第一話 変わりゆく日常
第一章 ーーー 第一話
昨日、街中で能力強盗事件が起きたというのに、朝凪高等学校にはまるで何事もなかったかのように、いつもと変わらない日常が訪れていた。
二年生となった生徒たちは、久しぶりに顔を合わせた友人たちとの再会を喜び、教室のあちこちで好き勝手に話を弾ませていた。
「なあ、昨日のニュース見た?」
教室の一角で、一人の男子生徒がスマートフォンを片手に声を上げる。
「銀行のやつだろ?」
「そうそう。三人組の能力強盗。道路までぶっ壊したやつ」
「見た見た。車ひっくり返ってたよな」
「始業式早々、あんな事件起きるとか最悪すぎだろ」
別の生徒がスマートフォンを覗き込むと、その画面には昨日の事件現場を映したニュース映像が流れており、破壊された銀行やひび割れた道路、横転した車が次々と映し出されていた。
さらに映像には、特異事象対策局によって連行されていく三人の犯人の姿も映っていた。
『昨日午後、都内の銀行に能力者三名が押し入り――』
ニュースキャスターの声が教室に流れる。
「犯人の一人、強化系だったんだって」
「斧持ってた奴?」
「そう。顕装らしいぞ」
「マジかよ。能力だけでもヤバそうだったのに」
「でも結局、局が来てすぐ捕まったんだろ?」
「やっぱ特異事象対策局ってすげぇよな」
そんな会話が教室のあちこちから聞こえてくる中、少し離れた窓際の席では、神成禮が頬杖をつきながら周囲の騒ぎを気にすることもなく座っていた。
「……朝から元気だな」
欠伸を一つ。
隣の席では、禮歌が静かに本を読んでいる。
「新学期だからじゃない?」
「だからって朝から昨日の事件についてあんな盛り上がるか?」
「大きな事件だったからね仕方ないと思うよ」
「そういうもんかねぇ」
禮は興味なさそうに窓の外へ視線を戻していたが、その前の席に座る相良慧だけは、周囲から昨日の事件についての会話が聞こえてくるたびに、落ち着かない様子を見せていた。
「……なあ、禮」
慧は周囲の生徒に会話を聞かれないように、少しだけ声を落としながら、すぐ後ろの席にいる禮へ向けて小さく呼びかけた。
「ん?」
「本当に大丈夫なんだよな?」
「何が?」
「何がじゃないだろ!」
慧が慌てて声を落とす。
「昨日のことだよ!」
「昨日?」
「なんで忘れたみたいな反応するんだよ!」
「ラーメン食った」
「その前!」
「銀行強盗?」
「そう!」
慧は周囲を一度確認してから、さらに声を小さくした。
「お前、能力使っただろ」
「使ったな」
「見られてたよな?」
「多分」
「多分って……!」
慧の顔が青くなる。
一方、禮はまるで気にしていない。
「別に顔までちゃんと見られたとは限らないだろ」
「制服は見られてたじゃん!」
「学校なんて何百人もいる」
「そういう問題か!?」
その時だった。
パタン。
禮歌が読んでいた本を閉じた。
「慧」
「な、なに?」
「声が大きい」
「……ごめん」
慧が小さくなる。
禮歌はそんな慧を一瞥すると、禮へ視線を向ける。
「でも、慧の心配は間違っていない」
「禮歌まで」
「昨日、こっちを見ていた局員いたじゃん」
「ああ」
「制服も見られたかもしれないよ」
「まあ、そうだろうな」
「……でしょ?」
禮は少し考える。
そして。
「面倒くさいとは思ってる」
「まぁ禮ならそうだろうね...」
「うん」
禮歌は数秒黙った。
「禮らしい」
「褒めてる?」
「褒めてない!」
「だよな」
慧が頭を抱える。
「なんで二人ともそんな余裕あるんだよ……」
その時、教室の反対側からまた声が聞こえた。
禮も僅かに視線だけを向けた。
「でもさ、あれだけ派手に暴れたのに死者ゼロらしいぜ」
「マジ?」
「車まで吹っ飛んでたのにな」
「運良すぎだろ」
「局が間に合ったんじゃね?」
「いや、局が着く前から怪我人ほとんど出てなかったらしい」
話題はすぐ別の方向へ流れていく。
慧はゆっくり禮を見る。
「……おい」
「俺を見るな」
「お前だよな?」
「知らん」
「完全にお前だろ」
「証拠ある?」
「俺が見てた」
「じゃあ黙っとけ」
「理不尽!」
禮歌が小さく息を吐いた。
「慧」
「はい」
「本当に黙って」
「……はい」
その時だった。
教室の前方。
ガラッ。
扉が開く。
「席につけー」
担任が入ってきた。
騒がしかった教室が徐々に静かになっていく。
だが、今日の担任は、一人ではなかった。
その後ろから。
黒を基調とした制服を着た男が教室へ入ってくる。
禮の目が僅かに細くなる。
禮歌も男を見る。
慧は。
「…………」
固まった。
昨日、ビルの屋上からこちらを見ていた男。
特異事象対策局の隊員だった。
担任が教壇に立つ。
「ホームルームを始める前に、今日は特異事象対策局の方から少し話がある」
教室がざわめいた。
「局?」
「なんで学校に?」
「昨日の事件じゃね?」
そんな声が上がる。
男は教壇の横へ立つと、教室全体を見渡した。
その視線が一瞬だけ。
禮たちのいる方向を通り過ぎる。
「突然の訪問、失礼します」
落ち着いた声だった。
「昨日発生した能力強盗事件について、少し確認したいことがあり伺いました」
慧の顔から血の気が引いていく。
禮は頬杖をついたまま。
「……ほら来た」
禮歌が小さく呟き、横目で見る。
「だから言ったのに」
「まだ俺とは決まってないだろ」
「あなたを見ていた局員本人だけど?」
「……面倒くさ」
男はそんな三人の様子には触れず、話を続けた。
「昨日、我々が現場へ到着する前に、能力を使用して民間人の方を守ってくださった人物を探しています」
教室が再びざわついた。
「能力者?」
「本当にこの学校なの?」
男は続ける。
「現場での確認から、その方が朝凪高等学校の制服を着ていたとの情報が入っています」
「そのため、本日こちらへ伺いました」
そして、教室の生徒たちをゆっくりと見渡す。
「もし本人、あるいは心当たりのある方がいましたら、教えていただけると助かります」
数秒の静寂。
その中で慧が、ほんの僅かに禮を見た。
ゴッ。
「っ!?」
禮の足が動く。
机の下で慧の椅子を蹴った。
「…………!」
慧が声を必死に堪える。
禮は前を向いたまま小さく呟いた。
「見るな」
「はい……」
禮歌は二人を見て。
小さくため息をついた。
教室の中に、小さなざわめきが広がる。
「助けた奴、この学校にいるの?」
「すげぇじゃん」
「誰だよ、名乗れよー」
面白半分に周囲を見回す生徒もいれば、自分ではないとばかりに友人同士で顔を見合わせる者もいる。
だが、当然、誰も手を挙げない。
男はしばらく待っていたが、やがて口を開いた。
「……分かりました。無理に名乗り出てもらうつもりはありません」
禮が僅かに眉を上げる。
「ただ、我々としても直接お礼と、当時の状況について少し話を伺いたいと思っています」
男は一枚のカードを教卓へ置いた。
「もし後から心当たりがありましたら、担任の先生を通してご連絡ください」
「以上です。朝からお時間をいただき、ありがとうございました」
男が軽く頭を下げる。
「はい、ありがとうございました」
担任がそう返し、男は教室を出ていく。
ガラッ。
扉が閉まった、数秒の沈黙。
そして。
「いや絶対このクラスじゃね!?」
教室が一気に騒がしくなった。
「誰だよ!」
「防御系の能力持ってる奴じゃない?」
「二組とか三組かもしれないだろ」
その騒ぎの中。
慧がゆっくりと息を吐いた。
「……た、助かったぁ……」
禮が横目で見る。
「何が?」
「お前のせいだよ!」
「俺、何もしてないけど」
「昨日しただろ!」
禮歌が二人の間から静かに口を挟む。
「でも、少し変だったね」
「何が?」
禮が禮歌を見る。
「あの人」
禮歌は先ほど男が立っていた場所へ視線を向けた。
「禮のこと、見てた気がする」
「…………」
慧が固まる。
「え?」
禮は数秒考えたあと。
「気のせいだろ」
「だといいけどね」
「おい、やめろよ二人とも! 怖くなるだろ!」
「慧は元から怖がってるじゃん」
「そういう問題じゃない!」
禮はそんな慧を無視して、再び窓の外へ視線を向けた。
校門の向こう。
先ほどの男が、一人で歩いていく姿が見える。
「…………」
ほんの一瞬、男が校舎を振り返った。
禮と、視線が合った。
「……あ」
男は何もせず、そのまま歩いていく。
禮は頬杖をついたまま、小さく呟いた。
「やっぱ面倒くさそうだな」
その後は特に何事もなく、授業は普段通りに進んでいった。
昼休みを挟み、午後。
五時間目のチャイムが鳴る。
「はい、席つけー。今日は能力基礎から始めるぞ」
教壇に立った教師が、電子黒板へ教材を映し出す。
朝凪高等学校は、ごく普通の一般高校だ。
能力者の育成を目的とした専門校ではない。
そのため、能力を使った戦闘訓練や《顕装》を用いた実技などは基本的に行われない。
授業で扱うのは、あくまで能力に関する基礎知識。
能力の分類、発現時の注意点。
能力を使用する際の法律。
事故を起こさないための制御方法。
そして、能力犯罪に巻き込まれた際の対処法。
能力を持たない生徒にとっても、無関係な授業ではなかった。
「まず確認だ。能力を持つ人間は、およそ十人に一人」
教師が黒板へ数字を書く。
「能力の大半は生まれつき宿っているが、その性質や強さには個人差がある」
教室の中では、真面目にノートを取る生徒もいれば、退屈そうに頬杖をついている生徒もいる。
そして後者の代表が。
「……眠い」
神成禮だった。
「寝ないで」
隣から禮歌が小声で言う。
「知ってる内容しかやってない」
「授業なんだから」
「知ってることを聞くために一時間座ってるの無駄じゃない?」
「それを学校で言ったら大体の授業が終わるよ」
「確かに」
「納得しないで」
前の席にいる慧が小さく振り返る。
「お前ら余裕だな……」
「何が?」
「能力の授業だよ」
慧は教師に聞こえないよう声を落とす。
「朝から局が来た日に能力の授業って、俺なら嫌な予感しかしないんだけど」
禮は数秒だけ考えた。
「考えすぎじゃね?」
「お前が考えなさすぎなんだよ!」
「相良、前を向け」
教師の声が飛んでくる。
「は、はい!」
慧が慌てて前を向く、禮歌が小さく笑った。
「怒られたね」
「誰のせいだと思ってるんだよ……」
一方。
教師は何事もなかったように授業を続ける。
「それともう一つ。能力者にとって一番大切なのは、能力の強さじゃない」
電子黒板の表示が切り替わる。
そこに大きく表示された文字。
――制御。
「強い能力でも、扱えなければただ危険なだけだ」
「自分の能力がどこまで届くのか。何ができて、何ができないのか」
「それを正確に把握することが、能力者にとって最も基本的なことだ」
その言葉を聞き。
禮歌が、ちらりと禮を見る。
「…………」
禮もその視線に気づく。
「何?」
「別に~」
「今絶対なんか思っただろ」
「気のせいじゃない?」
「お前、その返し覚えたな」
「禮から学んだ」
「また俺かよ」
教師の話は続いている。
だが、自分に何ができるのか。
その限界がどこにあるのか。
それを正確に把握する。
その言葉だけは神成禮という人間には、少しばかり当てはまりが悪かった。
教師は電子黒板を操作する。
「じゃあ次。能力の基本分類について復習するぞ」
画面に、いくつかの項目が並んだ。
――《強化系》、――《生成系》、――《変質系》。
――《操作系》、――《感知系》。
そして最後に――《特殊系》。
「能力は、その性質によって大きくこの六つに分類されている」
教師が一番上を指す。
「まず《強化系》。自分自身、あるいは対象の身体能力や強度なんかを高める能力だ」
電子黒板に、人間の腕が硬質化する映像が表示される。
「筋力の増加、肉体の硬化、反射速度の向上。昨日の能力強盗にも、この分類と思われる能力者がいたな」
教室の何人かが「ああ」と声を上げた。
「次に《生成系》」
今度は掌から炎が現れる映像へ切り替わる。
「炎、水、電気といったものを能力によって発生させるタイプだ。比較的分かりやすい能力だな」
「先生、氷は?」
一人の生徒が手を挙げる。
「それも生成系に分類されることが多い。ただし、水を凍らせているだけなら《変質系》になる場合もある」
「ややこし」
「だから“大きく分けて”と言ったんだ」
教室から小さな笑い声が上がる。
教師は次へ進めた。
「《変質系》。物質や自身の肉体など、その性質そのものを変化させる能力」
「物を柔らかくする、触れた金属の性質を変える、自分の身体の一部を別の物質に近づける。そういった能力がこれに入る」
続いて。
「《操作系》」
電子黒板に、空中を動く複数の物体が映し出される。
「物体、液体、場合によっては自然現象など、何かを意図的に動かしたり操ったりする能力だ」
「ただし、人間そのものを直接操作する能力については法律上かなり厳しく扱われる。これは後の授業でやる」
慧が小さく呟く。
「そんな能力あるんだ……怖っ」
禮が前を向いたまま返す。
「便利そうだけどな」
「その感想が怖いんだよ」
「何もしねぇよ」
「“何もしない”じゃなくて、まずできる前提で話すなよ……」
「静かに」
禮歌が小声で二人を止める。
教師は気づかず授業を続けていた。
「五つ目、《感知系》」
「遠くの音を聞く。人の気配を察知する。通常では認識できないものを見る。そういった、五感や認識能力に関係するものだ」
その言葉を聞き、慧が少しだけ顔を上げた。
「慧はこれ?」
禮歌が小声で尋ねる。
「一応、そういう扱い」
慧の能力――《査定》。
触れたり、直接目にした物体の情報を読み取る能力。
学校へ提出している能力登録上では、《感知系》に分類されている。
「俺のは戦闘じゃほぼ役に立たないけどな」
「使い方次第じゃない?」
禮歌が答える。
「そうかなぁ……」
「最後」
教師の声に、三人も前へ視線を戻す。
電子黒板。
そこには《特殊系》の文字。
「これは今までの五つに明確に当てはめられない能力だ」
「例えば、能力の効果そのものが複雑だったり、複数の性質を同時に持っていたりするもの」
「あるいは、現在の能力研究では原理を十分に説明できないものもここに分類される」
生徒の一人が手を挙げた。
「特殊系って強い能力が多いんですか?」
「いや」
教師は即答した。
「特殊だから強い、という意味ではない」
「単純に分類しづらいだけだ。便利な能力もあれば、日常生活でほとんど使い道のない能力もある」
「逆に、強化系でも極端に出力が高ければ十分危険だ」
教師は六つの分類を改めて指した。
「そして覚えておけ。この分類は絶対じゃない」
「能力によっては《生成系》と《操作系》の両方に該当することもある」
「成長や訓練によって、最初に登録された分類とは違う性質が発見される場合もある」
「分類は能力を理解するための目安であって、能力そのものを決めるものじゃない」
禮は頬杖をつきながら電子黒板を眺めていた。
六つの分類、強化、生成、変質、操作、感知。
特殊、隣から。
禮歌が小さな声で尋ねる。
「禮はどれになるんだろうね」
「さあ?」
「《創》なら生成系?」
慧も小声で会話に入る。
「いや、でも禮のってそんな単純じゃ――」
ゴッ。
また椅子が揺れた。
「痛っ……」
「余計なこと言うな」
「今日二回目なんだけど!」
禮歌が口元を僅かに緩める。
「特殊系かな」
「どうでもいいだろ、分類なんて」
禮はそう言って、再び窓の外を見る。
学校へ提出している禮の能力情報。
そこに記されている分類は――《生成系》。
能力名、《創》。
登録されている内容も、ごく単純なものだった。
――簡単な物体を生成する能力。
それだけ。
当然、神成禮が本当は何を創ることができるのか。
学校は知らない。
特異事象対策局も。
まだ、知らない。
教師は電子黒板に映された《操作系》の文字を指した。
「それと、操作系について一つだけ覚えておいてほしい」
教室が少し静かになる。
「人間そのものを直接操作する能力は、他の能力と比べても法律上かなり厳しく制限されている」
「身体を強制的に動かす。意識を奪う。感情や思考へ干渉する――そういった能力だな」
生徒の一人が手を挙げる。
「使っただけで犯罪になるんですか?」
「状況による」
教師は答えた。
「例えば、事故で動けなくなった人間を能力で救助した場合まで犯罪になるわけじゃない」
「ただし、本人の同意なく身体や精神へ干渉すれば、重大な人権侵害として扱われる可能性が高い」
電子黒板に『対人干渉能力』という文字が表示される。
「特に記憶、思考、意思決定に影響を与える能力は厳しい」
「本人が自分の意思で行動しているのか、それとも能力によって行動させられているのか、外から判断するのが難しいからだ」
「そのため、能力によっては使用記録や定期検査を求められる場合もある」
「詳しい法律については、また別の授業で扱う」
「怖……」
教室のどこかから声が漏れた。
教師は苦笑する。
「まあ、普通に生活している分には必要以上に怖がることはない」
「能力は道具だ。問題になるのは、それをどう使うかだからな」
その後も授業は続いた。
能力の分類。
能力事故が発生した際の対応。
公共の場で能力を使用する場合の基本的な注意事項。
どれも能力社会で生活するうえでは必要な知識だが、専門校で学ぶような高度な内容ではない。
やがて、――キーンコーンカーンコーン。
チャイムが鳴る。
「よし、今日はここまで」
教師が教材を閉じた。
「次回は《顕装》について軽くやるから、教科書の該当ページを読んでおけ」
「起立」
日直の声とともに五時間目の授業が終わった。
午後の授業はまだ続くが、局員の訪問を気にしていたのは慧だけではなかった。
そして、その日の放課後には、三人の予想を超える出来事が待っていた。




