第三話 性質
翌日、朝凪高等学校の教室。
「……眠い」
禮はいつものように机へ突っ伏していたが、昨日は禮歌との戦いを特異事象対策局の人間に見つかり、挙げ句の果てには能力測定まで受けるように言われていた。
普通なら多少なりとも気にするところなのだろう。
だが。
「禮」
隣から禮歌が声をかける。
「んー?」
「今日、何か連絡来ると思う?」
「何の?」
「昨日の」
「……ああ」
禮は数秒考える。
「来るんじゃね?」
「軽いね」
「来たところでどうしようもないだろ」
「それはそうだけど」
前の席から慧が振り返った。
「お前、本当に気にしてないの?」
「気にはしてる」
「本当か?」
「面倒だなって」
「それしかないのかよ!」
禮は欠伸をする。
「能力測るだけだろ?」
「局の施設でな!」
「だから?」
「だからって……」
慧は何か言おうとして、諦めた。
「……もういい」
「諦めるの早いな」
「誰のせいだよ」
そんな会話をしていると、教室の扉が開いた。
「席につけー」
担任が教室へ入ってくると、生徒たちはそれぞれ自分の席へ戻り、いつもと変わらない朝のホームルームが始まった。
連絡事項や提出物、今日の予定が淡々と伝えられるだけで、そこには特に変わったことはない。
――ように見えた。
「それと」
担任が手元の端末を見る。
「神成禮」
「はい?」
禮が顔を上げる。
「ホームルームが終わったら職員室に来い」
教室の空気がほんの僅かに変わる。
禮歌が禮を見ると、慧もゆっくり振り返る。
「…………」
「…………」
禮は二人を見る。
「何だよ」
慧が小声で答える。
「いや……絶対あれだろ」
「何が?」
「局だよ!」
「まだ分からんだろ」
「昨日の今日だぞ!?」
担任がこちらを見る。
「相良。静かにしろ」
「はい……」
慧が前を向く。
禮は再び机へ頬杖をつき、小さく呟いた。
「……面倒くさ」
禮歌が聞き逃さなかった。
「やっぱり気にしてるじゃん」
「面倒なのは別」
「同じようなものじゃない?」
「違う」
そんなやり取りをしているうちに、ホームルームは終わった。
数分後。
禮は一人で職員室へ向かっていた。
「失礼します」
扉を開け、担任の机へ向かうと、教師はすでに一枚の書類を用意していた。
「来たか」
「何ですか?」
「昨日、何かあったか?」
いきなりの問いに、禮が少しだけ目を細める。
「何でですか?」
「朝一番で特異事象対策局から学校に連絡が入った」
――やっぱりか、予想通りだ。
「お前の能力について、正式な測定を行いたいそうだ」
担任が差し出した書類を禮が受け取る。
そこには、特異事象対策局の印。
そして、能力測定への協力依頼。
対象者――神成禮。
「…………」
禮は数秒、書類を見つめる。
担任が尋ねた。
「何したんだ、お前」
「別に」
「別にで局から名指しの連絡は来ない」
「ちょっと能力使っただけです」
「どの程度?」
「ちょっと」
「その“ちょっと”が信用できないんだが」
禮は書類を折りたくなる衝動を抑えながら、もう一度内容へ目を通した。
そして、一箇所で目が止まる。
「……今日?」
「ああ」
担任が答えると、禮が顔を上げた。
「放課後じゃなくて?」
「今からだ」
「…………」
「一時間目から?」
「一時間目どころか、今日は授業に出なくていい」
「マジですか」
「ああ」
担任は机の上にあった別の書類へ判を押す。
「学校側には局から正式な協力要請が来てる」
「お前はこのまま行ってこい」
禮が露骨に嫌そうな顔をした。
「……授業受けてた方がマシなんですけど」
「普段寝てる奴が何言ってる」
「寝てないです」
「昨日も注意されてただろ」
「目閉じてただけです」
「同じだ」
禮は小さくため息をついた。
担任が禮を見る。
「で」
「はい?」
「本当に大丈夫なんだろうな?」
「何がですか」
「局から能力測定を要求される高校生なんて、そうそういない」
「測るだけですよ」
「ならいいが……」
教師は少し心配そうな顔をしながら、書類の下部を指した。
「ここに場所が書いてある」
「局員が校門で待ってるそうだ」
「迎えまで来てんのかよ……」
「さっさと行け」
「はいはい」
「返事は一回」
「はい」
禮は書類を持ち、職員室を後にした。
廊下。
「…………」
歩きながら、もう一度書類を見る。
能力測定。
その文字だけで、禮は少しだけ眉を寄せた。
――これは、さすがに面倒だな。
能力者が自身の能力を登録する際、その申告だけが全て信用されるわけではない。
本人の認識が間違っている場合もある。
能力を意図的に低く申告する者もいる。
あるいは、本人ですら把握していない性質が隠れている場合もある。
だから特異事象対策局には、能力そのものを調べるための専用設備が存在していた。
――《能力測定》。
通常の出力試験とは違う。
炎をどこまで大きくできるか、何キロの物体を動かせるか。
そういった単純な試験だけではない。
能力を発動した際に発生する反応、能力の構造、作用範囲、性質。
そして、どこまで拡張できる可能性を持っているのか。
それらを総合的に測定する。
本人が力を抑えればいい――そんな単純なものではない。
意図的に出力を落とした場合、測定装置は能力そのものではなく、まず《抑制している反応》を検出する。
つまり、弱く見せようとすれば、弱く見せようとしていること自体が分かる。
さらに、局が使用する本格的な設備では、本人の意思とは関係なく能力へ一定の刺激を与え、その反応から本来の性質を読み取る。
だからこそ、能力測定だけは誤魔化すことが難しい。
「…………」
禮は頭を掻いた。
昨日、剣の性能を落とした時とは違う。
あれは、目の前にある物を誤魔化しただけ。
だが、今回は《創》そのものを調べられる。
――参ったな。
今まで、《創》の本当の性質を知られないようにすることは、それほど難しくなかった。
使わず、見せず、聞かれれば適当に誤魔化せばいい。
だが、測定ではそれができない。
少なくとも、《創》が簡単な物体を作る程度の能力ではないことだけは確実に知られる。
――まあ。
禮は小さく息を吐いた。
――今考えても仕方ないか。
面倒ではある。
だが、逃げれば、それこそ余計に怪しまれる。
なら、行くしかない。
禮は一度教室へ戻った。
ガラッ。
一時間目が始まる前。
教室はまだ少し騒がしかった。
禮歌がすぐに禮を見る。
「どうだった?」
「今日、学校休みになった」
「え?」
慧も振り返る。
「は?」
「局行ってこいって」
「もう!?」
慧の声が大きくなる。
「昨日の今日だぞ!?」
「だからだろ」
禮は自分の席へ向かい、鞄を取る。
禮歌が立ち上がった。
「能力測定?」
「ああ」
その言葉に、禮歌の表情が僅かに変わった。
「……大丈夫なの?」
慧が首を傾げる。
「測るだけだろ?」
禮歌は答えず、禮を見る。
禮も数秒だけ黙った。
「多分な」
慧が目を見開く。
「お前が多分って言うの怖いんだけど」
「俺だって何でも分かるわけじゃない」
「昨日までの余裕どこ行った!?」
禮は鞄を肩へ掛ける。
「測定は誤魔化しにくいんだよ」
「……え?」
慧が止まり、禮歌はやはりという顔をする。
「能力そのものを見られるから?」
「ああ」
「じゃあ……」
禮歌が言葉を止める。
その先は言わない。
ここは教室だ。
誰が聞いているか分からないため、禮もそれ以上説明しなかった。
「まあ、行ってくる」
「禮」
「ん?」
禮歌は少しだけ迷ったあと、口を開いた。
「無茶しないでね」
「測定でどう無茶するんだよ」
「禮だから」
「どういう意味だ」
「そのままの意味」
慧も頷く。
「俺も禮歌に一票」
「お前らな……」
禮は呆れながら教室の出口へ向かう。
扉を開け、一度だけ振り返った。
「じゃ」
「うん」
「生きて帰ってこいよ」
「測定だって言ってんだろ」
そう言い残し、禮は教室を出た。
校門。
そこには、すでに一台の黒い車が停まっていた。
そしてその横には、昨日禮たちの戦闘を止めた男が立っている。
男は禮を見る。
「来たか」
「来ましたよ」
「随分嫌そうだな」
「授業休んでまで能力測る趣味ないんで」
「普通は授業を休めたら喜ぶものじゃないのか?」
「寝られるなら」
「……そうか」
男は車の後部座席を開ける。
「乗れ」
禮が車を見る。
そして、小さく息を吐いた。
「……面倒くさ」
それでも、乗らないという選択肢はない。
禮はそのまま、特異事象対策局へ向かう車へ乗り込んだ。
車のドアが閉まる、数秒後。
静かな駆動音とともに、車が動き始めた。
「…………」
禮は後部座席に座り、窓の外を流れていく景色を眺めていた。
向かいには、昨日から何度も顔を合わせている局員。
車内には他に運転手が一人。
しばらく、誰も喋らなかった。
「一つ聞いてもいいか」
男が口を開く。
「何ですか」
「緊張はしていないのか?」
禮が男を見る。
「何で?」
「これから特異事象対策局で能力測定を受ける」
「だから?」
「普通の高校生なら、もう少し不安がるものだと思っていた」
禮は少し考えた。
「不安より面倒の方が勝ってる」
「……そうか」
男はそれ以上何も言わなかった。
再び沈黙が訪れたあと、今度は禮から尋ねる。
「どのくらいかかるんですか」
「測定結果次第だ」
「最短は?」
「一時間程度」
「長い」
「通常だ」
「じゃあ最長は?」
男が禮を見る。
「能力の性質が複雑なら、半日以上かかることもある」
「帰っていいですか?」
「駄目だ」
「ですよね」
即答され、禮は窓へ視線を戻した。
男が僅かにため息をつく。
「そこまで嫌がる理由が分からんな」
「面倒だから」
「それ以外は?」
「ないです」
「…………」
男は禮を見る。
だが、それ以上追及することはなかった。
それからしばらくして車が速度を落とし、禮が窓の外を見る。
高い外壁の向こうに、巨大な建物が見えてくる。
黒と白を基調とした無機質な外観。
正面には、見覚えのある紋章。
――特異事象対策局。
車が検問を通過する。
複数のカメラ、能力反応を検出する装置、武装した局員。
一般人が気軽に入れる場所ではないことだけは、禮にも分かった。
「物々しいな」
「能力犯罪者も収容する施設だからな」
「ここに?」
「別棟だ」
「逃げたら?」
「逃げられないように作られている」
「へぇ」
興味があるのかないのか、よく分からない反応だった。
やがて、車が地下駐車場へ入った。
建物内部。
禮は男の後ろを歩いていた。
「勝手に離れるな」
「子供じゃないんだけど」
「未成年だろう」
「そういう話?」
「そういう話だ」
長い廊下の壁沿いには、複数の扉が並んでいる。
すれ違う局員たちが、制服姿の禮を少し珍しそうに見る。
禮は気にせず歩いていく。
途中、巨大なガラス窓の向こうに広い訓練場が見えた。
能力を使って訓練している局員、顕装を構える者、高速で動く標的。
それを一瞥し、禮の足がほんの少しだけ遅くなる。
「興味があるのか?」
男が気づく。
「別に」
「今、見ていただろう」
「戦うのは好きなんで」
男の足が一瞬止まる。
「……そうなのか」
「意外?」
「君の普段の態度からはな」
「面倒事が嫌いなだけ」
「戦闘は面倒ではないと?」
「それは別」
「よく分からんな」
「俺もよく分かってない」
再び歩き始める。
数分後。
一枚の大きな扉の前で止まった。
扉の上には《能力解析区画》という表示。
男が認証端末へ手を触れる。
電子音とともに、ロックが解除された。
「入れ」
「はいはい」
中へ入ると、そこは禮が想像していたよりも広かった。
中央には円形の測定スペースがあり、床には複数のセンサーが設置されている。
周囲の壁には見たことのない機器が大量に並んでいる。
そのさらに向こう、厚い強化ガラスの奥には数人の職員と白衣姿の研究員もいる。
「……大げさ」
禮が呟く。
「本格測定設備だからな」
「健康診断くらいのノリで来たんだけど」
「そんな能力測定があるか」
その時、一人の女性職員が近づいてきた。
年齢は三十代ほどで、手には端末を持っている。
「神成禮さんですね?」
「はい」
「担当します。よろしくお願いします」
「よろしくお願いします」
「まず簡単に説明しますね」
女性は中央の測定スペースを示す。
「今回行うのは、能力の基本性質の再確認です」
「現在の登録では《生成系》、能力名――《創》」
女性は端末を見る。
「簡単な物体を生成する能力、とあります」
「そうですね」
「今日はまず、その基本能力を実際に使用していただきます」
「その後、少しずつ条件を変えます」
「分かりました」
「それと」
女性が禮を見る。
「能力を意図的に抑えようとしないでくださいね」
「…………」
「抑制反応も記録されますので」
女性は笑顔だった。
禮は数秒、女性を見る。
「先に言うんだ」
「よくいるんですよ」
「弱く見せようとする人?」
「はい」
「成功する?」
「ほぼしません」
「へぇ……」
禮は少しだけ嫌そうな顔をした。
女性はそれに気づいたのか、首を傾げる。
「何か?」
「何でもないです」
「では、始めましょう」
禮が測定スペース中央へ立つ。
周囲の機器が低い駆動音とともに起動し、強化ガラスの向こうでは複数のモニターへ数値が流れ始めた。
『まず、簡単な物を一つ生成してください』
「簡単な物?」
『何でも構いません』
最初の測定は、ごく基本的なものだった。
金属の立方体、複雑な構造を持つ物体、材質の異なる複数物体の同時生成。
禮は要求されたものを次々と《創》で作る。
精度は極めて高いが、この時点ではまだ《生成系》で説明できる範囲であり、変化が起きたのは、すでに存在する鉄球を別の形へ作り変える試験からだった。
「一度消して作り直すのではなく、そのまま別の形状へ変更できますか?」
「やればいいんでしょ?」
禮が鉄球へ触れる。
「《創》」
光が走り、球体は一本の鉄製ナイフへ変わった。
「新規生成じゃない。既存物質の再構築……」
観察室の研究員がデータを確認する。
続いて、そのナイフの先端を折り、修復する試験が行われる。
「《創》」
欠けた部分だけではなく、内部構造まで破損前とほぼ同一に戻る。
「どうやりました?」
「元に戻しただけですけど」
次に、見たことのない複雑な機械部品が表示される。
禮は短時間眺めただけで、ほぼ同一の物を作った。
ここまでは、まだ異常なほど高精度な生成能力という説明もできた。
だが、その次。
「方法は問いません。あの装置から発生する衝撃を《創》で防いでください」
禮が右手を上げる。
「《創》」
何もなかった空間へ、半透明の壁が現れた。
観察室で男の目が細くなる。
銀行で少女を守った人物が使ったものと、よく似ている。
だが、それだけで禮本人だと断定することはできない。
衝撃が防壁へ直撃するが、壁は揺れすらしない。
同時に解析結果が乱れ始めた。
《生成系》《特殊系》《解析不能》。
表示が何度も切り替わる。
「この壁、物質じゃない」
「エネルギー反応もないぞ」
「じゃあ何で出来てる?」
「分からない」
スピーカーから女性研究員が尋ねた。
『神成さん、その壁は何で出来ていますか?』
禮は防壁を見る。
「……考えたことないです」
『はい?』
「衝撃を防ぐ必要があるから、防げるものを創っただけなんで」
観察室が静かになる。
通常測定では分類できず、禮は第二解析室へ移された。
そこでは能力によって生じた結果ではなく、発動から結果成立までの過程そのものを解析する。
「またやるの?」
「諦めろ」
禮の周囲でリング状の装置が起動する。
最初に金属製の立方体を生成した。
《能力発動》――確認、《作用対象》――未定義。
《変換過程》――検出不能、《結果》――金属物質生成。
研究員が画面を見つめる。
「途中がない」
物質変換も、エネルギー変換も、周囲の物質を使った形跡もない。
能力を発動した次の瞬間には、結果だけが成立している。
「まるで……存在しなかったものを、存在することにしているみたいな」
誰もすぐには答えなかった。
その間、禮は椅子に座ったままスピーカーへ声を掛ける。
「まだ?」
『ここからが本番です』
「今まで何だったんだよ……」
その後、試験は《創》の上限を探る方向へ切り替わった。
大きさを変えた物体生成、複雑な機械の再現、複数素材の組み合わせ、百個の物体の同時生成、遠隔での再構築、複数対象への同時作用。
いずれも成功し、禮本人にも目立った負荷は出ない。
研究員の一人がとうとう椅子へ深く座り込んだ。
「どこで止まるんだ、これ」
女性研究員は条件を変えた。
『次は、こちらの標的をその位置から動かさないでください』
床の中央に、小さな人型標的が現れる。
『床、壁、天井への固定は禁止。標的への接触も禁止。能力を使えるのは最初の一度だけです。その後、あらゆる方向から衝撃を加えます』
禮はしばらく条件を眺めた。
「別に固定する必要ないよな」
『……はい?』
「動かなきゃいいんだろ?」
禮が右手を上げる。
「《創》」
淡い光が標的を一瞬だけ包んだ。
壁も支柱も、拘束装置も現れない。
『何をしたんですか?』
「重さ変えた」
観察室が静まり返る。
『……重さ?』
「動かないくらい重くした」
測定画面に数値が表示され、研究員が固まった。
「重量、測定範囲を超えてます」
「上限は?」
「一万トン」
元の標的は二十五キロ。
物質の追加反応も、密度変化も、内部構造の変化もない。
それでも重量だけが一万トンを超えている。
その状態の標的へ、正面、横、背後、上方と次々に衝撃が加えられた。
出力を上げても、標的は微動だにしない。
「物を作っていない」
「構造も変えていない」
「結果だけが変わった」
男が静かに言う。
「これは《生成》なのか?」
誰も答えられなかった。
試験はさらに続き、材質や形状を変えず金属へ耐熱性だけを付与し、銅線を銅のまま電気が通らない状態にして再び元へ戻す。
さらに、粉々になった時計を完成形を見ていない状態から動作する形へ修復し、十個の物体へ異なる重量を同時設定し、三十メートル離れた標的へ作用する。
全て成功。
観察室の一覧には、《物質生成》《再構築》《修復》《性質変更》《遠隔作用》《複数対象同時作用》《非物質構造形成》と項目が増え続けた。
最後に、最初の半透明の防壁で強度測定が行われた。
一〇パーセント――無傷、四〇――変化なし。
六〇――無傷。
八〇――それでも変化はない。
九〇、測定室全体が揺れた。
だが、防壁には傷一つ付かなかった。
「次、一〇〇――」
「待て」
男が止める。
「施設側の限界は?」
「安全運用なら九〇までです」
「なら終わりだ。測定対象より先に施設を壊してどうする」
女性研究員はしばらく防壁を見たあと、端末を置いた。
「……これ以上は無理ですね」
「能力の限界が?」
「違います。こちらの設備の限界です」
禮が壁越しに首を傾げる。
「終わり?」
『……はい』
「帰れる?」
『少し待ってください』
「まだあんのかよ……」
観察室で誰かが吹き出した。
測定結果をまとめた研究員たちは、分類を《特殊系》へ暫定変更することで一致した。
能力名は本人申告通り《創》。
能力詳細は――《物質生成を始め、既存物質の再構築・修復・性質変更など、極めて広範囲の現象を引き起こす能力。
詳細原理及び上限不明》。
「……これが限界ですね」
「随分曖昧だな」
「分からないものを断定する方が危険です」
今日分かったのは、禮が学校へ登録していた内容より遥かに多くのことができるということだけ。
何ができないのか、どこまで届くのか、どれほどの規模まで扱えるのか。
結局、そのどれも分からなかった。
数分後、測定室の扉が開く。
「神成禮」
男が入ってくる。
「ん?」
「終了だ」
禮が立ち上がる。
「やっとか……」
「随分疲れたようだな」
「能力じゃなくて精神的に」
「そうか」
「帰っていい?」
「説明がある」
「…………」
禮は露骨に嫌そうな顔をするが、男は気にせず続ける。
「まず、君の能力登録は変更される」
「勝手に?」
「今日の結果を反映するだけだ」
「面倒な手続きは?」
「こちらで行う」
「ならいいや」
「そこなのか……」
男は小さく息を吐いた。
「分類は《生成系》から《特殊系》へ暫定変更」
「へぇ」
「能力名は《創》のまま」
「うん」
「詳細については」
一拍。
「現時点で不明」
禮が男を見る。
「あれだけ測って?」
「あれだけ測ってだ」
「機械、大したことないな」
「君が言うな」
禮は少し笑った。
男はそんな禮をしばらく見てから口を開く。
「もう一つ」
「何?」
「今回の結果については」
男の声が少しだけ低くなる。
「局内でも、必要な範囲に限定して扱われる」
「なんで?」
「上限不明の特殊系能力者の情報を、無意味に広める必要はない」
「ふーん」
「ただし」
男が禮を見る。
「今後、追加確認を求める可能性はある」
「断っていい?」
「内容による」
「面倒くさ」
「それはもう聞いた」
男は踵を返す。
「帰るぞ」
「送ってくれる?」
「ああ」
その瞬間だった。
「――あ、それちょっと待って」
女の声に、男の足が止まった。
「…………」
禮も声のした方を見る、測定区画へ続く廊下。
その奥から、一人の女性がこちらへ歩いてきていた。
年齢は二十代前半ほど。
長い黒髪を後ろで緩く束ね、局の制服らしき黒い上着を羽織っている。
だが、着方は随分と適当だった。
前は開いているし、首元も少し緩い。
少なくとも、昨日から会っている男とは正反対と言っていい。
「…………」
男の顔が僅かに引きつる。
「なぜここにいるんですか」
――敬語。
禮がほんの少しだけ男を見て、昨日から教師に対しても研究員に対しても、ほとんど態度を変えなかった男が明確に敬語を使った。
女は気にした様子もなく答える。
「ちょっと暇だったから」
「暇で第二解析区画まで来ないでください」
「いいじゃん」
「よくありません」
「細かいなぁ」
女は笑いながら、そのまま二人の前まで来て禮を見る。
「君が神成禮?」
「……そうだけど」
女の目が少し楽しそうに細くなる。
「へぇ」
女は禮を上から下まで遠慮なく見る。
禮が眉を上げた。
「何?」
「いやぁ」
女は禮の周りを半歩だけ回る。
「普通だなって思って」
「悪かったな」
「悪いとは言ってないよ」
男が間に入る。
「久世さん」
「ん?」
「彼はもう帰すところです」
「知ってる」
「なら――」
「だからちょっと話したいだけ」
「…………」
男が露骨に嫌そうな顔をした。
今度は、禮がそれを見る。
「そっちもそういう顔するんだ」
「……誰のせいだと思っている」
「俺?」
「半分はな」
「もう半分は?」
男は答えなかった。
久世と呼ばれた女が楽しそうに笑う。
「相変わらずだねぇ」
「あなたが原因です」
「ひど」
そんなやり取りをしながらも、女の視線はずっと禮から外れていなかった。
禮も、さっきまでのように早く帰りたいと急かすことはなかった。
理由は分からないが、何となく気になった。
見た目だけなら、特別なところなどない。
能力を発動している様子も、威圧感があるわけでもない。
むしろ、気の抜けた雰囲気すらある。
なのに、妙に目が離れない。
「…………」
禮が女を見ると、女も気づく。
「何?」
「いや」
少し間を置く。
「強そうだなって思って」
男が禮を見る横で、久世は一瞬だけ目を丸くした。
「…………へぇ」
久世はさっきまでより少しだけ楽しそうに笑う。
「分かるんだ?」
「なんとなく」
「能力も使ってないのに?」
「だから、なんとなく」
「ふーん」
久世は禮の目を見る。
数秒、二人とも何も言わない。
男だけが嫌な予感でもしたように、眉間へ指を当てた。
「久世さん」
「何?」
「余計なことはしないでください」
「まだ何もしてないよ」
「あなたの場合、今からするんでしょう」
「信用ないなぁ」
「実績です」
「失礼な」
禮が少し笑う。
さっきまであれほど気怠そうだった顔から、ほんの少しだけ退屈そうな色が消えていた。
久世はそれを見逃さなかった。
「君」
「ん?」
「戦うの好きでしょ?」
禮の目が僅かに変わる、男が即座に声を挟む。
「久世さん」
「まだ誘ってないって」
「《まだ》と言いましたね」
「言ったっけ?」
「言いました」
久世は完全に無視し、禮へ一歩近づいた。
「さっきの測定」
「途中から見てたんだけどさ」
「…………」
「局の設備が先に限界迎えるの、久しぶりに見た」
「久しぶり?」
禮がそこに反応し、久世の口元が上がる。
「うん」
「前にもいたの?」
「いたよ」
「誰?」
久世は自分を指差した。
「私」
「…………」
禮の目が少しだけ開く。
男は何も言わない。
「へぇ」
それだけだった。
だが今日、局へ来てから初めて禮の声にはっきりと興味が混ざった。
久世もそれに気づいたらしい。
「やっぱり」
「?」
「君、そっちの方がいい顔するね」
「何の話?」
「研究員に囲まれてる時、ずっと死にそうな顔してたから」
「面倒だったし」
「でも」
久世は自分を指す。
「今は?」
「…………」
禮は少し考える。
「さっきよりは面白い」
「だよね」
「久世さん」
男の声が低くなる。
「はいはい」
女は軽く手を振るが、帰る様子はない。
むしろ、もう完全に禮へ興味を向けていた。
「改めて」
胸元へ軽く手を当てる。
「久世紫苑」
「一応、この局で働いてる」
「一応って……」
男が呟くが、紫苑は気にせず続ける。
「で」
久世は禮を見る。
「神成禮」
「一個聞いていい?」
「何?」
「君さ」
久世が少しだけ楽しそうに笑う。
「本気で戦ったら、どのくらい強いの?」
禮は少しだけ考えた。
自分がどの程度なのか、正確に測ったことなんてない。
そもそも、比べる相手もほとんどいなかった。
だから、答えは単純だった。
「分かんない」
「ただ」
禮は久世を見る。
「まだ自分より上とは会ったことがないな」
「…………」
男の表情が固まった。
数秒の沈黙のあと、久世はぱちりと瞬きをする。
「……ふふ」
久世は小さく笑った。
「ははっ」
今度は隠すことなく笑う。
「いいね、君」
「何が?」
「いや」
久世は口元へ手を当てながら禮を見る。
「久しぶりにそんなこと言われたから」
「そう?」
「そう」
男がゆっくりと額へ手を当てた。
「神成」
「何?」
「一応聞くが」
一拍。
「彼女が誰なのか、本当に知らないんだな?」
「知らない」
禮は即答した。
「さっき初めて会った」
「……そうか」
男は妙に納得したような、それでいて頭が痛そうな顔をする。
久世が横から覗き込む。
「何その反応」
「いえ」
「言いたいことあるなら言えば?」
「なら言いますが」
男は禮を見る。
「お前が今」
一度、言葉を切った。
「自分より上に会ったことがない、と言った相手」
禮も男を見る。
「うん」
男は久世へ視線を向ける。
「この人は――」
一拍。
「《最上》だ」
禮が僅かに眉を上げた。
「最上?」
久世は特に訂正するでもなく、笑ったまま立っている。
「何それ」
「知らないのか?」
「聞いたことはあるような、ないような」
「学校でも触れるはずだが」
「授業ちゃんと聞いてないから」
「……そうだったな」
昨日の教室でのことを思い出したのか、男がため息をつく。
「《最上》」
それは、能力の系統でも局内の役職でもない。
能力者に与えられる特殊な呼称。
強化系、生成系、変質系、操作系、感知系、特殊系。
そうした分類とは全く別のものだ。
男が続ける。
「簡単に言えば」
「世界で最も強いと認められた能力者に与えられる呼び名だ」
禮の目が少しだけ細くなる。
先ほどまで「測定が終わった。
帰れる」と、それだけを考えていた目とは違った。
「世界で?」
「ああ」
「現時点において」
男は久世を見る。
「公式に《世界最強》とされている能力者」
「それが」
「久世紫苑さんだ」
「…………」
禮は久世を見る。
久世も笑いながら禮を見る。
「だって」
「へぇ……」
禮の声から完全に面倒そうな響きが消えていた。
久世がそれに気づく。
「お」
「何?」
「さっきより目が起きた」
「そう?」
「うん」
久世は楽しそうに禮の顔を覗き込む。
「世界最強って聞いた瞬間に」
「急に興味出たでしょ」
「まあ」
禮は否定しなかった。
「強い奴は好きだから」
「ふーん」
久世の笑みが少し深くなる。
「じゃあさ」
男の眉がぴくりと動いた。
「久世さん」
「まだ何も言ってないよ?」
「今の流れで分かります」
「エスパー?」
「あなたとの付き合いです」
「便利だね」
「嬉しくありません」
禮が二人を見る。
「何?」
「いやいや」
久世は軽く手を振る。
「今日は別に何もしないよ」
男が少しだけ安心した顔をする。
だが、次の言葉でその表情はすぐ消えた。
「今日は、ね」
「久世さん」
「冗談冗談」
「絶対違うでしょう」
久世は男を無視して再び禮を見る。
その目には先ほどまで以上の興味が宿っている。
世界最強、《最上》。
これまで、挑んでくる者は何人もいた。
自分こそが強い、自分なら勝てる。
そう口にする人間も珍しくはない。
だが、目の前の少年は少し違った。
久世が《最上》だと知らない状態で、ただ彼女を見て――強そうだ。
そう言った。
そして、世界最強だと知らされた今も、驚きこそすれ、怯えも萎縮もない。
むしろ、先ほどまでより楽しそうにしている。
「神成禮」
「ん?」
「君」
久世は笑った。
「やっぱ面白いね」
禮も僅かに口元を上げる。
少なくとも、今日ここへ連れて来られてから初めて、禮はそう思った。
――来て悪くなかったかもしれない。
久世は少しだけ首を傾げた。
「じゃあ、確かめてみる?」
「何を?」
「どっちが強いか」
男の眉間に皺が寄る。
「久世さん」
「いいじゃん。私も気になるし」
禮の返事は早かった。
「なら、確かめさせてくれるのか?」
「もちろん」
「いつにする?」
男がとうとう額を押さえた。
久世は少し考えてから答える。
「明日の放課後。第七訓練区画でどう?」
「第七?」
「局でも一番頑丈な訓練場。私とやるなら、そこが一番安心」
「よし、決まりで」
禮は何でもないことのように続けた。
「見物人も二人ほど連れてきます」
「二人?」
「禮歌と慧」
男がすぐに口を挟む。
「一般人を訓練区画へ入れるのは――」
「観覧室ならいいでしょ?」
久世が言う。
男は数秒黙ったあと、諦めたように息を吐いた。
「……二名までです。観覧室から出ないことが条件です」
「だって」
「じゃ、それで」
能力測定を受けるだけだったはずの一日は、気づけば世界最強との対戦予定まで増えていた。




