第二話 対立
第一章 ーーー 第二話
授業が終わり、放課後。
目の前の二人を見た慧は、どうしてこんな事態になったのか理解できず、呆れたように呟いた。
「……なんでこうなったんだ?」
時は少し遡り、同じ日の午後。
教室では教師の声が淡々と響き、電子黒板に映し出された授業内容を、生徒たちがそれぞれノートへ書き留めていた。
その中で神成禮だけは頬杖をつき、教師の話よりも窓の外の景色に意識を向けていた。
「…………」
授業を聞いていないわけではなく、今の内容なら聞く必要がないというだけで、それよりも考えなければならないことがあった。
朝、学校へやって来た特異事象対策局の男のことであり、あの訪問が今後どう転ぶのか、禮にとっては授業よりもそちらの方が問題だった。
「……面倒くさ」
禮は小さく呟きながら、昨日の事件で能力を使った場面を局員に見られた可能性について、改めて考えを巡らせた。
正確にはどこまで見られたのか分からないが、少なくとも防壁と朝凪高等学校の制服は確認されているだろう。
顔まで完全に確認されたかは不明であり、今日わざわざ教室を訪ねてきたことを考えても、まだ本人を特定できていないはずだった。
もし禮だと確信しているなら、教室全体へ呼びかけるのではなく、最初から本人を直接呼び出せば済む話だからだ。
ならば、まだ誤魔化す余地はあり、学校に登録している能力――《創》と、その分類である《生成系》の情報を利用することもできる。
登録内容は簡単な物体を生成する能力というものだから、昨日の防壁についても、多少出力が高かったと説明すれば通せなくはない。
「…………」
禮は僅かに目を細めたが、問題はその先にあり、局が本格的に調べ始めれば能力の詳細だけでなく、過去や家族関係にまで調査が及ぶ可能性がある。
そして何より、その調査が禮歌にまで及ぶことだけは避けたかった。
「……それは面倒だな」
いや、面倒という言葉だけでは済まず、禮歌について深く調べられれば、どこかで必ず不自然な部分が見つかってしまうだろう。
ならば局が接触してきた段階で自分だけで話を終わらせ、必要なら適当な能力情報を見せ、昨日の件についても説明して納得させればいい。
少なくとも、その話に禮歌を関わらせる必要はないと、禮は考えていた。
「……よし」
考えること自体が面倒ではあったものの、ひとまず方針は整理できたのだから、あとは向こうから何か言われた時に対応すればいい。
そう結論を出した、ちょうどその時だった。
「神成」
教師の声。
「…………」
「神成?」
禮が前を見る。
「何ですか?」
「今説明したところ、答えてみろ」
「聞いてませんでした」
「堂々と言うな」
教室から笑い声が上がる。
隣の禮歌が小さくため息をついた。
「何考えてたの?」
「あとで話す」
「?」
禮歌は少し不思議そうな顔をした。
そして、放課後。
終礼が終わると教室の空気が一気に緩んだ。
部活へ向かう者。
友人と遊びに行く相談を始める者。
さっさと帰り支度をする者。
禮も鞄を持ち上げ、席を立つ。
「帰るか」
「うん」
禮歌も本を鞄へしまう。
その前で慧だけが座ったまま、どこか落ち着かない顔をしていた。
「……なあ」
「何?」
「今日、このまま普通に帰って大丈夫だと思う?」
禮が首を傾げる。
「なんで?」
「なんでって……朝!」
「ああ、局の人?」
「忘れてたの!?」
「忘れてはない」
「じゃあもうちょっと警戒しろよ!」
禮歌が鞄を肩に掛けながら言う。
「慧は気にしすぎだと思うけど」
「禮歌まで!?」
「向こうが何かするなら、朝の時点でしてるんじゃない?」
「……それは、そうかもしれないけど」
禮が教室の出口へ歩き出す。
「ほら、帰るぞ」
「本当に大丈夫かなぁ……」
「大丈夫じゃなかったら、その時考えればいいだろ」
「その考え方で昨日能力使ったんだろ!」
「結果、女の子助かったじゃん」
「そうだけど!」
そんな会話をしながら。
三人は教室を後にした。
校門まで歩いても、朝のことが嘘だったかのように、特異事象対策局の姿はどこにもない。
「……いないな」
慧が周囲を何度も確認する。
「誰が?」
「局の人だよ!」
「まだ気にしてたのか」
「気にするだろ普通!」
禮は呆れたようにため息をつく。
「向こうも暇じゃないんだろ」
「お前を探しに学校まで来たんだけどな……」
「俺を探してるとは限らないだろ」
「限ると思うけど……」
その横で、禮歌が小さく笑う。
「今のところは何もなさそうだね」
「ああ」
禮は軽く伸びをした。
「腹減ったし、さっさと帰ろうぜ」
「結局それかよ……」
三人はいつもの道を歩き始めた。
しばらく歩いたところで、慧は買い物のために一度別れ、後から合流することになった。
二人きりになった帰り道で、禮が口を開いた。
「禮歌」
「ん?」
「朝の局の件なんだけど」
「うん」
禮歌が禮を見る。
「もしまた向こうから接触してきたら」
「うん」
「俺一人で対応する」
禮歌の足が止まった。
禮も数歩進んでから振り返る。
「……何?」
「なんで?」
「何が?」
「なんで一人で対応しようとするの?」
禮は少し首を傾げる。
「その方が楽だから」
「そういうことじゃない」
「俺のことで来てるんだぞ」
「だから?」
「禮歌が関わる必要ないだろ」
「あるよ」
「ないって」
禮歌の表情が少し険しくなる。
「またそれ?」
「何が」
「何かあったら、全部一人で終わらせようとする」
「終わらせられるならいいだろ」
「よくない」
「なんで」
「私もいるから」
「だからだよ」
「……何それ」
禮は少し息を吐いた。
「局が調べたいのは俺だ」
「今のところはね」
「なら俺だけでいい」
「私まで調べられるかもしれないから?」
禮は答えなかった。
その沈黙だけで禮歌には十分だった。
「やっぱり」
「別に大したことじゃない」
「大したことだよ」
「俺ならどうにでもできる」
「私だってできる」
「そういう話じゃない」
「じゃあどういう話?」
短い沈黙。
禮が答える。
「お前を巻き込みたくない」
禮歌の眉が動いた。
「もう巻き込まれてるよ」
「まだだろ」
「私はずっと禮と一緒にいる」
「それとこれは別」
「別じゃない」
「別だって」
二人の足が完全に止まる。
禮歌が真っ直ぐ禮を見る。
「……私が弱いから?」
「は?」
「私じゃ邪魔?」
「そんなこと言ってない」
「じゃあ一緒でいいじゃん」
「必要ない」
「必要ある」
「ない」
「ある!」
禮が頭を掻く。
「頑固だな……」
「禮にだけは言われたくない」
「じゃあどうすんだよ」
禮歌は数秒黙る。
そして。
「決めよう」
「何を?」
「どっちの言うことを聞くか」
「どうやって」
禮歌は即答した。
「戦って」
「…………」
普通なら。
そこで止めるところなのだろう。
だが、禮は少しだけ口元を上げた。
「いいぞ」
「え?」
今度は禮歌が少し驚く。
「言い出したのお前だろ」
「そうだけど……」
「勝った方の言うことを聞く」
禮が続ける。
「それでいいな?」
禮歌も禮を見る。
そして。
「……うん」
頷いた。
それから少しして。
学校から離れた、人のほとんど来ない場所。
そして現在。
「……なんでこうなったんだ?」
遅れてやって来た慧は、目の前の光景を見ながら呆然と呟いた。
その視線の先。
少し離れた場所で向かい合っているのは、禮と禮歌。
二人とも制服姿。
ついさっきまで普通に学校で授業を受けていた高校生――のはずだった。
「慧」
禮がこちらを見る。
「ちゃんと見とけよ」
「何を!?」
「どっちが勝ったか」
「なんで俺が審判なんだよ!」
慧の叫びが響く。
禮歌もいつになく真剣な顔をしている。
「慧。お願い」
「禮歌まで!?」
慧は頭を抱えた。
「放課後だぞ!? なんで学校終わってそのまま決闘なんだよ!」
「話し合いで決まらなかった」
「だからって戦うな!」
禮が肩を竦める。
「その方が早い」
「早くない!」
禮歌が一歩前へ出る。
「禮」
「ああ」
先ほどまでの空気が変わる。
慧にも分かった、二人とも。
本当にやるつもりだ。
「ちょ、ちょっと待って!」
慧が慌てて声を上げる。
「一個だけ確認していい?」
「何?」
「……これ、俺死なないよな?」
禮と禮歌が顔を見合わせる。
「多分」
「多分!?」
「慧は離れてれば大丈夫だよ」
「禮歌! そこは絶対って言ってくれよ!」
そんな慧を置いて。
禮は僅かに笑った、面倒事は嫌い。
目立つことも嫌い。
だが、戦うことだけは嫌いではない。
「じゃあ――」
禮の表情が変わる。
「やるか」
禮歌も静かに構えた。
「うん」
次の瞬間、二人の姿が慧の視界から消えた。
地面が弾け、砂埃が舞う。
禮歌は一気に間合いへ入り、《破壊》を纏わせた蹴りを禮の脇腹へ叩き込もうとする。
禮は避けず、右拳へ《創》を集めて真正面から迎え撃った。
《創》と《破壊》。
正反対の力を纏った拳が激突し、衝撃波が周囲へ走る。
「うわっ……なんだよこれ!」
慧が腕で顔を覆う。
禮歌の《破壊》が《創》を削り、《創》は壊されたそばから形を戻す。
拮抗した力はやがて弾け、二人は同時に数メートル後方へ滑った。
互いに傷はない。
「互角?」
少し楽しそうに禮歌が笑う。
「じゃあ、ここからはちゃんと技使うね」
「えっ。今まで技じゃなかったの!?」
慧の叫びを置き去りに、禮歌が踏み込む。
「《崩進》」
足元へ集中させた《破壊》で地面を崩し、その反動を加速へ変え、禮歌の姿が掻き消え、右、左、背後と不規則に位置を変えた。
慧には、何人もの禮歌が禮を取り囲んでいるようにしか見えない。
そして背後。
禮歌の拳へ《破壊》が一点に収束した。
「《壊穿》」
接触点から対象の内部へ《破壊》を通す一撃。
禮は振り返り、両手を開いた。
「《無手・創乱》」
両手を覆った《創》が一つの形を取らず、構造も密度も方向も絶えず変化する。
《壊穿》と左手が触れた瞬間、内部へ進もうとした《破壊》の経路へ次々と別の構造が生まれた。
通るべき道を定められなくなった《壊穿》が弾かれる。
「……乱してる?」
「正解」
禮歌は流された腕を引き、そのまま左手を禮へ向ける。
「《破紋・裂環》」
禮の周囲へ黒い亀裂が円状に走り、前後左右と上方から同時に《破壊》が迫った。
禮は小さく息を吐く。
「――《夢虚無幻》」
黒とも白とも言えない奇妙な空白が、禮の周囲へ無数に現れ、《何も存在できない状態》そのものを、《創》によって現象として成立させた《虚無》。
迫っていた《破壊》が触れた瞬間、音もなく消えていく。
禮が指を動かすと、残った虚無が一斉に禮歌へ向かった。
直線ではない。
消えたと思えば背後、避けた先、頭上。
位置そのものが不規則に変化する。
禮歌は《崩進》でかわしながら《破壊》で迎撃するが、数が多い。
「……だったら」
両手を開く。
「《破域・崩界》」
禮歌を中心に《破壊》の領域が広がり、侵入した《夢虚無幻》を次々と消していく。
それでも全ては消えない。
やがて真正面に、それまでより遥かに大きな虚無が形を成した。
禮歌は《破域・崩界》を解除し、周囲へ広げていた《破壊》を両手の間へ圧縮する。
「次は――私から行くよ」
禮は残っていた虚無の数を見て、少しだけ目を見開いた。
「……よくこの短時間でここまで消したな」
「褒めても何も出ないよ」
「別に褒めてない」
「今のは褒めてたでしょ」
禮が指を動かす。
巨大な虚無が二人の間へ滑り込み、そのまま禮歌へ向かった。
視界を遮られた禮歌が身構える。
その向こうで、禮は右手を開いた。
「《創》――武装構築――《アポカリプス》」
光が集まり、柄、鍔、黒い刀身を形作る。
禮の右手に一本の剣が現れた。
一方、禮歌は圧縮した《破壊》を巨大な虚無へ正面から放つ。
二つの力が食い合い、やがて《破壊》が中心を穿った。
巨大な虚無が消滅する。
視界が開けた先で、禮歌は禮の手にある黒剣を見た。
「……それ出すんだ」
「剣……?」
慧も目を凝らす。
禮歌は右手を横へ伸ばした。
黒い光が集まり、一振りの長刀へ変わる。
神器――《黒月》。
禮から禮歌へ贈られ、正式に登録されている武器。
「こっちだけ素手っていうのも、不公平でしょ?」
二人は武器を手に、再び向かい合った。
次の瞬間、金属音が響く。
《黒月》と禮の黒剣が真正面からぶつかった。
武器そのものの性能では《黒月》が僅かに上だった。
強度、能力伝達、安定性。
打ち合うたび、禮の身体が少しずつ押される。
「禮が……押されてる?」
「どうしたの?」
禮歌が楽しそうに踏み込み、《黒月》を横薙ぎに振るう。
禮は剣で受け、数メートル押し流された。
「……さすがに、武器としての性能じゃこっちが負けてるか」
だが、困った様子はない。
「なら、補えばいいだけだ」
「《創約》」
淡い光が刀身の内側へ走る。
不足すれば創る、削られれば創る、壊れれば創り直す。
禮が定めた状態を《創》によって維持し続ける技。
「……何したの?」
「ちょっと補強」
「ちょっと?」
「ちょっと」
禮歌は《崩進》で一気に距離を詰め、《黒月》を振り下ろした。
再び激突。
今度は禮の身体が動かない。
《黒月》の《破壊》が刀身を欠けさせても、直後には《創約》が補う。
「それ……ずっとやるつもり?」
「必要なら」
「ずるくない?」
「能力だからな」
「またそれ」
禮歌が笑い、《黒月》へ流す《破壊》をさらに引き上げる。
壊しても直るなら、直るより先に壊し切る。
禮もそのまま受け続けるつもりはなかった。
《創約》とは別の《創》が刀身の根元へ集まり始める。
禮歌が気づく。
「……まだ何かする気?」
「そっちこそ」
「止める?」
「まさか」
「だよね」
二人の力がさらに膨れ上がる。
「……いや、待て。お前ら、それ本当に大丈夫なやつか……?」
慧が引きつった声を漏らした、その時だった。
「君」
「ひゃいっ!?」
突然。
真後ろから声をかけられ。
慧の身体が跳ねた、勢いよく振り返る。
「え、あ……」
そこに一人の男が立っていた。
黒を基調とした制服。
見覚えがある。
昨日、そして、今朝。
学校へやって来た――、特異事象対策局の男。
男は慧の制服を一度見る。
「朝凪高等学校の生徒だな?」
「…………」
慧の顔から。
血の気が引いた。
「少し聞きたいことが――」
「ちょ、ちょっと待ってください!!」
慧が突然叫んだ、男が僅かに眉を上げる。
だが、慧はすでに男を見ていなかった。
勢いよく禮たちの方を振り向く。
「おい!!」
声を張り上げる。
「二人ともストップ!!」
禮と禮歌。
二人の動きが僅かに止まった。
「何だよ」
禮が不満そうに慧を見る。
禮歌も《黒月》を構えたまま。
「慧?」
慧は青ざめた顔で自分の後ろを指差した。
「局!!」
「……は?」
禮の視線が動く。
禮歌も同じ方向を見る。
そして、数十メートル先。
そこに立っている男を認識した。
数秒、沈黙、禮歌が呟く。
「…………朝の人」
「そうだよ!」
慧が叫ぶ。
「俺に普通に話しかけてきたんだよ!」
男は三人を静かに見ていた。
正確には、禮と禮歌。
そして、二人が手にしている剣を。
「…………」
禮の剣を覆っていた《創》がゆっくりと静まっていく。
禮歌も《黒月》へ集めていた《破壊》を止めた。
完全に最悪のタイミングだった。
男が一歩、こちらへ歩いてくる。
「邪魔をしたようだな」
落ち着いた声。
そして、男の視線がまず禮歌の《黒月》へ次に禮が握っている黒い剣へ向けられる。
僅かな沈黙。
「……随分と」
男の目が細くなる。
「一般高校生らしくない放課後を過ごしているようだな」
そういって男は禮たちに接触してきた。
男はゆっくりと三人の方へ歩いてくる。
禮と禮歌。
そして、二人が手にしている武器。
その全てを順番に確認するように視線を動かした。
「まず確認したい」
男が足を止める。
「今、君たちは何をしていた?」
「…………」
慧が露骨に目を逸らした。
禮歌も《黒月》を持ったまま黙っている。
男は続けた。
「見たところ、単なる能力の練習には見えなかった」
周囲、抉れた地面、ひび割れた岩。
《崩進》によって何度も陥没した足元。
さらに、《夢虚無幻》と《破壊》がぶつかった痕跡まで残っている。
どう見ても。
高校生が軽く能力を試した程度ではない。
「……まあ」
慧が小さく呟く。
「そうですよね……」
男の視線が慧へ向く。
「君も参加していたのか?」
「違います!」
即答。
「俺は審判です!」
「審判?」
「いや、違っ……違わないけど!」
慧自身も何を言っているのか分からなくなっていた。
禮歌が小さく息を吐く。
男はそれ以上慧を追及せず。
今度は、禮歌の右手へ目を向けた。
《黒月》。
「その顕装」
禮歌が僅かに目を細める。
「これ?」
「ああ」
男は数秒。
刀身を観察する。
「随分と出力が高い」
普通の顕装ではない。
先ほど。
離れた位置からでも感じ取れるほどの力を放っていた。
「登録は?」
禮歌が答える。
「してあるよ」
「所有者は?」
「私」
短い返答、男は頷く。
「後で登録情報を確認させてもらう」
「……分かった」
そして、次。
男の視線が動いた。
禮へ正確には禮の手に握られている黒い剣へ。
「そちらは?」
慧の肩がぴくりと動いた。
禮歌も、ほんの僅かに禮を見る。
男は黒い剣をじっと観察する。
形状、刀身、纏っている力。
どれも。
一般的な顕装とは明らかに違う。
「その顕装も登録されているのか?」
少しの沈黙の後、さらに、男が付け加える。
「先ほどから見ていたが」
その視線が鋭くなる。
「君の武器は、そちらの少女のものとは性質が違う」
慧が目を瞬く。
「……分かるんですか?」
「ああ」
男は禮の剣から視線を外さない。
「彼女の武器は、少なくとも武器として存在しているものを使用している」
そして、禮の剣。
「だが君のものは――」
一拍。
「途中から突然現れた」
慧が固まる。
禮歌も黙ったまま男を見る。
「顕装の召喚か」
「能力による生成か」
「あるいは、それ以外か」
男は淡々と言葉を並べる。
決めつけてはいない。
だが、見逃すつもりもなさそうだった。
「もう一つ」
男の視線が禮本人へ移る。
「朝凪高等学校の生徒だな?」
そして、ほんの僅かに目が細くなる。
「昨日の事件現場にも――いたか?」
慧の顔が一瞬で引きつった。
禮はそんな慧を横目で見る。
――まあ。
ここまで戦ってるところを見られた以上。
全部誤魔化すのは無理だろう。
だが、だからといって。
素直に教えてやる理由もない。
「まずこれだけど」
禮は手にした黒い剣を軽く持ち上げた。
「登録はしてない」
男の眉が僅かに動く。
「未登録の顕装ということか?」
「いや」
禮は首を振る。
「そんな大したものじゃない」
「……?」
「俺が適当に作っただけ」
男の視線が鋭くなる。
「作った?」
「ああ」
禮は何でもないことのように答える。
「俺の能力、《創》だから」
その瞬間、禮の手の中。
黒い剣へごく僅かに《創》が流れた。
誰にも気づかれないほど。
静かに刀身の内部、構造。
強度、能力伝達効率。
先ほどまで《創約》によって補われていた性能を禮自身の手で落としていく。
一つずつ。
意図的に削る、整える。
そして、どこにでもあるような。
少し丈夫なだけの剣へ作り変える。
――これならいいだろ。
禮は剣を肩に担ぐ。
「そこら辺にある剣と変わらないよ」
「能力で形だけ作った」
男は黙った。
そして。
「確認しても?」
「好きにすれば」
禮が剣を差し出す、男は受け取り。
重さを確かめる、柄、刀身。
重心。
そして、僅かに能力を通す。
「…………」
普通。
少なくとも、今、手にしているこれは異常な武装には見えない。
特殊な機構もない。
能力を増幅する構造も、顕装特有の反応も。
ほとんど確認できない。
「……ただの剣?」
慧が小さく呟いた。
禮は横目で慧を見る。
「だから言っただろ」
「いやでもさっき――」
禮歌が無言で慧の足を踏んだ。
「痛っ!」
「慧」
「……はい」
男はそんな三人を見ながら。
再び剣へ視線を落とす。
確かに今確認できる限りでは禮の言っていることに大きな矛盾はない。
だが、先ほど。
この剣は禮歌の《黒月》と真正面から打ち合っていた。
しかも。
途中から。
明らかに性能が変化していた。
「…………」
男は剣を禮へ返す。
「分かった」
禮が受け取る。
だが、男の表情は変わらない。
納得した。
というより。
今は証明できない。
そう判断したようにも見えた。
そして。
「昨日の件は?」
禮を見る。
「事件現場にいたか?」
「いない」
即答だった。
慧の肩が跳ねる。
禮歌は何も言わない。
男が禮を見る。
「本当に?」
「ああ」
「昨日、現場で確認された人物は朝凪高等学校の制服を着ていた」
「この学校、生徒何人いると思ってんだよ」
「…………」
「制服だけで俺って決められても困る」
男は何も言わない。
禮も視線を逸らさない。
数秒、沈黙。
慧だけが二人の間で落ち着かない様子を見せている。
「…………」
やがて、男が口を開いた。
「そうか」
それだけ。
禮は僅かに眉を上げる。
もっと追及されると思っていた。
しかし、男はそれ以上聞かなかった。
代わりに、禮歌へ視線を移す。
「君の《黒月》については、登録を確認する」
「うん」
「それと」
再び禮。
「君の能力についても確認させてもらう」
「……何を?」
「学校へ提出されている能力登録だ」
男は淡々と告げる。
「君が言う通り《創》でその武器を作ったのなら、登録内容との整合性を見るだけだ」
慧がまた固まった。
禮歌も僅かに目を細める。
禮の学校登録。
――簡単な物体を生成する能力。
その程度の内容しか。
書かれていない。
男は続ける。
「問題がなければ、それで終わる」
一拍。
「問題がなければな」
男は携帯端末を取り出した。
「確認する」
数回、画面を操作する。
最初に表示されたのは神成禮歌。
そして、彼女が所有する顕装の登録情報。
男の指が止まった。
「……《黒月》」
禮歌が答える。
「うん」
「神器として正式登録済み。所有者も神成禮歌本人」
画面をさらに確認する。
申請記録、所有者情報、登録された特性。
どれにも不審な点はない。
男は端末を閉じかけ。
一度だけ《黒月》を見る。
「こちらは問題ない」
慧が小さく息を吐く。
「そっちは、って言い方怖いな……」
次。
男が検索した名前は神成禮。
数秒後、能力登録情報が表示された。
男の目が僅かに細くなる。
「能力名――《創》」
禮は何も言わない。
「分類、《生成系》」
さらに下。
「登録内容……簡単な物体を生成する能力」
沈黙。
男が端末から顔を上げる。
そして、禮の手にある剣を見る。
「…………」
慧も。
なんとなく察した。
「あ」
男が静かに口を開く。
「簡単な物体」
もう一度、禮が持つ剣を見る。
「君はそう登録している」
「ああ」
「だが」
男の声色が僅かに変わる。
「私が先ほど見たものと、随分違うように思える」
禮歌が男を見る。
男は端末を操作しながら続けた。
「物体の生成だけなら、まだ説明できる」
「剣を作る。それ自体は登録内容の延長として考えることも可能だ」
そこで、画面を閉じる。
「だが、先ほど君の武器は戦闘中に明確な変化を起こしていた」
慧の表情が固まる、《創約》。
欠けた部分が再生し。
《黒月》の性能に追いつくようにその場で補われ続けていた。
男はそれを見ていた。
さらに。
「それ以前にも」
禮を見る。
「空間に複数の現象が発生していたな」
禮歌が僅かに目を細める。
男は名称までは知らない。
だが、《夢虚無幻》。
あれだけの現象を単純な物体生成だけで説明するのは難しい。
「登録された能力が成長すること自体は珍しくない」
「訓練によって応用範囲が広がる者もいる」
一拍。
「だから、登録内容が現状と多少異なるだけなら問題にはしない」
慧が少し安心しかける。
しかし。
「多少なら、だ」
「…………」
再び顔を引きつらせた慧をよそに、男は禮の方へ真っ直ぐ視線を向けた。
「君の場合は」
少し考え、言葉を選ぶ。
「《簡単な物体を生成する》という説明だけでは、先ほどの戦闘を説明できない」
禮の能力が学校へ申告されているものよりも遥かに広いということは、先ほどの戦闘だけでも、ほぼ確実に知られてしまっていた。
だが、何でも創れることや、通常なら成立しない現象すら《技》として創造できること、さらには神器に近いものまで形にできること――その全てが知られたわけではない。
男も断定はしなかった。
「一つ聞く」
禮を見る。
「君自身は、自分の能力をどこまで使えると認識している?」
男の問いに禮は少しだけ考えた。
「……なるほどな」
そして、何でもないことのように答える。
「多少、解釈が広がっただけにすぎん」
「解釈?」
「ああ」
禮は手にした剣を軽く持ち上げる。
「最初は簡単な物を作る程度だった」
「使ってるうちに、できることが増えた。それだけだ」
男は黙って聞いている。
禮は続けた。
「あの戦いを見てたなら分かるはずだろ」
周囲に残る戦闘の跡、禮歌。
そして自分。
「能力専門の学校なら、あれくらいの奴は普通にいる」
男の目が僅かに細くなる。
「だから?」
「別に珍しくないってことだ」
禮は肩を竦めた。
「俺の能力が少し成長した。それ以上でも以下でもない」
沈黙。
慧は二人を交互に見る。
「…………」
禮歌も口を挟まない。
やがて、男が静かに答えた。
「確かに」
慧が僅かに目を見開く。
「能力専門校の上位生徒であれば、先ほど程度の出力を持つ者はいる」
「……ですよね」
なぜか慧が安心したように頷く。
だが、男は続けた。
「私が気にしているのは、出力ではない」
慧の顔がまた引きつった。
「ですよね……」
男は禮を見る。
「一つ、武器の生成」
「二つ、破損した武器の即時修復」
「三つ、複数の異なる現象の同時展開」
そして。
「その全てを、同じ《創》という能力の応用だと言う」
「そうだけど」
「それは理解できる」
意外な返答だった。
男は腕を組む。
「能力の定義は、本人の認識によって大きく変化する場合がある」
「最初は『物を作る能力』だと思っていた者が、訓練の結果『構造そのものを組み立てる能力』だったと判明する例もある」
慧が小声で呟く。
「じゃあ問題ないんじゃ……」
「だが」
ぴたり。
慧が黙る。
男は禮から視線を外さない。
「それほど能力の解釈が変化しているなら、なぜ登録を更新していない?」
「…………」
「能力登録は、一度提出して終わりではない」
男は端末を軽く持ち上げる。
「危険性、使用可能範囲、出力に大きな変化があった場合、更新することが推奨されている」
一拍。
「君の登録は数年前からほとんど変わっていない」
禮歌の表情が僅かに動く。
男はさらに続けた。
「それともう一つ」
禮を見る。
「君は今、『能力専門校なら普通にいる』と言ったな」
「ああ」
「なら逆に聞こう」
男の声は淡々としていた。
「それだけ能力を扱える人間が、なぜ能力専門校ではなく一般高校にいる?」
慧が。
「あ……」
と、小さく声を漏らした。
男は責めるような口調ではない。
ただ、一つずつ。
矛盾になりそうな箇所を拾っている。
「専門校へ進まないこと自体は自由だ」
「当然、強制する制度もない」
「だが」
禮の戦闘痕を見る。
「これだけ戦闘に慣れている人間が」
次に、禮本人を見る。
「自分の能力を『簡単な物を生成する程度』として長期間放置している」
僅かな間。
「それは少し、不自然ではある」
男の言葉に慧が完全に黙り込む。
禮歌も、静かに禮を見る。
どうやら。
完全に誤魔化せたわけではないらしい。
だが、男もまだ。
禮が何か決定的な秘密を隠していると断定できるほどの材料は持っていなかった。
「別に犯罪だと言っているわけじゃない」
男はそう付け加える。
「ただ、君が意図的に能力を低く申告している可能性については、確認する必要がある」
そして。
「理由を聞いても?」
禮は少しも悩まず答えた。
「登録が面倒だからです」
「…………」
男が黙った、慧も黙った。
禮歌だけは。
「あぁ……」
妙に納得したような声を漏らした。
男が僅かに眉を寄せる。
「……それだけか?」
「それだけです」
「能力の内容が変化しているにもかかわらず?」
「わざわざ書き直しに行くの面倒じゃないですか」
「…………」
男は数秒、禮の顔を見つめた。
嘘をついているようには見えない。
というより。
少なくとも、『面倒だからやらなかった』という部分に関しては、本心なのだろう。
慧が小声で呟く。
「……こいつなら本当にやる」
「慧」
「はい、黙ります」
男は小さく息を吐いた。
「珍しい理由ではない」
その言葉に今度は慧が驚いた。
「え、そうなんですか?」
「能力登録の更新を怠る者は一定数いる」
「面倒だから、必要性を感じないから、自分では変化したと思っていないから。理由も様々だ」
男は端末を見る。
「だから、それだけなら強く問題視するつもりはない」
禮が肩を竦める。
「なら終わりでいいですか?」
「いや」
即答だった。
「ですよねー……」
なぜか慧が落ち込む、男は禮を見る。
「登録を更新していない理由は理解した」
「だが」
周囲へ視線を向ける、抉れた地面。
砕けた岩。
戦闘によって残された痕跡。
「君が現在どの程度まで《創》を扱えるのかについては、こちらで改めて確認する必要がある」
「なんで?」
「昨日の件とは別だ」
男は淡々と答える。
「能力の成長自体は問題ではない」
「だが、登録内容と実際の能力に大きな差がある状態は、事故や事件が起きた際の対応に支障が出る」
一拍。
「特に君の場合、応用範囲が広い」
男は禮の持つ剣を見る。
「今日見たものだけでも、登録情報から想定できる範囲を明らかに超えている」
禮歌が口を開く。
「確認って、何するの?」
「簡単な能力測定だ」
「局の施設で?」
「ああ」
慧の顔がまた引きつる。
「それ絶対面倒なやつ……」
禮も同じことを思ったのか。
露骨に嫌そうな顔をした。
男はそれを見る。
「……嫌そうだな」
「面倒なんで」
「だろうな」
初めて。
男の返答に僅かな呆れが混じった。
そして。
「今すぐ来いとは言わない」
端末を操作する。
「正式な手続きについては、学校を通して連絡する」
禮の眉が僅かに動く。
男は続けた。
「それまでは」
一度、禮と禮歌。
二人を見る。
「今日のような戦闘は控えてくれ」
慧が勢いよく頷いた。
「はい! お願いします!」
「なんでお前が返事すんだよ」
「お前らがしないからだよ!」
禮歌が少しだけ笑う。
そんな三人を男は静かに見ていた。
疑いが消えたわけではない。
むしろ。
確認したいことは増えた。
だが、今ここで追及できる材料にも限界がある。
「では、今日はこれで失礼する」
そう言って。
男はその場を離れ始めた。
数歩進んだところで一度だけ立ち止まる。
「神成禮」
「?」
「能力測定の連絡は無視しないように」
禮は少し考え。
「努力します」
「来い」
「はいはい」
男は再び歩き出した。
男の背中が十分に離れてから。
慧がゆっくりと禮を見る。
「…………」
「何だよ」
「お前」
大きく息を吸う。
「絶対目つけられたぞ!!」
「うるさい」
「うるさいじゃないだろ!」
慧が頭を抱える。
「昨日だけならまだしも、今日あんな戦いまで見られて! 能力測定まで呼ばれて!」
「まだ連絡来てないだろ」
「来るよ! 絶対来るよ!」
禮は面倒そうに息を吐いた。
「来たら考える」
「だからそういうところだよ!」
その横で、禮歌が《黒月》を見下ろす。
そして。
「ねえ、禮」
「ん?」
「……勝負どうする?」
慧の動きが止まった、数秒。
ゆっくり二人を見る。
「まだ続ける気!?」
「だって決着ついてないし」
「つけなくていいよ!」
慧の叫びが辺りに響く。
禮は先ほど男が去っていった方向を見る。
「……まあ、今日はやめとくか」
「え」
禮歌が少し不満そうな顔をする。
「まだ近くにいるかもしれないだろ」
「それは……そうだけど」
「また見つかったら本当に面倒だ」
慧が勢いよく頷く。
「そう! それ! 今日は禮が正しい!」
「今日はって何だよ」
「普段が普段だからだよ!」
禮は手にしていた剣を見る。
そして、その手を開いた。
淡い光とともに黒い剣が崩れるように消えていく。
禮歌も《黒月》をしまった。
先ほどまでの張り詰めた空気がようやく消える。
「帰るぞ」
「うん」
「俺もう疲れた……」
三人はその場を後にした。
帰り道、夕方の街を三人で歩く。
慧は少し前。
コンビニで買った飲み物を片手に、何やら一人でぶつぶつ言っている。
その少し後ろ。
禮と禮歌が並んで歩いていた。
しばらく、二人とも何も言わなかった。
やがて、禮歌が口を開く。
「……結局」
「ん?」
「最初の話、どうするの?」
禮は前を向いたまま答える。
「局のこと?」
「うん」
「俺一人で対応する」
即答。
禮歌の眉が寄る。
「まだ言うの?」
「言うよ」
「なんで」
禮は少し黙った。
そして。
「お前が弱いと思ってるわけじゃない」
禮歌が禮を見る。
「むしろ」
禮は続ける。
「今日戦って、改めて思った」
「お前、普通に強いよ」
「……普通に?」
「かなり」
「そこは最初からかなりって言ってよ」
「細かいな」
禮歌は少し頬を膨らませる。
だが、禮の声が僅かに変わる。
「だからこそだよ」
「え?」
「強いとか弱いとか、そういう話じゃない」
禮は歩きながら、禮歌を見る。
「俺のせいで、お前まで局に目をつけられるのが嫌なんだ」
「…………」
「今日だってそうだろ」
《黒月》、能力。
そして、二人の戦闘。
結果として。
禮歌まで局員の確認対象になった。
「俺のことだけなら、どうとでもする」
「でもお前まで巻き込まれたら」
一度、言葉を止める。
「面倒だからじゃなくて」
禮は少しだけ視線を逸らした。
「嫌なんだよ」
禮歌が黙る。
「……それって」
「ん?」
「私に何かあるのが嫌ってこと?」
「そう言ってる」
「…………」
禮歌は前を向いた。
数歩、何も言わず歩く。
そして、小さく呟いた。
「ずるい」
「何が?」
「そんなこと言われたら」
「?」
「もう勝負する意味ないじゃん」
禮が首を傾げる。
禮歌は少しだけ頬を赤くしながら。
「……分かった」
「何が?」
「今日の勝負」
一拍。
「私の負けでいい」
少し前を歩いていた慧が振り返った。
「えっ!? 決着そこ!?」
「何?」
「いや、散々戦った意味は!?」
禮歌が答える。
「あったよ」
「どこに!?」
「禮が思ってたこと聞けたから」
「じゃあ最初から話し合えよ!」
「それで済んだら戦ってないだろ」
禮の言葉に慧が頭を抱える。
「もう嫌だ、この二人……」
禮歌が小さく笑った。
「でも」
「ん?」
「一個だけ条件」
禮を見る。
「全部一人で抱え込むのは禁止」
「…………」
「返事は?」
「努力する」
「ちゃんと」
「善処する」
「禮」
「……分かったよ」
ようやく。
禮歌が満足そうに笑った。
その後、慧と途中で別れ。
禮と禮歌は二人で家へ帰った。
玄関を開ける。
「ただいま」
「ただいまー」
当然、誰から返事があるわけでもない。
禮は靴を脱ぐとそのままリビングのソファへ倒れ込んだ。
「疲れた」
禮歌が呆れたように見る。
「ほとんど自業自得でしょ」
「今日は色々あったんだよ」
「私も同じだけど」
「じゃあ一緒に寝る?」
「ソファで?」
「うん」
「狭いよ」
「じゃあいいや」
「諦めるの早くない?」
そんな、いつも通りの会話がしばらく続いた。
少し前まで能力をぶつけ合っていたとは思えないほどだった。
そして夕食を済ませた頃には、外はすっかり暗くなっていた。
食後、禮はリビングのソファに寝転がりながらテレビを眺めていた。
「禮、先にお風呂入るね」
「んー」
返ってきたのは、気の抜けた声だけ。
禮歌は着替えを持って浴室へ向かった。
やがて、湯船に身体を沈める。
「ふぅ……」
温かい湯に肩まで浸かり、禮歌はゆっくりと息を吐いた。
静かだった。
聞こえるのは、わずかに揺れる水の音だけ。
そんな中、自然と今日のことを思い出す。
朝、教室へやって来た特異事象対策局の男。
そして放課後、二人の戦いを見つけ、能力登録まで確かめた同じ男。
昨日、ビルの屋上から自分たちを見ていた男だった。
「…………」
禮は気にしていないように見える。
いや、気にはしていても、今すぐどうこうなるとは考えていないのだろう。
今日、あれほどの戦いを見られた以上、登録された能力だけで説明するのは難しくなった。
それでも、本当の力の全容まで知られたわけではない。
さらに踏み込まれたとしても、禮はどうにでもできると考えているはずだった。
「……でも」
禮歌は膝を抱える。
問題は禮の能力だけではない。
もし局が本格的に禮のことを調べ始めたら。
家族構成、過去、能力記録。
そして、いつも禮の隣にいる、自分。
――神成禮歌。
自分について調べられる可能性もある。
「私のことまで調べられたら……どうするんだろ」
禮歌はぽつりと呟いた。
――禮が創った存在。
少なくとも、それが自分だ。
普通の人間と同じ生まれ方をしていないことだけは間違いない。
それを特異事象対策局が知った時、彼らがどう判断するのか。
禮歌には分からなかった。
危険な能力の産物、未知の存在。
そんなふうに判断される可能性だってある。
「…………」
禮歌は水面へ視線を落とした。
怖い。
――というのとは、少し違う。
自分がどう扱われるか。
それ自体は、それほど重要ではなかった。
ただ、そのせいで禮がまた局と関わることになるのは嫌であり、禮が特異事象対策局を嫌っている理由を禮歌は知っている。
だからこそ。
「できれば……放っておいてくれればいいんだけどな」
もちろん。
そんな都合よく終わるとは、禮歌自身あまり思っていなかった。
しばらくして。
風呂から上がった禮歌がリビングへ戻ると禮は先ほどとほとんど同じ姿勢でソファに寝転がっていた。
「禮」
「ん?」
「まだそこにいたの?」
「動く理由なかったし」
「……禮らしいね」
禮歌は少しだけ笑う。
そのまま横を通り過ぎようとして。
一度、立ち止まった。
「ねえ、禮」
「んー?」
「今日の事、本当に気にしてない?」
禮はテレビを見たまま答える。
「気にはしてるよ」
「……そうなの?」
意外な答えだった。
禮は欠伸をする。
「面倒なことになりそうだなーって」
「そっち?」
「他にある?」
禮歌は少しだけ呆れた顔をする。
「もし、禮の能力を詳しく調べられたら?」
「バレないようにする」
「私のことも調べられたら?」
そこで禮が初めてテレビから目を離した。
禮歌を見る。
「その時は、その時だろ」
「……それだけ?」
「ああ」
あまりにも軽い返事、禮歌が少し眉を寄せる。
「もう少し考えてよ」
「考えてるって」
禮は身体を起こした。
「何かあったら俺がどうにかする」
「…………」
「だから今から心配しても仕方ないだろ」
禮歌はしばらく禮を見る。
そして。
「そういうところ、ずるいよね」
「何が?」
「別に」
「またそれかよ」
禮歌は少しだけ笑って、自分の部屋へ向かった。
夜。
禮は自分の部屋のベッドへ横になる。
天井を見る。
昨日、能力強盗。
今日、学校へ来た局員、禮歌との勝負。
そして、能力測定。
「…………」
考えれば考えるほど。
面倒事が増えている。
「……最悪だ」
そう呟きながら、禮は目を閉じた。
その頃、禮歌も自分の部屋でベッドに横になっていた。
禮歌は部屋の明かりを消しても、しばらく天井を見つめていた。
今日、局員が禮の剣と登録情報を確かめた時の視線。
あれは、ただの確認で終わるのだろうか。
どこまで気づいているのか、まだ分からない。
「……大丈夫だよね」
小さく呟く。
禮なら大丈夫とそう思っている。
誰よりも、禮の強さを知っているから。
それでも、強いことと何も失わないことは、同じではない。
明日も今日と同じように、くだらないことで笑える一日であってほしかった。
それでも、今日の戦いを思い出すと、別の感情が湧いてきた。
《創》と《破壊》。
正面からぶつけた拳、禮の《夢虚無幻》、《創約》。
そして、最後まで結局。
戦闘そのものでは決着がつかなかった。
「……次やったら」
どっちが勝つんだろう、少しだけ。
気になる。
だが、それ以上に帰り道で言われた言葉が頭に残っていた。
――お前まで巻き込まれたら、嫌なんだよ。
「…………」
禮歌は布団へ顔を半分埋める。
「ずるいなぁ……」
小さく呟く。
でも。
少しだけ、嬉しかった、禮歌は目を閉じる。
局のこと、能力測定のこと、明日以降。
また何が起こるかは分からない。
それでも、今日という一日はこうして終わった。
平穏だったとはとても言えない一日だった。
禮歌は静かに目を閉じ、ようやく眠りへ落ちていった。




