↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
戦うのは好きだけど面倒事は嫌いなので、最強なのは秘密です。  作者: 檸堂礼音
第二章

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
6/15

第一話 訓練1

第二章 ーーー 第一話


数日後。

朝凪高等学校《あさなぎこうとうがっこう》。

放課後を告げるチャイムが鳴った。


「終わった……」


神成禮(しんじょうらい)は机へ突っ伏したまま、小さく息を吐く。

一日の授業が終わった。

普通なら、このまま帰宅し、適当に飯を食べ、適当に過ごす。

それで終わりだった。

だが今日は違う。


「禮」


隣から声。

禮歌(れいか)が鞄を持ちながら、禮を見る。


「そろそろ行かないと」

「分かってる」


そう答えながらも禮は動かない。


「全然行くように見えないけど」

「あと三分」

「なんで三分?」

「気分」

「置いてくよ?」


禮が起き上がった。


「行く」

「早いね」


前の席では慧(けい)が呆れた顔で二人を見ていた。


「お前……局の訓練楽しみにしてたんじゃなかったの?」

「楽しみだよ」

「だったらもうちょっとこう……」


慧が身振りで何かを表現しようとする。


「ワクワクするとか」

「してる」

「見えねぇよ!」

「俺にどうしろってんだ」

「せめて起きろ!」


禮は欠伸をする。

一応、数日前の話は正式に通った。

特異事象対策局《とくいじしょうたいさくきょく》の外部協力者――神成禮。

局から強制的な命令を受ける立場ではなく、訓練への参加や能力検証、その他の協力も、本人が了承した場合のみ行う。

かなり特殊な扱いらしい。

禮本人にとってはそこまで重要ではなかった。

問題は。


「本当に俺も行っていいんだよな?」


慧が確認する。


「ああ」

「天倉(あまくら)さんから許可出たって」


禮歌が答える。


「ただし見学だけ」

「十分だよ!」


慧は少し嬉しそうであり、数日前、局の訓練を見たいと言っていた慧のことを禮歌が覚えており、天倉へ確認したところ、条件付きで許可が出た。

条件は三つ。

機密区画には入らない。

許可されていない情報には触れない。

訓練中は観察室から出ない。


「……なんか緊張してきた」

「なんでお前が」

「特異事象対策局だぞ!?」

「前にも行ったじゃん」

「お前と久世(くせ)さんの訓練を見に行っただけだろ!」

「同じだろ」

「全然違う!」


そんな会話をしながら、三人は教室を出た。


校門前。

見慣れた黒い車が停まっていた。


「来たか」


その横には、腕を組んで立っている男――天倉壮(そう)。


「送迎までしてくれるの?」


禮が聞く。


「初回だけだ」

「毎回じゃないのか」

「自分で来い」

「面倒」

「帰れ」

「今から!?」


慧が思わず声を上げた。

天倉は小さく息を吐く。


「冗談だ」

「天倉さん冗談言うんだ」


禮歌が少し驚く。


「……俺を何だと思っている」

「規則」


禮が答える。


「人間ですらないのか」


三人が車へ乗り、そのまま車が走り出す。


「で」


禮が窓の外を眺めながら聞く。


「今日は何するの?」

「訓練だ」

「それは知ってる」

「なら聞くな」

「内容」


天倉が前を向いたまま答える。


「戦闘訓練」


禮の視線が僅(わず)かに天倉へ向く。

後ろで慧が小さく声を漏らした。


「あ」


禮歌も気づく。

ほんの僅かに禮の目が起きた。


「相手は?」

「着けば分かる」

「久世?」

「違う」

「…………」


露骨に少しだけテンションが下がる。


「お前」


天倉の眉間(みけん)に皺が寄る。


「久世さん以外にも強い人間はいると言われただろう」

「分かってるよ」

「ならその顔をやめろ」

「どんな顔?」

「がっかりした顔だ」

「してない」

「してるよ」


後部座席から禮歌。


「してるな」


慧まで続く。


「二対一」

「三対一だ」


天倉も加わった。


「運転に集中しろ」

「している」


少しだけ車内に笑いが起きる。

そのあと禮が聞いた。


「どのくらい強い?」

「それも自分で確かめろ」

「秘密多くない?」

「別に秘密ではない」


天倉は少し考える。


「俺から事前に説明すると、先入観を持つだろう」

「別に」

「それに」


一拍。


「本人が自分で説明したがる」

「変な奴?」

「…………」


天倉が黙った。


「否定しないんだ」


禮歌が笑う。


「局って変な人多いのか?」


慧が聞く。


「一部だ」

「久世とか?」

「筆頭だ」


即答だった。


しばらくして。

車は特異事象対策局の施設へ到着した。

前回、禮が能力測定を受けた施設とは別。

より広い。

敷地内にはいくつもの大型建造物が並んでいる。


「ここどこ?」


禮が車を降りながら尋ねる。


「中央戦闘訓練施設《ちゅうおうせんとうくんれんしせつ》」


天倉が答える。


「局員の実戦訓練を行う場所だ」

「へぇ」


慧は周囲を見回している。

明らかに落ち着かない。


「すげぇ……」


周囲には局員や訓練用の顕装(けんそう)を持った人間、能力を使っている者がいる。

遠くからは、何かが爆発する音まで聞こえる。


「本当にこういうところあるんだな……」

「何だと思ってたの?」


禮歌が聞く。


「いや、もっとこう……」


慧が考える。


「秘密基地みたいな」

「十分秘密基地っぽくない?」

「確かに」


禮はそんな二人を置いて、先へ歩く天倉を追う。


施設内。

いくつかの認証を通り、――第三戦闘訓練区画。


「ここだ」


天倉が端末をかざす、認証。

扉が開いた。

禮が中を見る。


「……広」


思わず。

声が漏れた。

先日、久世と戦った第七訓練区画も広かった。

だがここはまた違う、円形に近い訓練場。

床も壁も能力戦を想定した強化素材、周囲には観察用の区画。

そして、いくつもの計測装置。


「慧と禮歌は上だ」


天倉が観察室を指す。


「俺も?」


慧が自分を指す。


「当然だ」

「ですよね」


禮歌が禮を見る。


「じゃあ上で見てるね」

「ああ」


二人が別の通路へ向かう。

禮は訓練場へ入り、天倉も続く。

その中央には、すでに一人の男が立っていた。

年齢は二十代半ばほど。

身長は禮より少し高く、短い黒髪に局の戦闘服、その上から袖のない黒い上着を羽織っている。

体格はかなりいい。

だが極端に筋肉質というほどでもない。

何より禮が気になったのはその男が自分を見るなり、ものすごく露骨に嫌そうな顔をしたことだった。


「…………」


禮も見る。

数秒。


「誰?」


男の眉が動いた。


「それが最初の一言かよ」

「あんたも俺見た瞬間嫌そうな顔しただろ」

「した」

「じゃあお互い様じゃん」

「そうだな」


妙にあっさり認めた。

天倉が二人の間へ入る。


「紹介する」


男を示す。


「特異事象対策局、実働第三班」


一拍。


「榊原迅(さかきばらじん)」


榊原迅が軽く片手を上げる。


「二十五」


それだけ禮が待つ。


「…………」


榊原も待つ。


「終わり?」

「終わり」

「能力は?」

「戦えば分かる」

「こいつもそれかよ」


天倉が額を押さえた。


観察室。

ガラス越し、慧が禮歌を見る。


「なんかもう相性悪そうじゃない?」

「まだ三十秒くらいしか話してないけどね」

「その三十秒で分かる」


禮歌も少しだけ苦笑した。


訓練場。

榊原が肩を回す。


「で」


禮を見る。


「お前が久世さんに勝った高校生?」

「ああ」

「ふーん」


じろじろ遠慮なく見る。


「思ったより普通だな」

「それ久世にも言われた」

「マジ?」

「うん」

「じゃあ普通なんだな」

「何だよその納得」


榊原が少し笑い、先ほどまでの嫌そうな顔がほんの少しだけ崩れた。


「いや」

「俺さ」


首を鳴らす。


「今日休みだったんだよ」

「…………」

「なのに朝から電話来て」


天倉を見る。


「『訓練相手を頼む』って」

「悪かったな」

「しかも相手」


禮を指差す。


「高校生」

「それで嫌そうな顔してたのか」

「そう」


禮は納得した。


「じゃあ帰れば?」

「それがな」


榊原の口元が少しだけ上がる。


「最上(さいじょう)に勝った奴って聞いたら」


一拍。


「ちょっと帰れなくなった」

「…………」


禮の目がほんの少し変わる。


「戦闘好き?」

「お前に言われたくねぇらしいぞ」


天倉が横から言った。


「まだ何も言ってない」

「顔に出ている」


先日の一件から、天倉の理解度が妙に上がっている。

そこへ、訓練場の別の扉が開いた。


「間に合った?」


聞き覚えのある声。

天倉の表情が一瞬で曇った。


「……なぜいるんですか」

「見学」


久世紫苑(しおん)。

片手に飲み物を持ち、完全に観客の格好だった。


「仕事は?」

「終わらせた」

「本当に?」

「失礼だなぁ」


久世はそのまま観察室へ向かう階段を上がる。

途中。

禮へ手を振った。


「頑張ってねー」

「戦わないの?」

「今日は迅の番」


榊原が久世を見る。


「番って何すか」

「順番」

「次ある前提?」

「あるよ?」

「……まあいいけど」


そう言いながら、榊原も特に嫌そうではなかった。

久世が観察室へ入る。

そこには禮歌と慧、そして何人かの局員がいた。


「こんにちは」


久世が手を振る。


「こんにちは」


禮歌は普通に返す。

慧は少し緊張していた。


「こ、こんにちは」


久世は禮歌の隣へ座る。


「楽しみだね」

「久世さん、この人強いんですか?」


慧が聞く。


「迅?」

「はい」


久世は少し考える。


「強いよ」

「どのくらい?」

「んー」


ガラスの向こう。

榊原を見る。


「私とはかなり相性悪いけど」

「久世さんと?」

「うん」

「勝てるんですか?」

「私が?」

「はい」

「勝つよ」


即答。

慧が少し安心する。

だが久世は続けた。


「でも」

「神成相手なら」


少しだけ笑う。


「結構面白いと思う」


禮歌が久世を見る。

その意味を少しだけ考えた。


訓練場。

天倉が説明する。


「形式は模擬戦」

「この前と同じ?」

「基本はな」


神器(じんぎ)、顕装、能力、すべて使用可能。

ただし、故意の殺傷は禁止。

相手が戦闘不能になった時点、降参した時点。

あるいは、訓練管理側が続行不能と判断した場合。

終了。


「質問は?」

「ない」


榊原も短く答える。


「同じく」


天倉が二人を見る。


「では準備しろ」


そう言って、訓練場から離れる。

榊原と禮の距離は約十五メートル。

榊原が腕を軽く振る。


「一個だけ先に言っとく」

「何?」

「俺の能力」


右手を握る。


「見た目ほど単純じゃないから」

「見た目まだ何も見てないけど」

「それもそうか」

「…………」

「…………」


二人とも少しだけ笑った。


観察室。

慧が呟く。


「なんか似てない?」

「ちょっとね」


禮歌も否定しなかった。

久世は楽しそうに二人を見る。

天倉が訓練場外周の操作卓へ立つ、表示。

――模擬戦闘。

――安全装置正常。

――計測開始。


「双方」


声が訓練場へ響く。

禮が榊原を見る。

榊原も先ほどまでの軽い雰囲気を消す。

腰を僅かに落としたその瞬間、空気が変わった。


「開始」


榊原の足元が爆ぜた。

次の瞬間、十五メートルあった距離が一気に消える。


「――っ」


観察室。

慧が目を見開く、速い。

能力による移動なのか、純粋な身体能力なのか、判断できない。

榊原の右拳が、禮の顔面へ迫る。

そして、その拳の周囲では、目には見えない何かが僅かに空間を歪(ゆが)ませており、禮は避けず、腕を上げることすらせず、その拳を正面から受ける。

――直後。

轟音(ごうおん)。


「っ!」


禮の身体が後方へ吹き飛んだ。

床を何度も滑り、十数メートル先。

禮は片足を床へ突き立て、ようやく勢いを殺す。


「禮!?」


観察室。

慧が思わず立ち上がった。


「いきなりまともに食らったぞ!?」


その横で、禮歌は座ったままであり、ただ、少しだけ目を細めている。


「……違う」

「え?」

「避けられなかったんじゃない」


久世も気づいており、口元を僅かに上げる。


「わざとだね」

「わざと!?」


慧がガラスの向こうを見る。

禮は普通に立っており、頬へ手を当てる。


「……痛いな」


僅かな血、それを親指で拭う。

だが禮が気にしていたのはダメージではない。

今の一撃、接触した瞬間。

拳そのものの重さとは別に何かが追加された。

殴られた。

というより、巨大な衝撃そのものを一点から直接叩き込まれたような感覚。

そして、それ以上に禮が気になったのはそこへ至るまでの速度だった。


「…………」


榊原を見る。

十五メートル、開始直後。

一瞬で消えた距離。

それだけなら、速い能力者で済む。

だが禮の視力は普通ではない。

久世との戦闘でさえ、完全に見失うことはなかった。

にもかかわらず、今の一瞬。

榊原が加速した瞬間だけ。

動きそのものを捉えきれなかった。

禮が小さく笑う。


「単純な身体能力じゃないな?」


榊原が構えたまま眉を上げる。


「へぇ」

「俺が目で追いつけないとなれば、能力か?」


榊原は答えない。

代わりに口元を少しだけ上げた。


「もうそこまで分かった?」

「分かったってほどじゃない」


禮は首を軽く鳴らす。


「速いってことしか分かってないし」

「それだけ分かれば十分だろ」

「いや」


禮は一歩。

前へ出る。


「何で速いのかが分からない」


脚力の強化、違う。

身体能力そのものを上昇させているなら、少なくとも加速の過程は存在する。

瞬間移動、それも違う。

確かに移動していた。

空間転移特有の位置変化とも違う。

さらに、拳。

あれもただの強化ではない。

移動と攻撃。

その両方に同じ何かが使われている。


「まあ」


禮は構えも取らず。

榊原を見る。


「何度も受けるしかないだろう」

「は?」


慧が声を漏らした。

榊原もさすがに少しだけ顔を引きつらせる。


「お前、イカれてる?」

「何度食らったって倒れないしいいだろ別に」

「普通は避けながら調べるんじゃねぇの?」

「その方が早いだろ」


榊原が呆れたように笑い、観察室では慧が頭を抱えている。


「なんでこいつら普通に会話してんだよ……」


久世は楽しそうだった。


「いいねぇ」

「よくないですよ!」


天倉が操作卓から口を挟む。


「神成! 訓練だからな! 無意味に攻撃を受けるな!」

「分かってる」

「絶対分かってないだろ!」


その声を聞きながら、禮は僅かに身体を前へ傾けた。

榊原がそれを見る。


「ん?」


空気が変わる。

先ほどまで、禮は榊原の能力を見るために待っていた。

だが今度は違う。


「次はこっちから行く」

「お」


榊原の目が変わり、禮の足へ力が入る。

能力は使わず、創(そう)による補助もない。

純粋な神成禮自身の身体能力。

そして、次の瞬間。

禮が消えた。

――ドンッ!

!

遅れて、床が爆ぜる。


「――っ!?」


今度は、榊原の目が見開かれた。

速い、違う。

先ほど榊原自身が見せた速度とは性質そのものが違う。

何かを発動した気配はない。

特殊な現象もない。

ただ、純粋な脚力だけで、十五メートル近い距離を一瞬で食い潰した。


「マジかよ――」


言い終えるより早く、禮が目の前へ現れ、榊原が即座に反応し、右腕を上げる。

だが禮はその動きをはっきりと見ていた。

先ほどとは違う。

今度は、榊原が能力を使うより前。

そこへ食らいつおり、榊原の表情が僅かに変わる。


「速ぇな……!」

「そっちもな」


ほぼ密着、互いの間合い。

榊原の足が床を踏む。

その瞬間、禮は見て、ほんの一瞬、榊原の脚。

そこを中心に空気が僅かに歪む。

次いで、何かが圧縮されるような。

奇妙な感覚。

――来る。

榊原の身体が動く、いや。

動いたようには見えなかった。

まるでそこまでの過程だけを無理やり短くしたかのように位置が変わり、禮の横へ榊原が現れ、同時に左拳を脇腹へ放つ。


「二発目」


拳が迫る。

だが今度。

禮の目は榊原から外れていなかった。


観察室。

久世が僅かに身を乗り出す。


「……やっぱり」


禮歌が横を見る。


「何か分かったんですか?」

「迅の能力?」


久世はガラスの向こうを見る。


「ううん」


少し笑う。


「神成の方」

「?」

「一回目は見えなかった」


榊原の拳が禮へ迫る。


「でも二回目」


久世の笑みが深くなる。


「もう追い始めてる」


慧が息を呑む。


一方。


訓練場。

榊原も気づいており、一発目とは違う、禮の視線。

完全ではない。

だが確実に自分の動きを捉え始めている。


「……お前」


拳を振り抜きながら、笑った。


「一発で慣れ始めてんのかよ」

「まだ全然慣れてないがな」


禮は迫る拳を見る。

完全に見えているわけではない。

動き出し、空間の歪み、身体の向き、重心、榊原の視線。

見える情報を繋ぎ合わせて、その先を読む。


「目で追って、予測する」


榊原の左拳が迫る。

禮は僅かに身体をずらした。

拳が頬の横を通過する。

その瞬間、空気が炸裂した。

余波だけで髪が大きく揺れる。


「それだけで十分だ」

「……言うねぇ」


榊原が笑う。

直後、再び空間が歪んだ。

――来る。

だが禮はそこで、ふと思う。

榊原は能力を使っている。

なら、こちらだけ能力を使わない理由もない。


「じゃあ」


禮が小さく手を動かした。

《創》。

何かを生み出すためではない。

榊原のいる空間。

そして、訓練場の反対側。

数十メートル離れた何もない空間。

二つを認識する。

その関係そのものを創り変える。


「一回、離れてろ」


瞬間。

榊原の姿が消えた。


「――は?」


声だけが遠くから聞こえた。


観察室。

慧が目を瞬く。


「……え?」


さっきまで、禮のすぐ横にいた榊原が訓練場の端。

遥か離れた位置に立っている。


「何したんだ?」


慧が禮歌を見る。

禮歌も少し驚いたように見ていた。


「空間そのものを……」


久世が続ける。


「入れ替えたね」

「入れ替えた?」

「迅がいた場所と、向こうの空間を」


久世の目が僅かに細くなる。


「相変わらず何でもありだなぁ」


楽しそうだった。


操作卓。

天倉は表示された計測値を見る。


「空間座標の変動……?」


眉を寄せる。

能力測定ではこんな使用方法は確認されていない。


「また増えたのか……」


記録項目がまた一つ。

増える。

一方、飛ばされた榊原は自分の周囲を一度見回した。

それから、遠くにいる禮を見る。


「……お前」


声は届かない。

だが口の動きだけでも分かり、明らかに、呆れている。

禮はそんな榊原を見ながら、少し考えた。

ここまで、榊原はほとんど近接戦。

移動、拳。

どちらも接近するための能力運用。


「さてと」


禮が呟く。


「ほとんど近接だな」


榊原が向こうで姿勢を低くする。

また来る。


「遠距離は、あまりしない方がいいのか?」


能力の性質を知りたいなら、近距離で付き合った方が分かりやすい。

だがそれでは榊原が遠距離へどう対応するのか。

分からない。

禮の口元が僅かに上がる。


「まあ」


右手を軽く上げる。


「これ防げるかで考えるか」


空気が変わった。

久世の表情から、笑みが少しだけ消える。


「あ」


慧が横を見る。


「何です?」

「それ」


久世は知っている。

自分も見た、黒でも白でもない、そこに何かが存在しているはずなのに存在していること自体がどこか矛盾している異質な領域。

禮の正面で、空間が静かに欠けた。


「夢虚無幻(むきょむげん)」


榊原の表情が変わり、先ほどまでの楽しそうなものではない。

本能的な警戒、歪んだ虚無が榊原へ向かう。

速い。

しかも一直線ではない。

右、左、上。

軌道そのものが直前まで定まらない。


「……なるほどな」


榊原が呟く。

一歩、横へ避ける。

だが《夢虚無幻》もそれを追うように軌道を変えた。


「追ってくんのかよ!」


榊原が床を蹴る。

空間が歪み、その姿が十数メートル先へ飛ぶ。

《夢虚無幻》がその直前まで榊原がいた場所を通過した。

触れた空気すら。

一瞬、消失する。


「…………」


榊原の笑みが消える。

今のは受けてはいけない。

直感ではない。

見れば分かる。

防御するという発想そのものが危険だ。


「迅」


観察室。

久世が小さく呟く。


「それ、受けない方がいいよ」

「聞こえねぇよ」


当然、届かない。

だが榊原自身も同じ結論に辿り着いており、再び、《夢虚無幻》が迫る。

榊原の足元、空間が歪む。

次の瞬間、姿が大きく離れた。

だが今度。

禮はそれをよく見ていた。


「…………」


速くなっているわけではない。

やはり、違う。

榊原が移動する瞬間。

本人の身体が加速しているのではない。

榊原と移動先。

その間にある何かが――縮んでいる。

《夢虚無幻》が三度。

軌道を変える。

榊原はまた消えたように移動する。

今度は、訓練場の壁際から、一気に中央へ距離。

二十メートル以上。

だがその過程はほとんど存在しない。


「……そういうことか?」


禮が呟いた。

一方、榊原は《夢虚無幻》から逃れながら、禮を見る。


「遠距離までそれかよ……!」


その声には呆れと僅かな高揚が混ざっており、そして逃げ続けるだけではない。

榊原の足が強く床を踏む。

空間がこれまでより大きく歪んだ。

久世が目を細める。


「来る」


慧が慌てて訓練場を見る。


「何が――」


次の瞬間、榊原と禮。

二人の間にあった数十メートルの距離が一瞬で、消えた。

榊原が禮の正面へ現れ、《夢虚無幻》はまだ後方。

追いついていない。


「遠距離が嫌なら」


榊原が笑い、右拳を引く。

その拳の前で空間が強く圧縮される。


「近づけばいい」


拳が放たれる。

だがここまで見れば。

さすがに一つの答えが見えてくる。


観察室。

慧が息を呑む。


「……距離?」


久世が笑った。


「正解に近い」

「近い?」

「迅の能力は、単純な高速移動じゃない」


ガラス越し、迫る拳を見る。


「縮界(しゅくかい)」


禮歌が久世を見る。


「縮界……」

「自分と対象の間にある空間を、一時的に圧縮する能力」


だから、走る必要がない。

十メートルを一メートルに縮めればいい。

だからこそ見た目以上に速い。

そして、それだけではない。

久世は榊原の拳を見る。

拳と禮の間にある、ほんの僅かな空間。

そこもまた、異常なほど圧縮されている。


「距離を縮めるだけじゃない」


久世が続ける。


「圧縮した空間が元に戻る時の反発まで、攻撃に乗せられる」


一発目で禮を大きく吹き飛ばした、あの異常な衝撃。

その正体、禮の目の前。

榊原の拳が迫る。

圧縮された空間、その反発まで乗せた一撃。

だが同時に、禮もまた同じ結論へ辿り着いていた。

一度目の異常な移動速度。

拳が迫った瞬間に感じた、あの妙な違和感。

そして、能力が発動するたびに榊原と目的地の間で起きていた空間の歪み。


「……そうか」


禮の口元が僅かに上がる。


「縮めてたのか」


榊原の目が見開かれた。

拳が僅かに止まりかける。


「――は?」


完全に、予想外という顔であり、今、能力の詳細を説明した人間はいない。

にもかかわらず、禮は数度見ただけで、ほぼ正解へ辿り着いた。


「お前……」

「移動するときだけじゃない」


禮の視線が迫る拳へ落ちる。


「拳と俺の間も縮めてる」

「…………」

「で、戻る時の反発も乗せてる」


榊原の表情が固まった。


「……マジかよ」


それだけで、答え合わせには十分だった。


観察室。

慧も目を丸くしていた。


「禮も分かったのか……」

「みたいだね」


久世が笑う。

ただ、その目はかなり真剣であり、数回、ただ攻撃を受け、動きを見ただけ。

それだけで、能力の核へ届き始める。

久世自身。

戦いながら何度も味わった感覚だった。

神成禮は戦闘中の理解が異常に速い。

しかし。


訓練場。

禮が考えていたのは能力を見破れたことではなかった。


「なるほどな」


空間を縮める。

なら、遠距離という概念そのものが榊原にとっては普通の能力者ほど大きな意味を持たない。

十メートルでも二十メートルでもその空間を縮めてしまえば。

一瞬で接近できる。

遠距離から攻撃し続ければ有利。

そんな単純な話ではない。

むしろ、面白い。

禮は迫る榊原を見ながら、ふと別のことを思いついた。


「だとすれば」


榊原の眉が動く。


「こいつはどう反応するんだろうな」

「……何?」


禮が笑う。

それは榊原へ向けた言葉ではなかった。

自分自身にも答えは分からない。


「俺にも」


禮の周囲へ《創》が広がっていく。

先ほどまでとは違う。

一つの現象を一つの目的で成立させる感覚ではない。

もっと複雑だ。

いくつもの技、いくつもの経験、これまで成立させてきた禮自身の戦闘そのものそれらが同時に繋がり始める。


「技がどう動くか」


榊原の表情が変わり、本能的に何かを感じた。


「分からない」


そして、禮が告げる。


「再龍聖歌(さいりゅうせいか)」


一瞬。


観察室。

久世の目が細くなった。


「……再竜聖歌?」


慧が聞き返す。


「この前の?」

「ああ」


天倉も操作卓の表示を見る。


「久世さんとの戦闘で使用した技だな」


その名には聞き覚えがある。

さいりゅうせいか。

前、禮が久世との戦いで使用した技。

過去に使用した技を相手が行った対策の情報まで含めて更新し、再び成立させる。

再竜聖歌(さいりゅうせいか)。

久世もそう認識した。


「迅が見せた《縮界》への対策を組み込んで、何かを再演する気かな」

「じゃあ」


慧がガラスへ近づく。


「次に何が来るか、禮は分かってるんですか?」

「ある程度はね」


久世が答える。

そこで、禮歌が僅かに目を細めた。


「…………」


何か違う。

音だけなら確かに同じ――さいりゅうせいか。

だが禮歌は禮の周囲に生じた《創》の流れを見ていた。

先日とは明らかに違う。


「禮……?」


誰にも届かないほど小さな声。

その直後だった。

榊原の拳が禮へ届く。

――はずだった。

だが。


「……あ?」


榊原の拳が空を切った。

禮が避けたわけではない。

少なくとも、榊原にはそう見えなかった。

圧縮した空間。

禮まで、残り、僅か。

だったはずなのにその距離が突然、伸びた。


「何――」


先ほど禮が使った。

空間の入れ替え。

だが禮は何もしていない。

少なくとも、本人はその現象を発動させるための意思を向けていなかった。


「……お?」


禮自身が少し驚おり、直後、背後で《夢虚無幻》が動き、先ほどまで、榊原を追っていた虚無。

その軌道が突然変わり、禮の指示ではない。

虚無が自ら榊原の退路へ回り込む。


「は!?」


榊原が反応し、《縮界》で横方向の空間を圧縮。

そこから離脱する。

だが移動先。

何もなかった空間へ別の現象が成立した。

榊原の目が見開かれる。


「おい――」


空間の入れ替え。

先ほど禮が一度使っただけの能力運用。

それが榊原の移動先を読むように勝手に成立する。

榊原が別方向へ切り返す。

《夢虚無幻》がそこへ重なる。


「ちょ、待て!」


榊原がさらに《縮界》。

その瞬間、禮の身体が前へ出た。


「……え?」


今度は、禮であり、本人が自分の足を見る。

動いた。

いや動かされたわけではない。

身体が最も効率のいいタイミングを判断したように榊原の死角へ入り込んでおり、禮が思わず笑った。


「なるほど」


自分でも次に何が起きるか分からない。

だが一つだけ分かり、これまで使ってきた技がそれぞれ別々に動いているのではない。

互いの状況を見て、互いの不足を埋め。

次の技が成立するための条件を別の技が作っている。

一つの技が次の技を呼ぶ、その次がさらに別の技を動かす。

禮自身が逐一命令する必要すらない。


「面白いな、これ」

「こっちは全然面白くねぇよ!」


榊原の声が飛ぶ。

右に《夢虚無幻》、左に空間の入れ替え、正面に禮。

三方向、榊原の退路が同時に削られていく。


観察室。

慧が固まっていた。


「……先日と」


一拍。


「全然違くないですか?」


久世から、返事がない。


「久世さん?」

「…………」


久世はガラスの向こうを見ている。

眉が僅かに寄っており、先日、自分が受けた《再竜聖歌》。

あれはこんな技ではない。

確かに、過去の技を再演する。

そして、一度見せた対処法を学び。

その対策まで組み込んでくる。

それだけでも十分に異常だった。

だが今は、違う。


「神成が……」


久世が呟く。

慧が横を見る。


「え?」

「操作してない」

「……どういう意味ですか?」

「少なくとも」


久世は次々と位置を変える《夢虚無幻》。

榊原の動きへ合わせて成立する空間交換。

そして、それらと噛み合うように動く禮を見る。


「一個ずつ指示してない」


天倉も計測値を見ながら眉を寄せていた。


「複数能力運用……いや」


違う。

能力は一つ、《創》。

だが成立している技同士がまるで、互いを認識している。


「何だこれは……」


天倉が呟く。

久世の表情から、完全に笑みが消えた。


「……待って」


先日聞いた名前と、今日聞いた名前。

発音は完全に同じであり、だから、疑いもしなかった。

だが目の前の現象は説明がつかない。

久世はまだ知らない。

《再竜聖歌》と《再龍聖歌》、読み方は同じ。

けれど、それは同じ技ではない。


訓練場。

榊原が初めて大きく距離を取る。


「……なんだよ、それ」


今度は、禮の方が笑った。


「俺にも分からん」

「は?」

「言っただろ」


禮の周囲。

複数の技が次の一手を探すように静かに変化し続けている。


「どう動くか」


一拍。


「俺にも分からないって」


榊原の頬が、僅かに引きつった。


「それ」


構え直す。


「使ってる本人が言っていい台詞じゃねぇだろ……」

「まあな」


禮は笑う。

その周囲では《夢虚無幻》がゆっくりと軌道を変え。

先ほど使った空間交換がいつでも成立できるように榊原の周囲を捉え続けている。

そして禮自身の身体も、榊原の動きに合わせ、次に最も適した行動へ移れる状態にあった。

その様子を見ながら、久世はまだ考えていた。

先日とは違う。

だが名前は同じ。

同じ技が榊原の能力に合わせて、さらに変化した?

いやそれでも説明がつかない。

先日の《再竜聖歌》は禮が過去に使った技を自分が行った対策まで含めて更新し、再演するものだった。

だが今は再演された技そのものが勝手に連携している。

一つに対処すれば。

別の一つがその対処を利用する。

さらに、そこから次の技が自律的に組み直される。


「……やっぱり違う」


久世が呟いた。

慧が横を見る。


「やっぱり?」

「この前のと」


久世が目を細める。


「同じ技じゃない」


その声が観察室の集音装置を通じ。

訓練場にも僅かに届おり、禮がそちらを見る。

強化ガラスの向こうで久世と目が合う。


「……ああ」


禮が笑った。


「悪いが、久世さんや」


久世の眉が動く。


「何?」

「さいりゅうせいか」


禮は周囲で動き続ける技たちを見る。


「その技自体は、似せたわけじゃないんだ」

「……?」

「読み方が同じなだけ」


久世の表情が止まり、慧も天倉も一瞬、意味が分からない。

禮は続ける。


「この前使ったのが《再竜聖歌》」


そして、今。

自分の周囲で動き続けている力へ視線を向ける。


「今使ってるのが《再龍聖歌》」

「…………」


数秒、沈黙。

最初に反応したのは慧だった。


「分かるか!!」


観察室に声が響く。


「読み同じじゃん!」

「だから同じに聞こえるって言っただろ」

「言ってない!」

「そうだっけ」

「言ってねぇよ!」


久世は少しだけ呆けたように禮を見る。

やがて。


「……竜と、龍?」

「そう」

「別技?」

「ああ」


久世がゆっくり額へ手を当てた。


「そういうの先に言ってよ……」

「聞かれなかったし」

「普通気づけないよ!」


珍しく久世が強めに返し、天倉も横で深く頷いた。


「これは久世さんが正しい」

「天倉君まで……」

「当然です」


禮歌は少しだけ笑っており、やはり、と思っている。

先日と今。

《創》の流れそのものが違っていた。


「じゃあ」


久世が禮を見る。


「この前のは、相手の対策まで学習して技を再演する」

「ああ」

「今日のは?」


禮が少し考える。

その間にも《夢虚無幻》は止まっていない。

榊原も会話を聞きながら、じりじりと位置を変えている。


「簡単に言えば」


禮が答える。


「再演した技同士が、自分たちで連携する」

「自分たちで?」

「状況に合わせて組み替わる」


久世の目が細くなる。


「神成の指示なしで?」

「ある程度は」


一つの技が敵の行動を引き出す。

その行動を見て、別の技が最適な場所へ移る。

そこから生まれた状況を利用して。

さらに別の技が成立する。

戦闘中。

禮自身がすべてを組み立てなくても技同士が互いを利用し、一つの戦闘体系として勝手に形を変えていく。

それが《再龍聖歌》。

久世がガラス越しに禮を見る。

先日、自分との戦いで、こんなものは使わなかった。


「…………」


禮がその視線に気づく。


「あー」


久世の顔を見て、何となく察した。


「まあ」


少しだけ困ったように笑う。


「久世も隠されまくるのは嫌だろう」

「嫌だよ」


即答だった。


「私、この前かなり本気だったんだけど?」

「知ってる」

「なのにまだあるんだ」

「ああ」

「どのくらい?」


禮が少しだけ黙った。


「…………」


久世が目を細める。


「神成?」

「まあ」


視線を逸らす。


「まだまだ奥の手は隠してるだけだ」

「…………」


久世の笑顔が止まり、慧がそっと久世を見る。

天倉も言葉を失っている。

先日、世界最強との戦いで。

《最上》、久世紫苑との戦闘。

神器天衡(てんこう)、界定(かいてい)。

それらすべてを相手に僅差で勝利した。

その戦いですら。

まだ奥の手を残しており、久世はしばらく無言であり、やがて、口元がゆっくりと上がる。


「……そっか」


怒ってはいない。

むしろ、目が完全に戦闘時のそれへ変わっており、天倉が嫌な予感を覚える。


「久世さん」

「何?」

「今すぐ再戦しようとか考えてませんよね」

「…………」

「久世さん」

「今日は迅の番だし」

「その言い方やめてください」


その迅は訓練場で、二人の会話を聞いていた。


「おーい」


榊原が手を上げる。


「俺、今かなり嫌な話聞かされてんだけど」


禮が振り返る。


「あ」

「忘れてただろ」

「忘れてない」

「今の間は何だよ!」


禮が榊原を見る。

そして、周囲。

待機するように動きを緩めていた技たちを見る。

《夢虚無幻》、空間交換。

榊原の《縮界》による移動先を読むように次々と再構成され続ける《創》。

それらが急に止まり、《夢虚無幻》、空間交換。

そして、《再龍聖歌》によって自律的に連携していた技の数々。

すべてがまるで、次の命令を待つかのように静止する。

榊原が眉を寄せた。


「……今度は何だ?」


先ほどまで、どこへ逃げても何かしらの技が先回りしていた。

それが突然。

何もしてこなくなり、榊原にとって、むしろその方が不気味だった。


「おい」


構えたまま、禮を見る。


「急に止める方が怖ぇんだけど」


観察室。

慧も同じことを思ったらしい。


「……なんで止まったんだ?」


禮歌は答えず。

ガラスの向こうを見る。

久世も先ほどまでの楽しそうな表情を少し抑えていた。


「神成」


小さく呟く。

何かまたやる。

先日、戦ったからこそ。

分かる。

禮が何かを試そうとしている時の顔。


訓練場。

禮が観察室へ少しだけ視線を向けた。

久世と目が合う。


「ここからは」


禮が笑う。


「久世に隠してた技を少しだけ見せる」

「……!」


久世の眉が上がった。

慧が隣を見る。


「え」


天倉も操作卓から顔を上げた。


「まだ出すのか?」


禮は答えない。

その代わり、榊原を見る。


「対応できたらすごいな」

「お前さぁ……」


榊原の顔が引きつる。


「さっきから俺を実験台か何かだと思ってない?」

「訓練相手」

「ほぼ同じだろ!」

「違うだろ」

「どこが!?」


思わず叫ぶ。

だが榊原の表情に油断はない。

むしろ、先ほどより、明らかに警戒しており、今までの時点で、《夢虚無幻》。

空間交換。

そして、技そのものが自律的に連携する《再龍聖歌》。

十分すぎるほど。

異常だった。

にもかかわらず、禮は今から見せるものを『隠していた技』と言った。


「……久世さん」


慧が恐る恐る横を見る。


「あの戦いでも、本当にまだ隠してたんですか?」

「本人がそう言ってるからね」


久世は笑う。

だがその目は一切笑っていない。

完全に、戦闘を見る目だった。


「私も知りたい」

「嬉しそうですね……」

「そりゃね」


先日、自分は神成禮と戦った。

全力で、勝つつもりであり、それでも負けた。

そして、その相手がまだ見せていなかったもの興味がない方がおかしい。


「迅」


久世がガラス越しに呟く。


「悪いけど」


口元が上がる。


「頑張って」


当然、榊原には聞こえない。

だがもし聞こえていたとしても恐らく。

同じ返事をしただろう。

――他人事だと思いやがって。

榊原は禮を睨む。


「来いよ」


空間が僅かに歪む、《縮界》。

いつでもどこへでも動ける状態。


「何出すか知らねぇけど」


足元、拳、周囲。

複数の空間を同時に認識する。


「全部避けりゃいいんだろ」

「それができたら」


禮が少し笑った。


「本当にすごいよ」

「……その言い方腹立つな」


榊原も笑う。

そして、一瞬。

静寂。

禮はほんの少し、本当に少しだけ。

目を閉じた。


「…………」


何かを溜めるわけではない。

大きく息を吸うわけでもない。

構えすら取らない。

ただ、目を閉じただけ。

にもかかわらず、久世の表情が変わった。


「……?」


何か違う。

禮の周囲にあった《創》。

その感覚が急激に変わった。

増えた。

わけではない強くなり、それだけでもない。

もっと根本的な、今まで禮が使っていた技。

《夢虚無幻》、空間交換。

その他。

今この場に成立している。

すべての技、その一つ一つが何か。

別の段階へ移ろうとしている。

久世が思わず椅子から身体を起こした。


「神成……?」


禮の目がゆっくりと開く。

そして、告げる。


「最竜聖歌(さいりゅうせいか)」

「…………」


久世が固まった。

慧も。


「…………」


天倉も。


「…………」


数秒、誰も何も言わない。

そして、最初に口を開いたのはやはり慧だった。


「また、さいりゅうせいか!?」

「…………」


久世が額を押さえた。


「ちょっと待って」


一拍。


「また字違う?」


禮が観察室を見る。


「今回は《最》に《竜》」

「分かるわけないでしょ!」


久世の声が観察室に響いた。


「三つ全部読み方同じじゃん!」


慧も激しく頷く。


「そうだよ! なんでそんな紛らわしい名前にしたんだよ!」

「名前に文句言われてもな」

「誰がつけたんだよ!」

「俺」

「じゃあお前に言ってんだよ!」

「……戦闘中だぞ」


天倉が冷静に突っ込む。


「すみません」


慧が小さくなり、久世はまだ額を押さえている。

《再竜聖歌》、《再龍聖歌》、そして《最竜聖歌》。

すべて読みは同じ、さいりゅうせいか。


「……もう次から漢字も言って」


久世が呟く。


「無理だろ」

「じゃあせめて説明して!」


そんな観察室とは対照的に榊原は笑っていなかった。

名前など、どうでもいい。

問題は、発動した瞬間に何が起きたのか分からないこと。


「……何した?」


榊原が聞く。

禮は自分の周囲を見る。

先ほどまで動いていた《夢虚無幻》と空間交換。

《再龍聖歌》による連携。

一見。

何も変わっていない。

だが違う、《最竜聖歌》。

それは新しい攻撃を作る技ではない。

現在、神成禮が扱える技、そのすべてを今の禮が到達可能な最高の形へ更新する。

《夢虚無幻》なら、現在の禮が成立させられる最も完成された《夢虚無幻》へ空間交換なら、より速く、より正確に、より自由な条件でそして、《再龍聖歌》によって動く技たちも当然例外ではない。

一つ一つが、今この瞬間に神成禮が作り出せる最高水準へ。


「…………」


久世はそれに少しずつ気づき始める。

見た目はほとんど変わらない。

だからこそ怖い。


「……待って」


禮歌が小さく呟いた。

慧が横を見る。


「何?」


禮歌は答えない。

ただ、《夢虚無幻》を見る。

先ほどまで、不規則に揺らぎながら、榊原を追っていた虚無。

今は、静止している。

なのにさっきより、遥かに嫌な感じがする。

久世も同じものを感じていた。


「性能が……」


呟く。

天倉が振り返る。


「何です?」

「上がった?」


疑問形。

それほど見た目に変化がない。

だが久世の直感がそう告げている。


「いや」


少し考える。


「上がっただけじゃない」


先日、禮と戦った時。

何度も感じた。

禮の技にはまだ。

改善できる余白がある。

戦闘中。

自分の《界定》へ合わせ、何度も技の使い方を変えていた。

だが今、その余白が異常な速度で、埋められている。


「……まさか」


久世の目が大きく開く。


「技そのものを、完成させてる?」


訓練場。

禮の口元が僅かに上がった。

それを見た久世が確信する。


「あってるんだ……」


先日、自分と戦っていた時よりも今の技は強い。

同じ技なのに。


「神成」


久世が思わずガラスへ近づく。


「それ」


声が集音装置へ拾われる。

禮がそちらを見る。


「全部?」

「?」

「今使ってる技」


久世の表情が少しずつ引きつる。


「全部、今できる一番強い状態にしてるの?」


禮は少しだけ考え、笑い、榊原がそのやり取りを聞きながら、額に汗を浮かべる。


「……おい」

「ん?」

「それ、答える前に一個聞いていい?」

「何?」


榊原は周囲を見る。

正面、禮。

右、《夢虚無幻》。

左、空間交換の兆候。

さらに、《再龍聖歌》によって、それらすべてが互いに連携する状態。

しかも今。

その一つ一つがさらに強くなった。


「俺」


榊原が真顔で聞いた。


「これ全部相手すんの?」


一拍。

観察室から、久世の声。


「頑張って」

「だから他人事みたいに言うな!!」


榊原の叫びが訓練場に響おり、その声を聞きながら、禮は少し不思議そうに首を傾げる。


「え?」

「何だよ」

「いや」


禮は周囲を見る。

右、《夢虚無幻》。

左、空間交換。

さらに、《再龍聖歌》によって互いを補完し、《最竜聖歌》によって、現在の禮が扱える最高水準へ更新された技たち。

それらを一通り見て、禮はごく普通の調子で言った。


「すまんが」


一拍。


「たぶん逃げ切れんぞ?」

「…………」


榊原が固まった。

観察室も一瞬だけ。

静かになる。


「……は?」


榊原が聞き返す。


「いや」


禮は続ける。


「さっきまでなら《縮界》で何とか逃げられてただろ」

「……まあな」

「でも今は」


《夢虚無幻》がゆっくりと位置を変える。

それだけで、榊原の表情が僅かに強張った。


「一個一個がさっきより上がってるし」


空間が僅かに歪む。

榊原が反射的にそちらを見る。


「そのうえ《再龍聖歌》で勝手に連携する」


禮は少し考え、


「だからまあ」


榊原を見る。


「逃げ切るのは無理じゃないか?」

「なんでそんな軽く言えんだよ……!」


榊原の声が低くなる。


「いや、分析しただけだけど」

「言い方ってもんがあるだろ!」

「じゃあ」


禮が考える。


「頑張ればもしかしたら?」

「余計腹立つ!」


観察室。

慧が頭を抱えていた。


「こいつ絶対煽ってるだろ……」

「多分」


禮歌が苦笑する。


「煽ってるつもりはないよ」

「それが一番酷くない?」


慧が振り返る。

禮歌は少し考え、


「……うん」


認めた。

その隣。

久世はガラスへ身体を寄せたまま、禮の技を観察していた。


「逃げ切れない、か……」


ぽつり、その言葉に天倉が振り返る。


「久世さん?」

「いや」


久世の目は榊原ではなく。

禮の周囲にある技へ向いていた。


「迅って」


少しだけ笑う。


「逃げるだけならかなり得意なんだよね」


慧が横を見る。


「《縮界》があるから?」

「うん」


久世は頷く。


「距離そのものを縮められるから、普通の追跡攻撃じゃまず捕まらない」


左右、上下。

前後。

どこであろうと榊原が認識できる範囲なら、空間を縮めることで、ほとんど一瞬に近い移動が可能。

単純な速度勝負なら、追いつける人間はそう多くない。


「なのに」


久世の口元が徐々に上がる。


「神成はもう」


一拍。


「逃げ切れないって言ってる」


慧が少し引いた。


「……嬉しそうですね」

「そりゃあね」

「迅さん負けそうなのに?」

「まだ負けたとは言ってないよ」

「でも逃げ切れないって……」

「だから面白いんじゃん」


完全に、戦闘好きの顔だった。

天倉が小さく息を吐く。


「久世さん」

「ん?」

「後で本人に再戦を迫るのはやめてください」

「まだ何も言ってないよ?」

「顔に書いてあります」

「天倉君、最近そういうの分かるようになったね」

「誰のせいだと」


その会話の横。

禮歌だけは静かに訓練場を見ていた。

《最竜聖歌》。

先日、久世との戦闘では禮は使わなかった。

そして、禮自身が言った。

まだ奥の手はある。


「…………」


禮歌はほんの僅かに笑う。

――少しだけ見せる。

そう言って、禮が出したのがこれ。

なら、ここから先。

どこまで見せるつもりなのか。

それは禮歌にもまだ分からなかった。


訓練場。

榊原は一度。

大きく息を吐いた。


「……よし」


肩を回す。

そして、姿勢を落とす。


「逃げ切れねぇってんなら」


禮を見る。


「逃げるのやめるわ」

「?」

「お前の技が追ってくるなら」


右足を強く床へ置く、空間が歪む。


「その前に」


今までとは違う。

一か所ではない。

榊原の周囲。

複数の空間が同時に圧縮され始めた。

久世の表情が変わる。


「迅も上げた」


慧が聞く。


「何を?」

「出力」


訓練場。

榊原の口元が上がる。


「お前を先に殴り倒す」


瞬間。

榊原の姿が消えた。

一度、ではない。

右、左。

正面、残像すら追いつかない速度で、位置そのものが連続して変化する。

《縮界》、その能力を移動だけではなく。

複数方向へ連続使用。

一つの経路を読む前に次の経路へさらに、次。


「……おお」


禮の目が僅かに開く、《夢虚無幻》が動く。

だが榊原もその直前。

別方向へ空間交換が成立する。

その前にさらに《縮界》。

一つ、二つ。

三つ、技と能力。

互いが相手の次を潰し合う。


「うわ……」


慧が思わず声を漏らした。


「何やってるのか全然分からん」


久世は目を細める。


「迅も考えたね」


逃げ続ければ。

《再龍聖歌》に行動を読まれる。

なら、逃げない。

自分から攻める。

しかも予測される前に次々と異なる距離。

異なる方向、異なる圧縮率。

それらを高速で切り替える。


「でも」


久世の視線が禮へ向く。


「それでも――」


榊原が禮の真横へ現れた。


「捕まえた!」


拳、至近距離。

《縮界》。

拳と禮の間にある。

数十センチ、その空間が極限まで縮む。

逃げる余地はない。

榊原が全力で拳を振り抜く。

だがその瞬間、《最竜聖歌》によって更新された。

禮の技の一つが動いた。

――いや。

正確には、すでに動いていた。


「捕まえた!」


榊原の拳。

《縮界》によって極限まで縮められた距離。

さらに、空間が戻る反発まで乗せた一撃。

その拳が禮へ届く、その直前。

禮が僅かに笑った。


「なるほど」

「――?」

「《夢虚無幻》は」


禮の右手が上がる。


「さっきまで逃げ続けてたお前を追ってた」


榊原の表情が変わる。


「つまり」


禮は榊原の拳を見ながら、静かに続けた。


「逃げるのをやめれば」


拳が迫る。


「多少はまた逃げられるようになる」


榊原の目が僅かに見開かれた。

その通りであり、《夢虚無幻》は高速で位置を変え続ける榊原を追跡するため、何度も何度も軌道を修正していた。

だが榊原が自分から禮へ向かう。

つまり、逃走をやめれば。

追尾側も榊原の移動先を読む必要がなくなり、その分、一瞬だけ。

隙が生まれる。

榊原はそこを狙った。


「……分かってんじゃねぇか!」


拳が目前。

だが禮の表情はまったく変わらなかった。


「ただ」


一拍。


「俺に能力を何度も見せて」


禮の目が榊原を捉える。


「対応できないと思ったか?」

「――!」


次の瞬間、――パンッ。

乾いた音。

榊原の拳が止まった。


「…………は?」


拳。

それを禮の掌が受け止めており、真正面から、《縮界》による距離圧縮、加速、反発。

それらすべてが乗った拳を――ただ、片手で。


「な――」


榊原の目が大きく開く、一発目。

禮は吹き飛ばされた。

二発目。

予測して避け始めた。

そして今、三度。

四度。

何度も見せた。

《縮界》、距離が縮む瞬間。

拳が届く瞬間、反発が生まれる瞬間。

その全てを、禮はもう見ており、完全に、理解したわけではない。

だが戦闘で必要な情報としては十分だった。


「タイミングさえ分かれば」


禮が掴んではいない。

ただ、掌で拳を受け止めたまま。


「受けられる」

「……マジかよ」


榊原の声が小さく漏れた。


観察室。

慧が完全に固まっていた。


「……止めた」

「うん」


禮歌が答える。


「片手で……?」

「うん」

「さっき吹き飛ばされてたよな?」

「うん」

「なんで!?」


久世は答えなかった。

ただ、目を細める。


「…………」


やっぱり禮はただ強いだけじゃない。

一度見た。

二度見た。

三度見た。

その情報を戦闘中に次々と自分のものにしていく。

榊原が拳を引こうとする。

だがその瞬間であり、禮が榊原の後ろを見る。


「それと」

「……?」

「一個忘れてるぞ」


榊原の眉が寄る。


「何を――」


そこで、気づおり、背後、空気が消えている。


「――っ!?」


振り返る。

だが遅い、《夢虚無幻》。

先ほどまで、榊原を追い続けていた虚無。

榊原が禮への接近へ全てを切り替えたことで、追尾の必要がなくなり、なら、《再龍聖歌》は何をするか。

追う必要がないなら、先回りする。

榊原が禮へ到達する。

その瞬間、最も逃げにくい場所。

最も対応しにくい角度、真後ろ。

そこへ、《夢虚無幻》はすでに回り込んでいた。


「嘘だろ……」


榊原の額から、汗が落ちる。

前、禮。

拳を完全に止められている。

後ろ、《夢虚無幻》。

触れれば、どうなるか。

さっき見た。

防御はできない。

避ける。

なら、《縮界》。

だがその発動より前。

禮が言う。


「ゲームオーバー」


《夢虚無幻》が榊原の背へ触れる。

――寸前。

止まった。

数センチ。

それ以上進まない。

訓練場に静寂が落ちた。


「…………」


榊原は動かなかった。

いや動けなかった。

前には禮。

後ろには《夢虚無幻》。

逃げようとすれば、どちらかが先に届く。

完全に、詰みであり、数秒、榊原が長く息を吐く。


「……参った」


その言葉と同時。

天倉が操作卓を操作する。

――模擬戦闘終了。

訓練場に終了音が響おり、《夢虚無幻》が静かに消える。

榊原の拳から、禮も手を離した。


「お疲れ」

「お疲れ、じゃねぇよ……」


榊原がその場で肩を落とす。


「なんなんだよお前」

「高校生」

「そういう意味じゃねぇ!」


観察室。

慧がゆっくり椅子へ座り直した。


「……勝った」


禮歌が小さく笑う。


「勝ったね」


だが久世は黙ったまま、訓練場を見る。

《再龍聖歌》、《最竜聖歌》。

先日、自分との戦いでは使われなかった技。

それでもまだ禮は言った。

――まだまだ奥の手は隠してる。


「…………」


久世の口元がゆっくり、上がっていく。

天倉がその顔を見て、ものすごく嫌そうな顔をした。


「久世さん」

「なに?」

「駄目です」

「まだ何も言ってないよ?」

「顔が言っています」

「えー」

「再戦は今日はなしです」

「今日じゃなければいい?」

「そういう意味ではありません」


久世はガラス越し、禮を見る。

そして、小さく笑った。


「……次」


その声は禮には届かない。


「絶対もっと出させよ」


隣。

慧が僅かに距離を取った。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。