第四話 最強
局からの帰り道。
黒い車の後部座席で禮は窓の外を眺めながら、長かった能力測定と、そこで起きた出来事を思い返していた。
分類は《生成系》から《特殊系》へ変わったものの、能力の上限は結局分からず、ただ面倒な思いをしただけで終わるはずだったのに。
「…………」
禮の口元は、僅かに上がっていた。
向かいに座る男がそれに気づく。
「随分機嫌がいいな」
「そう?」
「測定中とは別人だ」
「そりゃまあ」
《最上》の称号を持つ世界最強の能力者、久世紫苑と、明日の放課後に戦えることになったのだ。
それを考えれば、測定に付き合わされたことくらいは多少許せる気がした。
「一つ言っておく」
男が口を開く。
「明日は訓練だ。勝敗は構わないが、施設を壊すな」
「努力します」
「その返事を信用できない」
「じゃあ聞くなよ」
男は深く息を吐いた。
家に着くと、禮歌がリビングで本を読んでいた。
「ただいま」
「おかえり。遅かったね」
「測定長すぎ」
「どうだった?」
禮は鞄を置き、ソファへ腰を下ろす。
「機械が先に限界きた」
「……やっぱり?」
「分類も特殊系に変わった。細かいことは向こうで勝手にやってくれるらしい」
「それだけ?」
「いや」
禮はそこで、少しだけ楽しそうに笑った。
「世界最強って奴に会った」
禮歌が本から顔を上げる。
「……そっちが先なんだ」
「久世紫苑。《最上》って呼ばれてるらしい」
「知ってる。名前くらいは」
「明日戦う」
「…………」
禮歌が数秒止まった。
「能力測定に行ったんだよね?」
「ああ」
「なんで世界最強と戦う予定まで増えてるの?」
「流れで」
「どういう流れ?」
禮は面倒そうに局で起きた出来事を一通り説明し、久世本人も過去に局の設備を限界まで使わせたことや、彼女を強そうだと感じたこと、そして互いに興味を持った結果、明日の放課後に第七訓練区画で戦うことになった経緯を伝えた。
「見物人二人までいいって」
「私も?」
「ああ」
禮歌は少しだけ笑う。
「行く」
「だと思った」
「……なんか楽しそうだね」
「まあな」
その返事だけで、どれだけ楽しみにしているのかは十分伝わった。
翌日。
昼休み。
禮は前の席にいる慧へ声を掛けた。
「今日の放課後暇?」
「急だな。何?」
「局行くんだけど」
慧の箸が止まる。
「また?」
「見物しに来る?」
「何を?」
「戦い」
「誰の?」
「俺と世界最強」
「…………は?」
慧はしばらく固まったあと、禮から昨日の出来事を一通り聞いて、ようやく口を開いた。
「能力測定に行っただけだよな!? なんで一日で世界最強との対戦予定まで増えてんだよ!!」
「声でかい」
「お前のせいだよ!」
「で、来る?」
「行きたくない」
「じゃあいいや」
「待て待て待て!」
「何?」
慧はしばらく悩み、頭を抱えた。
「……怖いけど、見たい」
「じゃあ決まり」
「軽いなぁ……」
少しして、慧が声を落とす。
「なあ。お前、本気でやるつもり?」
「あぁ。いざとなったら――」
禮はそこで言葉を切った。
一瞬だけ、隣の禮歌を見る。
禮歌も禮を見る、何も言わず、ただ少しだけ笑った。
「……何?」
慧が二人を交互に見る。
「別に」
「今なんかあっただろ」
「気のせい」
「絶対違う!」
禮はそれ以上答えなかった。
その日の授業は、妙に長く感じた。
放課後。
校門の前には黒い局の車が停まっていた。
昨日の男が待っている。
「三人だな」
「ああ」
「観覧室から出ないこと。許可なく訓練区画へ入らないこと」
慧が何度も頷く。
「はい!」
「なんでお前が一番いい返事するんだよ」
「普通はするんだよ!」
車に乗り、局へ向かう。
慧は落ち着かない様子で何度も窓の外を見ていたが、禮はいつもより明らかに機嫌がよく、禮歌はそんな二人を静かに眺めていた。
局へ到着すると、昨日とは違う経路へ案内される。
幾重もの隔壁と、厚い防護扉。
その先にあったのは、巨大な訓練場だった。
――第七訓練区画。
高出力能力者同士の実戦訓練を想定し、通常の訓練場とは比較にならない防護設備が施されている。
禮歌と慧は強化ガラスの向こう側にある観覧室へ案内された。
訓練場の中央では、すでに久世が待っていた。
禮に気づくと、軽く手を振る。
「来たね」
「待たせた?」
「そんなに」
禮は一人で訓練場へ入り、中央へ向かった。
約十メートルの距離を空け、久世と向かい合う。
「さてと、久世さんや」
「何、その呼び方」
「始めましょうかい?」
久世が笑う。
「いいね。やろっか」
観覧室で慧が喉を鳴らした。
「……本当にやるんだ」
禮歌は静かに二人を見ている。
スピーカーから局員の声が響く。
『実戦を想定した訓練とする。ただし、生命に重大な影響を与える攻撃は禁止。施設側で危険と判断した場合は強制停止する』
「了解」
「はーい」
開始の合図、久世が構える。
禮は普段とほとんど変わらない。
「能力、使わないの?」
「まだいいかな」
「世界最強相手に?」
「だからこそ。まず、どれくらい動けるのか見たい」
「へぇ」
次の瞬間、禮が踏み込んだ。
拳。
久世がかわし、即座に肘を返す。
禮は頭を下げて抜け、脇腹へ蹴りを入れようとする。
久世も身体を回して受け流した。
そこからは速かった、拳、蹴り、肘、膝。
能力を使わず、純粋な身体操作と技術だけで何度も攻防を重ねる。
「能力なしでこれ?」
「久世こそ。世界最強って肩書き、伊達じゃないな」
「まだ何もしてないけどね」
「俺もだよ」
久世が先に動けば、禮が追いつく。
同時なら、禮の拳がほんの僅かに先へ届く。
大きな差ではない。
それでも数十度の攻防を重ねるほど、その僅かな差ははっきりしていった。
久世が一度距離を取る。
「なるほど。君、ちゃんと強いね」
「そりゃどうも」
久世の雰囲気が少し変わる。
「私も、もうちょっとちゃんとやろうかな」
禮が笑う。
「さすがに、そろそろ能力や技は使った方がいいか」
片手を上げた。
「ま、まずはこれで様子見」
「《夢虚無幻》」
久世の周囲へ、黒とも白とも言えない空白が現れる。
一つ、二つではない。
無数の《虚無》が位置を変えながら久世へ迫った。
「これ……避けるだけじゃ無理か」
久世が初めて能力を使う。
「《界定》」
彼女を中心に、目には見えない領域が広がった。
その内側へ入った《夢虚無幻》が、ぴたりと止まる。
禮が位置を変えても、再び領域へ入った瞬間に停止した。
「へぇ」
久世が片手を動かす。
止めた虚無を消すのではなく、領域の外へ押し出す。
「破壊してないのか」
「うん。別に壊す必要ないから」
久世はそのまま《界定》を広げる。
「止まって」
禮の右足が、その位置へ固定された。
筋肉は動く。
だが、足の位置だけが変わらない。
続けて久世が指を向けると、禮の左腕が横へ流された。
「この中にあるものを――ある程度、《定められる》」
「定める?」
「位置、動き、方向、距離。ほかにもあるけど、それは追々ね」
久世が笑う。
そして、自分自身へ条件を重ねた。
前へ一瞬で距離が縮む。
「――後ろへ下がるのは禁止」
久世の拳が禮へ迫った。
禮は受けず、避けもしなかった。
拳が真正面から顔を捉え、身体が大きく後方へ飛ぶ。
「禮!」
慧が叫ぶ。
久世は僅かに手を止めた。
禮は地面を滑り、しばらくして止まる。
明確な防御はなかった。
「……これで終わり?」
久世がそう呟いた瞬間、禮の手が地面へ触れた。
次の瞬間、姿が消える。
能力ではない。
純粋な身体能力だけで、最初から隠していた速度を一気に解放した。
「――っ!」
久世が反応するより早く、禮の拳が腹部へ突き刺さる。
全力。
久世の身体が大きく吹き飛び、地面を何度も跳ねた。
禮は止まらない。
「《無手・創乱》」
両手を覆う《創》が一瞬ごとに構造、密度、方向を変えながら、空中の久世へ追いつく。
久世は体勢を立て直しながら《界定》を発動した。
「――接近方向を、限定」
禮の速度は落ちない。
ただ、久世へ向かっていた進行方向だけが強制的に逸らされる。
それでも振るった《創乱》が肩を掠め、上着を裂いた。
浅い傷。
久世の目が細くなる。
《創乱》は性質そのものが変わり続ける。
一度定めた条件が、その変化へ追いつきにくい。
「――離れて」
距離が強制的に開く。
二人が同時に着地した。
久世は痛む腹部を押さえながら禮を見る。
「……わざと食らったんだ」
「まあな」
「私が終わったと思うところまで待って、そこから全力で殴るために?」
「そう」
観覧室で慧が呟く。
「性格悪っ……」
禮歌が小さく笑う。
「禮らしいよ」
久世は《創乱》へ目を向けた。
「《界定》と相性、あんまり良くなさそうだね」
領域が再び広がる。
今度は先ほどより広く、密度も高い。
「ちょっと訂正」
「君」
久世が笑う。
「思ってたより、ずっと厄介だ」
禮も笑った。
「そりゃどうも」
二人が同時に地面を蹴る。
禮が拳を振るう直前、久世が言った。
「――距離を固定」
拳が届く直前で、久世との距離だけが縮まなくなる。
禮が横へ回っても同じ。
「さっきので分かった。君に触らせるの、かなり危ない」
久世の視線は《創乱》へ向いている。
「だから触らせない」
「分かりやすいな」
「単純なのが一番強いでしょ?」
久世が右手を振る。
「――方向、右」
禮の踏み込みが横へ流される。
その勢いを利用して蹴りを放つが、久世は屈んでかわし、懐へ入った。
「――防御方向、下」
受けようとした腕が一瞬だけ下へ引かれる。
久世の拳が禮の頬を捉え、続く膝が腹部へ入る。
さらに掌底。
「――後退禁止」
逃げ道を消し、そのまま蹴りを脇腹へ叩き込む。
今度は禮がまともに吹き飛ばされた。
地面を滑り、止まる。
「…………」
慧が息を呑む。
久世は追わず、その場から禮を見る。
「どう?」
禮は片手を地面につき、口元を拭った。
僅かに血が付く、それを見て、笑った。
「いいね」
「そこ笑うところ?」
「久しぶりなんだよ。ちゃんと攻撃食らったの」
「最初も殴ったけど?」
「あれは食らいに行ったから別」
「面倒な基準だなぁ」
「よく言われる」
禮は立ち上がる。
二人の視線は、もう最初とは違っていた。
禮にとって久世は、ただ《世界最強》という肩書きを持つ相手ではない。
久世にとっても禮は、測定装置を壊しかけた変わった高校生ではない。
互いに、相手が本当に強いと分かった。
久世が少しだけ真剣な声で名前を呼ぶ。
「神成禮」
「何?」
「君、強いね」
軽口ではない。
禮も久世を見る。
「ああ。久世も強い」
久世は満足そうに息を吐く。
「そっか」
短いやり取り、それだけで十分だった。
だが、勝負はまだ終わっていない。
久世が右手を横へ伸ばした。
「ここまでやったなら、私もそろそろ出そうかな」
空間の一点へ光が集まり、細長い輪郭を形作る。
久世が掴んだのは、白銀の長槍。
「神器――《天衡》」
観覧室で慧が固まった。
「……神器?」
久世が軽く槍を振るう。
その瞬間、《界定》の密度が一段上がった。
「一応、これが私の本来の武器」
禮は《天衡》をしばらく眺めた。
そして、少しだけ笑う。
「さてと」
「ん?」
「俺もそろそろ出さなきゃ失礼か」
久世の目が僅かに輝く。
「持ってるんだ?」
「まあな」
禮は観覧室へ視線を向けた。
強化ガラスの向こうで禮歌と目が合う。
何も言わず、一瞬だけ視線が重なり、禮歌は少しだけ笑った。
「あ、私ちょっと席外すね」
慧が振り返る。
「え?」
「トイレ」
「今!?」
「すぐ戻るから」
禮歌はそれだけ言って観覧室を出ていった。
禮が右手を開く。
今までとは違う圧が、訓練場へ広がった。
久世の笑みが僅かに消え、《天衡》を握る手に力が入る。
黒い光が禮の右手へ集まり、一本の剣を形作る。
禮が静かに名を告げた。
「――神器――《アポカリプス》」
完全顕現。
黒を基調とした刀身。
余計な装飾は少ない。
ただそこに存在するだけで、周囲の空気が変わる。
久世は数秒、その剣から目を離せなかった。
「……それ、本当に神器?」
「そうだけど」
「登録は?」
「してない」
「…………ほんっとに君、面白いね」
久世が《天衡》を構える。
禮も《アポカリプス》を構えた。
「こっちから行かせてもらう」
「どうぞ」
禮の《創》が刀身へ流れ込む。
「《再竜聖歌》」
久世が僅かに目を細める。
禮の周囲へ、先ほどと同じ《夢虚無幻》が現れた。
「それなら――《界定》」
久世は先ほどと同じように止めようとする。
だが、虚無は《界定》へ入る直前に軌道を変えた。
一つを止めれば、次は同じ条件に触れない位置へ距離を固定すれば、固定される直前に別方向へ現れる。
「さっきと……違う」
《再竜聖歌》。
一度使った技を、ただ同じ形で繰り返すのではない。
相手にどう防がれたかまで取り込み、次に通すための形へ組み直して再演する。
久世が《天衡》を振るいながら下がる。
着地点へ先回りした虚無に気づき、《界定》で自分の位置を横へずらした。
その隙へ禮が踏み込む。
《アポカリプス》と《天衡》が激突した。
久世は剣筋を《界定》で逸らそうとする。
だが刀身を覆う《創》が《無手・創乱》の性質へ変化し、固定されかけた軌道が一瞬ごとに揺らぐ。
久世が大きく身体を引いた。
黒い刀身が頬のすぐ前を通り、数本の髪が宙を舞う。
「そういう技か……一度見せた対処を、次はそのまま使わせてくれない」
「まあ、大体そんな感じ」
「大体?」
「細かい説明は面倒」
「ほんとそればっかり」
久世は笑った。
「じゃあ、同じ対処を使わなきゃいいんだよね?」
《界定》が再び変化する。
「今度は私がそれを越えてみる」
久世が《天衡》を握り直し、自身の進行方向と距離を《界定》で定めて一気に間合いを詰める。
白銀の穂先が禮の胸元へ伸びる。
禮は《アポカリプス》で受け流し、そのまま首元へ斬り返した。
「――軌道、外側」
黒い刀身が僅かに逸れる。
久世は石突きを返し、禮は身体を捻ってかわす。
二つの神器が何度もぶつかり合った。
突き、斬撃、《界定》による軌道変更、《創》による補正。
互いに一撃も譲らない。
久世が《界定》で距離を広げれば、禮はその勢いに逆らわず着地と同時に再加速する。
《天衡》を《アポカリプス》で受け、流し、懐へ入る。
久世も柄で受けてすぐに反撃する。
慧はすでにどちらが優勢なのか分からなくなっていた。
「……これ、どっちが押してるんだ?」
答える者はいない。
訓練場で禮が《天衡》を弾き、僅かに笑った。
「じゃあ、少し変えるか」
「また何かする?」
「まあな」
《アポカリプス》へ《創》が流れ込む。
同時に、刀身の奥から壊す力が重なる。
「《創連破斬》」
一閃。
久世が《天衡》で受ける。
だが、最初の斬撃の軌跡から次の刃が生まれた。
二撃目から三撃目、三撃目から四撃目。
一度振った剣を起点に、次の斬撃が連続して《創》り出されていく。
しかも、その一つ一つに《アポカリプス》の破壊力が重なっている。
久世が《天衡》を高速で振るい、次々と弾く。
だが、弾いた軌跡からさらに斬撃が生まれる。
「だったら――《界定》」
《天衡》を地面へ突き立てる。
「――発生位置を、固定!」
新しく生まれようとしていた斬撃のいくつかが止まった。
しかし、全てではない。
久世はすぐに判断を変え、自ら禮へ走る。
「正解」
斬撃を止めるより、術者を叩く。
《天衡》の穂先が一直線に禮へ向かう。
禮も《アポカリプス》を構えた。
無数の斬撃を背負ったまま、二人は真正面から踏み込む。
《天衡》の穂先と《アポカリプス》の刀身が激突した。
久世は《界定》を重ね、禮の斬撃を外側へ逸らそうとする。
禮も《創》を流し込み、その条件を押し返す。
力が弾け、二人は同時に後方へ押し戻された。
禮は十数メートル滑って止まり、久世も反対側で《天衡》を地面へ突いて勢いを殺す。
残っていた《創連破斬》も消えた。
互いに傷は増え、呼吸も最初より荒い。
それでも二人とも笑っていた。
禮は《アポカリプス》を肩へ乗せる。
「なぁ?」
「ん?」
「次で終わりにしないか?」
久世が一瞬だけ目を丸くする。
「次で?」
「ああ。」
久世は禮を見つめ、笑った。
「じゃあいいよ。次で最後」
久世は《天衡》を両手で握り直した。
広範囲へ展開していた《界定》が急速に狭まり、その全てが二人の間へ集中していく。
「後悔しないでよ?」
「それはこっちの台詞だ」
禮も《アポカリプス》を下ろす。
黒い刀身へ《創》が流れ込み、同時にその奥から壊す力が重なる。
創る、壊す。
相反する二つが一振りの剣の中で共存していく。
久世を中心に空間が静まる。
距離、方向、位置、速度。
《界定》が幾重にも条件を重ね、禮が踏み込むための空間そのものを久世に有利な領域へ変えていく。
禮が剣を構えた。
「――《終焉創世》」
《アポカリプス》の刀身を境に、二つの異なる力が現れる。
刃の片側には《創》。
もう片側には、全てを終わらせるような黒い力。
混ざらず、打ち消し合わず、一つの斬撃として成立する。
久世の目が鋭くなった。
「来なよ」
禮が地面を蹴る。
久世も同時に動いた。
「《界定》――!」
禮の進行方向が定められ、正面への移動を拒まれる。
距離が固定され、《アポカリプス》の軌道まで外側へ逸らされる。
それでも禮は止まらない。
黒い側の刃が《界定》へ触れた。
瞬間。
定められていた条件が消える。
距離の固定、進行方向、剣筋への干渉。
完成した現象を、その成立ごと終わらせる《終焉》。
条件が消えた空間へ、今度は《創》が流れ込む。
禮が進むための距離、剣が通るための軌道。
一撃を成立させるために必要なものを創り出す。
壊して、創る、終わらせて、始める。
「だったら――!」
久世も《天衡》を真正面へ突き出し、《界定》をさらに重ねる。
一つ終わらされるなら二つ、二つなら四つ。
禮の進む先へ条件を重ね続ける。
そして、ついに《アポカリプス》と《天衡》が激突した。
「……っ!」
黒い刀身が白銀の槍へ食い止められる。
「さすがだな……!」
「そっちこそ……!」
ほとんど互角。
だからこそ、僅かな差が最後には決定的だった。
《アポカリプス》の刃が、ほんの少し前へ進む。
《天衡》を覆う《界定》へ亀裂が走った。
そして――砕ける。
久世の身体が大きく後方へ弾き飛ばされ、《天衡》も手を離れて地面を滑った。
久世は空中で体勢を整えようとする。
だが、着地より早く禮が目の前へいた。
《アポカリプス》の切っ先が、久世の喉元数センチ手前で止まる。
数秒、久世が剣先を見て、禮を見る。
「…………負けた」
小さく息を吐く。
悔しさはある。
それ以上に、楽しそうだった。
「私の負け」
禮は《アポカリプス》を下ろした。
「……危なかった」
「勝った人が言う?」
「本当に危なかったんだよ」
久世は少しだけ笑う。
「そっか。私より強い人、いたんだ」
禮も笑った。
「俺も初めてだったよ」
「何が?」
「ここまでやらされたの」
「それ、褒めてる?」
「ああ。めちゃくちゃ強かった」
久世は一瞬黙ったあと、満足そうに笑った。
「なら、まあいいか」
勝負は、ほんの僅かな差で神成禮の勝利に終わった。
《天衡》が光へ変わり、消える。
禮の手にあった《アポカリプス》も、やがてその姿を消した。
少しして、観覧室側の扉が開く。
禮歌が戻ってくる。
「あ、終わった?」
「終わった」
「どっちが勝ったの?」
久世が片手を上げた。
「私が負けたよ」
禮歌は少しだけ目を丸くして、禮を見る。
「勝ったんだ」
「ギリギリな」
「ふーん。おめでとう」
「ありがと」
少し遅れて慧も訓練場へ降りてきた。
「いやいやいやいや。ちょっと待て」
「何?」
「お前、世界最強に勝ったんだぞ!?」
「ああ」
「反応薄すぎない!?」
「そんなもんだろ?」
禮は不思議そうに慧を見る。
「負けるなんて考えてなかったし」
「…………」
慧の口が半開きのまま止まった。
久世も一瞬だけ目を丸くする。
「それ、負けた本人の前で言う?」
「事実だろ?」
「すごい自信だね」
「勝つつもりで戦うのは普通じゃないか?」
「そういう意味じゃねえよ!」
慧がすぐに突っ込む。
「相手が《最上》だって知ってからも一切負ける気なかったってことだろ!?」
「ああ」
「即答すんな!」
久世はそんな二人を見ながら笑った。
「でも納得した」
「何が?」
「戦ってる最中、一回も私に怯まなかった理由」
禮は少し考える。
「強いとは思ってたぞ? 実際かなり危なかったし」
「でも負けるとは思ってなかった」
「ああ」
久世は数秒ほど禮を見つめ、肩をすくめた。
「そりゃ私が押し切れないわけだ」
禮歌も小さく笑う。
「禮って昔からそうだよね」
「何が?」
「勝てるかどうかじゃなくて、どう勝つか考えるから」
「そうか?」
「そうだよ」
慧が額を押さえる。
「なんでお前ら、それを普通のことみたいに話せるんだ……」
久世が慧の肩を軽く叩いた。
「諦めた方が楽だよ」
「久世さんまでそっち側に行かないでください!」
「だって面白いし」
「世界最強が一番楽しんでる!」
久世は笑いながら禮へ視線を戻した。
「でも神成」
「ん?」
「次は勝つよ」
軽い口調。
それでも、その目だけは本気だった。
禮もすぐに笑う。
「じゃあ次も返り討ちにする」
「言ったね?」
「ああ」
「覚えとく」
二人の間に、先ほどまでの殺気はない。
それでも、もう一度戦えば互いに今以上を出す。
そんなことだけは、言葉にしなくても伝わっていた。
慧は二人を交互に見てから、大きくため息を吐く。
「……これ絶対、再戦するやつじゃん」
禮歌が笑う。
「するだろうね」
「止めてくれよ……」
「なんで?」
「禮歌まで!?」
また慧の声が訓練場へ響き、《最上》との戦いを経て、神成禮という存在は特異事象対策局にとって無視できないものとなった。
これから禮の立場がどう変わっていくのか。
それは、まだ誰にも分からない。




