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戦うのは好きだけど面倒事は嫌いなので、最強なのは秘密です。  作者: 檸堂礼音
第二章

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第二話 訓練2

第二章 ーーー 第二話


その日の夜。


神成(しんじょう)家。

局での訓練を終え、慧(けい)とも途中で別れた禮(らい)と禮歌(れいか)は、リビングにいた。


「で?」


禮歌がソファへ座りながら禮を見る。


「さっきから何考えてるの?」

「分かる?」

「長い付き合いだからね」


禮は少し考えてから、口を開いた。


「神器(じんぎ)を作ろうと思ってる」


禮歌が瞬きをする。


「神器?」

「ああ」

「また随分簡単に言うね」

「作れるし」

「そういう問題じゃないんだけど」


禮歌は苦笑する。

だがすぐに表情を戻した。


「今日の戦闘が理由?」

「それもある」


禮は頷く。


「気軽に使える神器が欲しい」

「…………」


禮歌はその言葉の意味を理解したようだった。

だがそれ以上は触れない。


「なるほど」

「普段の訓練でも出せて」


禮は続ける。


「必要なら実戦でも使える」

「でも」


禮歌が口を挟む。


「ただ強い武器を作るだけじゃ面白くないでしょ?」

「分かってるな」


禮が少し笑い、そしてテーブルへ肘をつく。


「名前だけは考えてる」

「もう?」

「ああ」

「何?」


禮は答えた。


「《ノア》」

「ノア……」


禮歌が一度、その名前を口の中で転がす。


「どんな神器?」

「そこを今から考えたい」

「名前だけ先なんだ」

「そういう時もあるだろ」

「禮らしいけど」


禮歌は少し考える。


「じゃあ」

「うん」

「まず何をさせたいの?」

「大まかには……」


禮は今日の戦闘を思い返す、榊原(さかきばら)の縮界(しゅくかい)。

それを見て、観察し、理解し、対策した。

そして、自分の技。

再竜聖歌(さいりゅうせいか)、再龍聖歌(さいりゅうせいか)、最竜聖歌(さいりゅうせいか)。

それらも結局のところ、過去に得た情報、経験、技、戦闘といったものを今へ繋げることで力を発揮している。


「記録かな」

「記録?」

「ああ」


禮歌が興味を示す。


「何を?」

「そこもまだ曖昧」


禮は指を折る。


「技」


一つ。


「戦闘経験」


二つ。


「相手にされた対策」


三つ。


「神器の情報とかも……できるかもしれない」


禮歌の眉が少し上がった。


「結構広いね」

「だからまだ構想段階」

「なるほど」


禮歌は少し考えてから、テーブルの上を指で軽く叩く。


「じゃあ《ノア》は」


禮を見る。


「戦うための神器っていうより」


一拍。


「禮が今まで積み上げてきたものを保存する神器?」

「……近いな」

「それを必要な時に呼び出す?」

「それもあり」

「例えば」


禮歌が続ける。


「一度使った技を《ノア》に記録する」

「うん」

「必要な時に、その記録から技を引っ張り出す」

「いいな」

「でも」


禮歌がすぐに止める。


「それだけ?」

「ん?」

「禮って元々」


禮歌が禮を見る。


「一度使った技を覚えてるでしょ?」

「まあな」

「だったら」


単純に記録するだけでは禮自身の能力と役割が重なる。


「《ノア》がある意味が必要じゃない?」

「確かに」


禮が考える。

ただの記録媒体なら必要ない。

神器として作る以上、《ノア》にしかできないことが必要になり、禮歌はそこで一つ案を出した。


「記録するだけじゃなくて」

「うん」

「保存したものを整理するのは?」

「整理?」

「例えば戦闘中」


禮歌は指を立てる。


「今の相手なら、この技」

「次にこう動いたら、この対策」

「この能力には、この組み合わせ」


禮の目が少しだけ変わった。


「……支援みたいな感じか」

「そう」


禮歌が頷く。


「禮が考えるための材料を」

「《ノア》側が整理して出してくる」

「そんな感じ」


禮はしばらく黙る。

記録、保存、再現、そして戦闘支援。

単純な武器ではない。

戦えば戦うほど、蓄積される神器。


「…………」


禮の口元が僅(わず)かに上がった。


「いいな」

「気に入った?」

「ああ」


だがまだ足りない。

神器《ノア》、名前だけだったものにようやく。

最初の輪郭が生まれ始める。

禮は禮歌を見る。


「じゃあまず」


一拍。


「《ノア》に何を記録できるようにするか」

「そこから決めよっか」


禮歌も少し楽しそうに笑い、禮は少し考える。


「まず、《ノア》が勝手に技を使うのはなしにしよう」

「さっき話してた戦闘支援?」

「ああ。候補を出すくらいならいいけど、実際に使う技は俺が指定する」


禮歌が頷く。


「その方が禮には合ってるかもね」

「俺の知らないところで勝手に技撃たれても困るしな」

「特に禮の技、それ洒落にならないからね」

「だから危険な技は別にしたい」

「別?」

「ああ」


禮は指を立てる。


「普通に使う技は《ノア》に記録して、いつでも使えるようにする」


もう一本。


「ただ、夢虚無幻(むきょむげん)みたいな危険度の高い技は別の場所に保管する」

「通常の記録領域と、危険な技の保管領域を分けるってこと?」

「そんな感じ」

「いいと思う」


禮歌は少し考えてから続ける。


「そこは後で、どうやったら開けられるかも決めよう。間違って呼び出せないように」

「ああ」

「他は?」

「技の同時発動」


禮歌の目が僅かに動く。


「何個?」

「そこはまだ決めてない。ただ、一つずつしか使えないなら俺には使いづらい」

「《再龍聖歌》みたいに技同士を連携させたい?」

「連携させるかは俺が決める。とりあえず同時に出せるようにはしたい」

「なるほど」


禮歌は指を折って整理する。


「技の記録」

「危険技の隔離」

「使用する技は禮が指定」

「複数同時発動」

「今はこの四つだね」

「ああ」

「じゃあ私から一個いい?」

「何?」


禮歌は少し考え、


「技ごとに《出力》を保存できるようにするのは?」

「出力?」

「例えば《夢虚無幻》なら」


禮歌が禮を見る。


「訓練用の低出力と、本来の出力を別々に設定しておく」

「…………」

「毎回禮が細かく加減するんじゃなくて、《ノア》側に『この技は三十パーセント』『こっちは五十パーセント』みたいな状態を登録しておくの」


そして。


「もちろん勝手には変えない。どの出力で使うかも禮が選ぶ」


禮歌は首を傾げた。


「どう? これは要る?」


禮は少し考えて、首を横に振った。


「いや、威力調整はいらないかもな」

「そう?」

「ああ」


《夢虚無幻》を思い浮かべる。


「ああいう技って、そもそもまともに当たったら終わりだろ」

「まあ……そうだね」

「能力で防げるなら防ぐ」

「無理なら避ける」

「それも無理なら、そもそも撃たない」


禮は肩を竦める。


「わざわざ《ノア》に出力を管理させる必要はない気がする」


禮歌も少し考え、


「確かに」


あっさり頷いた。


「じゃあ却下」

「早いな」

「禮が使う神器なんだから、禮が使いやすい方がいいでしょ」

「それはそう」

「じゃあ代わりに……」


禮歌が少し考える。


「これは?」

「何?」

「《ノア》に技の維持を任せる」


禮が眉を上げる。


「維持?」

「うん」


禮歌は指を一本立てた。


「技を選ぶのは禮」

「発動させるのも禮」

「そこは変えない」

「でも、一回発動した後の維持だけ《ノア》が担当する」


禮は少し黙る。

禮歌が続けた。


「例えば三つの技を同時に使うとするでしょ?」

「ああ」

「普通なら禮が三つ全部を意識し続ける必要がある」

「まあな」

「でも《ノア》に記録された技なら」


一拍。


「禮が発動した後、《ノア》がその状態を維持する」


禮の目が少し変わる。


「……なるほど」

「勝手に攻撃はしないよ」


禮歌が念を押す。


「対象を変えたり、新しい技を使ったりもしない」

「禮が指定した技を、指定された状態のまま保つだけ」

「つまり」


禮が言う。


「俺の処理を減らす?」

「そう」


禮歌が頷く。


「同時発動を増やすなら、こっちの方が重要じゃない?」


技が増えるほど。

問題になるのは発動できるかではない。

それらを同時に正確に扱い続けられるか。


「禮が戦況を読む方に集中して」

「技の維持は《ノア》」


禮歌は禮を見る。


「どう?」

「《自動戦闘》じゃなくて」

「《自動維持》」


少し笑う。


「これは要る?」


禮はしばらく考えて


「それはありだな」


禮は頷いた。


「維持を任せられるなら、俺は戦いそのものに集中できる」

「じゃあ採用?」

「ああ」


禮歌が指を折る。


「技の記録」

「複数同時発動」

「発動後の自動維持」

「それから、危険な技だけ別管理」

「大まかな機能はこんなもんでいいか」

「うん。十分神器っぽくなってきたね」

「あと形」


禮は少し考えて、すぐに決めた。


「本にする」

「本?」

「ああ」

「《ノア》って名前なら、それっぽいだろ」


禮歌が想像する。

戦闘中、禮の傍らに浮かぶ一冊の本。

そこに今まで禮が作り上げてきた技が記録されている。


「……いいかも」

「だろ?」

「剣より《ノア》っぽい」

「じゃあ形も決まり」


残るのは技の管理方法。


「普通の技と危険な技を分けるんだよね?」

「ああ」

「名前どうする?」

「危ない方は禁忌(きんき)でいい」


禮歌が一瞬黙る。


「そのままだね」

「分かりやすいだろ」

「まあね」

「変に難しい名前にして、何なのか分からなくなるよりいい」

「それはそう」


禮歌も納得する。


「じゃあ普通の技は……」


少し考え、


「記録(きろく)でいいんじゃない?」

「《記録》?」

「うん」


通常使用できる技は《記録》。

危険性が高く。

通常の技と同じようには扱わせないものは《禁忌》。

単純。

だが一目で役割が分かる。


「いいな」

「決まり?」

「ああ」


禮歌がテーブルへ指を置く。


「じゃあ残ってるのは」


一拍。


「《禁忌》をどうやって使えるようにするか」

「そうだな」


普通の《記録》なら、禮が技を指定する。

それだけでいい。

だが《禁忌》まで、同じ方法で使用できるようにしてしまえば。

分ける意味が薄い。

禮歌が少し考える。


「二段階にする?」

「どういう?」

「まず《禁忌》そのものを開放する」


禮歌は指を一本立てる。


「例えば――」

「禁忌開放(きんきかいほう)」

「それを禮が明確に指定しない限り、《禁忌》に入ってる技は絶対に使えない」

「なるほど」

「それで開放した後」


二本目。


「使う技を禮自身が指定する」


つまり、通常の技。

《記録》なら、技名を指定するだけ。

だが《禁忌》は違う。

まず、禁忌領域そのものを開く。

その上で、使用する技を選ぶ。


「それなら間違って使うこともないね」

「ああ」


禮も少し考える。

悪くない。


「……まあ」


禮は一度。

ここまで決めた内容を頭の中で整理する。

技を《記録》する。

使用する技は必ず禮自身が指定、複数の技を同時に発動可能。

発動後の維持は《ノア》が引き受ける。

そして、危険性の高い技は通常の《記録》から切り離し、《禁忌》として保管。

使用するには《禁忌開放》。

その上で、禮自身が技を指定する。


「こんなところか」

「うん」


禮歌も頷く。


「最初から盛りすぎても、使いづらくなるだけだしね」

「あとは使ってから追加すればいい」

「神器に後から機能追加する前提なの、禮くらいだと思うけど」

「できるんだからいいだろ」

「はいはい」


禮歌が笑う。

そこで、禮はソファから立ち上がった。


「じゃ」

「ん?」


右手を前へ出す。


「作るか」


禮歌が僅かに目を見開く。


「もう?」

「何か問題ある?」

「いや」


禮歌も立ち上がる。


「禮ならそう言うと思ったけど」


二人はリビングの中央へ移動した。

禮が右手を開く、創(そう)。

空気が僅かに揺れた。

だがいつものようにただ物質を作るわけではない。

神器――能力者が扱う、特殊な力を持った武器。

まして今回作るものは、既存の神器を真似るものではない。

構造、性質、役割。

そのすべてを一から禮自身が定義する。


「まずは器」


禮の掌の上へ光が集まり始め、少しずつ輪郭が生まれ、長方形の形に厚みが生まれ、綴じられた紙が重なり、一冊の本になる。

まだ何の能力も持たず、何も書かれていない。

ただの神器になる前の器が、禮の前へ浮かんだ。

禮歌が近づく。


「……本当に本だ」

「本にするって言っただろ」

「分かってるけど」


少し横から覗く。


「こうやって何もない状態で見ると、普通の本だね」

「今から普通じゃなくなる」

「それもそうだね」


禮は浮かぶ本へ指を向ける。

次に、中身。

《記録》、禮自身が指定した技を保存する領域。

そして、そこから切り離すようにもう一つ。

《禁忌》。

通常状態では絶対にアクセスできない。

危険な技だけを隔離して保存する領域。

二つを同じ神器の中へ完全に別のものとして組み込む。

本が僅かに震えた。

禮歌が見つめる。


「……ちゃんと分かれてる?」

「ああ」

「《記録》側から《禁忌》に触れることは?」

「できないようにする」

「逆は?」

「同じ」

「完全分離にできたんだ」

「ああ」


禮歌が頷く。


「それなら安心かな」


次に、発動。

禮が選ぶ。

ノアは勝手に技を選ばない。

勝手に対象を決めない。

勝手に攻撃しない。

ただ、禮が指定した技を正確に再現する。

そして、一度成立した技は必要な限り、《ノア》が維持する。

一つ、二つ、三つ。

複数同時でも互いに干渉しないよう、それぞれを独立して維持する。


「…………」


禮の目が細くなる。

ここは少し難しい。

複数の技、それぞれ違う性質、構造、発動条件。

それらを同時に保持する。

単純に複数の技を出せるだけでは駄目だ。

一つを維持しながら、別の技を追加する。

さらに追加し、必要なくなれば指定したものだけ解除する。


「禮」


禮歌が声をかける。


「ん?」

「同時発動って」


禮を見る。


「上限つける?」


禮の手が止まった。


「上限?」

「うん」

「例えば最大五つとか、十個とか」


禮歌は浮かぶ《ノア》を見る。


「それとも」


一拍。


「《ノア》自体には上限を作らない?」


禮が少し考える。

禮歌も続ける。


「上限を作らなかった場合」

「禮が指定できる限り、いくらでも技を同時に維持できるようになる」

「ただ」

「技が増えれば増えるほど、《ノア》側にかかる負荷も大きくなるようにするか」

「それすら無くすか」


まだ《ノア》は完成していない。

宙に浮いた本の周囲を《創》の光が静かに巡っている。

禮歌が禮を見る。


「ここはどうする?」

「せっかく神器を創るんだ」


禮は宙に浮かぶ《ノア》を見る。


「それくらいは強くしていいだろ」

「つまり?」

「上限も負荷もなし」


禮歌が少し目を見開く。


「本気?」

「ああ」


一つでも十でも百でも禮が指定する限り、《ノア》はすべてを同時に発動し、維持できる。

数による性能低下も処理の遅延もない。


「……気軽に使える神器を作るって話じゃなかった?」

「気軽に使えて強い神器だ」

「欲張りだね」

「神器なんだからいいだろ」

「まあ、禮が創るんだしね」


《創》が最後の条件を《ノア》へ刻み込む。

やがて、光が収まり、一冊の本が静かに禮の手へ落ちた。


「できた」

「見せて」


禮歌が隣へ来る。

禮が《ノア》を開く。

最初は何も記されていない。


「じゃあ、最初の《記録》は?」

「いや」


禮が首を振る。


「普通の技は、わざわざ入れなくていいや」

「どういうこと?」

「戦闘で使った時に勝手に保存するようにする」


禮歌が少し考える。


「ああ、なるほど」

「一度使えば《ノア》が記録する」

「でも使うかどうかは禮が決める?」

「もちろん」


自動なのは保存だけ。

技の選択、発動、対象。

それらは今まで決めた通り、すべて禮が行う。


「それなら毎回登録する手間もないね」

「ああ」


禮はページをめくる。

そして、通常の《記録》とは隔離された場所。

《禁忌》。

そこへ意識を向けた。


「こっちは入れておく」

「何を?」


禮の指先に《創》が集まる。

一つ目、《再竜聖歌》。

一度使用した技へ相手から得た対策の情報まで組み込み、再び成立させる技。

文字が《禁忌》へ刻まれる。

二つ目、《再龍聖歌》。

再演された技同士が状況に合わせ、互いに連携し、組み替わる。

二つ目の名が並ぶ。

そして三つ目、《最竜聖歌》。

現在の禮が成立させられる最高の形、最高の性能へ、技そのものを更新する。

三つ目の名が刻まれた。

禮歌がそれを横から見る。


「……最初から結構すごいの入れるね」

「禁忌にするならこの辺だろ」

「まあ……普通の技扱いされても困るけど」


《ノア》の中。

完全に隔離された《禁忌》へ三つの名前が並ぶ。

《再竜聖歌》《再龍聖歌》《最竜聖歌》。

読み方はすべて同じ。

禮歌がそれを見て、少し笑った。


「改めて見ると紛らわしいね」

「今さらだろ」

「久世(くせ)さんたちが混乱した理由分かるよ」

「漢字見れば分かる」

「戦闘中に漢字見えないからね?」

「それもそうか」


禮は《ノア》を閉じる。

これで神器《ノア》、最初の形はほぼ完成した。

禮歌が閉じた本を見る。


「……で」


禮歌が完成した《ノア》を見る。


「せっかく創ったんだし、試してみる?」


禮は少しだけ考えた。

だがすぐに首を横へ振る。


「いや」


《ノア》を閉じる。


「試すのは明日にしよう」

「明日?」

「ああ」


禮はソファへ戻りながら答える。


「どうせ明日も訓練あるんだし」

「……ああ」


禮歌も納得したように頷く。

確かに、今日。

局での初訓練を終えたばかりだが外部協力者としての訓練予定は明日も入っている。


「その方がちゃんと試せるか」

「家で技撃つわけにもいかないだろ」

「禮ならやりかねないから聞いたんだけど」

「俺を何だと思ってる」

「家の中で神器創る人」

「…………」


禮は手元の《ノア》を見る。


「それはそう」


禮歌が笑う、禮はもう一度。

《ノア》を軽く持ち上げた。

完成したばかりの神器。

まだ一度も戦闘では使っていない。

《記録》も空。

入っているのは《禁忌》へ登録した。

三つの技だけ。

《再竜聖歌》、《再龍聖歌》、《最竜聖歌》。

それ以外は明日から、戦うたびに増えていく。


「……楽しみ?」


禮歌が聞く。


「まあな」

「新しい神器を試すのが?」

「それもある」

「それも?」


禮は少し笑う。


「明日の相手が誰か」

「そっちなんだ」

「強い奴だといいな」

「結局それじゃん」


呆れながらも禮歌は笑っており、そして禮が《ノア》へ意識を向け、次の瞬間、本の姿が静かに消えた。

必要になれば、いつでも呼び出せる。

それで十分だった。


「じゃあ」


禮が再びソファへ倒れる。


「今日は終わり」

「神器創ってすぐ寝る気?」

「疲れた」

「さっきまで楽しそうだったのに」

「それとこれは別」

「はいはい」


こうして、神器《ノア》が完成した。

まだその力を誰にも見せることなく。

――そして翌日。


放課後。


「……また来たな」


禮の目の前には昨日と同じ、特異事象対策局《とくいじしょうたいさくきょく》。

中央戦闘訓練施設《ちゅうおうせんとうくんれんしせつ》。

その入口には禮歌と、なぜか慧もいた。


「なんで俺まで二日連続なんだろう……」

「昨日あんな楽しそうだったじゃん」


禮歌が言う。


「楽しかったよ!?」

「じゃあいいだろ」

「お前らと違って緊張するんだよ!」


そんな会話をしながら、三人は施設へ入っていく。

そして禮はまだ、今日《ノア》の最初の実戦相手が誰になるのかを知らない。

施設へ入り、昨日と同じように天倉(あまくら)と合流する。

禮は歩きながらすぐに聞いた。


「天倉さん」

「何だ」

「今日の相手は誰ですか?」


天倉が一瞬、禮を見る。


「随分早いな」

「それ聞きに来たようなもんだし」

「訓練しに来たんだろう」

「だから相手が重要なんだよ」


後ろ、慧が小さく呟く。


「通常運転だな……」


禮歌も苦笑する。

天倉は少しだけ息を吐き、そして答えた。


「今日は久世さんだ」

「お」


禮の目が分かりやすく変わった。


「久世?」

「ああ」

「昨日は今日は再戦させないって言ってたのに」

「昨日は、だ」

「なるほど」


慧が横から口を挟む。


「いや待って」

「何?」

「もう再戦すんの!?」


天倉が答える。


「久世さん本人の希望だ」

「ですよね!」


ほぼ予想通りであり、禮歌が禮を見る。


「良かったね」

「ああ」


即答。

その反応に天倉が眉を寄せる。


「ただし」

「ん?」

「今日は昨日の榊原との訓練とは少し違う」


禮が天倉を見る。


「久世さんから条件が一つ出ている」

「条件?」

「ああ」


天倉は少し面倒そうな顔をして、続けた。


「前回の続きがしたいそうだ」

「…………」

「本人曰く」


天倉はそのまま久世の言葉を伝える。


「『今度は、隠してるものをもう少し見せて』だそうだ」


禮が少し笑い、昨日、《再龍聖歌》と《最竜聖歌》、そして神器すら使っていないことまで久世には話した。

だが今回は、昨日までとは違う。

禮の中には新しい手札がある。

神器《ノア》。

まだ誰も知らない、完成したばかりの神器。

禮歌だけがその存在を知っている。

二人の視線がほんの一瞬。

合った。


「…………」


禮歌が小さく笑う、どうやら。

試す相手としてはこれ以上ないらしい。

その時、訓練区画へ続く扉の向こうから聞き覚えのある声がした。


「遅いよー」


扉が開く。

そこにはすでに戦闘服へ着替えた。

久世紫苑(しおん)が立っていた。


「待ってた」


その表情は昨日以上に楽しそうだった。


「さてと」


禮が軽く肩を回す。


「ちゃっちゃと始めちゃいましょうか」


久世が少しだけ眉を上げる。


「随分やる気だね」

「ああ」


禮は笑う。


「今回は驚くもん持ってきたから」


一拍。


「後で楽しみにしておいて」

「…………」


久世の目が分かりやすく輝いた。


「なにそれ」

「まだ秘密」

「今教えてよ」

「後でって言っただろ」

「気になるんだけど」

「なら戦えばいい」

「なるほど」


即座に納得した。

天倉が横で小さく息を吐く。


「久世さん」

「何?」

「余計に乗らないでください」

「だって神成が面白そうなこと言うから」

「それが問題なんです」


後ろ、慧が禮歌へ小声で聞く。


「……何持ってきたんだ?」

「さあ?」


禮歌は平然と首を傾げた。


「知らないの?」

「どうだろうね」

「その言い方絶対知ってるだろ」


禮歌は笑うだけだった。

一方、久世は禮をじっと見ている。

神器、新しい技、能力の新しい使い方、あるいはまた別の何か。

昨日までに何度も予想を外されている。

だからこそもう決めつけない。


「じゃあ」


久世が楽しそうに笑う。


「期待していいんだ?」

「好きにすればいい」

「じゃあ期待する」

「即決だな」

「神成相手ならね」


二人の間に少しずつ。

戦闘前の空気が戻ってくる。

天倉が操作卓へ向かう。


「昨日と同様」

「形式は模擬戦」


神器、顕装(けんそう)、能力はすべて使用可能。

故意の殺傷は禁止。

戦闘不能、降参、あるいは管理側が続行不能と判断した時点で終了。


「質問は?」

「ない」


久世も短く答える。


「同じく」


天倉が頷く、禮歌と慧は観察室へ向かう。

その途中。

禮歌が一度だけ振り返った。

禮と目が合う。

ほんの一瞬、それだけ。

だが意味は通じた。

――《ノア》。

今日、初めて実戦で使う。

禮歌は何も言わず、観察室へ上がっていった。


訓練場。

禮と久世の距離は約十五メートル、久世が軽く身体をほぐす。


「前回より」


笑う。


「楽しませてね」


禮も少しだけ笑い、その横で、まだ《ノア》の姿はない。

天倉が操作卓へ手を置く、表示。

――模擬戦闘。

――安全装置正常。

――計測開始。

そして、声が響く。


「双方」


空気が変わる。

久世の表情から、普段の軽さが消える。

禮も静かに前を見る。

一拍。


「開始」


その瞬間、久世は動かなかった。

禮も動かない。

だが久世の右手に白銀の光が集まる。

禮の目が僅かに細くなった。


「最初からか」


光が伸び、長い柄と白銀の穂先を形作る。

数秒後、久世の神器天衡(てんこう)が完全に姿を現した。


観察室。

慧が目を見開く。


「いきなり神器!?」


禮歌も少しだけ表情を変える。


「前とは違うね」


前回、久世が《天衡》を出したのは戦闘の途中だった。

だが今回は違う。

最初から、神器あり、久世は《天衡》を軽く回し、その穂先を禮へ向ける。


「だって」


楽しそうに笑う。


「もう様子見する必要ないでしょ?」

「まあな」


禮はそれ以上何もせず。

《天衡》が完全に顕現(けんげん)するまで待っており、そして出し終わったのを確認してから、両手を軽く開く。


「じゃあ俺も」


《創》。

禮の両手、腕、身体。

その構造が僅かに揺らぎ始める。

密度、方向、重心、構造。

それらが絶えず組み替わっていく。


「無手・創乱(むしゅ・そうらん)」


久世の笑みが少し深くなった。


「それから来るんだ」

「ああ」

「懐かしいね」

「数日前だぞ」

「戦った側としては結構覚えてるよ」


久世は《天衡》を構え直す。

当然、この技は知っている。

界定(かいてい)によって、禮自身を直接定義し続けようとしても構造。

密度、方向。

状態そのものが変化し続けるため、固定し続けるのが難しい。

だが久世も前回と同じではない。


「神成」

「ん?」

「それ」


《天衡》の石突(いしづき)が床へ軽く触れた。

――瞬間。

禮の周囲、数メートル。

空間そのものに《界定》が広がる。

禮ではない。

禮の身体でもない。

その周囲にある足場、距離、方向、相対位置。


「前と同じ使い方なら」


久世が笑う。


「今度は通さないよ」


観察室。

慧が身を乗り出す。


「もう対策してる……」


禮歌は静かに二人を見る。


「久世さんだって、あの時のままじゃないからね」


訓練場。

禮の周囲。

複数の条件が同時に定まり始める。

前回、《無手・創乱》に苦戦した久世が今度は、最初から、禮本人ではなく。

その周囲を狙った。

久世が《天衡》を握る。


「さあ」


白銀の穂先が僅かに下がる。


「驚くもの見せてくれるんでしょ?」


まだ《ノア》は姿すら見せていない。

禮の周囲。

《界定》が少しずつ。

空間そのものを縛っていく、前回とは違う。

禮本人ではなく、その周囲にある足場、距離、方向。

そこを押さえることで、《無手・創乱》への対策にしている。

禮はその感覚を確かめて、少し笑った。


「ま」


久世を見る。


「さすがに成長してるわな」

「そっちに言われると複雑なんだけど」

「褒めてる」

「ならいいけど」


禮の右手が僅かに上がる。


「じゃあ」


空間が静かに欠けた。

《夢虚無幻》、久世の目がすぐにそちらへ向く。


「来た」


前回も見た。

防御するという考えそのものが危険な技。

だが今回は、久世も知っている。

《天衡》を振る。

《界定》。

《夢虚無幻》そのものを止めるのではない。

その進路、禮との距離、自分の退路、周囲の空間。

そこへ次々と条件を置いていく。


「同じのなら」


久世が笑う。


「今度はもう少しやれるよ」


《夢虚無幻》が軌道を変える。

久世もそれに合わせて位置をずらす。

そこで、禮がもう一つ。

言葉を重ねた。


「創約(そうやく)」

「――!」


久世の表情が僅かに変わる。

《創約》。

指定した状態を維持し続ける。

欠ければ創る。

崩れれば戻す。

乱されれば再び成立させる。

それが今。

《夢虚無幻》へ重なり、久世が《界定》で軌道を逸らす。

だが次の瞬間には《創約》によって、《夢虚無幻》の状態が再び整う。


「なるほど……」


久世の口元が上がる。


「単体で使わないんだ」

「今回は試したいものもあるからな」

「まだそれ出さないんだ?」

「後でって言っただろ」

「焦らすねぇ」


久世が《天衡》を握り直す。

《夢虚無幻》、《創約》、そして《無手・創乱》。

すでに三つが同時に成立している。

それでも禮の表情は変わらない。


観察室。

慧がガラスの向こうを見る。


「……もう三つ使ってるよな?」

「うん」


禮歌が答える。


「でも」


その目は禮ではなく、まだ出ていない別の何かを待っていた。


「まだだよ」

「何が?」

「さあ」


慧が横を見る。


「絶対知ってるだろ」


禮歌はただ笑った。


訓練場。

久世が一歩踏み込む、《界定》。

禮と久世の間、距離が一気に縮む。


「じゃあ」


《天衡》の穂先が禮へ向く。


「こっちから行くよ」


次の瞬間、久世が目前へ現れ、《天衡》の穂先が禮へ迫った。


「よし」


禮の右手に、《創》が集まる。


「能力《創》」


一瞬、黒い光が形を作る。


「模倣アポカリプス(もほうアポカリプス)」


一本の剣。

禮の手に、黒を基調とした異質な長剣が収まる。


観察室。

慧が目を見開いた。


「アポカリプス!?」


禮歌は少しだけ目を細める。

違う。

あれは《創》によって形と性質を再現した、禮が以前にも使ったアポカリプスを模した剣。

久世もすぐに気づく。


「それ」


《天衡》を振るいながら、笑った。


「前のとは違うね」

「分かるか」

「そりゃね」


激突。

――ガァンッ!

《天衡》と黒い剣がぶつかる。

久世が《界定》を重ねる。

剣の軌道、振り抜く方向、踏み込み。

複数を同時に縛る。

だが禮は構わず。

剣を振った。


「創連破斬(そうれんはざん)」


一閃。

久世が受ける。

だが終わらない。

一つ目の斬撃が次の斬撃を創る。

二つ目、三つ目、四つ目。

防いでも避けても次が生まれ、さらに、模倣されたアポカリプスの破壊の性質。

それが一撃一撃へ重なる。


「っ……!」


久世が《天衡》を横へ振るう。

《界定》、斬撃の進行方向を外へ一つ。

逸らす。

だがその逸らされた斬撃から、また次が生まれる。


「やっぱり」


久世が笑う。


「面倒!」

「褒め言葉として受け取っとく」

「褒めてない!」


久世が一気に距離を取る。

《界定》。

禮との距離を強制的に広げる。

だが《創連破斬》は止まらない。

空間を裂くように連続する斬撃が久世を追う。


観察室。

慧が目で追うことを諦めかけていた。


「これ前にも使ってたよな?」

「うん」


禮歌が答える。


「でも」


目の前の禮を見る。

《無手・創乱》、《夢虚無幻》、《創約》、《模倣アポカリプス》、《創連破斬》。

複数の技を同時に成立させている。

それでも禮の動きにほとんど乱れがない。


「……まだ出さないんだ」


禮歌が小さく呟く。


訓練場。

久世も同じことを考えており、斬撃を捌きながら、禮を見る。


「ねえ神成!」


久世が《創連破斬》を捌きながら叫ぶ。


「驚くやつって、これじゃないよね!?」


禮は模倣アポカリプスを構えたまま、少し笑った。


「すまんが」

「?」

「あと少し待ってくれ」


久世の眉が上がる。


「まだ待つの?」

「ああ」


禮が黒い剣をゆっくり持ち上げた。


「あと一つ準備する」


その瞬間、久世の表情が変わった。

見覚えがある。

数日前。

最後、自分の《界定》を正面から突破した技。

禮の周囲。

《創》が模倣アポカリプスへ集まっていく。

同時に、剣に宿る破壊の性質が静かに強まる。

創る。

壊す。

相反する二つが一本の剣へ重なった。


「まさか――」


久世が《天衡》を強く握る。

禮が告げた。


「終焉創世(しゅうえんそうせい)」


空気が僅かに震えた。

まだ斬ってはいない。

だがその剣がそこに存在しているだけで、久世の《界定》が微かに揺らぐ。


「……それまで用意するんだ」


久世が笑った。


「今回は随分豪華だね」

「準備だからな」

「何の準備?」

「だから」


禮はまだ答えない。

その周囲では《夢虚無幻》が動き続け、《創約》がそれを維持し、《創連破斬》が久世の行動を削り続け、そして禮の手には《終焉創世》を成立させた。

模倣アポカリプス。


観察室。

慧が数え始める。


「……無手・創乱」

「夢虚無幻」

「創約」

「創連破斬」

「終焉創世……」


途中で、手を止めた。


「これでまだ準備なの?」


禮歌が小さく笑う。


「うん」

「うん、じゃないんだけど」


その横で、天倉は計測装置を見る。

複数の反応が同時に継続している。


「……昨日より増えているな」

「まだ増えるよ」


禮歌が答える。

天倉がゆっくり禮歌を見る。


「知っているのか?」

「さあ?」

「その返しは知っている人間の返しだ」


禮歌は何も答えなかった。


訓練場。

久世は《天衡》を構えながら、禮を見る。

《終焉創世》、あれを前回。

自分は最後まで止められなかった。

それを今回は最初から持ったまま、さらに別の何かを出そうとしている。


「…………」


久世の笑みが少しずつ深くなる。


「いいよ」

「ん?」

「待ってあげる」


久世が《天衡》を構え直した。


「そこまで準備した上で」


一拍。


「何を見せるつもりなのか」


完全に期待している目。

禮の周囲では準備が整っており、《無手・創乱》、《夢虚無幻》、《創約》、《創連破斬》。

そして、手元には《終焉創世》を纏(まと)った。

模倣アポカリプス。

準備は整っており、久世も《天衡》を構えたまま、次を待つ。


「…………」


その視線の先。

禮が右手を上げた。

そして、指を鳴らす。

直後、――すべてが消えた。


「……え?」


久世の表情が止まり、《夢虚無幻》が消える。

《創約》も《創連破斬》も《無手・創乱》すら解除。

そして、禮の手にあった。

模倣アポカリプス。

《終焉創世》ごと跡形もなく消滅した。


「…………」


何もない。

つい先ほどまで、いくつもの技が同時に成立していたはずの場所。

そこに残っているのは禮だけ。


観察室。

慧が目を瞬く。


「……消した?」


禮歌は小さく笑った。


「うん」

「なんで!?」


天倉も計測装置へ視線を落とす、反応。

ほぼゼロ。

先ほどまで表示を埋め尽くしていた。

複数の現象。

すべて禮自身の意思で、解除されている。


「何をする気だ……?」


訓練場。

久世もさすがに構えを崩さない。


「神成?」

「すまん」


禮が久世を見る。


「待たせた」


そして、右手を開く。


「――神器」


その言葉に、久世の目が変わり、慧も天倉も一斉に禮を見る。

禮の掌の上。

《創》が集まる。

だが現れたのは剣でも槍でも顕装らしい武器でもなかった。

一冊の本が静かに宙へ浮かび、表紙がゆっくりと開く。

禮が告げた。


「《ノア》」

「…………」


久世が数秒黙る。

神器。

それは分かる。

だが見たことがない。

当然だった。

前まで、存在していなかったのだから、久世が《天衡》を構えたまま聞く。


「……それが?」

「ああ」

「さっき言ってた、驚くもの?」

「そう」


久世は浮かぶ本を見る。


「何ができる神器?」


禮は少しだけ笑った。


「見れば分かる」

「またそれ!?」


久世が思わず声を上げる。


観察室。

慧も同時に頭を抱えた。


「絶対言うと思った!」


天倉だけは別のところで引っかかっていた。


「待て」


計測画面を見て、再び《ノア》へ視線を戻す。


「神成」

「何?」

「その神器は……」


一拍。


「いつから持っていた?」


昨日の榊原との戦闘では、神器を使っていない。

そう、神成禮自身が言っており、なら、少なくとも昨日の時点では使わなかっただけなのか。

それとも――。

久世もその意味に気づいたらしい。


「……まさか」


禮を見る。


「それ」


少しだけ笑みが引きつる。


「昨日のあとに用意したとか言わないよね?」


久世が聞く、禮は特に答える様子もなく。

《ノア》へ視線を向けた。


「ま、それはいいだろ」

「よくないんだけど?」

「能力」


禮が笑う。


「見せてやるよ」


開かれた《ノア》。

そのページがひとりでに動き、一つ、文字が浮かんだ。

《無手・創乱》。

直後、禮の身体が再び揺らぎ始める。

構造、密度、方向が絶えず変化する。


「……え?」


久世の表情が変わる。

だが終わらない。

次に、《夢虚無幻》。

禮の横で空間が静かに欠ける。

先ほど消したはずの虚無が再び現れ、そして《創約》。

成立した二つの技へ維持の性質が重なり、さらに、ページに四つ目。

《創連破斬》。


「――待って」


久世が何かに気づく。

禮の手を見る。

何もない。

模倣アポカリプスは先ほど消した。

剣どころか。

武器そのものを持っていない。

なのに禮の周囲に一筋の斬撃が走った。

そして、その斬撃から、次の斬撃。

さらに、その次。

《創連破斬》。


「…………」


久世が完全に黙った。


観察室。

慧もガラスへ近づく。


「いや待て待て待て」


禮を見る。

次に宙へ浮かぶ《ノア》。


「さっきの技……全部戻った?」

「うん」


禮歌は落ち着いて答えた。


「しかも禮」


慧が指を差す。


「ほとんど何もしてないぞ?」


そこだった普段なら、一つ一つ禮自身が《創》を使って成立させる技。

だが今は《ノア》のページに記された名前。

それを禮が指定しただけで、技が再現されている。

天倉は計測装置を見る。


「……同一反応」


眉を寄せる。

先ほど禮本人が使用した時の《無手・創乱》。

《夢虚無幻》、《創約》、《創連破斬》。

それぞれとほぼ同じ反応。


「模倣ではない……?」


久世も少しずつ理解し始める。


「神成」

「ん?」

「それ」


《ノア》を見る。


「技を保存してる?」


禮は答えない。

ただ、少し笑い、久世がそれだけで察する。


「……そういうことか」


さっき戦闘開始から、禮が使った技。

《無手・創乱》、《夢虚無幻》、《創約》、《創連破斬》。

一度、すべて消した。

そして、《ノア》を出した後。

同じ技をまとめて再現した。

つまり、久世が《天衡》を強く握る。


「さっきの準備って……」


技を攻撃のためだけに並べていたわけではない。

《ノア》へ保存するため。


「だから待ってって言ったんだ」


久世が呆れたように笑う。


「私相手に新しい神器の準備してたの?」


その時、《夢虚無幻》が禮の横で、一定の状態を保ったまま浮かんでいる。

《創連破斬》も消えない。

《無手・創乱》、《創約》。

四つすべてが、同時に成立している。

だが禮はその維持へ意識を割いているようには見えない。

久世の目が細くなる。


「…………」


保存だけではない。

まだ何かある。

そして久世は、もう一つ妙な点へ視線を向けた。

禮の手。

やはり、剣はない。

なのに《創連破斬》だけは問題なく存在している。


「神成」

「何?」

「剣は?」


久世が斬撃を見る。


「《創連破斬》って、剣で使ってた技だよね?」


観察室では天倉も同じところへ気づいていた。

一方、禮歌は《ノア》を見ながら、小さく笑っている。

ようやく、神器《ノア》の実戦試験が始まり、禮は宙に浮かぶ《ノア》へ一度だけ視線を向け、それから、久世を見る。


「どうする?」

「ん?」

「初めから全開の方が嬉しいか?」


久世の目が僅かに見開かれる。

禮は続けた。


「それとも」


少し笑う。


「少しずつギアを上げてやろうか?」

「…………」


久世は数秒黙った。

その横。


観察室。

慧が嫌な予感しかしない顔をする。


「それ聞く必要ある?」


禮歌が苦笑する。


「たぶんないね」


そして、案の定。

久世の口元がゆっくり上がった。


「全開」


即答。


「だと思った」


禮も即座に返す。


「待ってください」


天倉の声が操作卓から飛んだ。

久世が振り返る。


「何?」

「何、ではありません」


天倉はかなり真面目な顔だった。


「神成が言う『全開』の意味を理解していますか?」

「うん」

「本当に?」

「たぶん」

「たぶんで答えないでください」


慧が小さく頷く。


「天倉さんの方が正しい気がする……」


久世はそんな声を気にせず。

禮を見る。


「でも」


《天衡》を構え直す。


「せっかく新しい神器を持ってきたんでしょ?」

「ああ」

「なら」


久世の目から、笑いが少しだけ消える。

代わりに戦闘時の鋭さが戻った。


「中途半端なのはいらない」


《界定》が再び周囲へ広がる。


「見せてよ」


一拍。


「神成が作った、その《ノア》」


禮歌がガラス越し、禮を見る。

昨日、二人で決めた神器《ノア》。

通常の《記録》、《禁忌》、複数同時発動、自動維持。

そして、上限なし、負荷なし、まだ。

その全てを誰も見ていない。

久世が《天衡》の穂先を禮へ向ける。


「全開で来て」


訓練場に再び緊張が走った。

久世が《天衡》を構える。


「全開で来て」

「了解」


禮は宙に浮かぶ《ノア》へ右手を向けた。


「《禁忌開放》」


その瞬間、開かれていた《ノア》のページが一斉に止まり、通常の《記録》とは完全に切り離された領域。

《禁忌》。

閉ざされていた場所が禮の意思によって、初めて開く。

空気が変わった。

久世の表情から、僅かに笑みが消える。


「……今の何?」


禮は答えない。

《ノア》へ視線を向け、そこに三つの名前が同時に浮かび上がった。

《再竜聖歌》《再龍聖歌》《最竜聖歌》そして、禮が息を吸う。

次の瞬間、三つの詠唱(えいしょう)が重なった。


「《再竜聖歌》《再龍聖歌》《最竜聖歌》」


いや聞こえ方だけなら、違う。

同じ声。

同じ読み、三つの「さいりゅうせいか」が完全に同時に重なる。


「――っ!?」


久世の目が見開かれた。


観察室。

慧も一瞬。

理解できなかった。


「……今、何個言った?」

「三つ」


禮歌が答える。


「同時に」

「三つ!?」


天倉も計測装置を見る。

反応が一気に跳ね上がる。

三つ、それぞれ別の技。

それが同じ瞬間に成立している。

まず《再竜聖歌》。

これまで使用した技、久世との戦闘で得た情報。

《界定》への対策。

そのすべてを現在の状態へ再演する。

次に、《再龍聖歌》。

再演された技たちが互いを認識する。

一つの技が次の技の条件を作り、別の技がその隙を利用する。

禮が一つ一つ。

命令する必要はない。

そして、《最竜聖歌》。

成立している技、これから再演される技。

その全てが、今の禮にとって到達可能な最高の形へ更新される。


「…………」


久世が《天衡》を握る手へ僅かに力を込めた。


「あー……」


理解した。

昨日、一つずつでも十分おかしかった技。

それを三つ。

同時に、しかも《ノア》がすべてを維持している。

久世が乾いた笑いを漏らす。


「そういう全開?」

「まだ始めただけだぞ」

「それ今言う?」


観察室。

慧がゆっくり禮歌を見る。


「なあ」

「何?」

「昨日一緒に作ったってことは」


一拍。


「これ、こうなるって分かってた?」


禮歌は少しだけ考えて。


「理屈では」

「理屈では?」

「実際見ると、思ったよりひどいね」

「だよな!?」


一方、天倉は笑っていなかった。

計測値、複数技。

同時成立、継続。

そして、明らかに禮本人へ掛かっている処理負荷が以前より少ない。


「……神器が維持しているのか?」


そこで天倉が初めて、《ノア》のもう一つの役割へ気づき始める。


訓練場。

《夢虚無幻》が静かに動き、《創約》がそれを支える。

《創連破斬》が久世の進路を削る。

《無手・創乱》は禮自身を絶えず変化させ続け、そしてそのすべてが《最竜聖歌》によって、以前より、さらに完成された状態へ更新され。

《再龍聖歌》によって、互いに噛み合い始める。

久世が僅かに息を吐いた。


「なるほどね」


《天衡》を構え直す。

目は完全に戦闘時のもの。


「昨日までの神成と」


一拍。


「もう同じつもりで戦わない方がいいわけだ」


禮の横。

《ノア》のページが静かにめくられていく。

《禁忌》、三重詠唱。

成立、《禁忌》。

三重詠唱、成立。

《夢虚無幻》、《創約》、《創連破斬》、《無手・創乱》。

それらすべてが《ノア》によって維持され。

互いに噛み合いながら、久世へ向けて構築され続ける。

だが禮はまだ動いていなかった。


「さてと」


両手を軽く開く、《創》。

左右。

それぞれの掌へ物質が組み上がる。

柄、鍔。

刀身、現れたのは二振りの剣。

神器ではない。

《創》によって顕現させた。

二つの顕装。

ただし、能力を増幅するためのものでも特殊な性質を持たせたものでもない。

能力は通さない。

その代わり、ただ一つ。

徹底的に強度だけを引き上げている。

久世が二本の剣を見る。


「今度は二刀?」

「ああ」


禮が左右の剣を軽く振る。


「こいつらは普通だぞ」

「神成が言う普通は信用してない」

「能力すら通してないのに」

「その剣作ったの誰?」

「俺」

「ほら」


一瞬、禮が笑い、そして次の瞬間。

消えた。


「――!」


久世の目が一気に鋭くなり、能力による移動ではない。

空間交換でもない。

純粋な神成禮自身の身体能力、全力。

床が遅れて軋(きし)む、久世の正面。

一瞬で、禮が到達する。

右、一閃。

《天衡》が受ける。

金属同士が激しく噛み合う。

そのまま、左。

久世の脇腹へ《界定》。

軌道が外へ逸れる。

だが禮は止まらない。

逸らされた力をそのまま利用し、身体を回転。

右の剣が再び久世へ返る。


「っ……!」


久世が《天衡》を立てる。

受ける。

重い。

能力を乗せた斬撃ではない。

ただ、身体能力だけで、異常に重い。

久世が一歩下がる。

その瞬間、背後。

《夢虚無幻》。


「――!」


久世は振り向かない。

《界定》、後方。

進行方向を外へ虚無の軌道がずれる。

だが《創約》。

即座に、状態が再構築される。

さらに、横。

《創連破斬》。

一つの斬撃から、次。

その次。

久世の逃げ道へ次々と斬撃が生まれ、そして正面。

禮、二刀。

久世の目が僅かに見開かれる。


「これ――」


《天衡》を振るう。

正面の禮。

右から《創連破斬》。

背後から《夢虚無幻》。

同時に、別方向。

しかもどれか一つへ対処すれば。

《再龍聖歌》によって、別の技がその行動を利用する。

久世が大きく後ろへ跳ぶ、《界定》。

距離を拡張。

禮から、一気に離れる。

だが禮は迷わず追う。


「速っ――」


今までと明らかに違う。

能力の維持へ意識を割いていない。

《夢虚無幻》も《創約》も《創連破斬》も、すべて《ノア》が維持している。

だから、禮本人はただ、戦えばいい。

見る。

考える。

読む、動く。

斬る。

ただそれだけに全てを使える。


観察室。

天倉がようやく。

そこへ気づいた。


「……違う」


慧が横を見る。


「何がです?」


天倉は計測画面と禮を交互に見る。


「神成が楽になっている」

「楽?」

「あれだけの技を同時に使っているのに」


一拍。


「本人が、技の維持にほとんど意識を使っていない」


慧が《ノア》を見る。


「……あの本が?」

「おそらくな」


禮歌は黙ったまま、僅かに笑う。

そこが昨日。

二人で決めた。

《ノア》の役割、技を選ぶのは禮。

発動するのも禮。

だが成立した後。

維持するのは《ノア》。

そして、上限も負荷もない。


訓練場。

久世の《天衡》と禮の二刀が高速で打ち合う。

一撃、二撃。

三撃。

その間にも別の技は止まらない。

むしろ、禮が久世へ近接で圧力をかけるほど。

《再龍聖歌》による。

技同士の連携はさらに複雑になっていく。

久世が禮の右剣を《天衡》で受けながら、笑った。


「なるほど……!」


左剣が来る。

《界定》、横へ逸らす。

だがその瞬間、禮の蹴りが久世の腹部へ迫る。


「神器に戦わせるんじゃなくて――」


久世が身体を捻る。

ぎりぎり蹴りを外す。


「神成自身が、もっと自由に戦うための神器なんだ!」


禮は返事をしなかった。

する必要もない。

左右の剣を再び構え、周囲では無数の技がすでに次の形を作り始めており、周囲では無数の技がすでに次の形を作り始めていた。

久世が《天衡》を構え直す。

だが禮はもう追わなかった。

二本の剣を下ろす。


「もう終わりだよ」

「……え?」


久世の動きが僅かに止まり、その瞬間であり、《夢虚無幻》、《創連破斬》。

そして、これまで、久世の《界定》によって、逸らされ。

避けられ。

位置を変え続けていた。

すべての攻撃。

その軌道が一斉に変わった。


「――!」


久世が初めて周囲を見る。

前、後ろ。

右、左。

上、そして、逃げようとした先。

そこにもすでに攻撃がある。

偶然ではない。

《再龍聖歌》、今までの攻防。

久世がどの方向へ避けるのか。

どこへ《界定》を置くのか。

何を優先して防ぐのか。

そのすべてを利用していた。

一つを避ければ。

別の一つが当たる。

二つを止めれば。

その対処によって、三つ目の軌道が完成する。

《界定》で、距離を広げる。

――その先に《夢虚無幻》。

方向を固定する。

――その方向から《創連破斬》。

攻撃そのものを逸らす。

――逸らした先から、さらに次の斬撃が生まれる。

久世の目が大きく見開かれる。


「……これ」


そこで、ようやく分かり、さっきまで、禮が自分と正面から打ち合っていたことも追い続けていたことも技を好き勝手に動かしていたわけではない。

すべてここへ繋げるため、久世が逃げる場所。

防ぐ場所、《界定》を使う場所。

その選択肢を少しずつ。

削っていた。

そして今。

残ったすべての道へ同時に攻撃を置いた。


「……最初から?」


久世が小さく呟く。

禮は答えない。

必要もなかった。

《ノア》のページが静かに開いたまま、浮かんでいる。

久世が《天衡》を強く握り、《界定》、複数。

同時展開、攻撃の軌道を無理やりずらす。

だが足りない。

さらに、位置を変える。

そこにもある。


「っ……!」


一歩。

後ろへ《夢虚無幻》。

横、《創連破斬》。

上、別方向から、さらに連鎖した斬撃。

久世が初めて、完全に動きを止めた。

避けられない。

いや正確には、一つ一つなら、避けられる。

止められる。

逸らせる。

だが全部を同時にはできない。


「…………」


久世が小さく息を吐く。

そして、笑った。


「やられた」


直後、すべての攻撃が久世へ届く。

――寸前。

止まった。

前、《夢虚無幻》。

右、連なる斬撃。

左、もう一つの斬撃。

背後、逃げ道を塞ぐ攻撃。

その中心、久世紫苑。

完全に、囲まれていた。

禮が二本の剣を消す。


「終わり」


数秒、静寂。

そして、天倉が操作卓へ手を置いた。

――模擬戦闘終了。

終了音が訓練場へ響く。

久世は《天衡》を下ろした。

それから、自分を囲んでいた攻撃を見る。


「…………」


少しして、禮を見る。


「これ」


一拍。


「途中からじゃないよね?」


その目には悔しさよりも強い興味があった。

今の最後、偶然。

綺麗に囲まれたわけではない。

戦闘中。

ずっと自分の行動そのものを使われており、そしてそれを可能にした。

新しい神器、《ノア》。

久世は宙に浮かぶ本へゆっくり視線を向けた。

模擬戦闘終了後。


訓練場。

《ノア》も消え、久世の《天衡》も姿を消していた。


「いやぁ……」


久世がまだ少し楽しそうに笑っている。


「前よりひどくなってない?」

「褒めてる?」

「褒めてる」

「ならいいけど」


慧も観察室から降りてきていた。


「よくないだろ……」

「何が?」

「昨日神器作って今日もう久世さん倒してるところ」

「使えるなら使うだろ」

「普通、神器って昨日今日で作るものじゃないんだよ!」

「俺に言われても」


その横で、天倉は《ノア》について記録する内容をすでに頭の中で整理しているようだった。


「神成」

「ん?」

「後でその神器について説明してもらう」

「えー」

「えー、ではない」

「見れば大体分かっただろ」

「分からない部分が多すぎる」

「面倒だな」

「お前のせいだ」


久世が笑う。

いつもの、少し騒がしい空気。

だったその時。


「へぇ」


知らない声が後ろから聞こえた。

禮の身体が止まった。


「…………」


本当に一瞬であり、誰も最初は気づかなかった。

訓練区画へ続く通路。

そこから、一人の女が歩いてくる。

局員。

年齢は二十代後半ほどに見える。

制服は着崩してはいない。

だが歩き方、視線。

口元に浮かぶ薄い笑み、どこか。

人を見下しているような。

妙に感じの悪い女であり、久世がそちらを見る。


「……?」


天倉も僅かに眉を寄せる。

だが禮だけは違った。


「…………」


音が遠くなり、久世の声も慧の声も何も聞こえなくなる。

女を見る。

それだけで、胸の奥から、何かが一気に噴き上がった。

怒り、そんな言葉では足りない。

殺意、憎悪。

何年経っても消えなかったもの禮の拳が僅かに震える。

禮歌が真っ先に気づいた。


「……禮?」


返事はない。

女も禮を見つけた。

そして、少し、口元を上げる。


「……久しぶりね、神成禮」


その瞬間、禮が消えた。


「――!?」


久世ですら。

反応が遅れた。

能力ではない。

《創》も使っていない。

純粋な身体能力。

床が大きく砕ける。

今まで、久世と戦った時。

榊原と戦った時、そのどちらとも違う。

速さ。

そして、何より、力。

禮の右拳が女の顔面へ一直線に振り抜かれる。

止める気など。

一切ない。


「神成!」


天倉が叫ぶ。

間に合わない。

久世が《界定》を発動しようとする。

それより、先。

禮の拳が女へ届く。

――その寸前。

止まった。


「…………!」


禮の腕を一つの手が掴んでいた。

神成禮歌。


「禮」

「離せ」


低い声。

今まで、誰も聞いたことがないほど。

冷たい。

禮がさらに前へ力を込める。

床が軋む、禮歌の足元。

亀裂が走った。


「…………」


久世の表情が変わる。

止めている。

今の禮を真正面から、能力による拘束でも《界定》でもない。

腕一本。

純粋な力で、禮歌が止めている。


「禮」


もう一度、禮歌が呼ぶ。


「今は駄目」

「…………」

「分かってるでしょ」


禮の拳は女の顔まで、あと僅か。

それでも進まない。

いや進めない。

禮は明らかに力を入れている。

模擬戦で見せたものより、遥かに強く。

それでも禮歌の手は離れない。

榊原との戦闘を見ていた慧が完全に言葉を失っていた。


「…………」


今日、久世と戦った時。

禮が見せた身体能力。

それより、明らかに上。

その力を禮歌は片手で、止めている。

久世も何も言わない。

ただ、禮歌を見る目だけが鋭くなっており、昨日、禮から聞き、身体能力なら、自分の方が多少上。

そう言っていたはずだ。

なのに今、禮歌は怒りで、明らかに普段以上の力を出している禮を真正面から、押さえ込んでいる。

女はそのすぐ先で、僅かに目を細め、驚いたようには見えない。

むしろ、その状況すら。

観察しているような目。

それがさらに禮の怒りを煽る。


「……離せ、禮歌」

「離さない」

「…………」

「ここでやったら」


禮歌は禮だけを見る。


「禮が困る」


その言葉に、ほんの僅か。

禮の力が止まり、禮歌はまだ手を離さない。

訓練場に先ほどの模擬戦とはまるで違う緊張が広がっており、天倉は禮を見る。

そして、女を見る。

数日前。

禮が言った言葉を思い出していた。

――少なくとも――あの人とは違う。


「…………」


ようやく、その「あの人」が目の前に現れ、禮の腕を禮歌が掴んだまま、誰も動かなかった。


「…………」


禮は目の前の女から、一度も視線を外さない。

そして、低い声で言った。


「悪いが」


一拍。


「とっとと消えてくれるか」


女の口元から、僅かに笑みが消える。

禮歌の手に少しだけ力が入った。

次の言葉をもう分かっているように。


「ここにあと十秒いたら」


禮の目が完全に冷える。


「お前を殺す」

「――――」


空気が凍った。

慧は何も言えなかった。

冗談、威嚇。

勢いで出た言葉。

そのどれでもない。

分かってしまう。

本当に十秒後、あの女がここにいたら。

禮は殺しに行く。

久世からもさっきまでの笑みが消えていた。


「神成……」


返事はない。

天倉もすぐには言葉を挟まなかった。

下手に刺激する方が危険だとそう判断した。

禮歌だけが禮のすぐ横にいる。


「禮」


小さく呼ぶ。


「分かってる」


禮は答えた。

だが視線は女から動かない。


「だから十秒やってる」

「…………」


禮歌が僅かに眉を寄せた。

それは落ち着いたという意味ではない。

むしろ逆。

禮は殺さないために十秒だけ待っている。

女が一歩でも余計なことをすれば、その猶予すら。

なくなる。


「十」


禮が静かに数え始めた。


「九」


久世の目が女へ向く。

天倉も同じであり、今は、誰も禮に近づかない。

止められるかどうか。

そんな問題ではない。

ここで、さらに刺激する理由がない。


「八」


禮歌だけがまだ腕を離さない。

女を見ることもなく。

ただ、禮を見ている。


「七」


禮の声だけが訓練場に響く、女局員はしばらく。

禮を見ており、その目には恐怖より先に妙な興味が浮かんでいる。


「……相変わらずね」


その一言で、禮歌の表情が変わった。


「喋らない方がいいよ」


静かな声。

だが女は禮歌を一度だけ見る。


「あなたも随分――」

「六」


禮。

声がさらに低くなる。

女が黙った。

今度は、さすがに理解したらしい。

これは会話ではない。

忠告ですらない。

猶予。

それだけ。


「五」


久世が女へ視線を向ける。


「帰った方がいいよ」


珍しく、軽さのない声。

天倉も何も否定しない。

女は僅かに肩をすくめた。


「……分かったわ」


踵を返す。

だが数歩進んだところで、一度だけ止まった。

振り返らないまま。


「また会いましょう、神成禮」

「四」


返事は数字だけ、女は今度こそ。

歩き去った。

通路の奥。

姿が見えなくなる。


「…………」


誰もすぐには喋らなかった。

禮歌は禮の腕を掴んだまま、様子を見る。


「禮」

「もういい」

「……本当に?」

「ああ」


禮歌が数秒。

禮を見る。

それから、ゆっくり、手を離した。

久世も天倉も慧も何を言えばいいのか。

分からない。

その時、禮が何も言わず。

歩き始めた。

向かった先、訓練施設の壁。


「……禮?」


慧が呼ぶ。

返事はない。

禮は壁の前で止まり、そして静かに詠唱を始めた。


「己の魂の穢れすら理解せぬ愚かな魂よ」


空気が止まる。

久世の表情が変わり、今まで、聞いたことのない詠唱。


「全てを捨て見下し笑い救いようのない魂よ」


禮の周囲。

何も見えない。

《創》の光も顕装も神器もない。

なのに何かが集まっている。

天倉が計測装置を見る。


「……何だ、これは」


数値が正常な形で、取れていない。

禮は続ける。


「俺が今すべてを捨て」


一拍。


「貴様を打ち滅ぼしてやろう」


禮歌だけが黙って禮を見ている。

そして、禮が最後の言葉を告げた。


「怨消(おんしょう)」


次の瞬間、施設の壁が砕けた。

破片が外へ吹き飛ぶ、その先。

空、青空そのものに一本。

巨大な亀裂が走る。


「――――」


慧が言葉を失う。

久世も初めて、完全に笑みを消した。

空が割れている。

比喩ではない。

雲が裂け。

空間そのものが巨大な傷のように一直線へ開いている。

その中心。

禮だけが静かに立っており、拳も振っていない。

剣も持っていない。

ただ、詠唱し、技名を告げただけ。

それだけで、施設の壁とその先の空がまとめて割れた。


「……あれ」


慧がやっと声を出す。


「誰に撃つつもりだったんだよ……」


誰も答えなかった。

答えなくても分かっており、さっきここにいた。

あの女。

禮は本当に殺すつもりであり、そして今の一撃を見れば。

あの十秒が脅しではなかったことだけは誰にでも十分すぎるほど分かった。

割れた空。

崩れ落ちた。

訓練施設の壁。

その前で、禮はしばらく黙っており、やがて、小さく息を吐く。

そして、天倉と久世を見る。


「……すまんな、天倉さん。久世さん」


天倉が無言で、崩壊した壁を見る。

久世も同じように見る。


「明日の訓練の時に直すから」


禮はあっさりと言った。


「今日はこのままで許してくれ」

「…………」


天倉がゆっくり禮を見る。


「神成」

「ん?」

「施設の壁を破壊した人間が」


一拍。


「明日直すから、で帰ろうとしているのか?」

「ああ」

「そうか……」


天倉が額を押さえた。

明らかに、そうか、では済ませていない。

久世は壁ではなく。

その向こうを見る。

空には今もなお。

《怨消》によって生じた。

巨大な亀裂。


「……ちなみに神成」

「何?」


久世が指を差す。


「あれは?」


禮も見る。


「ああ」


割れた空。


「空は勝手に治るから気にしないでくれ」

「気にするよ!?」


久世の声が珍しく大きくなる。

慧もようやく少しだけ。

いつもの調子を取り戻した。


「いや、それ普通は一番気にするところだからな!?」

「治るならいいだろ」

「そういう問題か!?」


禮はもう話を終えたように二人へ背を向ける。


「禮歌」

「うん」

「慧」

「……俺も?」

「ああ」


そして、禮が片手を上げた。


「帰る」


慧が嫌な予感を覚える。


「ちょっと待て、帰るって――」

「《創》」


禮の周囲。

空間そのものへの認識が書き換わる。


「《空間認識変更》」


今いる場所、自宅。

二つの空間、その位置関係。

距離。

存在している場所という認識そのものを入れ替える。

一瞬、景色が変わった。

訓練施設。

ではない。


神成家。

いつもの室内には、禮と禮歌の二人だけが立っている。


「…………」


禮歌が辺りを見る。


「慧は?」

「自宅」

「そっか」


一方、その頃。

相良(さがら)家、慧は突然。

自分の部屋の中央へ現れていた。


「…………」


数秒、沈黙。

自分の机、ベッド。

見慣れた部屋。

そして、さっきまで、局の訓練施設にいたはずの自分。


「…………いや」


慧が誰もいない部屋で呟く。


「せめて一言くらい言わせろよ!!」


神成家。

そんな慧の叫びなど。

当然、聞こえるはずもなく。

禮は何事もなかったかのように自宅へ帰還しており、その隣、禮歌だけが少しの間。

禮の横顔を見ており、さっきまでのあの怒り、あの女。

そして、《怨消》。

聞きたいことはいくつもある。

けれど、禮歌はまだ。

何も言わなかった。


神成家。

静かな室内、禮は少しの間。

何も言わなかった。

それから、隣にいる禮歌を見る。


「……すまんな、レイカ」

「ん?」

「巻き込むつもりはなかった」


禮歌は少しだけ目を細める。


「巻き込まれたとは思ってないけど」


禮は小さく息を吐き、さっきまで、身体の奥を埋め尽くしていた怒り、それがほんの少しだけ。

薄れている。


「それにしても」


禮が禮歌を見る。


「よく止めれたな」

「……まあね」

「結構本気だったぞ」

「知ってる」


即答、禮が少しだけ笑う。


「だよな」


禮歌も僅かに笑い、ただ、その目は禮から逸れない。

あの時、禮の拳を止めた感触。

今までより、明らかに強かった。

怒りで、ほとんど加減が消えており、それでも止めた。


「むしろ」


禮歌が静かに言う。


「止められてよかった」

「……ああ」

「本当に殺してたでしょ」

「たぶんな」

「たぶん?」

「いや」


少し間を置く。


「殺してた」


禮歌がため息をついた。


「やっぱり」

「だから止めてくれて助かった」


その言葉に、禮歌がほんの少しだけ。

表情を柔らかくする。

禮もさっきよりは落ち着いており、怒りが消えたわけじゃない。

あの女を思い出せば。

今でも胸の奥が熱くなり、それでも少なくとも今は禮歌と普通に話せる程度には冷静さを取り戻しており、禮歌はそんな禮を見て、少し迷ってから、口を開いた。


「……ねえ、禮」

「ん?」

「聞いてもいい?」


声はいつもより少しだけ。

慎重だった。


「なに?」


禮歌は少しだけ表情を真面目にした。


「あの女の人」


一拍。


「禮が前に言ってた……嫌いな局員って、あの人?」

「あぁ、そうだ」


禮は短く答える。


「あいつだ」


禮歌の表情が僅かに沈んだ。


「……やっぱり」


禮歌はあの時のことを知っている。

禮が何を失ったのかも、なぜあの女だけをあれほど憎んでいるのかも。


「まだ局にいたんだね」

「まぁ、いるだろうな」


禮は少しだけ目を伏せる。


「いつかは会うと覚悟はしていた」


その言葉とともに意識が遠い過去へ沈んでいく。

――数年前。

夕暮れ。

人通りの少ない。

古い路地。

禮は姉の少し後ろを歩いており、何か特別なことをしていたわけではない。

ただ、二人で、家へ帰っていただけ。


「禮、今日何食べたい?」

「なんでもいい」

「一番困るやつ」


姉が呆れたように笑い、禮も少しだけ笑い、そんなどこにでもある。

普通の時間。

だったその時、前方。

数人の局員が路地へ入ってきた。

その中に一人。

女がいた。

今日、禮が再び出会った。

あの女。

当時から、あの薄い笑い方はほとんど変わっていなかった。

女は姉を見る。

ほんの一瞬、それだけだった。

足を止める。

視線を細める。

そして、何の確認もなく。

通信端末へ手を当てた。


「対象を発見」


禮の姉が立ち止まる。


「……え?」


女は、まるで落とし物を見つけたとでも報告するように、淡々と続けた。


「犯罪者を確認しました」

「ちょっと待ってください」


姉が戸惑ったように一歩下がる。


「何の話ですか?」


だが女は姉の言葉を聞いていない。

いや聞く必要すらないと最初から決めているようだった。


「対象、確保の必要なし」


禮が姉を見る。

嫌な感覚、胸の奥がざわつく。


「姉ちゃん……?」


姉もようやく。

危険を感じた。

禮を庇うように一歩。

前へ出る。


「待って」


女局員を見る。


「私、何も――」


最後まで、言えなかった。

女が手を向け、それだけだった。


「処理します」


次の瞬間、何かが姉の身体を貫いた。


「――――」


禮には何が起こったのか。

理解できなかった。

姉の身体が僅かに揺れる。

力が抜ける。

そのまま、地面へ崩れ落ちた。


「……姉ちゃん?」


返事がない。


「姉ちゃん」


禮が駆け寄る。

肩を抱く、温かい。

まだ温かい。

なのに動かない。


「おい」


揺らす。


「姉ちゃん」


もう一度。


「……なぁ」


何も返ってこない。

女局員はそんな禮を見ても表情一つ変えなかった。

通信へ結果だけを伝える。


「対象の処理完了」


処理。

その言葉が禮の耳に残った。

人間を一人殺して――処理。


「…………」


禮がゆっくり、顔を上げる。


「なんで」


女を見る。


「なんで殺した」


女は禮を見る。

初めてそこにいたことに気づいたような目。


「あら」


それだけ。


「答えろよ」


禮の声が震える。


「姉ちゃんが何したんだよ」


女は少し考えるような素振りを見せる。

だが出てきた言葉は禮が欲しかったものではなかった。


「犯罪者だったから」

「何の」

「ん?」

「何の犯罪者だったんだよ!」


禮の声が路地に響く。

他の局員たちが僅かに顔を見合わせる。

だが女は面倒そうに禮を見るだけ。


「あなたに説明する必要ある?」

「…………」


その一言。

それだけで、禮の中。

何かが壊れた。

姉を見る。

動かない。

もう笑わない。

さっきまで、夕飯の話をしており、ただ、それだけだったのに目の前の女は姉を見て、犯罪者だと言った。

そして、確認も拘束も説明も何もせず。

殺した。

それなのにまるで、何でもないことのように立っている。

その日。

神成禮は初めて、心の底から誰かを憎んだ。

その日から、禮は変わり、いや正確には、変わらざるを得なかった。

姉を殺した女、あいつを必ず見つけ出す。

次に会った時、今度こそ。

何も奪わせない。

そのために禮は強さへ異常なほど貪欲になり、寝る時間を削った。

身体を鍛えた。

《創》を使い続けた。

失敗すれば。

何度でもやり直した。

扱えなかった現象も理解できなかった構造も一つずつ。

自分のものにしていった。

もっと速く、もっと強く。

もっと自由にどんな能力者が相手でもどんな状況でも負けないように死に物狂いで、強さだけを追った。

そして、いつしか。

禮は強い相手と戦うこと自体を好むようになっており、ただ、戦いたいからではない。

強者と戦えば。

自分の足りないものが見える。

知らない戦い方を知れる。

新しい対処を考えられる。

さらに、強くなれる。

だから、禮は強者を求める。

久世との戦いを楽しんだのも榊原の《縮界》へ興味を持ったのもその根にあるものは昔から、変わっていなかった。

強くなる。

誰にも二度と奪わせないためにそして、いつか。

あの女へ辿り着くために。


「……禮」


禮歌の声で、意識が現在へ戻る。

見慣れた。

自宅の室内。

目の前には禮歌がいる。


「また思い出してた?」


少しだけ心配そうな顔。


「さっきから、ずっと黙ってたから」

「ごめん」


禮は少しだけ息を吐いた。


「ちょっと考えてた」


禮歌が何も言わず。

禮を見る。


「明日も学校だし」


禮は肩の力を抜く。


「そろそろ寝るか」


一拍。


「俺も切り替えないとな」


少しだけ苦笑する。


「明日、局の施設も直さないとだし」


禮歌がそこでようやく。

小さく笑った。


「……壁、結構派手に壊したもんね」

「空は勝手に治る」

「壁は勝手に治らないでしょ」

「だから明日直す」

「はいはい」


禮歌は少し安心したように表情を緩める。

それから、禮の顔を見て。


「じゃあ今日は、もう休もっか」


そういって長かった一日が終わった。

禮は今も昔も変わっていない。

ただ強くなり、守る。

その意志だけは、本当に何一つ変わっていなかった。


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