次を生むのか。
何度も避けた。
禮が近接でどの瞬間に本命を混ぜるのか。
何度も食らいかけた。
そのたびに御影は学ぶ。
「――そこ!」
槍が禮の剣を僅かに逸らす、《定着》。
だが剣ではない。
禮が次に踏み込もうとしていた。
床、その一点。
僅かに禮の踏み込みがずれる。
そこへ御影の槍。
「おっと」
禮が上体だけで避ける。
穂先が頬の横を通過。
御影は止まらない。
二撃、三撃。
禮がすべて避ける。
だがさっきまで一方的に追い込まれていた男が今。
四重の聖歌が成立した禮へ攻撃を返している。
久世が笑った。
「やっぱり」
「この人選で正解だったね」
天倉も御影から目を離さない。
「ここまでとは思っていませんでしたが」
訓練場。
禮と御影、再び。
距離が開く。
御影は荒く息を吐いている。
余裕なんて。
ない一度でも《夢虚無幻》へ触れれば。
終わる。
禮の一撃をまともに受けても危険、四つの聖歌によって攻撃は戦うほど。
最適化され続け、それでも御影は立っている。
槍型顕装を構えている。
そして笑っていた。
「……やべぇな」
「何が?」
禮が聞く。
御影は槍を構え直す。
「お前と戦ってると」
一拍。
「今まで出来なかったことが」
「出来るようになってくる」
禮の目が僅かに見開かれる。
次の瞬間、その口元がゆっくり上がった。
御影は息を切らしながらもまだ立っている。
槍型顕装を構え。
笑っていた。
「お前と戦ってると」
「今まで出来なかったことが」
「出来るようになってくる」
禮の口元がゆっくり上がった。
「いいね」
短く。
本当に嬉しそうに言った。
「なら」
一拍。
「この技でも倒れないでくれよ」
「……?」
御影の表情が僅かに変わり、その直後、訓練施設。
壁面、天井。
床。
その全てへ半透明の膜が一瞬で広がった。
「――何?」
久世が観察席から周囲を見る。
光のようで光ではない。
闇のようで闇でもない。
施設全体を完全に包み込む。
禮が静かに告げた。
「《闇すら光すら拒絶する結界》」
天倉が思わず立ち上がる。
「待て神成」
計測装置が一斉に異常値を吐き始める。
だが禮は御影だけを見ていた。
「これ」
一拍。
「乗り越えられたら」
少し笑う。
「誇ってもいいぞ?」
御影が槍を握る手へさらに力を込める。
「……言ったな」
逃げる気はない。
その目を見て、禮も完全に戦闘へ意識を戻した。
「《創》」
宙に浮かぶ、神器。
ページが猛烈な勢いでめくられる。
「技を追加」
通常の《記録》ではない。
「場所」
一拍。
「《禁忌》」
《ノア》、隔離領域。
そこへ新しいページが開く。
まだ名前すら記されていない。
禮が続けた。
「今から発動する技を」
「成立と同時に」
一拍。
「《ノア》からの出力へ切り替える」
「…………!」
禮歌の目が僅かに見開かれる。
久世も意味を理解し始める。
禮自身が発動する。
だが完成した瞬間。
発動主体を神器へ移す、つまり。
禮本人はその技を撃ち続けるために拘束されない。
《ノア》のページ。
四つの名前が同時に輝く、《再竜聖歌》。
《再龍聖歌》、《最竜聖歌》。
《最龍聖歌》。
そして禮が詠唱を始めた。
「再びし竜よ」
空気が震える。
「重なりし龍よ」
《再竜聖歌》、《再龍聖歌》。
二つの文字が崩れ始める。
「最へ至り」
《最竜聖歌》、ページから光が剥がれる。
「星を喰らい」
御影が槍を床へ突き立てた。
《定着》、周囲。
足場、空間。
可能な限り、固定。
だが禮は止まらない。
「渦へ還れ」
《最龍聖歌》、最後の一つ。
その文字まで崩壊を始める。
久世が息を呑んだ。
「……消えてる」
慧が横を見る。
「何が?」
「四つの技」
久世は《ノア》から目を離さない。
「全部」
一拍。
「この一つに喰わせてる」
禮の声が訓練場へ響く。
「四つの歌をここに葬り」
四つ、完全に消える。
御影の額から汗が流れる。
それでも《定着》を広げる。
今までの戦闘で禮から学んだ。
一点、固定。
複数、空間。
足場、自分。
ありとあらゆるものを可能な限り、固定。
止める。
耐える。
凌ぐ。
そしてさらに成長する。
だが禮の詠唱は最後へ至る。
「ただ一つの」
一拍。
「終わりとなれ――」
《ノア》。
新しい名前が刻まれた。
《禁忌》、終龍葬歌。
「《終龍葬歌》」
瞬間、世界から音が消えた。
「――――」
御影が何かを感じ取る。
槍を構える。
《定着》、全開。
だが何を固定すればいいのか。
分からない。
攻撃が見えない。
方向すら。
ない四つの聖歌、再演。
自律連携、最高更新。
完全統合。
その全てを一度。
葬った。
そしてその結果だけを一つの歌へ押し込める。
未完成。
だからこそ形がない。
禮自身ですら。
まだ完全には扱い切れていない。
次の瞬間、御影の周囲。
固定していた全てが一斉に軋んだ。
「っ――!」
御影がさらに《定着》を重ねる。
一層、二層。
三層、空間。
床、槍。
自分自身、固定。
固定、固定。
それでも崩れる。
「まだ……!」
御影が歯を食いしばる。
昨日までなら。
できなかった数秒前でもできなかった。
だが今。
禮との戦闘で成長した御影は耐えている。
一瞬、二瞬。
三瞬。
《終龍葬歌》を真正面から。
「おお……」
禮の目が嬉しそうに細くなる。
「耐えるか」
「まだ……終わって、ねぇ……!」
御影が槍を持ち上げる。
一歩。
前へ出ようとする。
その瞬間、《終龍葬歌》がもう一段。
深く。
響いた。
「――――っ」
御影の《定着》、全て。
砕けた。
槍型顕装が手から離れる。
膝が落ちる。
それでも一度。
立ち上がろうとしただが身体がもう。
ついてこない。
「……くそ」
御影が小さく笑う。
「無理か……」
そのまま前へ倒れる。
直前。
《終龍葬歌》が止まり、同時に、《ノア》のページが閉じる。
訓練場。
静寂。
《闇すら光すら拒絶する結界》だけがまだ。
施設を覆っている。
御影、戦闘不能。
天倉が数秒遅れて。
終了を宣言した。
「……模擬戦闘」
一拍。
「終了」
久世は何も言わない。
ただ倒れた御影。
そしてその向こうにいる。
神成禮を見る。
四つの聖歌を一つ残らず、犠牲にして。
成立させた。
未完成の歌、《終龍葬歌》。
そしてその技はすでに神器。
《禁忌》へ記録されており、模擬戦闘、終了。
《終龍葬歌》が消え。
訓練場に音が戻ってくる。
禮も《闇すら光すら拒絶する結界》を解除した。
半透明の壁が静かに消えていく。
医療班が倒れた御影のもとへ向かう。
意識はある。
ただ身体が完全に限界を迎えていた。
「……はは」
御影が床へ寝たまま。
小さく笑った。
「誇っていい?」
禮は少し笑う。
「いいぞ」
「なら……まあ」
息を整えながら。
「負けた甲斐はあったな」
「御影」
天倉がすぐにそちらへ向かう。
「喋れるなら問題なさそうだな」
「もうちょい心配してくださいよ」
「自分から受けに行った人間へ言うことじゃない」
「ひどい」
そんなやり取りの中。
久世だけはまっすぐ。
禮の方へ歩いてきた。
いつもの楽しそうな笑み。
それが今はない。
「神成」
「ん?」
久世が《ノア》を見る。
「今の技」
一拍。
「何?」
「《終龍葬歌》」
「名前じゃなくて」
即答だった。
禮が僅かに笑う。
「珍しいな」
「何が?」
「久世がそんな顔してるの」
「そりゃするよ」
久世が御影を見る。
《定着》。
あれほどまで禮の《創》へ相性的に有利だった能力。
しかも戦闘中。
目に見えて成長した。
最後には四重の聖歌すら、数秒。
耐え凌いだ。
その御影を《終龍葬歌》は真正面から押し潰した。
「四つの技」
久世が指を折る。
「《再竜聖歌》」
「《再龍聖歌》」
「《最竜聖歌》」
「《最龍聖歌》」
一拍。
「全部消えたよね?」
「ああ」
「それを犠牲にした?」
「そう」
「四つ全部使って」
「《終龍葬歌》を成立させた?」
「大体そんな感じ」
久世は数秒。
黙る。
「……それ」
禮を見る。
「どれくらい強いの?」
「どれくらいって言われてもな」
禮は少し考える。
そして特に誇張するでもなく。
答えた。
「昨日使った技を除けば」
一拍。
「俺が今持ってる中で」
「一番強い技だと自負してる」
「…………」
久世が完全に止まり、慧も少し離れたところから会話を聞いていたらしい。
「待て」
禮を見る。
「昨日の技って」
嫌そうな予感。
「怨消?」
「ああ」
「じゃあ今の」
慧が倒れた御影を見る。
「《怨消》の次に強いの?」
「そういう認識でいい」
「さらっと言うなよ……」
久世はまだ。
禮を見ている。
「未完成なんだよね?」
「ああ」
「なのに?」
「未完成だから弱いとは限らないだろ」
「いや」
久世が額へ手を当てる。
「そうなんだけど……」
一度。
《ノア》を見る。
「完成したらどうなるの?」
禮は少し考えた。
「知らん」
「知らない?」
「ああ」
「まだ完成してないんだから」
肩を竦める。
「俺にも分からん」
久世がしばらく。
何も言わない。
それから小さく笑った。
「……やっぱりさ」
「何?」
「前に私が戦った時」
一拍。
「本当に全然出してなかったんだね」
禮は久世を見る。
あの戦い、終焉創世。
アポカリプス、《再竜聖歌》。
あれだけ久世にとって。
限界まで戦った。
それでも今になって。
次々と知らないものが出てくる。
久世が少しだけ悔しそうにでもそれ以上に楽しそうに笑った。
「私」
一拍。
「まだ神成の本当の強さ」
「全然知らないんだ」
「完成は」
禮は少しだけ考える。
「まだ先かな」
久世が首を傾げる。
「まだ先?」
「ああ」
「まだ足りない要素がある」
「今のでも?」
「今のでも」
即答。
久世が少しだけ引いた顔をする。
「……あれで未完成なんだ」
「未完成は未完成だろ」
「神成基準ほんと嫌い」
「褒め言葉?」
「違う」
慧が横から小さく笑い、禮はそのまま続けた。
「それと」
久世を見る。
「あの時も」
一拍。
「俺は本気で戦ったつもりだぞ」
久世の表情が少しだけ変わる。
「……でも」
「今みたいなの」
「使ってなかったよね?」
「ああ」
「じゃあ本気じゃなかったんじゃない?」
「違う」
禮は首を横に振る。
「その時点で」
「その相手に合ってる《さいりゅうせいか》を使ってきただけだ」
久世が少し考える。
禮は指を一本立てる。
「最初は」
「《再竜聖歌》」
二本目。
「それから」
「《再龍聖歌》」
三本目。
「《最竜聖歌》」
そして四本目。
「今日」
「《最龍聖歌》が加わった」
「…………」
久世がようやく意味を理解する。
「つまり」
「昔から四つ全部使えたわけじゃない?」
「ああ」
禮は頷く。
「俺も戦いながら増やしてる」
「相手を見て」
「必要になったから作る」
「使う」
「そこから」
「また次が生まれる」
御影との戦闘、《定着》。
相性的には禮に不利、しかも戦闘中に御影自身が急速に成長した。
だから禮もさらに先へ進んだ。
「今日」
禮は《ノア》を見る。
「四つ揃った」
「だから」
一拍。
「《終龍葬歌》が撃てた」
久世が少しだけ目を細める。
「昨日までは?」
「無理」
「三つあったよね?」
「ああ」
「それじゃ足りなかった?」
「犠牲が足りない」
その言葉に久世が《ノア》へ視線を向ける。
「やっぱり」
「本当に四つを消費してるんだ」
「ああ」
「《終龍葬歌》は」
禮が静かに言う。
「《再竜聖歌》」
「《再龍聖歌》」
「《最竜聖歌》」
「《最龍聖歌》」
「この四つを」
一拍。
「葬って成立させる」
「だから」
「三つじゃ足りなかった」
久世は数秒。
黙る。
「……ねえ」
「何?」
「一個いい?」
「ああ」
久世が少しだけ眉を寄せた。
「さっきからずっと思ってるんだけど」
一拍。
「《さいりゅうせいか》多すぎない?」
慧が思わず吹き出す。
「やっぱ言うよな!?」
「だって!」
久世が指を折る。
「さいりゅうせいか」
「さいりゅうせいか」
「さいりゅうせいか」
「さいりゅうせいか」
「全部同じに聞こえるんだけど!」
「漢字違うだろ」
「戦闘中に漢字見えないって前にも言ったよね!?」
禮歌が小さく笑う。
禮は特に気にした様子もなく。
答えた。
「犠牲にするためだよ」
「……え?」
久世が止まる。
「《終龍葬歌》で」
「四つ全部を犠牲にする」
禮は《ノア》を見る。
「だから」
「同じ名前にしてる」
「…………」
久世が一度、四つの名前を思い出す。
《再竜聖歌》、《再龍聖歌》。
《最竜聖歌》、《最龍聖歌》。
読みは全て、さいりゅうせいか。
そして最後、《終龍葬歌》。
四つの歌を一つの終わりへ葬る技。
「……最初から?」
久世が聞く。
「そこまで考えて名前つけてたの?」
禮は少しだけ笑った。
「まあな」
久世が額へ手を当てる。
「紛らわしいだけだと思ってた……」
慧が隣で頷く。
「俺も」
禮歌だけが少し楽しそうに笑っていた。
「まあ」
禮は《ノア》へ視線を向ける。
「いい技の検証になったよ」
久世が少しだけ眉を上げた。
「検証?」
「ああ」
「《終龍葬歌》」
一拍。
「実戦で撃ったのは初めてだからな」
倒れている御影の方を見る。
「しかも」
「途中まで耐えてくれた」
「おかげで」
「どこまで成立して」
「どこから崩れるのかも見れた」
御影が医療班に身体を起こされながら。
苦笑する。
「俺」
「実験台だったのかよ……」
「対戦相手だろ」
「言い方変えただけじゃねえか」
久世が小さく笑い、禮は再び《ノア》を見る。
「それに」
「さすがに」
一拍。
「また新しい技を使うってなったら」
久世を見る。
「今度は別の名前にするさ」
「ほんと?」
久世の反応が妙に早い、慧も横から頷く。
「それは頼む」
「そんな困ってた?」
「困るよ!」
久世が即答する。
「四つ全部って」
「戦闘中だと本当に分からないからね?」
「でも今日」
禮が言う。
「四重詠唱って言っただろ」
「そういう問題じゃない!」
禮歌が少し笑う。
「次はちゃんと違う名前にしてあげて」
「分かったよ」
禮が軽く手を上げる。
「次からは別系統にする」
久世が少し安心したように息を吐く。
「よかった……」
「そこまで?」
「そこまで」
御影が少し離れたところからそのやり取りを聞き。
ぽつりと呟く。
「……そこ気にするところなのか?」
天倉が即答する。
「神成の技については」
一拍。
「気にするところが多すぎる」
禮はふと思い出したように天倉を見る。
「……天倉さん」
「何だ」
「技を登録しろなんて言わないよな?」
天倉の眉が僅かに動く。
禮は続ける。
「そしたら俺」
一拍。
「一週間に一回は登録しに来なきゃいけないんだけど」
「…………」
天倉が無言になる。
久世も少し考えてから。
「一週間に一回で足りる?」
「そこ?」
慧が突っ込む。
禮は当然のように答えた。
「多分」
「多分なんだ……」
天倉が額へ手を当てる。
「安心しろ」
「技を一つ作るたびに登録しろ、という制度はない」
「お」
禮の表情が少し明るくなる。
「良かった」
「ただし」
「ん?」
天倉がすぐに続ける。
「今のような技を」
《終龍葬歌》が放たれた。
訓練場を見る。
「何の説明もなく突然使われる側の気持ちは考えろ」
「結界張っただろ?」
「そういう問題ではない」
「安全対策したのに」
「安全対策をしてから、未知の大技を撃てば何でも許されると思うな」
久世が横で笑う。
「でも天倉くん」
「何ですか」
「神成に毎回報告させたら」
一拍。
「技の一覧、すごいことになりそう」
「それは既に想像しています」
慧が禮を見る。
「というかお前」
「本当にそんなペースで技増えるの?」
「相手次第だな」
禮はあっさり答える。
「今日みたいに面白い相手なら」
御影へ視線を向ける。
「新しいの思いつくこともある」
御影がまだ身体を休めながら。
苦笑した。
「戦うたびに相手見て新技作るの、普通じゃねえからな?」
「便利だぞ」
「できねえよ」
禮歌が小さく笑う。
天倉は一度。
深く息を吐いた。
「とにかく」
禮を見る。
「登録までは求めない」
「ただ」
「危険度が明らかに高い技を訓練で試すなら」
一拍。
「せめて撃つ前に一言言え」
禮が少し考える。
「……今回は言ったぞ?」
『この技でも倒れないでくれよ』
天倉が数秒。
黙った。
「それを事前説明とは呼ばない」
「厳しいな」
「普通です」
天倉がそう言い切った。
その時。
「随分楽しそうね」
空気が止まった。
禮の表情から笑みが消える。
久世も御影も天倉も声の方を見る。
訓練場へ続く通路。
そこに一人の女が立っており、昨日、禮の前へ現れた。
あの女局員。
「…………」
禮歌がすぐに禮を見る。
慧の顔も一瞬で強張った。
天倉が女の前へ出る。
「……なぜここにいる」
声が低い。
昨日、可能な限り。
禮との接触を避ける。
そう決めたばかり。
それなのに本人が自分から来た。
女はそんな天倉を見て。
僅かに肩を竦める。
「そんな怖い顔しなくてもいいでしょう?」
「質問に答えてください」
「用があるから来たの」
「誰に」
女の視線が天倉を越える。
まっすぐ禮へ向いた。
「神成禮に」
「…………」
禮の拳が僅かに握られる。
昨日ほどではない。
《怨消》によって負の感情がまだ不安定な状態にある。
それでも身体の奥。
何かが一瞬で熱くなり、禮歌がすぐ隣へ移動した。
触れてはいない。
だがいつでも動ける距離、久世も昨日のような笑みはない。
「昨日言われたこと」
女を見る。
「もう忘れた?」
「覚えてるわよ」
女は平然と答える。
「十秒以内に消えろ」
一拍。
「そう言われた」
慧が思わず顔をしかめる。
「覚えてて来たのかよ……」
「あら」
女が慧を見る。
「ちゃんと理由はあるわ」
天倉がさらに一歩前へ。
「その理由を聞きましょう」
「ええ」
女は制服の内側へ手を入れる。
その瞬間、久世の身体が僅かに動き、禮歌も目を細める。
だが女が取り出したのは武器ではない。
一つの小型記録端末、古い型。
局内で使われていた。
携帯記録媒体。
女はそれを指先で軽く持ち上げた。
「あなたたち」
一拍。
「昔の事件について調べ始めたでしょう?」
天倉の顔が険しくなる。
「……なぜそれを」
「私の事件だもの」
「正確には」
女は禮を見る。
「この子のお姉さんが死んだ事件」
禮の目が一気に冷える。
女はその反応を見ても態度を変えない。
「だから」
記録端末を見せる。
「持ってきたの」
「当時の情報」
天倉が女を見る。
「何が入っている」
女は少しだけ。
口元を上げた。
「あなたが探してるものよ」
そして今度は禮だけを見る。
「どうしてあなたのお姉さんが」
女が記録端末を掲げたまま。
禮を見る。
「どうしてあなたのお姉さんが――」
「悪いな」
禮が遮った。
女の言葉が止まる。
「何がどうあれ」
禮は静かに言う。
「間違いは起きるものだ」
天倉が僅かに禮を見る。
「局全体で間違うことだって」
「あるだろう」
「…………」
「だがな」
禮の声が一段。
低くなる。
「だが」
拳が震える。
「お前は」
禮の目が女だけを見る。
「お前の対処は何だ」
空気が変わった。
禮歌が真っ先に気づく。
「……禮」
「殺しました」
一拍。
「間違いました」
さらに一拍。
「修正しました」
禮の口元が歪む。
「あ?」
昨日、《怨消》によって一度はほとんど外へ吐き出した。
憎しみ、怒り。
悲しみ、喪失。
不安定に薄くなっており、その全てが一瞬で戻り、いや戻るだけではない。
一気に溢れた。
「ふざけるな」
床が軋む。
「禮!」
禮歌が声を上げる。
天倉も即座に前へ出る。
「神成、やめろ!」
久世の表情も完全に変わった。
「神成!」
だがもう遅い。
「ふざけるな!!」
禮の《創》が爆発する。
「《創》」
光、いや。
それだけではない。
黒、白。
相反する二つが禮の周囲へ同時に溢れる。
「《完全顕現》」
空間が大きく歪む。
「《アポカリプス》」
「――――!」
禮歌の目が大きく見開かれた。
現れたのは模倣。
そのはずであり、《創》によってアポカリプスを再現した。
ただの模倣神器。
なのに。
「……嘘」
久世が息を呑む、出力。
密度、存在感。
どれも以前見た。
あのアポカリプスとほとんど。
変わらない。
模倣品の域を完全に逸脱している。
「何で……」
慧が言葉を失う、禮の右。
《創》、左。
《破》、本来。
相反する。
二つの力。
だが今、どちらも同程度。
それどころか感情の不安定さを燃料にするようにさらに上へ押し上がる。
そしてアポカリプスが軋んだ。
刀身、柄。
装飾。
全てが一度。
崩れる。
「……何だ?」
御影がまだ身体を休めながら。
顔を上げる。
神器そのものが変わっていく、より鋭く。
より禍々しく、それでいて。
異様なほど。
完成された形へ《創》。
《破》。
二つの力を同格で受け止める。
新しい姿、禮の周囲。
光と闇が互いを消すことなく、絡み合う。
そして一つになる。
――神器位階昇華。
双極相。
「神成!!」
天倉が叫ぶ。
「ここで使うな!」
久世も界定を展開する。
「禮!」
禮歌が今度ははっきり、強い声を出す。
それでも禮は止まらない。
女だけを見る。
「一つ」
禮が剣を持ち上げる。
「教えてやるよ」
《創》。
何かを成立させる。
《破》。
それを同時に終わらせる。
相反する二つが衝突しない。
互いを互いの燃料へ変える。
「禮、やめて!」
禮歌が駆け出す、久世も同時。
《界定》、禮と女の間。
距離、方向。
空間が、まとめて。
縛り始める。
天倉が安全装置を強制起動。
だが技はすでに成立しており、禮が低く告げる。
「双極葬界」
一閃。
世界が白と黒に割れた。
《終龍葬歌》。
それとほぼ同等、いや。
性質が違うだけで出力だけなら。
肩を並べる。
一撃。
創る。
同時に壊す。
壊した場所へさらに創る。
その創られたものをまた。
破壊する。
無限に近い、創造と破壊の循環。
それが一本の斬撃へ圧縮されている。
「神成!!」
「禮!!」
「おい、やめろ!!」
「禮っ!!」
全員の声が重なり、それでも《双極葬界》。
白と黒、《創》と《破》。
二つの力が女へ向かって。
一直線に進む。
「禮!!」
禮歌が走る。
考えている時間はない。
止めなければ、届く。
届けば。
終わる。
禮歌の右手へ黒銀の光が集まった。
「黒月!」
神器、黒銀の長剣。
《黒月》、顕現。
同時に、禮歌自身の破壊。
その出力を一気に引き上げる。
「破紋・裂環!」
黒い破壊の輪が《双極葬界》へ正面からぶつかる。
――だが。
「っ……!」
砕ける。
一瞬、止めただけ。
《双極葬界》はそのまま。
前へ進む。
「禮歌ちゃん!」
久世が《界定》を重ねる。
進行方向、距離。
速度、幾重にも条件を置く。
だが止まらない。
《創》が条件を成立させる空間そのものへ新しい道を作り。
《破》が置かれた条件を同時に削っていく。
「……駄目!」
久世が初めて。
はっきり焦る。
禮歌は《黒月》を両手で握り、《破壊》、最大。
さらに身体能力、全力。
それでも分かる。
足りない。
このままでは止めきれない。
あと数秒、いや。
数秒もない。
「…………」
禮歌の目が禮へ向く。
隠してきた。
ずっと人前では見せないようにしてきた。
禮もそれを守ってきた。
けれど今。
そんなことを考えている場合ではない。
隠したまま、禮が誰かを殺すくらいなら。
そんな秘密、どうでもいい。
「……ごめん、禮」
禮歌が静かに呟き、《黒月》を胸の前へ構え、そして初めて、久世。
天倉、慧。
御影。
全員がいる前でその言葉を口にした。
「神器――」
久世の目が禮歌へ向く。
「《アポカリプス》の名において」
「――え?」
慧が固まる。
禮歌の周囲。
空気が変わる。
《黒月》とは明らかに違う。
さっき禮が《完全顕現》させた。
あの力。
それと酷似した。
いやあまりにも近すぎる。
力。
「能力を発動する」
禮歌の髪が激しい力に煽られる。
右目、左目。
その奥に異なる光が一瞬だけ宿る。
「あなたの力を」
一拍。
「お貸しください」
《黒月》が軋む。
刀身へ禮歌自身の《破壊》。
そしてもう一つ。
アポカリプスの力が重なった。
「神裂装」
瞬間。
《黒月》の姿が変わり、黒銀の刀身を覆うように異質な装甲、刃。
紋様。
それらが次々と形成される。
一本の剣。
そのはずなのに周囲の空間まで武装の一部へ変わったような。
異様な存在感。
「……おい」
御影が倒れたまま、目を見開く。
久世は何も言えない。
知っている。
この感覚、前回。
禮と戦った時。
途中から現れ、神器、《アポカリプス》。
その力、それが今。
神成禮歌から発せられている。
「なんで……」
慧の声が小さく漏れる。
だが禮歌は誰にも答えない。
答えている暇がない。
「――はぁっ!!」
踏み込む、《神裂装》。
全開。
《黒月》を《双極葬界》へ真正面から叩き込む。
《破》、《破》。
二つの異なる破壊。
さらに神器アポカリプスの力、衝突。
訓練施設全体が震える。
「くっ……!」
禮歌の足元が砕ける。
一歩。
押される。
二歩。
まだ止まらない。
「禮歌!」
慧が叫ぶ。
「分かってる!」
禮歌が歯を食いしばる。
禮の《創》、禮の《破》。
どちらも今まで以上、感情によって異常な領域まで押し上げられている。
だが禮歌も止める。
絶対に通さない。
「禮!!」
禮歌が叫ぶ。
「いい加減に――」
《神裂装》がさらに深く。
《双極葬界》へ食い込む。
「戻ってきて!!」
その瞬間、《双極葬界》へ亀裂が入った。
「――――」
禮の目が僅かに動く、白。
黒。
絡み合っていた。
二つの力。
その中心へ《神裂装》が突き刺さる。
《破壊》。
ただ壊すのではない。
暴走した。
二つの力の繋がりそのものを断ち切る。
一つ、《創》が崩れる。
二つ、《破》が割れる。
そして。
「っ……!」
禮歌が《黒月》を最後まで振り抜おり、《双極葬界》、完全消滅。
衝撃だけが訓練場を駆け抜ける。
半透明の防壁が何重にも一斉に砕けた。
静寂。
禮歌は荒く息をしながら。
禮と女の間に立っている。
その手。
《黒月》にはまだ。
《神裂装》が残っていた。
久世も天倉も慧も御影も誰一人。
声を出せない。
さっき聞いた。
言葉。
――神器の名において。
そして今。
禮歌が纏っている。
明らかにあの神器と同質の力。
久世の目がゆっくり、禮歌へ向く。
「……禮歌ちゃん」
今度ばかりは笑っていなかった。
「それ……何?」
「……禮歌ちゃん」
久世が《神裂装》を纏った《黒月》を見る。
「それ……何?」
誰もすぐには答えなかった。
禮歌も荒い呼吸を整えながら。
禮を見る。
ほんの一瞬、視線が重なり、禮歌が何かを言おうとする。
だが。
「俺が話す」
禮が先に言った。
「禮……」
「いい」
短く。
禮は答える。
まだ声には怒りが残っている。
だがさっきまでの壊れそうなほどの感情は禮歌に止められたことで僅かに戻ってきていた。
禮は一度。
自分の手を見る。
そして《双極相》へ変化しており、模倣アポカリプスを消した。
「ここまでやっといて」
一拍。
「禮歌に誤魔化させるのも違うだろ」
禮歌が何も言わず。
《黒月》を下ろす。
《神裂装》はまだ消していない。
久世、天倉。
慧、御影。
そして少し離れた場所にいる。
あの女。
全員の視線が禮へ集まる。
「最初に」
禮が久世を見る。
「前にお前と戦った時」
「途中から出てきた神器」
久世の目が僅かに細くなる。
「《アポカリプス》」
「ああ」
禮は頷く。
「あれは」
一拍。
「俺が《創》で作った神器だ」
「……作った?」
御影が思わず口を挟む。
「神器を?」
「そう」
天倉の表情も固まる。
だが禮はそのまま続ける。
「世界に一本」
「俺が作った」
「俺だけの神器」
禮歌が静かに禮の隣へ立ち、禮が彼女を見る。
そしてもう隠さなかった。
「その《アポカリプス》の」
一拍。
「本体が禮歌だ」
静寂、誰もすぐには意味を理解できなかった。
慧が最初に眉を寄せる。
「……本体?」
久世も禮歌を見る。
「ちょっと待って」
「それって……」
禮が答える。
「そのままの意味だ」
一拍。
「禮歌自身が」
「神器だ」
「…………」
慧の口が僅かに開おり、御影も言葉を失う、天倉ですら。
すぐには返せない。
久世は禮歌を見る。
次に以前。
自分と戦った時のアポカリプスを思い出す。
あの時、途中から禮歌はいなくなった。
そして戦いが終わった後。
何事もなかったように戻ってきた。
『あ、終わった?』
「……あ」
久世が声を漏らす、一つ。
二つ、今まで妙だったことが繋がっていく。
「だから……」
禮はそれ以上を待たず。
続けた。
「普段は」
「今見えてる姿で生活してる」
「人間としてな」
慧が禮歌を見る。
「じゃあ」
「禮歌が消えてる時に」
「アポカリプスが出てたのって……」
「ああ」
「そういうこと」
慧が頭を抱える。
「マジかよ……」
久世はまだ。
追いついていない。
「いや待って」
「じゃあ《黒月》は?」
禮歌の手、黒銀の長剣。
禮が普通に答える。
「それは別」
「……別?」
「《黒月》は禮歌が持ってる」
「ちゃんとした別の神器」
「神器が神器持ってるの!?」
久世の声が思わず大きくなり、禮が少しだけ眉を上げる。
「駄目なのか?」
「駄目とかじゃなくて!」
久世が頭を抱える。
「情報が多い!」
御影がまだ床に座ったまま。
禮歌を見る。
「つまりさっきの」
「《神器アポカリプスの名において》って」
禮歌が小さく頷く。
「借りたわけじゃない」
一拍。
「私自身の力」
《神裂装》、黒月を覆う。
その力が僅かに脈動する。
天倉がようやく。
口を開いた。
「……神成」
「何だ」
「確認する」
天倉の目が禮歌へ向く。
「彼女は」
一拍。
「人間の姿をした神器」
禮は少し考えてから首を横へ振った。
「ちょっと違う」
「違う?」
「神器が」
一拍。
「人の姿をしてる」
誰も何も言わない。
その違いが妙に重かった。
禮は禮歌を見る。
「俺からすれば」
少しだけ、声が柔らかくなる。
「神器だからどうとか」
「そんなのはどうでもいい」
「禮歌は禮歌だ」
禮歌の目が僅かに揺れる。
禮はそれ以上。
感傷的にはならなかった。
「隠してた理由も単純だ」
一拍。
「面倒だから」
慧が思わず顔を上げる。
「そこ!?」
「いや」
禮は続ける。
「人の姿で普通に生活してる神器なんて知られたら」
「局が放っとかないだろ」
天倉は否定できなかった。
「だから隠してた」
一拍。
「けど」
禮が《神裂装》を纏う禮歌を見る。
「あいつは」
「俺を止めるために」
「それを自分から晒した」
静かになる。
「なら」
禮は久世たちを見る。
「今さら俺だけ」
「知らないふりさせる気はない」
禮歌が小さく息を吐いた。
「……禮」
「何だよ」
「全部言うとは思わなかった」
「お前が先に全部見せただろ」
一瞬。
禮歌が困ったように笑う。
「それは」
「禮を止める方が大事だったから」
「ああ」
禮もすぐに答えた。
「だから俺も」
一拍。
「お前に全部背負わせる気はない」
久世は二人を見たまま。
しばらく何も言わなかった。
そしてやっと一言。
「……私」
額へ手を当てる。
「神成について」
「知れば知るほど分からなくなってる気がする」
久世は額へ手を当てたまま。
禮を見る。
「……待って」
「さっきさらっと言ったけど」
一拍。
「神成が《アポカリプス》を作ったって」
「ああ」
「《創》で?」
「ああ」
御影が思わず口を挟む。
「じゃあお前」
「神器作れるのか?」
その言葉に禮は少しだけ眉を寄せた。
「いや」
「そこは勘違いするな」
「……違うのか?」
「ああ」
禮は宙に浮かび、神器を見る。
「前に」
「《ノア》も作っただろ」
久世が視線を本へ移す。
「あれも《創》で作った」
「だったら――」
「でも」
禮が遮る。
「《ノア》は」
一拍。
「結局」
「《創》の力で作ったものだ」
「……?」
慧が首を傾げる。
「それ」
「どういう意味?」
禮は《ノア》へ手を伸ばす。
浮かんでいた本がその手へ収まった。
「例えば」
表紙を指で軽く叩く。
「能力の伝導率」
「悪い」
久世が目を瞬かせる。
「悪いの?」
「ああ」
「神器なのに?」
「神器として使ってるだけで」
「物そのものが特別なわけじゃない」
禮はさらにページを軽くめくる。
「耐久性も」
一拍。
「普通の本」
「…………」
沈黙。
慧が《ノア》を見る。
「普通の本?」
「ああ」
「これ?」
「ああ」
「さっき」
「四重詠唱とかやってたこれ?」
「そう」
慧が数秒。
黙る。
「燃えたら?」
「燃える」
「水に落としたら?」
「濡れる」
「破ったら?」
「破れる」
「神器だよな!?」
「だから」
禮が少し面倒そうに言う。
「神器としての仕組みを」
「《創》で持たせてるだけだ」
「本そのものは普通」
久世が恐る恐る。
《ノア》を見る。
さっきまであれほど、異常な数の技を扱い。
《禁忌》まで保持し。
《終龍葬歌》すら出力していた。
その正体。
「……普通の本」
「普通の本」
禮がもう一度答える。
「俺の《創》で」
「普通に物を作るなら」
「その程度なんだよ」
一拍。
「何でも作れるわけじゃない」
天倉がじっと禮を見る。
「つまり」
「高性能な神器を」
「能力だけで自由に量産できるわけではない」
「ああ」
「むしろ無理」
禮はあっさり答える。
「材質を強くしたり」
「構造を変えたり」
「能力で補強したりは出来る」
「けど」
《ノア》を軽く持ち上げる。
「根本的な性能まで」
「本物の神器と同じものを」
「好きに作れるわけじゃない」
久世がそこで禮歌を見る。
そしてもう一度。
禮を見る。
「……じゃあ」
その声から冗談が消える。
「《アポカリプス》は?」
沈黙。
《ノア》は普通の本。
禮の《創》によって神器としての機能を与えられたもの能力の伝導率も悪い。
耐久性も一般的な本と大差ない。
それが禮が普通に作れる範囲。
なのに《アポカリプス》は違う。
久世が実際にその力を受けている。
圧倒的な出力、異常な耐久性。
禮の《創》と完全に噛み合う、《破壊》。
そして今。
人の姿で目の前に立っている。
禮歌。
「神成」
天倉も同じ疑問へ辿り着く。
「今の説明が事実なら」
一拍。
「彼女は」
「お前が通常《創》で作れるものの範囲を」
「明らかに超えている」
「ああ」
禮は否定しない。
「超えてる」
「じゃあ」
御影が眉を寄せる。
「どうやって作った?」
禮は少しだけ。
禮歌を見る。
禮歌も何も言わず、禮を見返す。
「作ったのは」
禮が言う。
「間違いなく俺だ」
一拍。
「でも」
《ノア》を見る。
そして禮歌を見る。
「《ノア》みたいな」
「普通の《創》の生成物と」
「《アポカリプス》を」
「同じものとして考えない方がいい」
久世の目が僅かに細くなる。
「……例外?」
「ああ」
禮は短く答えた。
「《アポカリプス》は」
「完全に例外だ」
「《アポカリプス》は」
禮が言う。
「完全に例外だ」
久世が黙って続きを待つ。
禮は少しだけ視線を落とした。
「前に話しただろ」
「俺が昔」
一拍。
「能力を暴走させたって」
天倉の表情が変わる。
《怨消》。
昨日、禮から聞いた話。
姉を失った直後。
制御されていない《創》が感情と一緒に周囲へ溢れ出した。
地面、空気。
空間が、その全てを異常な形へ歪めていった。
そして後になって。
その状態を一つの技として押し込めた。
「その時に」
禮が続ける。
「《怨消》を作った」
「正確には」
「暴走してた力を」
「技の形にして抑え込んだ」
「そこまでは話したな」
「ああ」
天倉が頷く。
禮は禮歌を見る。
「《アポカリプス》を作ったのも」
一拍。
「その時だ」
「……え?」
久世が目を瞬かせる。
「同じ時?」
「ああ」
禮が自分の手を見る。
「今と同じような状態だった」
「感情が滅茶苦茶で」
「《創》も」
「普段の俺じゃ届かないところまで」
「一時的に跳ね上がってた」
先ほど、女を前にして。
負の感情が一瞬で戻った時、《創》。
そして本来なら禮が持つはずのない。
《破》。
二つが感情に引きずられるように異常な領域へ押し上がった。
あの状態。
「その時」
禮が言う。
「俺が作った」
「それが」
禮歌を見る。
「《アポカリプス》だ」
静寂。
御影がゆっくり。
禮歌を見る。
「じゃあ……」
「普通に作ろうとしても」
「もう一回は作れない?」
「多分な」
禮が即答する。
「少なくとも」
「今の俺が」
「よし、神器作るかって言って」
「同じものを作れるとは思ってない」
久世が《ノア》を見る。
「だから」
「《ノア》は普通の本」
「ああ」
「神器としての機能は」
「神成の《創》で成立させてるだけ」
「ああ」
「でも」
久世の視線が禮歌へ戻る。
「《アポカリプス》だけは」
「そもそもの出来方が違う」
「そういうこと」
禮が頷く。
「能力が暴走して」
「俺自身でも」
「どこまで出来てたのか分からない状態で」
「生まれた」
一拍。
「だから」
「普通の《創》で作ったものと比べても」
「意味がない」
禮歌が静かに自分の手を見る。
久世も何も言わない。
昨日、《怨消》。
今日、《アポカリプス》。
どちらも同じ場所から生まれている。
神成禮が一度。
本当に制御を失った。
あの時。
「……待って」
慧が何かに気づいたように禮を見る。
「じゃあ」
一拍。
「《怨消》と」
「禮歌――いや」
言い直す。
「《アポカリプス》って」
「同じ暴走から生まれたのか?」
「ああ」
禮が答える。
「片方は」
「暴走を抑えるために」
「俺が後から技として形にしたもの」
そして禮歌を見る。
「もう片方は」
一拍。
「その暴走の最中に」
「実際に生まれたものだ」
久世の顔からまた少し。
笑みが消えた。
「……それ」
「かなり大事な違いじゃない?」
「そうか?」
「そうだよ」
即答、天倉も珍しく。
久世へ同意するように小さく頷いた。
そしてゆっくり。
禮歌を見る。
「神成」
「もう一つ」
禮が嫌そうな顔をする。
「まだあるのか」
「ある」
天倉の声はかなり真面目だった。
「それほど特殊な存在なら」
一拍。
「禮歌の登録情報は」
「どうなっている?」
「それほど特殊な存在なら」
天倉が禮歌を見る。
「禮歌の登録情報は」
一拍。
「どうなっている?」
禮は少しだけ。
黙った。
「……ああ」
そして特に隠す様子もなく。
答える。
「俺の能力で改ざんした」
「…………」
天倉が完全に止まった。
久世も一瞬。
聞き間違えたような顔をする。
「改ざん?」
慧が嫌な予感しかしない表情で禮を見る。
「ああ」
禮は続ける。
「禮歌の情報を」
「全部」
一拍。
「元々そこにあった」
「当たり前の情報として」
「組み替えた」
天倉の眉が僅かに寄る。
「組み替えた?」
「……いや」
禮が自分で言い直した。
「違うな」
少し考える。
「創りなおした」
静寂。
「…………」
久世が禮を見る。
「それ」
「何が違うの?」
禮は簡単に答える。
「偽物の情報を」
「後から差し込んだんじゃない」
一拍。
「禮歌という人間が」
「最初から存在していたことになるように」
「情報そのものを」
「《創》で成立させた」
慧の顔が引きつる。
「……待て待て」
「それって」
指を折りながら。
「戸籍とか」
「学校の記録とか」
「能力者としての登録とか」
「そういうの全部?」
「ああ」
「全部!?」
禮歌が少し困ったように慧を見る。
「だから私は」
「普通に学校にも通えてる」
「そこじゃねえよ!」
久世も額へ手を当てる。
「ちょっと待って神成」
「それって」
「記録を一個ずつ弄ったとかじゃなくて」
「禮歌ちゃんに繋がる情報そのものを」
「最初から自然に存在する形へ変えたってこと?」
「ああ」
「……怖」
「失礼だな」
「いや怖いよ!」
久世が即答する。
天倉だけは笑わない。
禮を真っ直ぐ見ていた。
「神成」
「何だ」
「確認する」
一拍。
「お前がやったのは」
「書類を偽造したわけでも」
「データベースへ不正登録したわけでもない」
「ああ」
「既存の情報体系そのものへ」
「神成禮歌という存在が」
「元から成立していたように」
「《創》で書き換えた」
禮は少し考える。
「書き換えたって言い方だと」
「ちょっと違う」
「なら何だ」
禮が禮歌を見る。
「作り直した」
一拍。
「禮歌が」
「普通に生まれて」
「普通に生きて」
「普通にここまで来た」
「そう扱われる情報へ」
「全部」
「創りなおした」
天倉がゆっくり、息を吐く。
「……なるほど」
その声が妙に重い。
久世が横から恐る恐る聞く。
「天倉くん」
「それ」
「局の記録から見抜ける?」
天倉は少し黙った。
そして禮歌を見る。
「現時点では」
一拍。
「見抜けていない」
慧が小さく呟く。
「そりゃそうだよな……」
「だって」
「偽物として残ってないんだろ?」
禮は頷く。
「そういうこと」
久世が禮を見る。
「神成」
「何?」
「それ」
一拍。
「《創》の使い方として」
「だいぶ洒落になってないよ?」
禮は特に気にした様子もなく。
「禮歌が普通に生活するために」
「必要だったからな」
「禮歌が普通に生活するために」
「必要だったからな」
禮はそう言ってから少しだけ。
視線を落とした。
「犯罪まがいなのも」
「分かってる」
天倉の目が僅かに細くなる。
「だからこそ」
禮は続ける。
「隠してきた」
一拍。
「俺の能力が」
「今まで目立ってなかったのも」
「そういうことだ」
慧が禮を見る。
「……禮歌のため?」
「ああ」
禮は迷わず頷いた。
「俺が目立てば」
「必然的に」
「俺の周りも調べられる」
その視線が禮歌へ向く。
「特に」
「同じ家で生活してる禮歌は」
「かなり深くな」
久世が少しだけ。
表情を変える。
「だから」
「最初から力を隠してた?」
「それも理由の一つ」
禮が答える。
「俺だけなら」
「別に多少調べられてもいい」
「でも」
「俺がばれたら」
「禮歌も調べられる」
「そうなれば」
一拍。
「いつか」
「どこかで引っ掛かる可能性がある」
天倉が禮歌を見る。
「先ほど」
「全ての情報を創り直したと言ったな」
「ああ」
「なら」
「何を警戒していた」
禮はすぐに答えた。
「俺は」
「全部調整したつもりだ」
戸籍、学校。
能力登録、生活記録。
神成禮歌という存在へ繋がる情報。
「でも」
禮の声が僅かに低くなる。
「俺だって」
「絶対じゃない」
久世が黙る。
「一個でも」
「ミスがあったら」
禮は指を一本立てた。
「そこから」
「全部ばれる」
「記録の年代が」
「一つ噛み合ってない」
「どこかに」
「存在しないはずの空白がある」
「誰かの記録と」
「辻褄が合わない」
「そんな小さいところからでも」
一拍。
「調べられれば終わりだ」
天倉は何も言わず。
聞いている。
「だから」
「俺自身が」
「調べられる原因を作らないようにした」
「能力も」
「戦闘も」
「必要以上には見せない」
「組織にも近づかない」
「出来るだけ」
「普通の学生でいる」
慧が小さく息を吐く。
「……そこまで」
「ああ」
禮はあっさり答える。
「そこまで警戒してた」
禮歌が隣で静かに禮を見る。
禮は少しだけ肩を竦めた。
「まあ」
「結局」
「今は全部ばれたけどな」
久世が苦笑する。
「原因」
「ほぼ神成自身だけどね」
「ああ」
否定しない。
「銀行で目立って」
「測定で目立って」
「私と戦って目立って」
「局に来て」
「ノア作って」
「御影と戦って」
「最後は禮歌ちゃんの秘密まで」
久世が指を折るのをやめる。
「……短期間で崩しすぎじゃない?」
慧が横で頷く。
「俺もそう思う」
「仕方ないだろ」
禮が少しだけ顔を逸らす。
「色々あったんだよ」
天倉はそんなやり取りを聞きながら。
最後に禮へ問いかけた。
「つまり」
一拍。
「お前が長い間」
「局から距離を取っていた最大の理由の一つは」
「自分を隠すためではなく」
禮歌を見る。
「彼女を隠すためだった」
禮は少しだけ黙った。
そして短く答えた。
「ああ」
禮は少しだけ。
天倉を見る。
「天倉さん」
「何だ」
一拍。
禮の視線が禮歌へ向く。
そしてまた天倉へ戻る。
「このこと」
「どうする?」
天倉の眉が僅かに動く。
「……どうする、とは」
「上に伝えるか?」
空気が少しだけ。
重くなる。
久世も禮歌も慧も黙った。
御影も寝かされたまま。
こちらを見ている。
天倉はすぐには答えなかった。
数秒、考える。
そしてゆっくり、口を開く。
「現時点では」
一拍。
「俺から即座に上へ報告するつもりはない」
久世が僅かに目を見開く。
天倉はそのまま続けた。
「理由は三つある」
「まず」
禮歌を見る。
「今ここで確認できた事実が」
「まだ整理できていない」
「神成禮歌が神器そのものだという話」
「神成が《創》によって社会上の情報を再構築したという話」
「それらを」
「俺たちは今初めて聞いた」
一拍。
「この状態で」
「断片だけを上へ上げるのは危険だ」
次。
「二つ目」
天倉の視線が例の女へ向く。
「今は」
「お前の姉の件を調べている最中だ」
「ここで別件として」
「お前たち二人の情報を上へ広げれば」
一拍。
「関係者が増える」
「情報へ触れる人間も増える」
「結果として」
「今進めている調査に」
「余計な干渉が入る可能性がある」
女は何も言わない。
天倉もそれ以上。
彼女については触れなかった。
「そして三つ目」
一拍。
今度は禮を見る。
「お前たちは」
「今のところ」
「局へ敵対行動を取っていない」
久世が少しだけ。
禮を見る。
さっき女へ技を撃った。
だが天倉はそこも分けて考えているらしい。
「問題がないとは言わない」
「情報改変も」
「神器の存在を秘匿していたことも」
「局として確認しなければならない事項ではある」
「ただ」
一拍。
「だからといって」
「今すぐ」
「危険存在として上層へ丸投げする必要があるとは思っていない」
禮歌の目が僅かに動き、天倉は淡々と続ける。
「俺の判断だけで」
「永遠に隠すとは言わない」
「それは出来ない」
「だが」
一拍。
「少なくとも」
「状況を整理するまで」
「俺のところで止める」
久世が小さく、息を吐く。
慧も少しだけ。
肩の力を抜いた。
天倉は最後に禮へまっすぐ。
目を向けた。
「それで」
一拍。
「神成」
「お前はどうしたい?」
「俺は」
禮が少し考えてから答える。
「今まで通りの生活ができるなら」
一拍。
「別に構わない」
天倉の目が僅かに動く。
「今まで通り?」
「ああ」
「学校行って」
「家帰って」
「禮歌と生活して」
「慧とも普通に会って」
肩を竦める。
「そういうのが変わらないなら」
「俺は別に」
「今までの形に拘るつもりはない」
久世が少し意外そうに禮を見る。
「じゃあ」
「局への協力は?」
「ああ」
禮は普通に頷いた。
「今まで」
「犯罪者捕まえるとか」
「そういう協力はしてなかったけど」
一拍。
「別に」
「協力したっていい」
「…………」
慧が横を見る。
「お前」
「結構あっさり言うな」
「必要ならな」
禮は続ける。
「なんなら」
一拍。
「別に局に入ってもいい」
今度こそ。
久世がはっきり驚いた。
「え?」
天倉も少しだけ。
表情を変える。
「……本気で言っているのか」
「ああ」
禮は遠くを見る。
訓練場の端、少し離れた場所。
例の女が椅子へ座り。
こちらを待っている。
その姿をほんの一瞬だけ見て。
禮の声が少し低くなる。
「俺が」
「局に入らなかった理由」
一拍。
「主に三つある」
天倉は黙って聞く。
「一つ」
禮の視線が遠くの女へ向く。
「あいつがいること」
誰もその意味を聞き返さなかった。
昨日、そして今日。
十分すぎるほど。
分かっている。
「二つ」
禮は禮歌を見る。
「入ったら」
「禮歌の存在」
「それから」
一拍。
「誕生理由まで」
「調べられる可能性があった」
禮歌は静かに禮を見る。
「俺を調べれば」
「俺の能力」
「俺の過去」
「俺の家」
「全部調べるだろ」
天倉が否定せず。
答える。
「所属するなら」
「確認される可能性は高い」
「ああ」
「だから嫌だった」
そして禮が三本目の指を立てる。
「三つ」
一拍。
今度は天倉をまっすぐ見る。
「俺の能力を」
「利用される可能性」
空気が少し変わる。
「……利用」
久世が小さく呟く。
「ああ」
「《創》は」
「使い方次第で」
「色々できる」
物、武器。
設備、技。
空間が、現象。
情報。
今まで見せてきたものだけでもその範囲は異常なほど広い。
「局から見れば」
禮が続ける。
「便利だろ」
「俺みたいなの」
天倉は何も言わない。
「だから」
「入ったら」
「何かを作れ」
「ここを直せ」
「この技術を再現しろ」
「この任務へ行け」
「これをやれ」
一拍。
「そうやって」
「俺の能力を」
「局のものみたいに扱われる可能性がある」
禮の目が少し細くなる。
「それが嫌だった」
慧が黙って聞いている。
「あと」
禮は続けた。
「もっと嫌なのが」
「束縛されること」
「…………」
「お前の能力は危険だから」
「勝手に使うな」
「外へ出るな」
「監視を付ける」
「局の許可を取れ」
「そういうの」
一拍。
「俺は無理」
久世が少しだけ。
苦笑する。
「そこは」
「神成らしいね」
「だろ」
だが禮は笑わなかった。
「だから」
「局が嫌いだから」
「入らなかったわけじゃない」
天倉を見る。
「そこは」
「勘違いしないでくれ」
一拍。
「俺が嫌だったのは」
「禮歌がばれること」
「あいつがいること」
遠く。
女へ一瞬だけ、視線が向く。
「それから」
「俺自身を」
「誰かの都合で」
「使われること」
禮は淡々と言い切った。
「この三つ」
「それがないなら」
一拍。
「協力もする」
「局に入るのも」
「別に構わない」
天倉はすぐには答えなかった。
かなり長く。
考える。
禮、禮歌。
久世。
そして遠くで待つ女。
全てを順番に見る。
やがて天倉が静かに口を開いた。
「……分かった」
一拍。
「なら」
「今度は俺が」
「確認したい条件がある」
「わかった」
禮が天倉を見る。
「聞こう」
「ああ」
天倉は一度。
考えを整理するように息を吐いた。
「まず一つ」
「局に入るとしても」
「お前の能力を」
「局の所有物のように扱わせるつもりはない」
禮の目が少しだけ細くなる。
「任務への参加」
「能力の使用」
「研究への協力」
「そういったものは」
一拍。
「原則」
「お前自身の意思を通す形にする」
久世が横から天倉を見る。
「かなり特例だね」
「当然です」
天倉は即答した。
「通常の隊員と同じ契約を」
「神成にそのまま適用する方が危険です」
「おい」
禮が少しだけ眉を寄せる。
「言い方」
「事実だ」
「否定できないけどさ」
天倉は続ける。
「二つ目」
禮歌を見る。
「神成禮歌について」
一拍。
「少なくとも」
「本人の意思を無視して」
「研究対象として拘束することには」
「俺は反対する」
禮歌の表情が僅かに変わる。
「ただし」
天倉はそこで止めなかった。
「完全に何も調べない」
「存在そのものを」
「局として無かったことにする」
「そこまでは約束できない」
禮は黙って聞く。
「神器」
「しかも」
「人として生活している神器」
「局からすれば」
「前例があるのかすら怪しい」
一拍。
「最低限の確認は」
「避けられないと思ってくれ」
久世も珍しく何も挟まない。
「ただ」
天倉は禮歌へ視線を向ける。
「調べるなら」
「禮歌本人へ説明し」
「同意を取った上で行う」
「少なくとも」
「俺が関われる範囲では」
「そうする」
禮歌が小さく頷いた。
「……それなら」
「話は聞けます」
「ああ」
そして天倉が三本目の指を立てる。
「三つ目」
禮を見る。
「お前の自由」
一拍。
「これは」
「全部は保証できない」
禮の眉が僅かに動いた。
「例えば」
「一般人の前で」
「《終龍葬歌》級の技を」
「好きに撃っていいとは言えない」
「撃たねぇよ」
「今日撃った」
「訓練場だろ」
「その直後」
遠くの女を見る。
「人に撃った」
「…………」
禮が黙る。
久世が小さく笑った。
「そこは天倉くんの勝ち」
「うるさい」
天倉は真面目なまま。
続ける。
「局へ所属するなら」
「最低限の規則は守ってもらう」
「犯罪者を見つけたから」
「その場で殺す」
「気に入らない相手だから」
「神器を出す」
「そういうのは認められない」
禮の視線が一瞬だけ、例の女へ向く。
天倉はそれに気づいている。
だが何も言わず。
続けた。
「その代わり」
「能力を理由に」
「日常生活を制限する」
「常時監視する」
「外出を許可制にする」
「そういった拘束を」
「最初から前提にはさせない」
禮が天倉を見る。
「できるのか?」
「俺一人では決められない」
即答。
「だから」
「上と交渉する」
「お前が局へ入る可能性があるなら」
「その条件を」
「正式に文書へ落とす」
「口約束ではなく?」
「ああ」
「能力利用についても?」
「ああ」
「禮歌についても?」
「可能な限り」
そこで天倉は少しだけ声を低くした。
「ただし」
「俺にも」
「一つ譲れないものがある」
禮が首を傾げる。
「何だ?」
天倉の視線がまっすぐ、禮へ向く。
「二度と」
一拍。
「今日みたいに」
「感情だけで」
「人間へあの出力を向けるな」
静かになる。
「相手が誰であってもだ」
遠く。
あの女は何も言わず、座ったまま。
こちらを見ている。
天倉は禮から目を逸らさない。
「それを」
「約束できるか?」
「絶対」
禮は少しだけ。
考える。
「っていうのは」
「難しいかもしれない」
天倉の眉が僅かに動いた。
「普通なら」
禮は続ける。
「約束もできる」
「感情だけで」
「人にあの出力を向けるなって話なら」
一拍。
「分かるし」
「守るつもりもある」
「ただ」
禮の視線がゆっくりと横へ向く、訓練場の端。
椅子へ座り。
未だ。
こちらを待っている女。
「一人」
禮の声が低くなる。
「俺の中で」
「例外中の例外がいる」
女と禮の視線が重なる。
さっきまでとは違う。
能力は動いていない。
《アポカリプス》もない。
それでも久世がほんの僅かに身体へ力を入れた。
「悪いが」
禮は女から目を逸らさない。
「あの対応」
「あの処遇」
「そして」
一拍。
「今でも」
「何事もなかったみたいに」
「のうのうと働いてること」
拳が僅かに握られる。
「はっきり言って」
「吐き気がする」
誰も茶化さない。
女も今度は口を挟まなかった。
「でも」
禮は天倉へ視線を戻す。
「それを理由に」
「俺があいつを殺そうとするのを」
「局として看過できないのも」
「知ってる」
天倉は黙って、続きを待つ。
「だから」
禮が言う。
「一つ」
「俺から提案がある」
「言ってみろ」
「次に」
一拍。
「俺の前に」
「あの女が現れるまでに」
禮は指を一本立てる。
「誠心誠意の謝罪」
二本目。
「あの時」
「俺に送った手紙」
「その意図」
そして三本目。
「無抵抗だった」
「俺の姉を」
一拍。
「なぜ殺したのか」
空気がまた。
重くなる。
禮の目が女へ向く。
「この三つを」
「他人からじゃなく」
「記録からでもなく」
「局の説明でもなく」
一拍。
「あいつ自身の口から」
「俺に説明させてくれ」
静寂。
慧が息を止める。
禮歌は禮の横で何も言わない。
たださっきまでより僅かに表情が柔らかくなっていた。
怒りで先に殴るのではなく。
禮自身が条件を出した。
そのことを理解している。
久世が天倉を見る。
天倉はしばらく。
禮を見ており、それから遠くにいる女を見る。
そして再び。
禮へ。
「……分かった」
短く。
そう答えた。
「その三つを」
「お前が求めること自体は」
「妥当だと思う」
禮の目が少しだけ動く。
「ただし」
天倉は続ける。
「一つだけ」
「俺から条件を付ける」
「何だ?」
「その場は」
一拍。
「局が用意する」
「お前と彼女だけにはしない」
「俺も立ち会う」
久世が僅かに目を細める。
天倉はそのまま続けた。
「謝罪を強制することはできない」
「答えの内容まで」
「俺が決めることもできない」
「だが」
女を見る。
「本人に」
「逃げずに」
「三つ全てへ答えさせる場を作る」
一拍。
「それは」
「俺が引き受ける」
そして最後に禮へまっすぐ。
視線を向けた。
「その代わり」
「そこまでは」
「お前から彼女へ」
「手を出すな」
「それでどうだ」
「それで十分だ」
禮はほとんど迷わず。
そう答えた。
天倉が僅かに目を細める。
禮はもう一度。
遠くに座る女を見る。
胸の奥。
消えたわけではない。
顔を見るだけで思い出す、あの日。
倒れた姉、届いた手紙。
何度読んでも理解できなかった。
あの文章。
そして今でも思う。
殺したい。
その感情だけは否定できない。
「俺も」
禮がゆっくり口を開く。
「少しガキだったんだ」
「……禮?」
慧が少し意外そうに見る。
禮自身。
こんなことを口にするとは少し前なら。
思わなかったかもしれない。
「あの時」
禮の視線が隣へ向く、禮歌。
「禮歌が覚悟を決めて」
一拍。
「《神裂装》を使った」
禮歌が静かに禮を見る。
「ずっと隠してたことを」
「全部ばらすことになるかもしれないのに」
「それでも」
「俺を止めた」
先ほど。
《双極葬界》を真正面から止めた。
あの瞬間。
禮歌は自分の秘密がどうなるかなんて。
後回しにした。
ただ禮が取り返しのつかないことをする前に止めた。
「それで」
禮が少しだけ笑う。
「少しは」
「成長できたような気がする」
禮歌の目が僅かに見開かれる。
久世も何も言わず聞いていた。
「前と同じように」
禮は女を見る。
「そりゃ」
一拍。
「殺したいとは」
「思ってしまってる」
空気がほんの少しだけ。
張る。
だが禮の拳は握られない。
《創》も動かない。
「でも」
禮は小さく息を吐いた。
「今は」
「少しだけ」
一拍。
「冷静さが残るようになった」
天倉は禮を見たまま。
しばらく何も言わなかった。
やがて。
「……それでいい」
静かにそう言った。
「感情そのものを」
「消せとは言わない」
「そんなもの」
「他人に命令されて」
「消せるものでもない」
天倉の視線が女へ向く。
「ただ」
一拍。
「その感情で」
「次に何をするか」
「そこは」
「自分で選べ」
禮歌が小さく。
「うん」
とだけ言った。
久世は少し考えてから口元を緩める。
「さっきまで」
「《終龍葬歌》撃って」
「その直後に」
「人へ《双極葬界》撃ってた人が」
一拍。
「もう反省してるの」
「成長速度おかしくない?」
禮が久世を見る。
「そこまで言う?」
「言う」
慧も横から頷く。
「今回は久世さんに同意する」
「お前まで?」
少しだけ、空気が緩む。
その中で禮歌だけは静かに禮の横へ立っており、そして誰にも聞こえないくらいの声で。
「……止めてよかった」
そう呟いた。
禮はそれを聞いて。
禮歌へ視線を向ける。
遠くにはまだ。
あの女がいる。
聞かなければならないことも終わっていない。
許したわけでも憎しみが消えたわけでもない。
ただ今度は怒りのまま、先に拳を出すのではなく。
話を聞く。
その選択肢が禮の中に残っていた。
少し。
空気が落ち着いたところで禮がふと遠くに座っている女を見る。
「……て、言うか」
天倉が禮を見る。
「何だ」
「あいつ」
指を差す。
「なんで普通に入ってこれるの?」
「…………」
久世も女を見る。
禮は少し眉を寄せた。
「昨日」
「俺と会わないようにしてくれるって」
「言ってなかった?」
天倉が一瞬。
黙る。
「……言った」
「じゃあ何でいるんだよ」
「正確には」
天倉が少し嫌そうな顔をする。
「お前と彼女の予定や使用区画が」
「可能な限り重ならないように調整する」
「そういう話だ」
「あいつ自体を」
「施設へ入れないようにしたわけではない」
禮が女を見る。
「入館禁止にはできなかったのか?」
「現役の局員を」
「俺の一存で入館禁止にできると思うか?」
「できそうな顔してるけど」
「顔で権限は増えない」
久世が小さく笑う。
「残念だったね、神成」
「残念だよ」
禮はもう一度。
女を見る。
今度は手に持っている。
小型記録端末。
「あ」
一拍。
「そういや」
「何か情報持ってきたんだっけ?」
慧が思い出したように顔を上げる。
「そうだよ!」
「その話の途中で」
「お前がぶち切れたんだろ!」
「ああ」
「忘れてた」
「忘れるなよ!」
禮は特に悪びれず。
天倉を見る。
「天倉さん」
「何だ」
禮が女を指す。
「もらってきてよ」
「…………」
天倉が数秒。
禮を見る。
「お前が行かないのか」
「行かない」
即答。
「あいつの近く」
「今まだ行かない方がいいだろ」
天倉は少しだけ。
目を細めた。
「……それを自分で判断できるなら」
「さっきよりは本当に冷静らしいな」
「だろ?」
「威張るな」
天倉が女の方へ歩き出す、久世も何となく。
その背中を見送る。
禮歌は禮のすぐ横。
「禮」
「ん?」
「本当に大丈夫?」
「ああ」
禮は遠くから女を見る。
胸の奥。
まだ不快感はある。
怒りもある。
それでも今度は足が勝手に前へ出ることはない。
「今は」
「近づかない方がいいって」
「自分で分かってる」
禮歌が少しだけ笑う。
「うん」
その頃。
天倉は女の前へ到着していた。
「その端末」
短く告げる。
「こちらへ」
女が天倉を見る。
「神成禮は?」
「今は」
一拍。
「あなたへ近づけない」
女の視線が天倉の向こう、禮へ向く。
だが何も言わない。
「彼が」
天倉が続ける。
「情報だけ先に確認したいと言っている」
「俺が預かる」
女は数秒。
端末を見る。
そして特に抵抗することもなく。
天倉へ差し出した。
「いいわ」
天倉が受け取る。
「中身は?」
「当時の記録」
女が答える。
「少なくとも」
「あなたが探していた」
「対象選定に繋がる情報は入ってる」
一拍。
「それと」
禮の方を見る。
「神成家の情報が」
「最初に局へ入った経路」
天倉の目が僅かに鋭くなる。
「原本か?」
「複製」
「原本の所在は」
女は一瞬。
黙った。
「それも」
「中を見れば分かる」
天倉はそれ以上。
その場では追及しなかった。
踵を返す。
そして禮たちの元へ戻ってくる。
「神成」
天倉が小型記録端末を軽く持ち上げる。
「預かった」
禮がそれを見る。
「何入ってるって?」
「対象選定に関する当時の情報」
一拍。
「それから」
天倉の声が少し低くなる。
「神成家の情報が」
「最初に局へ渡った経路」
慧の表情が変わり、久世も笑みを消した。
天倉は端末を見ながら。
最後に言った。
「まず」
「中身を確認するぞ」
「あぁ」
禮は端末を見ながら。
短く答える。
「頼む」
天倉が小型記録端末を訓練場脇の解析端末へ接続する。
「一応」
操作しながら、口を開く。
「先に複製を取る」
「改変の有無も確認する」
「それがいい」
禮は少し離れた場所から画面を見る。
久世、慧。
禮歌も自然と集まった。
御影だけは医療班に。
「お前は寝てろ」
と止められている。
「俺も気になるんだけど」
「寝てください」
「はい……」
数秒、解析。
照合。
そして画面へ古い記録が表示された。
天倉の目が鋭くなる。
「……まず」
「対象選定記録がある」
禮は黙る。
画面、事件当日。
禮の姉が局の捜索対象と照合された記録。
顔、体格。
行動区域、複数の項目。
そこには高い一致判定が表示されている。
慧が眉を寄せる。
「これで……」
「犯罪者だって判断された?」
「それだけじゃない」
天倉が画面を送る。
「問題は」
「この照合に使われた」
「元の情報だ」
次、捜索対象者。
局が追っていた。
別の能力犯罪者。
そしてその人物に紐づけられた。
追加情報。
天倉が読む。
「事件十二日前」
「捜索対象者が」
「別名義を使用している可能性あり」
さらに一行。
「使用名義」
天倉が止まった。
久世の表情も変わり、そこに禮の姉の情報が記載されていた。
氏名、生活圏。
そして神成家との繋がり。
「…………」
禮は何も言わない。
慧が画面を見つめる。
「じゃあ」
「最初から間違った情報が」
「犯罪者側にくっついてた……?」
「ああ」
天倉が答える。
「少なくとも」
「この記録上はな」
久世が腕を組む。
「その情報」
「誰が入れたの?」
「今見ている」
天倉がさらに奥へ進む。
情報登録経路、受付日時。
処理端末、承認。
そして情報源、その欄を見て。
天倉の指が止まった。
「……おかしい」
「何が?」
禮が聞く。
天倉は画面を指す。
「一般からの通報じゃない」
一拍。
「局内端末から」
「直接登録されている」
久世の目が細くなる。
「局員?」
「まだ分からない」
天倉が即座に否定する。
「局内端末を経由した」
「それだけだ」
「入力した人間まで」
「この記録だけでは断定できない」
さらに登録者識別情報、本来。
そこに残るはずの職員番号。
「……空欄」
慧が呟く。
「消されてる?」
「それも」
天倉が首を横に振る。
「まだ断定しない」
「当時から記録されていなかったのか」
「後から削除されたのか」
「この複製だけ欠けているのか」
「確認が必要だ」
禮歌が静かに聞く。
「でも」
「神成家の情報が」
「最初に局へ入ったのは」
「そこ?」
「ああ」
天倉が頷く。
「今確認できる範囲では」
「これが最古だ」
事件の十二日前。
何者かが局内経路から捜索中だった犯罪者へ禮の姉の情報を別名義候補として紐づけた。
その結果、事件当日。
照合、誤認。
そこまでは繋がる。
だが天倉の顔は晴れない。
「……まだある」
禮が画面を見る。
天倉が次の記録を開く、事件当日。
現場行動指示、対象。
捕捉、危険度。
能力使用警戒。
そして対処規定。
天倉が無言になる。
久世が画面を覗く。
「天倉くん?」
「…………」
数秒、天倉は何も言わなかった。
やがて低い声で読み上げる。
「対象の身柄を確保」
一拍。
「抵抗時」
「能力使用の兆候を確認した場合」
「必要に応じて」
「実力行使を許可」
禮の目が僅かに細くなる。
そしてその下。
「致死的措置については」
天倉が止まる。
「対象が」
「第三者または局員へ」
「重大な生命危険を及ぼす状況に限る」
誰も喋らない。
禮は覚えている。
あの日。
姉は歩いていた。
自分と夕飯の話をしながら。
逃げてもいない。
抵抗もしていない。
能力を使ってもいない。
天倉がゆっくり、画面から目を離す。
「……少なくとも」
声が重い。
「この指示書が」
「当時の正式なものなら」
一拍。
「最初から」
「即時殺害を許可された対象ではない」
久世の笑みは完全に消えており、慧も何も言えない。
禮歌が隣にいる禮を見る。
天倉はすぐに続けた。
「まだ結論は出さない」
「この端末自体が」
「彼女から持ち込まれたものだ」
「原記録との照合も必要だ」
「改変履歴も見る」
「当時」
「別の命令が追加されていた可能性もある」
一拍。
「ただ」
天倉が遠くに座る女を見る。
「もしこれが正しいなら」
「神成が本人へ聞きたいと言った」
「なぜ無抵抗の姉を殺したのか」
その質問には記録上でもまだ。
答えがない。
「それと」
天倉がもう一つ、ファイルを開く。
「原本の所在」
表示された。
古い保管番号、局内。
長期記録保管区画。
削除済みではない。
少なくとも管理上は現存。
天倉の目が僅かに鋭くなる。
「……原本」
一拍。
「残ってる」
久世が小さく息を吐く。
天倉はすぐに端末を外した。
「これは」
「今から俺が確保する」
禮が顔を上げる。
「今から?」
「ああ」
「先に押さえる」
天倉は端末を握る。
「誰かが触る前に」
一拍。
「原本」
「アクセス履歴」
「編集履歴」
「この情報を登録した端末」
「全部だ」
そして禮を見る。
「少なくとも」
「調べる場所は」
「ようやく見えた」
禮は画面に残る記録をしばらく見ていた。
そして小さく息を吐く。
「なら」
「情報の方は」
「天倉さんに任せるよ」
天倉が禮を見る。
「ああ」
「原本まで確認する」
「頼む」
禮はそれ以上。
端末へ近づかなかった。
「それが」
一拍。
「嘘か本当か」
「今の段階じゃ」
「俺には分からないしな」
「その判断でいい」
天倉が答える。
「持ち込んだのが彼女である以上」
遠くにいる女へ一瞬。
視線を向ける。
「情報そのものを」
「無条件に信用することもできない」
「原本」
「履歴」
「当時の記録」
「全部照合する」
禮は軽く頷いた。
そしてもう一度だけ。
表示されており、姉の名前を見る。
事件の十二日前。
犯罪者の別名義候補として突然、紐づけられた情報。
「……でも」
禮が静かに言う。
「もし」
「これが本当なら」
久世が禮を見る。
「俺の姉に」
一拍。
「恨みでもあるらしいな」
空気が少しだけ変わり、慧が眉を寄せた。
「恨み……?」
「ああ」
禮は画面を指す。
「たまたま間違えたっていうには」
「変じゃないか?」
「犯罪者と似てた」
「それならまだ分かる」
「でも」
「事件の十二日前に」
「わざわざ姉の名前」
「生活圏」
「神成家との繋がりまで」
「犯罪者の情報にくっつけられてる」
一拍。
「誰かが」
「姉をその犯罪者として扱わせようとした」
「そう見えなくもないだろ」
天倉はすぐには肯定しなかった。
「可能性の一つではある」
「ただし」
禮を見る。
「まだ」
「恨みが理由だったとは決めるな」
「ああ」
禮は意外なほど。
素直に頷いた。
「分かってる」
天倉の目が僅かに動く、少し前なら。
その一言でさらに感情が跳ね上がっていたかもしれない。
だが今の禮は拳すら握っていない。
「恨みかもしれない」
「誰かの勘違いかもしれない」
「別の目的があったのかもしれない」
「もっと別の理由かもしれない」
禮は画面を見る。
「だから」
一拍。
「そこは天倉さんに任せる」
「俺が考えても」
「今は想像にしかならない」
久世が少しだけ。
禮を見る。
「……本当に」
「さっきより冷静になってる」
「何だよ」
「いや」
久世が少し笑う。
「成長したなって」
「子供扱いすんな」
「十七歳でしょ?」
「久世と四歳しか変わんねぇだろ」
「四歳は大きいよ?」
そんな二人を天倉は無視する。
端末を回収し。
立ち上がった。
「とにかく」
「この件は俺が追う」
「まず原本を確保する」
「その上で」
一拍。
「誰が」
「何のために」
「神成家の情報を」
「捜索対象へ紐づけたのか」
禮を見る。
「そこまで調べる」
「ああ」
禮が頷く。
「頼んだ」
そしてほんの少しだけ。
視線を横へ向け、まだ遠くで待っている。
あの女。
「……で」
禮が嫌そうに目を細めた。
「あいつ」
「情報渡したのに」
「まだ帰らないの?」
「……で」
禮が嫌そうに目を細めた。
「あいつ」
「情報渡したのに」
「まだ帰らないの?」
そして大きく、息を吐く。
「なんだよ」
一拍。
「今日はもう」
「俺も帰りたいんだけど」
「疲れたし」
慧が一瞬。
禮を見る。
「まあ……」
今日一日を思い返す、御影との戦闘。
四重詠唱、《終龍葬歌》。
女の登場、禮の感情の爆発。
《完全顕現》、《双極葬界》。
禮歌の《神裂装》。
そして《アポカリプス》の正体まで全部。
今日。
「そりゃ疲れるわ」
慧が妙に納得した。
久世も苦笑する。
「今日だけで」
「神成の秘密」
「何個出てきたと思ってるの?」
「知らん」
「数える気にもならない」
「私も途中から諦めた」
天倉が端末を持ったまま。
禮を見る。
「帰っていい」
「お」
禮の顔が少しだけ明るくなる。
「本当?」
「ああ」
「これ以上」
一拍。
「今日のお前を」
「ここに置いておく理由もない」
ちらりと遠くの女を見る。
「むしろ」
「今は帰らせた方がいい」
「それは俺もそう思う」
禮が即答する。
「原本の確認は」
「俺がやる」
天倉が続ける。
「今日話した」
「お前と彼女の話についても」
「こちらで整理しておく」
「局への所属については」
「まだ何も決まっていない」
「条件をまとめてから」
「改めて話す」
「ああ」
「それでいい」
禮が伸びをする。
「じゃ」
「帰るか」
「待って」
久世が遠くを指差す。
「その前に」
「あの人」
「どうする?」
「…………」
禮の顔が一気に面倒そうになる。
「天倉さん」
「何だ」
「あれも頼む」
「あれ扱いするな」
「今」
「俺が直接話しに行くよりいいだろ」
「それはそうだが」
天倉も小さく息を吐いた。
そして女の方へ歩いていく。
女はまだ。
同じ場所に座っており、天倉がその前で止まる。
「情報は預かりました」
「原本も」
「こちらで確認します」
「ええ」
「それと」
一拍。
「神成は」
「今日は帰ります」
女の視線が天倉の向こうへ禮へ向く。
禮は近づいてこない。
禮歌と慧の近くに立ったまま。
帰る準備をしている。
「……そう」
女が短く答え、天倉が僅かに眉を寄せる。
「まだ」
「彼に用がありますか」
少し、沈黙。
女は手元を見る。
「……いいえ」
一拍。
「今日はもう」
「話さない方がいいでしょうね」
「賢明です」
「随分はっきり言うのね」
「今日」
「施設を一つ失いかけましたので」
「…………」
女が僅かに《双極葬界》の痕跡を見る。
否定できない。
天倉は声を落とした。
「それと」
「次に神成と話す時は」
「先ほど伝えた条件で」
「正式に場を用意します」
女の目が天倉へ向く。
「謝罪」
「手紙の意図」
「そして」
一拍。
「なぜ」
「無抵抗だった彼の姉へ」
「致死的措置を取ったのか」
女の表情がほんの僅かに止まった。
「その三つ」
「本人の前で」
「あなた自身に答えてもらいます」
数秒、女は何も言わない。
やがて。
「……分かったわ」
短く。
そう答えた。
天倉が禮たちの元へ戻る。
「終わった」
「帰っていい」
「よし」
禮が即座に出口へ身体を向ける。
「帰ろう」
慧が呆れる。
「切り替え早っ」
「疲れたって言っただろ」
禮歌が隣へ並ぶ。
「今日は」
一拍、少しだけ笑って。
「本当に色々あったね」
「ありすぎた」
久世が後ろから手を振る。
「神成」
「何?」
「明日は」
一拍。
「新技増やさないでね?」
禮が少し考える。
「それは」
「相手次第」
「そこは約束してよ!」
訓練場に久世の声が響おり、そういってながかった1日が今日も終わった。
あの女はなんなのか、禮も少しわからなくなっていた。




