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戦うのは好きだけど面倒事は嫌いなので、最強なのは秘密です。  作者: 檸堂礼音
第三章

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12/15

第三話 大会開催

――それから、一か月。

大会開催が正式に発表されて以降、時間は想像以上の速さで過ぎていった。

特異事象対策局《とくいじしょうたいさくきょく》が主催する、世界規模の能力者大会。

その情報は日本国内だけに留まらなかった。


各国の能力者関連機関。

学校。

訓練施設。

能力者向け情報サイト。


そして街中の大型モニター。

様々な場所で大会の広告が流れ、開催日が近づくにつれて、その話題を見ない日はほとんどなくなっていた。

――己の能力を示せ。

――求めるのは、単なる強さではない。


――戦闘、護衛、救助、分析、支援、能力制御。

――その才能を、世界へ。

そんな宣伝文句と共に世界各地から、次々と参加申請が届いていた。

もちろん、その一か月を、禮(らい)が何もせず過ごしていたわけではない。


「……もう一回」


誰もいない訓練場。

禮の両手に、二振りの刀が現れる。

創(そう)。

斬る。


砕ける。

再構築。

再び振るう。

以前、禮歌(れいか)との戦いで使った、永遠に作り変えられ続ける二刀。


その再構築速度。

形状変化。

戦闘中の切り替え。


細かな部分を、少しずつ調整していた。

毎日ではない。

禮にそんな真面目さはない。

気が向いた日だけ。


「今日はこのくらいでいいか」


一時間もしないうちに帰る日もあれば。

久世(くせ)に見つかり、


「ちょうどいいから戦おうよ」

「帰る」

「なんで!?」


そのまま逃げる日もあった。

別の日には禮歌と軽く手合わせをし。

また別の日にはノア(のあ)を開き、記録された技を眺めるだけで終わる。

終龍葬歌(しゅうりゅうそうか)については、一度も使わなかった。


試す場所がない。

それが一番大きい。

大会施設の空間そのものを貫いた技を、気軽に撃つ気にはさすがになれなかった。

一方で、禮が局へ渡した小型AIも、一か月で大きく変化していた。


最初は机の上に置ける程度の、一つの機械だった。

だが、大会運営から次々と要求される機能に合わせ、自ら必要な機能を追加。

施設内部の各種システムとも接続されていった。

参加者管理。


競技記録。

能力測定。

出力計算。

映像解析。


事故予測。

医療区画への緊急通知。

競技進行の補助。

さらに、過去の競技記録を基にした改善案。


状況ごとの成功率予測。

対戦時の勝率推定。

人間が一つずつ確認していた情報をまとめ、必要な相手へ必要な情報だけを提示する。

大会運営担当者からすれば、もはや手放せない存在になっていた。


「……これ、本当に一か月前と同じ機械なんですか?」


ある日。

運営担当者が本気で尋ねた。

禮は少し考えて。


「多分」

「多分!?」


自分で作っておきながら、そんな返事だった。

さらに大会施設にも、いくつかの設備が追加された。

能力を観客向けに可視化するシステム。

高速戦闘を追跡する撮影装置。


複数方向から競技を見ることのできる映像設備。

参加者の位置把握。

緊急時の避難誘導。

そして、一か月前《終龍葬歌》によって一度だけ破壊(はかい)された空間境界。


そこも既に完全修復されている。

ただ修復されただけではない。

あの攻撃を基準として、施設そのものが強度を更新した。


どこまで強くなったのか。

それを確認しようとする者はいなかった。

正確には一人だけいた。


「試してみたいなぁ」


久世紫苑(くせしおん)。

当然、天倉(あまくら)に止められた。

学校でも、大会の話題は続いていた。


「なあ禮、本当に出ないの?」

「出ない」

「絶対戦闘部門向いてるって!」

「面倒」


そんなやり取りも、何度したか分からない。

慧(けい)には結局、禮が大会運営側へ回ることをまだ詳しく話していない。

表向き。

大会の特別審査官として公表されているのは――


最上(さいじょう)久世紫苑。

そして、もう一人。

名前年齢。

所属。


能力。

その全てが非公開。

大会の話題が広がるにつれ。

この『もう一人の特別審査官』が誰なのか。


それもまた、一つの話題になっていた。

世界的な能力者。

局の幹部。

引退した元能力者。


国外の人物。

様々な予想が飛び交った。

だが、その正体が朝凪高校(あさなぎこうこう)へ通う十七歳の高校生だと考える者は、ほとんどいなかった。

そして――。


一か月後。

大会当日。

早朝。

巨大な大会施設の周囲には、既に多くの人が集まっていた。


選手。

局員。

大会スタッフ。

報道関係者。


そして観客。

日本語だけではない。

英語。

中国語。


韓国語。

その他にも様々な言葉が聞こえてくる。

海外から来た能力者の姿も珍しくない。


施設外部には巨大なモニター。

そこには大会の公式ロゴと共に――能力者総合選抜競技大会。

その文字が大きく映されていた。


「……本当にやるんだな」


慧が、施設を見上げながら呟いた。


「ここまで来て中止だったら逆に驚くけど」


禮歌が答える。


「いや、そういう意味じゃなくて……」


慧は周囲を見る。


「規模だよ、規模」


参加者だけでも相当な数。

そこへ観客。

報道。

大会関係者。


「一か月前は『大会でもやれば?』くらいの話だったんだろ?」

「そうだったな」


禮が普通に答える。

慧が振り返る。


「お前、もうちょっと責任感じろよ!」

「俺が運営するわけじゃないし」

「会場作ったのお前だろ!」


禮歌が小さく笑った。

その時、施設全体へ音が響いた。


『――まもなく、能力者総合選抜競技大会を開会いたします』


周囲のざわめきが、少しずつ静まっていく。

施設各所の巨大モニターが、一斉に切り替わった。


『参加者の皆様は、登録された待機区画へ移動してください』

『観客の皆様は、各観戦区域へお願いします』

『競技開始後の無断区域移動は禁止されています』


そして、少し間を置いた。


『改めまして、本大会の概要をご説明いたします』


画面に複数の競技部門が表示された。

――戦闘部門。

――護衛部門。


――救助・対応部門。

――分析・支援部門。

――能力制御部門。


『本大会では、単純な戦闘能力のみを評価対象とはいたしません』

『能力の使用技術、判断、応用、状況対応、連携、制御』

『それぞれの競技に応じ、複数の項目から評価が行われます』


表示が切り替わる。


『参加者は複数部門への出場が可能です』

『なお、大会全体での評価において、各部門の得点を単純に合算する方式は採用いたしません』

『参加者が最も高い評価を獲得した部門を基準とし、各分野における突出した才能を適切に評価します』


会場のあちこちで、参加者たちがモニターを見上げている。

戦闘が得意な者。

人を守ることに特化した者。


能力の解析を得意とする者。

まだ自分自身ですら、その能力を完全には理解していない者。

世界各地から集まった能力者たち。

さらに。


『また、本大会では通常順位とは別に――』


画面が暗転する。

中央へ、新たな文字。

――特別選抜。


『競技順位のみでは判断できない資質を評価するため、特別審査制度を設けています』


少しだけ、会場がざわついた。


『能力の応用力』

『判断力』

『発想』

『対応力』

『成長性』

『その他、通常の競技結果だけでは測ることのできない要素について、特別審査官による選抜が行われます』


そして、画面に一人の人物が映る。

久世紫苑。

同時に、会場から大きなどよめきが起きた。


『特別審査官――《最上》、久世紫苑』


その名前を知らない能力者は少ない。

だが、次に表示された欄には人物の姿すらなかった。

黒いシルエット。

その下に――特別審査官。

――詳細非公開。


『そして、もう一名』

『本大会では、非公開の特別審査官が参加者の競技内容を審査します』


ざわめきが一段大きくなった。


「ほら」


慧がモニターを見る。


「やっぱこの二人目気になるよな」

「そうだな」


禮は普通に答えた。


「世界中で予想されてるらしいぞ」

「へえ」

「お前興味なさすぎない?」

「別に」


禮歌が横で、少しだけ笑いを堪えていた。


『そして、本大会終了後』


アナウンスが続く。


『各部門の上位者、ならびに特別審査官によって選抜された参加者には――』


表示が変わる。

――特別選抜戦。


『希望者に限り、最終実戦評価を受ける機会が与えられます』


ざわめき。


『対戦相手については、現在非公開です』


その瞬間、禮歌が禮を見る。

禮もモニターを見たまま、僅(わず)かに口元を緩めた。

まだ参加者たちは知らない。


大会の最後。

希望した者たちの前に立つ相手が誰なのか。

そして、正体不明とされている、もう一人の特別審査官が――

今何食わぬ顔で、この会場に立っていることも。


『それでは――』


巨大モニターに、大会ロゴが映し出される。


『能力者総合選抜競技大会』

『――開会します』

「ま、俺はちゃんと見ないとな」


開会式が終わった後。

禮がいたのは、一般観客席ではなかった。

大会施設の上層部。

運営区画のさらに奥に用意された、特別審査室。


正面には大小いくつものモニターが並び、各競技場の映像が同時に映されている。

机の上には、禮が作ったAI端末。

参加者の能力測定値。

競技記録。


出力。

行動。

成功率。


評価。

それらが、ほぼリアルタイムで更新され続けていた。

久世は表向きの特別審査官として別室。

禮はここから、名前を伏せたまま全競技を見る。


『第一予選、開始します』


そして――大会が始まった。

最初に行われたのは、能力制御部門。

決められた出力。

決められた範囲。


指定された対象のみへ能力を作用させる。

単純に見えて、能力が強い者ほど難しい。

炎。

氷。


電撃。

強化。

操作。

様々な能力が披露されていく。


「……普通だな」


禮は頬(ほお)杖をついた。

強い。

上手い。

十分に局員として使える。


そんな参加者は大勢いた。

だが、禮が見たいのは、そこから先だった。

競技は進む。


一人。

また一人。

モニターが切り替わっていく。

時折、AIが高評価者を自動で表示する。


『参加者0341。能力制御精度――98.4%』

「高いな」


だが、それだけ禮は次を見る。

護衛部門。

模擬市街地。

参加者は指定された対象を守りながら、次々と発生する攻撃や障害へ対応する。


力任せに攻撃を弾く者。

護衛対象ごと高速移動する者。

壁を作る者。

敵役を先に倒しに行く者。


「そいつ失格になるんじゃない?」


横にいた運営員が呟く。

護衛対象を置き去りにして敵を追っていった参加者だった。

数秒後。


『護衛対象、被弾』

『競技終了』

「だろうな」


禮は笑った。

さらに数十人。

流れていく。

その中禮の目が、初めて止まった。


「……戻して」


AIが映像を数秒巻き戻す。

参加番号――一八四。

名前――雨宮紬(あまみやつむぎ)。

十六歳。


能力《繋糸》。

細い糸状の力を生成し、物体同士を繋ぐ能力。

出力自体は高くない。

むしろ参加者の中では低い方だった。


だが、模擬市街地。

三方向から建物が崩れた瞬間他の参加者なら、壁を作るか。

破壊するか。

護衛対象を抱えて逃げる。


雨宮紬は違った。

十数本の《繋糸》を瞬時に展開。

崩れる壁。

電柱。


道路標識。

車両。

近くの建造物。

それらを結ぶ。


一つを支えるのではなく、街全体へ荷重を分散した。

崩落が――止まる。

その隙に護衛対象だけを、安全区域へ移動。

直後、糸を解除。

無人になった地点へ建物が崩れ落ちた。


「……へえ」


禮が少しだけ身を起こした。

AIが解析結果を表示する。


『能力出力:低』

『制御精度:高』

『瞬間判断:高』

『競技成功率――96.1%』


だが、禮が見ていたのは数値ではない。


「全部守ろうとしなかったな」


運営員が禮を見る。


「え?」

「建物も、道も、車も。守ろうと思えば守れたかもしれない。でも目的は護衛対象だ」


必要なもの捨ててもいいものその判断が早い。


「……こいつ、覚えといて」

『参加者一八四・雨宮紬を特別観察対象に登録します』


最初の一人だった。

その後も競技は続いた。

救助部門。

分析・支援部門。


戦闘予選。

一日で全てが終わるわけではない。

複数の競技場が同時稼働し、参加者は次々に振り分けられていく。


禮も全部を細かく見るわけではなかった。

AIに記録させ。

気になるものだけ戻す。

それ以外は飛ばす。


「次」

『第四戦闘区画』

「次」

『第二救助区画』

「次」

『第七分析区画』

「……次」


何百人と見ていけば。

当然、似たような戦い方も増えてくる。

その中で二人目。

禮の指が止まった。


「こいつ」


参加番号――五二七。

瀬名凌(せなりょう)。

十八歳。

能力《遅延》。


触れた対象に発生した変化を、数秒だけ遅らせる。

戦闘予選。

相手は強化系。


単純な身体能力では、瀬名が圧倒的に不利。

開始直後。

相手の拳が瀬名の腹へ直撃した。


「終わったか」


観測員が言う。

だが、瀬名は吹き飛ばない。

拳は確かに当たっている。

しかし――結果だけが来ない。


瀬名はその間に一歩。

相手の横へ肩へ触れる。

さらに二歩。

背後。


「なるほど」


禮の目が細くなる。

数秒後。

最初の拳の衝撃が発生。

瀬名が吹き飛ぶ。


同時先ほど瀬名が相手の肩へ与えた力。

それも遅れて発生する。

体勢を崩した相手。

そこへ瀬名は既に次の一撃を置いていた。


衝撃。

遅延。

移動。

解除。


また遅延。

派手ではない。

威力も低い。

だが、戦闘の時間そのものを、ずらしている。


最後。

相手が大振りの拳を放った。

瀬名は避けなかった。

真正面から触れる。


《遅延》。

拳の結果を止め。

そのまま相手の腕を取り。


自分で地面へ投げる。

そして、遅れて拳の衝撃が発生。

勢いが狂い。

相手は完全に体勢を失った。


『勝者――瀬名凌』

「面白いな」


禮が呟く。


『特別観察対象へ登録しますか?』

「入れといて」


二人目。

さらに時間が進む。

昼。

午後。


大会は止まらない。

参加者の中には、圧倒的な火力を見せる者もいた。

一撃で模擬障害物を吹き飛ばす。

高速で相手を倒す。


測定装置の上限近くまで出力を上げる。

観客は沸く。

久世も、たまに楽しそうな顔をしているのが別映像に映っていた。

だが、禮が止めたのはそういう参加者ばかりではなかった。


第三の人物。

分析・支援部門。

参加番号――七〇二。

名前――エリオット・グレイ。


十九歳。

イギリス出身。

能力《分岐視》。

数秒先に発生し得る行動の分岐を、複数同時に認識する感知系能力。


ただし、未来を見るわけではない。

可能性が見えるだけそれも分岐が増えるほど、情報量が爆発的に増える。

競技内容は四人一組の模擬救助作戦。

制限時間内に、複数地点の負傷者を回収する。


エリオット本人には瓦礫を持ち上げる力もない。

治療能力もない。

高速移動もできない。

ただ、開始から三秒。


「右へ二人」


仲間が動く。


「一人はそのまま。もう一人、十二秒後に戻って」

「十二秒?」

「いいから」


次。


「左の建物は入らなくていい」

「要救助者がいるぞ!」

「五秒後に床が落ちる」


直後、床が崩落。

仲間が止まる。


「……マジかよ」


エリオットは止まらない。


「二階は後回し」

「中央を先」

「そこの壁、壊すな。倒壊する」

「三番、今走れ!」


全員を動かす。

自分はほとんど何もしない。

それでも、競技終了。


『救助完了率――100%』

『残り時間――四分十二秒』


他チームを大きく上回る記録。

観測室が少しざわついた。

だが、禮は別のところを見ていた。


「……こいつ途中から能力使ってないな」


AIが映像を解析。


『能力反応低下を確認』

「やっぱり」


最後の一分。

エリオットは《分岐視》をほとんど使っていない。

それでも指示の精度が落ちていなかった。

最初の数分で仲間の能力。


癖。

判断速度。

動き方。


全部覚えた。

そこから先は能力ではなく、自分の頭で予測していた。

禮の口元が少し上がる。


「能力に頼ってない」

『特別観察対象へ登録しますか?』

「ああ」


三人目。

大会初日。

競技終了予定時刻。

禮の前の画面には数百人分の記録。


その中特別観察対象。

雨宮紬。

瀬名凌。

エリオット・グレイ。


まだ三人。

もちろん、強い者なら、他にも大勢いた。

久世が注目した参加者。

AI評価が極端に高い参加者。


局員たちが欲しがりそうな能力者。

それぞれ別にいる。

だが、禮が見ているのは単純な能力の強さではない。

今持っている力をどう使うか。


予想外の状況でどう考えるか。

そして、自分より強い相手を前にした時。

何をするのか。

禮は椅子から立ち上がった。


「まだ初日か」


モニターには翌日の競技表が表示される。

戦闘部門――本選開始。

その文字を見て、禮は少しだけ笑った。


「……明日はもう少し面白くなりそうだな」

「……明日はもう少し面白くなりそうだな」


禮がそう呟いた頃。

施設内では、その日の全競技終了を告げるアナウンスが流れ始めていた。


『本日の全競技は終了しました』

『参加者の皆様は、案内に従い各宿泊施設および待機区画へ移動してください』


モニターが一つ、また一つと競技映像から結果画面へ切り替わっていく。

禮も席を立った。

一日中ほとんど座りっぱなしだったせいか、軽く身体を伸ばす。


「……見るだけでも結構疲れるな」

『本日確認した参加者――七百八十二名』


AIが淡々と答えた。


「そんな見てたのか」

『あなたが直接確認した映像時間は、全体の二十七・四%です』

「意外と見てないな」

『残りは私が確認しました』

「便利」

『褒め言葉として受領します』


その時、審査室の扉が開いた。


「お疲れ」


久世だった。

首から下げていた審査官用の端末を外しながら入ってくる。


「そっちは何人?」

「三人」

「少なっ」

「久世は?」

「十二人」

「多いな」

「強い人いっぱいいたよ?」

「だからだろ」


久世の基準が分かりやすすぎる。

禮が端末を閉じると、久世がその画面をちらりと見る。

雨宮紬。

瀬名凌。

エリオット・グレイ。


「へえ」


三人の能力情報へ軽く目を通す。


「火力高い人、一人もいないね」

「別に火力大会じゃないし」

「分かってるけど」


久世は少しだけ笑った。


「やっぱり禮とは見るところ違うなぁ」


やがて、禮歌と慧も合流した。

慧は一日観客席を回ったらしく、明らかに疲れている。


「人、多すぎ……」

「初日だからね」


禮歌はそう言いながら禮を見る。


「どうだった?」

「三人」

「何が?」

「気になった奴」


その一言だけで、禮歌は何となく察したらしい。


「少ないね」

「久世にも言われた」

「でも禮が三人も選んだなら、結構いる方じゃない?」

「分かってるな」


慧だけが首を傾げる。


「七百人以上いたんだろ?」

「ああ」

「その中で三人?」

「今のところはな」


慧は少し考えてから。


「……お前の審査、一番通るの難しくない?」

「知らん」


そんな話をしながら、大会初日は終わった。

――大会二日目。

午前戦闘部門本選。

禮は昨日と同じ席で、次々と流れていく試合を眺めていた。


速い。

強い。

派手。

観客席から歓声が上がるような試合は多い。

だが、禮の指は止まらない。


「次」

『第十二試合』

「次」

『第十三試合』

「次」

『第十四――』

「待って」


映像が止まった。

参加番号――二九八。

名前――九条澪(くじょうみお)。

十七歳。


能力《均衡》。

能力の説明は、極めて単純だった。

――触れた二つの対象に存在する『力』を均等に分配する。

対戦相手は大型の顕装(けんそう)を持つ、強化系能力者。


身体能力。

攻撃出力。

顕装の破壊力。

全て相手が上。


試合開始。

相手が真正面から突っ込む。

巨大な槌。

一撃。

澪は避けない。


「……何する?」


禮が少し身を乗り出す。

槌が振り下ろされる直前澪の右手が地面へ触れた。

左手は、自分自身。


《均衡》。

直後、轟音(ごうおん)。

だが、床は壊れない。

そして、澪も吹き飛ばない。


「……あ」


禮の目が細くなる。

槌によって澪へ加わるはずだった衝撃。

その力を自分と――大会施設全体へ均等に分けた。


施設は当然、びくともしない。

結果。

澪へ届く衝撃は、ほとんど消える。


「それありなのか」


思わず笑う。

相手も一瞬固まった。


「なんで効かねぇ!?」


二撃目。

同じ。

三撃目。

同じ。


そして澪は今度は相手と、自分の腕へ触れた。

《均衡》。

相手の強化された腕。

澪自身の腕。


二つの身体能力が、一時的に均される。

相手の腕力が落ち。

澪の腕力が上がる。


完全に同じではない。

能力の限界があるのだろう。

それでも、差は一気に縮まった。

相手の表情が変わる。


「お前……!」


澪は答えない。

そのまま懐へ入る。

拳。

防がれる。


だが、接触。

再び《均衡》。

今度は、二人の体勢。

相手は踏ん張っていた。


澪は前へ倒れ込むような姿勢だった。

その二つへ能力を使う。

両者の重心が強制的に近づき。


相手の踏ん張りが崩れた。

そこを足払い。

相手が倒れる。

澪はすぐに距離を取った。


「……面白い使い方するな」


AIが情報を表示する。


『能力出力――中』

『制御難度――高』

『能力使用回数――十一』

『同一使用方法――二回』


禮がそこを見る。


「全部違うのか」


防御。

身体強化。

姿勢崩し。

速度調整。


顕装への出力干渉。

十一回。

全て違う対象。

全て違う目的。


最後。

焦れた相手が能力を最大まで引き上げた。

身体から溢れるほどの強化。


一撃で決めるつもりだ。

澪は自分ではなく、相手と――相手が持っている巨大な槌へ触れた。

《均衡》。


「……なるほど」


強化能力は身体に集中していた。

だが、その『力』が本人と顕装へ均等に分配される。

身体強化が落ちる。

逆に槌へ過剰な力が流れ込んだ。

扱える範囲を超えた顕装が、一瞬だけ制御を失う。


「なっ――」


相手の腕が引かれる。

澪はその瞬間だけを待っていた。

踏み込み。


掌底。

胸部。

相手が場外へ転がる。


『勝者――九条澪』


禮は数秒。

画面を見たままだった。

そして。


「登録」

『九条澪を特別観察対象へ登録します』


四人目。

禮は椅子へ深く座り直す。


「これは次も見たいな」


そこから普通の試合は飛ばした。

大会二日目。

三日目。

四日目。


戦闘。

護衛。

救助。

支援。


能力制御。

数え切れない参加者が競い。

脱落し。


順位を上げ。

局の評価を受けていく。

だが、禮の画面が止まる時だけその流れは、再びゆっくりになる。

――大会五日目。


『神成禮(しんじょうらい)』


AIが呼ぶ。


「ん?」

『特別観察を推奨する参加者を検出しました』


禮の視線がモニターへ向く。

参加番号――九一一。

十八歳。

名前――レオン・ハルトマン。


ドイツ出身。

能力。

《逆算》。

説明欄を読んだ禮が、僅かに眉を上げる。


「……何だこいつ」


映像では一人の青年が戦闘部門の闘技場へ、ゆっくりと入ってくるところだった。

参加番号――九一一。

レオン・ハルトマン。

十八歳。


ドイツ出身。

能力《逆算》。

登録されている説明は、少し変わっていた。

――自身が設定した『結果』へ到達するために必要な工程を逆方向から算出する。

禮は説明欄を二度見る。


「結果から考える能力か?」

『概ねその認識で正しいです』

「それだけなら便利そうだけど……戦闘でどこまで使えるんだ?」

『その点を含め、観察を推奨します』


対戦相手の情報が表示される。

参加番号――四四七。

マルコ・ベルティーニ。

二十歳。


能力《震圧》。

自身の打撃へ強力な振動を付与する能力。

戦闘部門では既に三試合を勝ち抜いている。

攻撃出力も上位。


一方、レオンの身体能力は平均的。

顕装も持っていない。

能力そのものに、直接的な攻撃力もない。

闘技場中央。

二人が向かい合う。


『試合――開始!』


先に動いたのはマルコだった。

地面を強く蹴る。

一直線。


速い。

拳に振動が集まる。

レオンは――動かない。


「……?」


拳が届く直前ようやく半歩だけ、右へ動いた。

マルコの拳が頬のすぐ横を抜ける。


「っ!」


完全に避けたわけではない。

掠(かす)った。

頬から僅かに血が飛ぶ。

だが、レオンは気にも留めない。

その目だけが、相手を見ていた。


「一」


小さく。

呟く。

マルコが振り返る。


「何だ?」


二撃目。

レオンは後ろへ下がる。

今度も紙一重。


「二」

「さっきから何数えてやがる!」


三撃目。

レオンは左へ。


「三」


四撃目。

しゃがむ。


「四」


五撃目。

今度は避けきれなかった。

拳が肩へ当たる。


ドンッ!!

振動。

レオンの身体が吹き飛び、地面を転がった。

観客席から声が上がる。


「……普通に喰らったな」


禮が呟く。

AIは答えない。

レオンはゆっくり立ち上がった。


左肩。

明らかに痛めている。

マルコが笑った。


「お前の能力、戦闘向きじゃねぇだろ」


レオンは答えない。

ただ、再び相手を見る。

その瞬間、瞳の奥に、細かな光が走った。

《逆算》。


彼が設定した結果。

それが何なのか。

外からは分からない。

ただ、レオンの視線が動く。


相手の右足。

肩。

拳。


床。

自分との距離。

さらに、闘技場の境界線。


「……あ」


禮が何かに気づく。


「こいつ」


次。

マルコが踏み込んだ。

レオンは避ける。


だが先ほどまでとは違う。

大きく逃げない。

わざと相手の右側だけを空ける。

マルコはそこへ踏み込む。


「五」


次の拳。

レオンは左へ。


「六」


マルコも追う。

さらに。


「七」

「八」

「九」


一つ。

また一つ。

レオン自身が追い込まれているように見える。


闘技場の端。

場外線まで残り数メートル。

マルコが笑った。


「もう逃げ場ねぇぞ!」

「そうだな」


初めて。

レオンが答えた。

そして。


「ここでいい」


マルコが拳を構える。

全力。

振動が一点へ集中する。


「終わりだ!」


踏み込む。

その瞬間、レオンは前へ出た。


「何――」


避けるのではない。

マルコの懐。

拳が完成する前レオンの右手が、相手の肘へ軽く触れた。

力などほとんどない。


僅かに数センチ。

腕の向きを変える。

ただそれだけマルコの拳は空を切った。


だが、既に最大出力の《震圧》が込められている。

止まれない。

身体が前へ流れる。

そこで、マルコの右足が滑った。


「っ!?」


禮が目を細める。


「最初からそこ踏ませるためか」


そこは試合序盤。

マルコ自身が一撃を外した場所。

振動によって床そのものは壊れていない。

だが、靴底。


そこに付着していた微細な破片。

さらに、何度も同じ方向へ踏み込ませたことで、身体の重心が右へ寄る癖。

五回目。

レオンがわざと攻撃を受けた時吹き飛ばされた先も。


偶然ではなかった。

あの場所から相手がどう追ってくるか。

どちらの足で踏むか。

どの距離なら最大出力を使いたくなるか。


全部。

一つの結果から逆算していた。

レオンはマルコの背中へ手を添えた。

押す。


本当に僅かな力。

だが、既に崩れた体勢。

前へ流れる勢い。


最大出力を空振りした反動。

そして、場所。

マルコの足が、場外線を越えた。


『場外を確認』

『勝者――レオン・ハルトマン!』


一瞬観客席が静かになる。

派手な一撃はなかった。

圧倒的な速度もない。


最後にやったことなど。

相手を軽く押しただけ数秒遅れて、歓声が上がった。

禮はモニターを見たまま笑う。


「……こいつ面白いな」


AIが解析情報を表示する。


『能力使用を確認したのは試合中三回です』

「三回?」

『はい』


禮の眉が上がる。

あれだけ相手を誘導しておきながら、常に《逆算》を使っていたわけではない。


『一回目――試合開始直後』

『二回目――被弾後』

『三回目――最終局面』

「じゃあ途中は?」

『本人の判断による行動と推定』


禮は少し黙った。

エリオットと似ている。

能力が優秀だから目に止まったわけではない。


能力で得た答えを自分で理解している。

一度道筋が見えれば。

その全てを能力へ頼らない。


「こいつが設定した結果、分かる?」

『推定します』


数秒。


『試合開始時点の第一目標――対戦相手の行動傾向把握』

『第二目標――最大出力攻撃を指定地点で使用させる』


さらに、最後。


『最終目標――自身の攻撃によらず、対戦相手を場外へ移動させる』


禮は思わず笑った。


「最初から倒す気なかったのかよ」


相手より火力がない。

身体能力でも劣る。

なら倒す必要そのものをなくした。


勝利条件は相手を気絶させることではない。

場外でも勝てる。

その一点。


「登録しといて」

『レオン・ハルトマンを特別観察対象へ登録します』


五人目。

だが、AIは続けた。


『補足があります』

「ん?」

『レオン・ハルトマンは現在、戦闘部門で四勝』

『その四試合において――』


記録が並ぶ。

一試合目。

場外。

二試合目。


相手の顕装が使用不能となり降参。

三試合目。

制限時間終了時の判定勝利。

そして今回。

場外。


『本人による直接的な有効打――』


少し間を置いた。


『ゼロ』

「…………」


禮は数秒黙る。

それから。


「ははっ」


小さく笑った。


「もっと早く見とけばよかったな、こいつ」


画面の中レオンは歓声など気にした様子もなく、静かに闘技場を出ていく。

その背中を禮は最後まで見ていた。

そして大会はまだ続いていく。

六日目。


七日目。

八日目。

多くの参加者が消えていく中。

禮が登録した五人は、それぞれ違う競技で結果を残し続けていた。


そして――。

大会九日目。

救助・対応部門。

禮は流れていた映像を止める。


「……待て」


そこに映っていたのは一人の少女。

参加番号――六三三。

十五歳。

大会参加者の中でも、かなり若い。


名前――白峰凪(しらみねなぎ)。

能力欄にはたった二文字。

《交換》。

禮は画面へ視線を近づけた。


「……これ、何と何を交換する能力だ?」


禮の問いに、AIが即座に情報を展開する。


『能力《交換》』

『二つの対象を指定し、双方が持つ一つの物理的状態を入れ替える能力です』

「状態?」

『確認されている使用例――位置、運動速度、温度など』

「……結構何でもありだな」

『ただし、一度に交換可能なのは一項目のみ。また、本人が対象と交換内容を正確に認識している必要があります』


禮は画面へ視線を戻した。

救助・対応部門。

模擬市街地の一角では、大規模な建物倒壊事故が再現されている。

複数の要救助者。


火災。

崩れ続ける建造物。

道路には横転した車両。

そして、白峰凪は――ほとんど動いていなかった。


「……何してる?」


凪は周囲を見る。

上。

右。

奥。


倒壊しかけた鉄骨。

炎に包まれた通路。

瓦礫の下に取り残された要救助者。

数秒。


「そこ」


凪が指を向ける。

道路脇に転がっていた、小さなコンクリート片。

そして、要救助者の横にある巨大な瓦礫。


《交換》。

一瞬二つの位置が入れ替わった。

巨大な瓦礫が道路脇へ要救助者の隣には、小石程度のコンクリート片。


「位置か」


それだけなら禮も特別驚かなかった。

救助対象へ駆け寄ろうとする凪。

だが、その頭上。

折れた鉄骨が落ちてくる。


観客席から声が上がった。

凪は上を見る。

避けない。


代わりに地面を転がっていた空の車両。

落下する鉄骨。

《交換》。

禮の目が僅かに開く。


「……速度?」


落下していた鉄骨が空中で、ぴたりと止まる。

逆に停止していた車両が、突然下方向への速度を得て地面へ叩きつけられた。

鉄骨そのものを消したわけではない。

落下速度を止まっていた車両の速度――ゼロと交換した。


「なるほどな」


止まった鉄骨が再び重力で落ち始める前に凪は要救助者を引っ張り出す。

そのまま進む。

次。

炎。


通路全体を塞いでいる。

温度が高すぎて通れない。

近くには救助用の大型水槽。

凪は炎を見る。


水を見る。

《交換》。

一瞬炎の勢いが落ちる。

水槽の中から大量の蒸気。


「温度まで交換したのか」

『はい』


水槽の低温と燃焼地点の高温。

それを入れ替えた。

完全に消火したわけではない。

だが、数秒だけ通れる。


それで十分だった。

凪は迷わず走り抜ける。

次の要救助者へ派手な攻撃は一つもない。

何かを破壊したわけでもない。


ただ、その場に存在しているもの同士を入れ替える。

それだけそして、競技終盤。

最大の障害が発生した。

模擬ビルの一部が倒壊。


三人の要救助者が、それぞれ別の地点に取り残される。

一人。

炎の近く。

一人。


崩落しかけた床。

一人。

巨大な瓦礫の下。

残り時間。

四十三秒。


「さすがに全部は無理じゃない?」


運営員が呟く。

凪も一瞬だけ止まった。

三人を見る。

周囲を見る。

そして、何かを思いついたように。


「……よし」


最初。

瓦礫の下にいる一人。

近くの空箱と位置を交換。

救出。


二人目。

崩落する床。

凪は床そのものではなく、既に地面へ落ちていた瓦礫と、その床の落下速度を交換。

崩落が一瞬止まる。


救出。

残り。

十九秒。

炎。


最後の一人。

だが、水はもうない。

低温物体も近くには見当たらない。

禮が画面を見る。


「どうする?」


凪が視線を動かす。

そして、自分の足元。

その隣。


救助区画の端に設置されていた大型金属壁。

炎。

壁。

数秒。


「……それ交換すんの?」


《交換》。

直後、金属壁が赤熱する。

炎の温度が大きく低下。

凪はそのまま突っ込んだ。


要救助者を掴む。

だが、残り八秒。

出口までは遠い。

走っても間に合わない。


凪が見る。

出口。

そして、すぐ横。

さっき救出に使った空箱。


「まさか」


《交換》。

要救助者と箱。

――位置交換。


救助対象が出口付近へ移動する。

残り三秒。

凪自身はまだ危険区域。


『要救助者三名――救助確認』

『競技成功』


終了音が響いた。

凪はその場へ座り込む。


「……疲れたぁ」


それが第一声だった。

禮は思わず笑った。


「最後、自分は置いていったのか」


救助対象さえ助かればいい。

自分が制限時間内に出口へ戻る必要はない。

競技条件を正確に理解していた。

AIが結果を表示する。


『救助率――100%』

『競技時間――制限時間内』

『能力使用回数――十四』

『交換対象重複率――低』

『能力出力――中』

『状況対応評価――極めて高』


禮は画面を見る。


「十五歳だろ?」

『はい』

「まだ能力の使い方、伸びそうだな」

『成長予測値も高水準です』


数秒。

禮は凪の映像を見て。


「登録」

『白峰凪を特別観察対象へ登録します』


六人目。

それ以降。

大会はさらに進んだ。

十日目。


十一日目。

十二日目。

参加者の数は大きく減っていく。

各部門で順位が決まり。


表彰対象。

局から声がかかる者。

各国機関から注目される者。

そして、特別審査対象。


それぞれが確定していった。

禮が新たに登録する参加者は――出なかった。

強い者はいた。

凄まじい能力を持つ者もいた。


それでも、禮が自分の目で最後まで見たいと思ったのは六人。

雨宮紬。

瀬名凌。

エリオット・グレイ。


九条澪。

レオン・ハルトマン。

白峰凪。

そして、大会最終日。


全競技終了後。

巨大モニターへ、最後の案内が表示された。

――最終実戦評価。

会場の空気が変わる。


『これより、本大会最後の特別評価を開始します』


既に通常競技は全て終了している。

順位も表彰対象者も決まっている。

ここから先は順位を決めるための競技ではない。


『対象となるのは、各競技部門上位者』

『ならびに、特別審査官より推薦を受けた参加者』


モニターへ名前が並ぶ。

その中には禮が選んだ六人もいた。


『本評価への参加は任意です』

『辞退による大会成績への影響はありません』


少し間を置いた。


『参加を希望した者のみ、最終実戦評価へ進んでください』


ほとんど辞退者はいなかった。

理由は次のアナウンスで分かる。


『最終実戦評価では――』


画面が暗転する。

久世紫苑の姿が消え。

大会中ずっと表示され続けていた。

もう一人。

黒いシルエット。


『これまで詳細を非公開としていた特別審査官が、直接評価を行います』


観客席がざわつく。

参加者たちも顔を上げた。

ついに正体不明だった二人目が姿を現す。


『評価方法は――実戦』


一気に歓声が広がる。


『対象者は一名ずつ、特別審査官と戦闘を行います』

『本評価において、勝利そのものは必須条件ではありません』

『自身の能力、判断、応用、対応』

『持てるものを全て用い、自身の価値を示してください』


第一闘技場。

これまで大会で使用されてきた中でも。

最も広い戦闘区画。

観客席は満員だった。


久世は審査席。

天倉。

局の上層部。


各国関係者。

そして、選抜された参加者たちが専用待機席から闘技場を見ている。

中央にはまだ誰もいない。


『それでは』


会場の照明が、一度落ちる。


『本大会――非公開特別審査官』


通路。

一人の人影が歩いてくる。

黒い制服でも特別な戦闘服でもない。

いつもとほとんど変わらない格好。


十七歳。

神成禮。

光の中へ出る。

一瞬観客席の反応が遅れた。


「……え?」

「若くないか?」

「高校生……?」


ざわめき。

そして、大会期間中ずっと謎だった特別審査官の情報が初めて。

巨大モニターへ表示される。

――神成 禮。


――十七歳。

能力。

――《創》。

それだけ詳細。


なし。

参加者席では雨宮紬が目を丸くする。

瀬名凌は黙って禮を見る。


エリオットは既に何かを分析するように目を細めていた。

九条澪は腕を組む。

レオンだけは僅かに笑った。

そして白峰凪。


「……同い年くらいじゃん」


思わず呟く。

審査席。

久世は楽しそうに頬杖をついていた。

天倉だけが通信を入れる。


『神成』

「ん?」

『念のため言う』

「何」

『壊すなよ』

「何を?」

『全部だ』


観客には聞こえない通信。

禮は少し笑った。

やがて、アナウンス。


『最終実戦評価――開始します』


大型モニターに最初の対象者が表示された。

――参加番号一八四。

――雨宮 紬。

十六歳。


能力《繋糸》。

待機通路から小柄な少女が、少し緊張した表情で闘技場へ入ってくる。

禮が最初に目を止めた参加者。


そして今。

初めて。

禮の正面に立った。


「なるほど。よろしくね」


禮が軽く手を上げる。

紬は一瞬きょとんとした。

もっと威圧的な相手を想像していたのかもしれない。


「……あ、はい。よろしくお願いします」


ぺこりと頭を下げる。

観客席から、僅かに笑いが漏れた。

どう見ても世界規模の大会、その最終評価が始まる直前の空気には見えない。

だが、紬が顔を上げた瞬間その表情が変わる。


両手から細い光の糸が伸びた。

一本。

二本。

十本。


さらに増える。

《繋糸》。

禮が護衛競技で目を止めた能力。


紬は最初から、周囲の床や壁へ糸を繋いでいく。

禮だけを狙ってはいない。

闘技場そのものを利用するつもりだ。


「……ちゃんと考えてきたみたいだな」


紬が僅かに息を吸う。


「せっかく選んでもらったので」


一本の糸を握る。


「何もしないで終わる気はありません」

『最終実戦評価――第一試合』

『開始!』


合図と同時紬の指が動いた。

禮の左右。

背後。

頭上。


四方向から《繋糸》が一斉に走る。

だが狙いは拘束ではない。

糸同士が交差し。

禮の周囲そのものを囲い始める。


紬は最初から――

禮の逃げ道を減らしに来ていた。

紬の《繋糸》が、一斉に走る。

左右。


背後。

頭上。

床すれすれ。

禮はそのすべてを視線だけで追った。


一歩。

身体を傾ける。

一本目。

半歩前へ二本目。


首を僅かに倒し、三本目。

背後から迫った糸には振り返ることすらなく、身体を横へ滑らせる。

次。

さらに三本。


それも避ける。

避ける。

避ける。

紬が糸を増やす。


交差。

角度を変え。

床へ繋いだ糸を引き、禮の足元から軌道を跳ね上げる。

それでも、一本も触れない。


「……っ」


紬の表情に、僅かに焦りが出る。

禮は攻撃しない。

ただ、避け続ける。

その最中。

耳元の通信を開いた。


「天倉さん」

『何だ』


禮は頭上を通過する糸を、身体を沈めてかわす。

続けて足元。

跳ぶ。

着地。


「そういえばさ」

『戦闘中に何だ』

「勝利条件って、俺がこの子に提示していいの?」


一瞬通信の向こうが静かになる。


『……今さら確認するのか?』

「忘れてた」

『お前な……』


紬はその間にも攻撃を止めない。

糸が闘技場中へ伸びていく。

明らかにただ禮を捕まえるだけではない。

少しずつ空間そのものを、自分の有利な形へ作り替えている。

天倉の声が返る。


『最終評価の目的は、対象者の能力と判断を見ることだ』

『公平性を壊さない範囲なら、条件設定はお前に任せる』


少し間を置いた。


『ただし、無茶な条件は出すな』


禮は一本の糸を紙一重でかわした。


「了解」


通信を切る。

そして、ようやく紬へ視線を戻した。


「一旦、止まろうか」


禮がそう言った瞬間《創》。

禮の周囲。

何もなかった空間に、目には見えない壁が生まれる。

――空気。


ただし、通常の空気ではない。

禮の周囲を覆うように、圧縮され、固定された空気の壁。

次の瞬間、四方八方から迫っていた《繋糸》がすべて。

ぴたりと止まった。


「……え?」


紬の目が見開かれる。

糸は禮へ届かない。

切られたわけでも消されたわけでもない。

ただ、進めなくなっている。

禮はその中で、ゆっくりと紬を見る。


「さて」


一歩。

空気の壁の内側で前へ出る。


「勝利条件の変更だ」


紬が構えたまま聞く。

禮は自分の足元を軽く指した。


「君は俺のことを、その糸でつまずかせれば勝ち」

「……つまずかせる?」

「ああ」


禮は続ける。


「こっちは攻撃しない」


空気の壁が消える。

止められていた糸が、再び自由になる。


「回避に専念しよう」


そして。


「時間は二十分」


紬は数秒。

禮を見る。


「……本当に、それだけでいいんですか?」

「いいよ」


観客席もざわついていた。

相手を倒す必要はない。

拘束する必要すらない。

ただ、神成禮を――つまずかせる。


一見すれば。

先ほどまでより遥かに簡単な条件。

だが、紬は少しだけ考え。

ゆっくりと息を吐いた。


「……分かりました」


両手。

再び《繋糸》が伸びていく。

今度は、禮本人ではなく、床。

壁。


天井。

闘技場のあらゆる場所へ一本。

十本。


二十本。

さらに、増えていく。

紬の目から、先ほどまでの焦りは消えていた。


「だったら――」


指を動かす。

無数の糸が禮の足元を中心に組み上がり始める。


「本気で、転ばせます」


残り時間。

――二十分。

開始。

最初の一分。


紬は様子を見るように、低い位置へ糸を集中させた。

足首。

膝。

進行方向。


禮は能力を使わない。

ただ、一歩ずつかわす。

右。

左。


跳ぶ。

止まる。

半歩だけ下がる。

必要最低限。


二分。

紬は高さを変える。

足元だけではない。

胸元。


肩。

背中側直接転ばせるのではなく、回避した先に別の糸を置く。

禮は身体を捻る。

一歩。


しゃがむ。

片足だけ浮かせる。

着地。

全部、避ける。


三分。

糸の本数が増えた。

単純な攻撃ではなくなる。


一本を避ければ、次の一本。

それを避ければ、三本目。

さらに、床に張った糸を途中で引き、角度を変える。


「……これも駄目」


紬が呟く。

禮はまだ能力を使わない。

身体能力だけその動きも最初より少しずつ変わっていた。

四分。


最初は糸が動いてから避けていた。

今は紬の指。

肩。


視線。

重心。

そこを見る。

糸そのものを見る時間が減る。


「……」


紬が右手を動かす。

禮は糸が来る前に、一歩左へ動いた。


「え」


直後、さっきまで禮がいた位置へ糸が走る。

五分。

もう一度紬はフェイント。


右手。

実際に動かすのは左。

だが、禮は反応しない。


「……そっちじゃないな」


足を半歩引く。

背後から来た糸が空を切った。

紬の表情が変わる。


「読まれてる……?」


六分。

紬も学ぶ。

指を見るなら指を動かさない。

腕でもない。


あらかじめ張っておいた糸だけを使う。

床。

壁。

天井。


既に存在する糸へ僅かな力を加え。

突然禮の足元を狙う。

だが、禮は飛んだ。

高くではない。


ほんの数センチ。

糸を越えるのに必要なだけ着地地点。

そこへ二本目。


禮は片足だけで着地。

もう片方をすぐに引く。

三本目。

身体を傾ける。


「……危な」


初めて。

ほんの少しだけ禮の顔に笑みが出た。

七分。

紬の《繋糸》は、完全に攻め方を変えていた。


禮を追うのではない。

禮が行ける場所を減らす。

一角。


また一角。

闘技場の中を少しずつ。

糸で区切っていく。

禮は動きながら周囲を見る。


「なるほど」


そして、避け方も変わる。

大きく逃げない。

必要以上に動かない。

一歩で済むなら、一歩。


半歩で済むなら、半歩。

足を上げなくて済むなら、体重移動だけ。

最初に比べて。

動きが明らかに小さくなっている。

AIが記録する。


『回避動作平均移動距離――開始時比六十二%』


八分。

さらに。


『五十一%』


九分。


『四十四%』


禮自身はそんな数値など見ていない。

ただ、紬の動きを見ている。

指。

呼吸。


糸の張り。

どの糸に力が乗っているか。

どの糸が囮か。

どの糸が次へ繋がるか。


最初。

一本ずつに見えていた糸がもう。

一つの流れに見え始めていた。

十本。


二十本。

三十本。

違う。

全部が別々に動いているわけではない。


数本ごとに役割がある。

追い込み。

制限。

誘導。

本命。


「……そういうことか」


十分。

紬が一気に仕掛ける。

床。

左右。


背後。

上。

四方から逃げ道を完全に潰すような《繋糸》。

観客席から声が上がった。


だが、禮はほんの一瞬だけ紬を見る。

そして、一歩。

前半歩。

右。


身体を沈め。

左足だけ引く。

頭上を糸が通る。

右側二本。


空振り。

背後。

一本。

禮の服のすぐ横を抜ける。


最後。

足元。

禮は見ることすらなく。

踵を僅かに浮かせた。


糸がその下を通過する。

着地。

止まる。

転ばない。


触れてすらいない。

残り時間。

――十分。

紬が息を呑む。


「……最初と、動きが違う」


その通りだった。

禮は十分前と同じ速度で動いているわけではない。

急に身体能力が上がったわけでもない。

ただ、学習した。


紬の癖。

能力の使い方。

糸の張り方。

誘導。


攻撃の順番。

それらを避けながら、少しずつ。

自分の動きへ取り込んだ。

禮は肩を軽く回す。


「うん」


紬を見る。


「だいぶ分かってきた」


残り――十分。

残り――十分。

禮は一度、足を止めた。


「なら」


右手を開く。


「多少、本気で避け始めようか」


光が集まる。


「神器――《ノア》」


本型の神器が現れ。

ひとりでにページが開いていく。

紬の表情が僅かに強張った。


今まで禮は一度も能力を使っていない。

純粋な身体能力だけで、十分間。

すべての糸を避け続けていた。

それがここから変わる。


「《空歩》」


一歩。

禮の足が何もない空中を踏んだ。

そのまま身体が浮き上がる。


二歩目。

三歩目。

床という制約そのものが消えた。


「……空まで?」


紬がすぐに糸を上へ伸ばす。

天井。

壁。


床。

あらゆる場所を起点にし。

空中の禮へ《繋糸》が集中する。

だが、禮はさらに。


「《虚踏》」


踏み込む。

その瞬間、紬の視線が揺れた。


「――え?」


禮が次にどこへ足を置くのか。

どちらへ身体を運ぶのか。

その『踏み込み』が読めない。

右へ行くように見えて。


左。

上へ逃げるように見えて。

落下。

確かに踏み込んだはずなのにそこにはもういない。


《空歩》。

《虚踏》。

二つを重ね。

禮は空中を縦横無尽に移動し始めた。


糸が迫る。

かわす。

その先へ糸。

空中を踏み、軌道を変える。


三本。

五本。

十本。

紬もすぐに対応し始める。


「だったら……!」


空中そのものを覆うように大量の《繋糸》が張り巡らされていく。

逃げ道を追うのではない。

先に禮が移動できる空間を潰す。

禮はそれを見て、僅かに笑った。


「そう来るか」


残り時間。

残り――九分。

空中。

禮の周囲には、既に隙間がほとんどなかった。


上下。

左右。

前後。

《繋糸》が幾重にも交差し。

逃げ道そのものを消している。


「逃げ場のない糸か」


禮は周囲を見渡す。

普通に動けば。

どこか一本へ引っかかる。

なら。


「《断絶ノ界線》」


空間に細い一本の線が走った。

次の瞬間、禮と糸の間に存在していた距離。

その一部が切り離される。


迫っていた《繋糸》が禮の目前で止まった。

正確には届かない。

目の前にある。

だが、そこから先へ進めない。


「……また!?」


紬が目を見開く。

一本。

二本。


十本。

どれだけ糸を重ねても同じ。

《断絶ノ界線》によって作られた境界を越えられない。

禮はその中心で僅かに首を傾けた。


「これなら囲まれてても関係ないな」


だが、紬は諦めない。

一度、糸を引く。

そして、禮ではなく、《断絶ノ界線》そのものを見るように目を細めた。


「……これ、壁じゃない」


攻撃を防いでいるのではない。

触れられない距離。

越えられない境界。

なら。


「直接行くんじゃなくて……」


紬の指が動く。

禮へ伸びていた糸が一斉に方向を変えた。

狙うのは禮ではない。

境界の外側その周囲。

さらにその先。


「……へえ」


禮が見る。

紬はもう。

《断絶ノ界線》を突破しようとしていなかった。

突破できないならそのまま使う。


境界の外側をさらに糸で囲い始める。

今すぐ届かなくてもいい。

禮が《断絶ノ界線》を解除した瞬間。


あるいは別の場所へ移動した瞬間。

そこへ糸を置いておく。

逃げ道を塞ぐために禮の口元が僅かに上がった。


「ちゃんと切り替えるか」


紬は返事をしない。

ただ、糸を増やす。

一本。

また一本。


今度は、禮ではなく、禮が次に行く場所を奪うために残り――七分。

残り――七分。

《断絶ノ界線》の外側そこには既に。

紬の《繋糸》が幾重にも張り巡らされていた。


禮がどこへ出ても足元。

膝。

腰。

次の一歩。

そのすべてを狙える配置。


「……回避はできないな」


禮が呟く。

その言葉に紬の目が僅かに見開かれる。

初めて。

禮自身が、避けられないと認めた。


だが、次の瞬間禮は右手を開いた。

《創》。

光が集まる。

一本の刀。


装飾らしい装飾もない。

ただ斬るためだけの、簡素な一振り。

しかし、普通の刀ではない。

その刀へ与えられた性質。


――破壊されても――欠けても。

――折れても――消し飛ばされても。

次の瞬間には再び同じ形で創り直される。

永遠に何度でも禮の手の中へ蘇り続ける刀。


禮は《断絶ノ界線》を解いた。

瞬間待っていた《繋糸》が一斉に殺到する。

足元。

左右。


正面。

背後。

禮は逃げなかった。

刀を振るう。


一閃。

糸が切れる。

返す刃。

二本。


さらに、三本。

切断。

紬が指を動かす。

切られた隙間を埋めるように、別の糸が走る。


禮はその場で刀を回す。

斬る。

斬る。


斬る。

今までのように糸を避ける必要はない。

進む場所だけ足を置く場所だけ必要な分だけ切ればいい。


「……だったら!」


紬が一気に本数を増やす。

一本の刀で処理できる量を超える。

前方から大量の《繋糸》。


禮が一振り。

数本を斬る。

だが、別の糸が刀身へ絡みついた。


「捕まえた……!」


複数方向から糸が刀を引く。

さらに一本。

二本。

刀身そのものへ力が集中する。


――バキッ。

刃が折れた。

観客席から声が上がる。


紬も一瞬。

勝機を見た。

だが、折れた刀身が光へ変わる。

そして、次の瞬間禮の手には完全な刀があった。


「……え?」


新品。

傷一つない。

禮はそのまま振り抜く。

刀へ絡んでいた糸をまとめて切断。


「残念」


再び構える。


「これ、壊れても何回でも戻るんだ」


紬が固まったのはほんの一瞬。

すぐに表情を切り替える。


「じゃあ……刀を壊しても意味ない」

「そうだな」

「なら」


紬の視線が刀から離れる。

再び禮の足元へ。


「刀で切る前に――足を取ればいい」


禮が少し笑う。


「そう来なくちゃな」


再び無数の《繋糸》が走り出した。

今度は、刀を止めるためではない。

刀を振るう禮自身の動きまで計算し。

その死角へ足元へ次々と糸が入り込んでいく。


禮も切る。

かわす。

空中を踏む。

再び切る。


能力。

身体能力。

神器。

そして、紬の学習。


互いに最初とはまるで違う戦い方へ変わっていた。

残り――五分。

残り――五分。

禮は刀を振るいながら、紬の動きを見る。


最初と比べれば。

明らかに違う。

糸の置き方。


誘導。

刀を振るタイミングの潰し方。

そして、禮が次にどこへ動くかまで考え始めている。


「さて」


一本。

糸を斬る。

そのまま。


「どんどん攻略してきてるな」


次の瞬間、禮の姿が消えた。


「――っ!?」


紬の瞳が見開かれる。

気づいた時には目の前ほんの数歩先。

禮が立っていた。

一瞬で距離を詰めた。


全速力。

攻撃は――しない。

刀も振らない。

ただ、そこにいるだけそれでも紬の身体は反応した。


「っ……!」


両腕が上がる。

《繋糸》。

防御。

拘束。


迎撃。

複数の糸が一気に禮との間へ展開される。

当然だった。

これまで一度も攻撃してこなかったとはいえ。


目の前へ突然。

圧倒的な速度で接近された。

警戒しない方がおかしい。

そして、その一瞬。

紬の意識が。


『攻める』から。

『守る』へ切り替わった。


禮はそれを見る。


「……やっぱり」


すぐに後退。

紬が展開した糸へ触れる前に一気に距離を離す。

元の位置よりもさらに後方。


「え――」


紬が気づいた時にはもう禮はいない。

攻撃されていない。

何もされていない。

ただ、自分で防御へ回っただけ。


「……フェイント」


紬が小さく呟く。

禮は刀を肩へ乗せる。


「俺が攻撃しないって分かってても」


紬を見る。


「急に目の前まで来たら、警戒するよな」


紬は少しだけ悔しそうに眉を寄せた。


「……します」

「だよな」


再び糸が動く。

今度は、接近されても崩れないように自分の周囲へ残す糸。

禮を追う糸。


進路を塞ぐ糸。

明確に役割を分ける。

禮が接近したことすら。

紬は次の攻略材料に変え始めていた。


「……ほんと、すぐ直すな」


時間は進む。

禮が速くなれば。

紬は先を塞ぐ。

禮が刀で切れば。


切った直後を狙う。

空中へ逃げれば。

着地点を消す。

突然距離を詰めれば。


最低限の防御だけ残し、攻撃用の糸を止めない。

一度見せた手が少しずつ。

通用しなくなっていく。


そして、残り時間。

残り――一分。

禮は刀を消し、軽く肩を回した。


「さて、残り一分だ」


紬は息を切らしている。

それでも、《繋糸》は止まらない。

闘技場中へ張り巡らされた糸。


ここまでの十九分で学んだすべてを使い。

禮の逃げ道を、一つずつ潰していく。

だが、禮は笑った。


「俺はまだまだ逃げれるぞ」


その声に観客席がざわつく。


「まだ余裕あんのかよ……」

「最初の十分、能力すら使ってなかっただろ?」

「でもあの子も凄くない? 最初と糸の張り方が全然違う」

「あと一分だぞ!」

「一本引っかければ勝ちなんだろ!?」

「雨宮、いけるんじゃないか!?」


応援する声も増えていた。

最初。

誰もが禮を見るために始まった最終評価。


だが今は十九分間食らいつき続けた紬にも。

自然と声援が飛んでいる。

紬もそれを聞いたのか。

一度だけ深く息を吸った。


「……絶対」


両手を広げる。


「転ばせる……!」


大量の《繋糸》が動く。

正面だけではない。

背後。

足元。


頭上。

禮が《空歩》を使う可能性まで考え。

立体的に隙間そのものを消していく。

禮はそれを見る。

そして。


「じゃあ最後は――」


《ノア》のページがめくられる。


「夢虚無幻(むきょむげん)」


禮の傍ら。

空間が黒く――欠けた。

光を吸うような黒ではない。

そこだけ最初から何も存在していなかったかのような。


異様な『空白』。

輪郭さえ一定ではない。

揺らぎ。


歪(ゆが)み。

形を変えながら、一つだけ禮の周囲をゆっくりと回り始める。

観客席が静まった。


「……何、あれ」

「黒い……?」

「いや、違うだろ。向こう側が見えない……」


久世もそれまでの笑顔を僅かに消した。


「それ使うんだ」


今回。

禮は攻撃に使わない。

増やしもしない。

ただ一つ。


自分を守るように周囲を巡らせる。

紬の糸が迫る。

足元。

禮はかわす。


横から身体を傾ける。

背後。

一歩。


そして、避けきれない一本。

その進路へ《夢虚無幻》が滑り込んだ。

触れた瞬間《繋糸》の先端が――消える。


「っ……!」


紬がすぐに糸を引いた。

別方向。

二本。

三本。


禮自身は動き続ける。

それでも届きそうになった糸だけを不規則に巡る《夢虚無幻》が遮る。

糸が削れ。

途切れ。

消えていく。


「まだ……!」


紬は止めない。

残り僅か。

床へ張った糸を一斉に引く。

正面へ注意を向けさせ。


背後。

さらにその背後を囮にして、本命は禮の右足。

十九分の中で一度も使っていない角度。

禮が気づく。


「お」


糸が迫る。

《夢虚無幻》が禮の背後から足元へ滑り込む。

消失。

そして――。


『――時間です!』


競技終了を告げる音が第一闘技場全体へ響いた。

すべての《繋糸》が止まる。

紬はその場で固まっていた。

禮は転んでいない。


勝利条件。

未達成。

二十分。


終了。

《夢虚無幻》が静かに消える。

禮は紬を見る。

一方、紬は数秒そのまま立っていたがやがて。


「…………無理だったぁ……」


力が抜けたようにその場へ座り込んだ。

直後、観客席から大きな拍手が巻き起こった。


「無理だったとはいえ」


禮は、その場に座り込んだ紬を見る。


「俺に対しての攻略法、修正。それに成長率」


少しだけ間を置いて。


「すごかったぞ」


紬が顔を上げる。


「……本当、ですか?」

「ああ」


最初はただ糸を飛ばして、避けられれば本数を増やし。

それでも駄目なら、逃げ道そのものを塞ぐ。

《断絶ノ界線》を見れば、突破することを諦めて外側から囲い。

刀を使えば、刀を壊すのではなく禮自身の動きを狙う。


急接近に警戒してしまった後は次から最低限の防御だけを残し、攻めを止めなかった。

一度失敗するたび。

一度見せられるたび。

次にはほんの少しずつでも修正していた。


「二十分前とは、かなり違う」


紬はしばらく黙っていた。

やがて、少しだけ嬉しそうに笑う。


「……ありがとうございます」


観客席から、再び拍手が起きる。

勝てなかった。

だが、この場で見られていたのは勝敗だけではない。


審査席。

天倉も紬の評価資料へ視線を落とす。

その横で久世が小さく笑った。


「禮があそこまで言うなら、高評価だね」


そして、大型モニター。

雨宮紬の名前の横に――最終実戦評価・終了。

その文字が表示された。


一人目。

終了。

次の参加者の名前がゆっくりと画面へ浮かび上がっていく。


「さてと」


禮は闘技場中央で軽く首を回した。


「次は誰だ?」


大型モニターが切り替わる。

参加者名が高速で流れ。

やがて、一人の名前で止まった。

――参加番号五二七。


――瀬名 凌。

十八歳。

能力《遅延》。

禮が大会初日に目を止めた、二人目の参加者。


相手へ与えた変化。

自分が受けた衝撃。

それらが実際に発生する瞬間を、数秒だけ後ろへずらす。

正面から殴り合えば不利な強化系能力者を相手にその時間差だけで勝ち切った男。


「次こいつか」


禮が少し笑う。

通路の奥。

瀬名がゆっくりと姿を現した。

紬とは違う。


緊張していないわけではない。

だが、禮を見ても、表情はほとんど変わらなかった。

闘技場へ入り。

数メートル離れた位置で止まる。


「……神成禮」

「ああ」


瀬名は禮を見る。

視線が一度禮の足。

腕。

そして距離へ向く。


もう戦う前から何を遅らせるか考えている。

そんな目だった。

一方、その間にも最終評価は別区画で進んでいた。

各部門上位者。


久世が選んだ参加者。

局側から推薦された者。

何人もの能力者が評価を受けていく。

強い者もいた。


十分に優秀な者もいた。

だが、大会中からほとんど戦い方が変わっていない者。

自分より強い相手を前にすると、持っている技を順番に使うだけになる者。

一度対処されても、同じ方法を繰り返す者。


そういった参加者については禮の評価も早かった。

細かい戦闘まで見る必要はない。

この最終評価で禮が特に時間を使うことになる人間は――七人ほど。


雨宮紬が、その一人目。

そして、目の前に立つ瀬名凌。

禮はまだ決めていない。

こいつが二人目になるのかどうか。


『最終実戦評価』

『次戦――瀬名凌』


瀬名が構える。


「よろしく」


短い一言。

禮も正面を見る。

《遅延》。


一度見た能力ではある。

だが、大会を勝ち進んできた今。

あの時と同じ使い方しかしないなら――。

禮がわざわざ選んだ意味はない。


『――開始!』

「まあ、戦闘しかないかな」


禮はそう言って、片手を前へ出した。


「《創》」


空間が僅かに歪む。

そして、禮の手の中へ現れたのは――


「模倣《アポカリプス》」


その形を見た瞬間審査席にいた禮歌の視線が僅かに変わる。

本物ではない。

当然だ。

あくまで禮が《創》によって再現した模倣品。

しかも。


「まあ、手加減はする」


禮が軽く振る。


「二十%の模倣だ」


完全再現ですらない。

本来の《アポカリプス》が持つ力の、ほんの一部。

それでも、瀬名は一瞬で警戒を強めた。


「……二十%?」

「うん」

「それをわざわざ言うってことは」


瀬名が構え直す。


「二十%でも十分ってことか」


禮は答えず。

模倣《アポカリプス》を片手で構えた。

瀬名の《遅延》。

そして、二十%まで落とされた《アポカリプス》。


純粋な戦闘。

ここから瀬名がどう攻略してくるのか。

禮は静かに相手を見る。

禮は模倣《アポカリプス》を片手に持ったまま、瀬名を見る。


「勝利条件を変える」


瀬名の眉が僅かに動く。


「お前が俺に一撃でも有効打を入れた時点で――お前の勝ちだ」


観客席がざわつく。


「一発でいいのか?」

「随分条件軽くない?」

「でも相手、さっきからまともに攻撃食らってないぞ……」


瀬名本人も、数秒黙った。


「……本当に一撃で?」

「ああ」

「掠るだけじゃ駄目?」

「有効打ならな」


瀬名は小さく息を吐き、構え直した。


「了解」


その瞬間、距離を詰める。

拳。

禮は半歩だけ横へ空振り。

すぐに瀬名が脚を振るう。


禮は上体を引いてかわす。

三撃目。

四撃目。

全て。


避ける。

禮からは攻撃しない。

模倣《アポカリプス》も、まだ振るわない。

ただ、瀬名を見る。


一撃目。

右拳。

二撃目。


左脚。

三撃目はフェイント。

その裏から、肩へ触れようとする左手。


「……なるほど」


禮が僅かに笑う。

瀬名は殴るだけではない。

触れること自体が目的。


《遅延》を仕込むため禮が攻撃を避ける。

瀬名の指先が、禮の服を狙う。

それもかわす。


「触らせてもくれないか」

「そりゃそうだろ」

「一発で勝ちなんだよな?」

「だから避けてる」


再び瀬名が踏み込む。

今度は速い。

拳。

禮が左へだが、瀬名は最初から拳を当てるつもりがない。


空振りした勢いのまま身体を回し。

禮の移動先へ肘。

禮は一歩下がる。

そこへ足払い。


跳ぶ。

瀬名の手が伸びる。

空中。

禮の足首。


「惜しい」


禮は身体を捻る。

指先が僅か数センチ届かない。

着地。

距離を取る。


禮はまだ攻撃しない。

その間にも観察を続ける。

最初の試合で見た瀬名は衝撃を遅らせ。

遅らせた結果を利用して相手の体勢を崩していた。


だが、今は少し違う。

攻撃。

接触。

移動。


そのどれも単発では終わっていない。

禮がどう避けるか。

どちらへ重心を逃がすか。

そこから次の手を繋いでいる。


「大会中より動き良くなってるな」


瀬名が答える余裕はない。

再び踏み込む。

禮が避ける。

追う。


避ける。

さらに追う。

攻撃の速度そのものは禮にとって脅威ではない。

それでも、禮の視線は少しずつ真剣になっていく。


「……ただ殴りに来てるわけじゃないな」


今までの攻撃。

全て。

何かを確認している。

禮がどの距離なら避けるのか。


どの角度で身体を開くのか。

どちらの足から動くのか。

そして――


《遅延》をどこへ仕込めば。

一撃へ繋がるのか。

瀬名はまだ。

その答えを探していた。


「ただ」


禮は模倣《アポカリプス》を軽く持ち直した。


「今回は俺も攻撃させてもらう」


瀬名の目が細くなる。


「能力は使わない」


次の瞬間、禮が踏み込んだ。

純粋な身体能力。

それだけで距離が消える。


「っ――!」


瀬名が咄嗟に身体を捻る。

模倣《アポカリプス》が横薙ぎに走る。

避ける。

だが、禮は止まらない。


返す。

斜め下から瀬名が後ろへ跳ぶ。

さらに一歩。

縦。


横。

突き。

武器そのものの性能ではない。

禮自身の身体能力と、扱い方。


それだけで攻撃が繋がっていく。

瀬名は避ける。

受けない。

模倣とはいえ。

《アポカリプス》をまともに受ける選択(せんたく)肢は取らない。


「……速いな」


息を吐きながら、瀬名が横へ抜ける。

禮は追う。

剣を振る。


瀬名が屈む。

頭上を刃が通過。

そこから禮の左脚。

蹴り。


「っ!」


瀬名が腕で受ける。

衝撃。

後退。


だが、すぐに《遅延》。

受けた衝撃を一時的に後ろへずらす。

その場では吹き飛ばない。


「なるほど」


禮の目が変わる。

瀬名はその猶予を使って、逆に前へ出た。

拳。

禮が首を傾ける。


かわす。

そのまま剣を振る。

瀬名が避ける。

そして、禮の攻撃。


瀬名の回避。

瀬名の反撃。

禮の回避。

交互。


徐々に速度が上がっていく。

禮は能力を使わない。

《空歩》も《虚踏》も創約(そうやく)も。

何もなし。


身体能力だけで模倣《アポカリプス》を振るう。

それでも、瀬名には十分すぎる圧だった。

一瞬でも判断を誤れば。

そこで終わる。


だからこそ。

瀬名は考える。

避けながら、受けながら、《遅延》を使いながら、禮の攻撃の癖を拾う。

右からの斬撃。


その後、足。

縦斬りの後は距離を取る。

突きの後。


僅かに身体が前へ流れる。

少しずつ少しずつ。

瀬名の中で神成禮という相手の動きが形になっていく。

そして禮もそれを見ていた。


「……いいな」


瀬名の動きが最初より、確実に変わり始めていた。


「いいね」


禮は瀬名の動きを見ながら、楽しそうに笑った。


「やっぱり俺が見た奴は、成長率が違いすぎる」


瀬名は答えない。

呼吸を整えながら、禮の手。

足。

模倣《アポカリプス》。

その全部を警戒している。


「さて」


禮が剣先を下げた。


「なら――これならどうだ」


模倣《アポカリプス》を床へ向ける。

瀬名の視線が一瞬だけ落ちる。


「……?」


次の瞬間、禮が振り下ろした。

――轟ッ!!

これまで大会中。


何人もの能力者が攻撃し。

高出力の能力が撃ち込まれ。

強化系の一撃を受けてもほとんど傷すら付かなかった床。

その床が模倣《アポカリプス》の一撃で――砕けた。


「――は?」


瀬名だけではない。

観客席から一瞬。

音が消える。

そして。


「床、壊れた!?」

「待て待て、あれ大会中ずっと壊れなかったやつだろ!?」

「戦闘部門の最大出力でも無傷だったぞ!」

「二十%って言ってなかったか!?」

「二十%であれ!?」


ざわめきが一気に歓声へ変わる。

審査席。

天倉が額を押さえた。


「……あいつ」


隣。

久世は完全に楽しんでいる。


「あはは、やった」


禮歌だけは砕けた床を見ながら、小さく息を吐く。


「模倣でも《アポカリプス》だからね……」


闘技場。

床に走った亀裂が瀬名の左右へ広がっていく。

退路。

右。


消える。

左。

崩落。

後方にも大きな亀裂。

安全に動ける場所が一気に狭くなる。


「っ……!」


瀬名が距離を取ろうとする。

だが、禮は既に動いていた。

床を壊した理由。

ただ驚かせるためではない。


逃げられる方向を意図的に減らした。

右へ行けない。

左も狭い。

後ろは足場が悪い。

なら瀬名が選ぶ場所はほとんど決まる。


「まずい……!」


瀬名が気づく。

禮が踏み込む。

模倣《アポカリプス》。

横薙ぎ。


瀬名が後退。

だが、後ろには亀裂。

一歩しか下がれない。

禮はその一歩を見ている。


剣を返す。

二撃目。

瀬名は上体を反らす。

避ける。


三撃目。

下。

足元。


瀬名が跳ぶ。

しかし、空中。

逃げ場がない。

観客席。


「これ詰んでないか!?」

「地面なくして逃げ道制限してる!」

「武器で攻撃するだけじゃないのかよ!」

「瀬名、避けろ!」


歓声が飛ぶ。

その中禮は空中にいる瀬名へ模倣《アポカリプス》を振り上げた。


「さあ」


禮の目が細くなる。


「ここからどうする?」


瀬名には着地できる場所が少ない。

攻撃は迫っている。

空中では大きく身動きもできない。

そして、一撃でも禮へ有効打を入れれば。


瀬名の勝ち。

追い込まれた状況で瀬名の《遅延》がどう使われるのか――。

禮はそれを見るためにあえて。

逃げ道を潰した。


「天倉さん」


禮は模倣《アポカリプス》を振るいながら、通信を開いた。


「俺、どのくらいの力出していいんだ?」

『それを攻撃しながら聞くな!』


天倉の声が返る。

その間にも禮は止まらない。

横薙ぎ。

瀬名が身を沈める。

その回避先へ突き。


「っ!」


瀬名が首を捻ってかわす。

だが、もう次。

斜め下。

足元。


跳ぶしかない。

空中へ逃れた瞬間禮は既に踏み込んでいる。

振り上げ。

瀬名が身体を捻る。


着地。

その瞬間へ突き。

避ける。

後退。


しかし後方は、先ほど禮が破壊した床。

瀬名は強引に横へ逃げる。

そこへ禮の蹴り。

腕で受ける。


《遅延》。

衝撃を後回しにする。

だが、考える時間はない。

剣。


拳。

蹴り。

また剣。

攻撃の間隔そのものが短い。

瀬名が一つ処理した瞬間には、次が来ている。


「くっ……!」


観客席から声が上がる。


「速っ!?」

「瀬名、ずっと避け続けてるぞ!」

「いや、あれ避けながら《遅延》まで使ってるのか!?」

「考える暇なくない!?」


その通りだった。

禮はあえて。

瀬名へ考える時間を与えていない。

《遅延》はただ反射的に使うだけでも強い。


だが、この男の面白さはそこではない。

限られた時間。

限られた状況。

その中で結果をずらし。


次の行動へ繋げる判断。

なら考える時間そのものを奪った時。

どこまで対応できるのか。

禮はそれを見ていた。


『神成』


ようやく天倉が答える。


『少なくとも今使っている二十%模倣までは許可する』

「じゃあ上は?」

『必要なら少し上げてもいい。ただし――』


禮が振るう。

瀬名がかわす。


『相手を壊すな』

「曖昧(あいまい)だなぁ」

『お前に具体的な数値を渡す方が怖いんだよ!』


観客には聞こえない通信。

禮は少し笑った。

その瞬間にも模倣《アポカリプス》が再び瀬名へ迫る。

瀬名は歯を食いしばる。


避ける。

《遅延》。

避ける。

受け流す。


また《遅延》。

――そして、その目が僅かに変わった。

ただ追い詰められているだけではない。


何かを組み立て始めていた。

禮は一度だけ攻撃の間隔を緩めた。

そして。


「なら――」


《創》。

禮自身へ、能力を向ける。


「一定時間、俺の能力出力、身体能力、そして扱える力の総量――」


少し間を置いた。


「全部、最大時の二十%に固定する」


それは単純な手加減ではない。

出そうと思えば出せる力を抑えるのではなく、《創》によって、今の自分そのものを――

二十%までしか出せない状態として成立させる。

瞬間禮の身体を覆っていた圧が僅かに落ちた。


模倣《アポカリプス》も二十%。

能力出力も二十%。

身体能力も二十%。


どれか一つだけではない。

今から一定時間。

神成禮という存在が行使できる力そのものを、二十%へ固定する。

そして禮はわざと通信ではなく、闘技場全体へ響くように声を上げた。


「今から俺は――全能力を二十%に固定する!」


観客席が一瞬静まる。

そして。


「……全能力?」

「今まで身体能力も制限してなかったってことか?」

「待て、あの速度で二十%じゃなかったの!?」

「違う! 今から固定したんだろ!」

「じゃあさっきまでどのくらいだったんだよ!?」


どよめきが広がる。

参加者待機席。

紬も目を丸くする。


九条澪は腕を組んだまま、僅かに眉を上げた。

エリオットは何も言わず禮を見つめる。

レオンだけは少し面白そうに笑っていた。


「……自分自身に制限を創ったのか」


審査席。

久世が吹き出す。


「そこまでして二十%にするんだ」


天倉は額を押さえた。


「……こいつ、また観客に余計な情報を」


禮歌は逆に少しだけ笑う。


「でも、これなら分かりやすいでしょ」


闘技場。

瀬名は初めて禮との距離を取り。

呼吸を整えた。


「……二十%」

「ああ」


禮は模倣《アポカリプス》を構え直す。


「ここから先は」


瀬名を見る。


「何を使っても、全部二十%だ」


それを聞いた瀬名の表情が変わった。

絶望ではない。

むしろ。

初めて。


明確な基準ができた。

二十%。

そこまでは絶対に上がらない。


ならそこから攻略できる。

瀬名がゆっくり構える。

禮も剣先を向けた。


「さあ」


少し笑う。


「ここから一発、当ててみろ」

「永遠と俺が避け続けてもいいけど」


禮は模倣《アポカリプス》を構える。


「それだと長くなる」


瀬名を見る。


「だから――今からは本気で、お前を倒しに行く」


その言葉に瀬名の表情が一気に引き締まった。

次の瞬間。


「《空歩》」


禮の身体が浮く。

空中を踏み。

一気に加速。

さらに。


「《虚踏》」


踏み込み。

軌道が揺らぐ。

右。

左。


上。

瀬名から見れば。

次にどこから来るのか分かりにくい。

ただし、先ほどまでとは違った。


「……?」


瀬名が気づく。

速い。

十分に速い。

だが、先ほどの禮にあった。


異常なまでの鋭さ。

寸分の狂いもない踏み込み。

身体の軸が一切ぶれない精密さ。

それがほんの僅かに落ちている。

観客席でも。


「あれ?」

「さっきより……遅い?」

「いや、遅いっていうか」

「動きがちょっと粗くなった?」


二十%。

能力だけではない。

身体能力。

出力。


そして、それらを組み合わせた動作まで禮は自分自身へ掛けた制限を、正確に受けていた。

《空歩》。

一歩。

《虚踏》。


切り返し。

それでも、普通の能力者から見れば十分すぎる速度。

瀬名の正面。


一瞬で距離を詰める。

模倣《アポカリプス》。

振り下ろし。


「っ!」


瀬名が横へ避ける。

だが、禮は止まらない。

空中を踏む。

横から追撃。


瀬名が屈む。

禮はそのまま回転。

蹴り。

瀬名は腕を上げる。


直撃寸前《遅延》。

衝撃を後回し。

その猶予で禮の懐へ入る。

拳。

禮は首を傾けてかわす。


「惜しい」


すぐに肘。

これも避ける。

瀬名がさらに一歩。

禮は後退しながら、再び《空歩》。


空中へ逃げる。

そこから急降下。

《虚踏》。

瀬名の視線が追いつく。


「見える……!」


先ほどより、僅かに読める。

二十%へ固定されたことで今までなら成立しなかった一瞬の猶予が生まれている。

だから、瀬名も食らいつける。

禮が振るう。


瀬名が避ける。

禮が踏み込む。

瀬名が《遅延》を使う。

攻撃。


回避。

反撃。

また攻撃。


戦闘の密度が一気に上がる。

審査席。

久世が少し身を乗り出した。


「いいね」


天倉も黙って見ている。

禮歌だけは禮の動きを見ながら小さく呟く。


「……ちゃんと二十%になってる」


そして、闘技場中央。

禮が再び踏み込む。

今度は、瀬名の正面。

模倣《アポカリプス》を振り抜く。

瀬名は避けなかった。


「――ここ」


その目が初めて。

明確に禮の一撃を捉えた。

瀬名は避けなかった。


「――ここ」


禮の一撃を捉え。

《遅延》を仕込むために、前へ出る。

その瞬間、禮の目が変わった。


「禁忌開放(きんきかいほう)」


神器《ノア》のページが一気にめくれる。

観客席の空気が変わる。

久世が僅かに身を乗り出した。

禮歌も、禮から視線を外さない。

そして。


「禁忌――」


禮の周囲から異様な力が溢れ始める。

ただし、先ほど自ら設定した制限は消えていない。

能力。

出力。


身体能力。

すべて――二十%。

それでも、空間そのものが軋(きし)むような感覚が、闘技場へ広がった。

瀬名の表情が強張る。


「終焉創世(しゅうえんそうせい)」


瞬間禮を中心に相反する二つの気配が生まれた。

何かが終わっていくような感覚。

同時に、その終わりから、新しい何かが組み上がっていくような異様な現象。

観客席。


「……何だ、あれ」

「さっきまでと全然違うぞ……」

「これで二十%なのか?」


天倉も通信へ手を伸ばしかける。

だが、まだ止めない。

禮は正面にいる瀬名だけを見る。

そして、模倣《アポカリプス》を構え直した。


瀬名が初めて一歩だけ後退する。

それでも、逃げなかった。

禮の口元が僅かに上がる。

――ここから瀬名がどうするのか。

それを見るために禮は《終焉創世》を維持したまま、瀬名を見る。


「俺は、お前を試験から落とすためにここにいるんじゃない」


瀬名の目が僅かに動く。


「だからこそ――この技には、お前の可能性を感じてる」


《終焉創世》。

二十%へ固定されているとはいえ。

先ほどまでとは、明らかに格が違う。


「これは、なかなか強い技だ」


禮は模倣《アポカリプス》をゆっくり構える。


「だからこそ」


一歩。

前へ。


「お前の進化を見せてくれ」


瀬名はしばらく何も言わなかった。

目の前の技。

禮の立ち位置。

自分の《遅延》。

これまで戦ってきた中で得たもの全部を頭の中で繋げようとしている。


「……なるほど」


小さく。

瀬名が笑った。


「倒すためじゃなくて」


構え直す。


「俺が、ここから何をするかを見るためか」


その目からさっきまでの焦りが消えた。

代わりに禮が大会中に見つけた時と同じ。

いや。

それ以上の何かを組み立てようとする目。


瀬名の周囲に《遅延》の反応が重なり始める。

今までのように一つの衝撃を後ろへずらすだけではない。

複数。

違うタイミング。


違う対象。

それらを同時に組み合わせようとしている。

審査席。

久世が笑った。


「来るね」


禮歌も瀬名の変化を見逃さない。

そして、瀬名は禮を真っ直ぐ見る。


「なら――見せますよ」


一歩。

踏み込む。


「今ここで、俺がどこまで変われるか」

「なら――」


禮は模倣《アポカリプス》を握り直した。


「こっちも、今出せる全力を叩き込む」


制限は変わらない。

能力。

出力。

身体能力。


すべて二十%。

その枠の中で出せる――最大。

《終焉創世》。

禮を中心に揺らいでいた力が、一気に収束していく。

瀬名の表情が変わった。


「……来る」


次の瞬間、禮が消えた。

《空歩》。

《虚踏》。

二十%へ落とされ、先ほどより僅かに粗くなっている。


それでも、瀬名に考える猶予を与えない速度。

正面。

模倣《アポカリプス》。

一閃。


瀬名が身を捻る。

紙一重。

だが、禮はもう次へ繋げている。

返す刃。


蹴り。

踏み込み。

再び斬撃。

避けた先へさらに一撃。


「っ……!」


瀬名は《遅延》を重ねる。

受けるはずだった衝撃。

崩れる体勢。

足へ掛かった負荷。


一つ。

二つ。

三つ。


今までなら一つずつ処理していたものをまとめて――後へ送る。

だが禮は止まらない。

《終焉創世》を乗せた模倣《アポカリプス》が、真正面から迫る。

観客席から声が上がる。


「速すぎる!」

「瀬名、もう逃げ場ないぞ!」

「いや――まだ《遅延》使ってる!」


久世は目を細めた。

禮歌もじっと瀬名を見る。

追い詰められている。

それでも、瀬名の目は死んでいない。


むしろ。

禮が全力で攻め始めたことで今まで散らばっていた何かが一つに繋がろうとしていた。

禮の刃が迫る。

あと一歩。


あと一瞬。

瀬名は――

そこで、初めて。

自分から前へ踏み込んだ。


瀬名が前へ出る。

禮もいつも通り。

迎え撃とうとした。

模倣《アポカリプス》を返す。


軌道。

角度。

タイミング。


全部。

身体が覚えている。

だが。


「……っ」


僅かに遅い。

二十%。

能力だけではない。

身体能力も反応も踏み込みもいつもの速度は出ない。


分かっていたはずだった。

自分でそう固定した。

それでも、長く使い続けてきた感覚と今の身体。


その間にほんの僅かなズレが生まれる。

剣が間に合わない。

瀬名の拳が禮の防御より先へ入る。

観客席。


「――入る!」

「間に合ってない!」

「神成の防御が遅れた!?」


審査席。

久世の目が開く。

禮歌も立ち上がりかけた。

そして、瀬名もその一瞬を見逃さない。


「ここだ!」


踏み込む。

禮の胸元。

拳が迫る。

あと僅か。


本当に一撃。

入れば。

瀬名の勝ち。

禮の目が僅かに見開かれた。


逃げようと思えば。

避けようと思えば。

今の二十%でも神成禮なら、まだ間に合った。

《空歩》。


《虚踏》。

《創》。

使える手段はいくらでもある。

だが、禮は動かなかった。


瀬名の拳がそのまま。

胸元へ入る。

――ドンッ。


鈍い衝撃。

禮の身体が僅かに後ろへ下がった。

観客席が一瞬だけ静まり返る。

そして。


『有効打を確認!』

『勝利条件達成――!』


大型モニター。

――瀬名凌。

――勝利。

その表示と同時会場が一気に沸いた。


「当てた!!」

「マジか!」

「特別審査官に勝ったぞ!」

「最後、神成避けなかったよな!?」

「いや、でもそこまで追い込んだのは瀬名だろ!」


歓声の中瀬名本人だけが禮を見ていた。


「……今」


息を切らしながら。


「避けられましたよね」


禮は模倣《アポカリプス》を消す。

そして、少し笑った。


「さあな」


答えは濁した。

だが、禮の中ではもう十分だった。

自分が設定した二十%。

その制限の中とはいえ。


一度崩れた瞬間を瀬名は見逃さなかった。

そして、そこまで辿り着くために戦いながら、何度も修正し。

《遅延》の使い方を変え。


最後には自分から前へ出た。

禮が勝利を譲ったのは情けではない。

ここまで来たならこの一撃は瀬名が掴んだものとして、終わらせてもいい。

そう思っただけだった。


「瀬名」

「はい」

「合格とか不合格とか、俺が決める話じゃないけど」


禮は軽く胸元を払う。


「少なくとも俺は、お前を選んで正解だったと思ってる」


瀬名は少しだけ目を見開いた。

やがて、小さく笑う。


「……ありがとうございます」


二人目。

――瀬名凌。

最終実戦評価、終了。

瀬名との試合が終わった後。


最終実戦評価は、そのまま続いていった。

次に現れたのは戦闘部門上位。

強化系能力者――榊原蓮。

能力《重装》。


自身の肉体を高密度化し。

防御力と打撃力を大きく引き上げる。

単純。

だが、強い。


「お願いします!」


開始。

榊原が突っ込む。

真正面。

拳。


禮は避ける。

蹴り。

避ける。

突進。

避ける。


「……うん」


大会中に見た時とほとんど変わらない。

力は強い。

制御も安定している。

だが、禮が避け方を変えても攻撃の順番は変わらない。


右。

左。

突進。

一度失敗しても次も同じ。


数分。

禮は攻撃を一度も当てさせず。

最後。


軽く足を払う。

榊原が転倒。

そのまま試合終了。


「悪くはないけど」


禮は小さく呟く。


「今のままだと、ここから先は伸びにくそうだな」


次。

救助部門上位。

能力《硬泡》。

空中へ硬質な泡を作り。


障害物。

盾。

足場。

様々な用途へ変化させる能力。


能力そのものはかなり優秀だった。

実際大会でも高評価。

最終評価でも禮の攻撃を泡の壁で防ぎ。

足場を作って距離を取る。


だが、一度泡を破壊されるとまた同じ場所に同じ厚さ。

同じ形。

同じ防御。


禮が二度目も破壊する。

三度目。

また同じ。


「……惜しいな」


強い能力。

扱いも上手い。

ただ、戦い方が完成しすぎている。

完成しているからこそ。


崩された時修正が遅い。

試合終了。

その次。

海外参加者。


能力《旋風》。

周囲の空気を高速回転させ。

攻撃。

防御。


移動。

全てに使える。

観客席も沸いた。


派手だからだ。

巨大な風。

竜巻。

高速移動。


「おお」


禮も最初は少しだけ感心した。

だが、一分後。


「……もう大体分かった」


攻撃のたびに必ず。

右肩が先に動く。

大技の前必ず距離を取る。

防御後。


高確率で左へ逃げる。

禮がそこへ先回りする。

相手が驚く。

また同じ。


数回後。

完全に読めた。

禮は攻撃を避け。

最低限の反撃だけで終了させる。


さらに一人。

能力《爆点》。

触れた場所へ小規模な爆発点を設定する。

非常に攻撃的な能力。


「当てれば強いな」


禮がそう言った通り。

火力だけなら十分。

だが、禮へ触れられない。

焦る。


爆発点を増やす。

さらに焦る。

自分の動ける場所まで狭める。


最後。

禮がわざと一歩前へ相手は反射的に後退。

そこには自分自身が設置した爆発点。


「……あ」


爆発。

もちろん、大会用安全制御によって致命傷にはならない。

だが、その時点で戦闘続行不能。


『評価終了』


禮は少しだけ肩を落とした。


「能力はかなり良いんだけどな」


四人。

いずれも弱くはない。

大会上位へ残っただけの実力もある。

局員として見れば。


十分すぎるほど優秀。

ただ、禮が見たいものとは少し違った。

強さではない。


追い込まれた時今まで通じていた方法が通じなくなった時。

そこで、自分自身を変えられるか。

その場で新しい答えを作れるか。

禮は次の名前が表示されるモニターを見る。


「さて」


少しだけ目つきが変わる。


「次は――俺が選んだ奴か?」


大型モニターが切り替わる。

次に表示された名前を見て。

禮は少し笑った。


「お、こいつか」


――参加番号二九八。

――九条 澪。

十七歳。

能力《均衡》。


大会二日目。

禮が四人目に特別観察対象へ登録した少女。

触れた二つの対象が持つ『力』を均等に分配する能力。

攻撃力。


衝撃。

身体能力。

重心。


顕装へ流れる力。

同じ能力を状況に合わせて全く違う用途へ使い分けていた。

禮が特に気に入ったのは能力そのものより――その発想だった。


「次は《均衡》か」


通路の奥から九条澪が姿を現す。

闘技場へ入るなり、最初に見たのは禮ではない。

破壊された床。


壁。

残された亀裂。

そして、禮。

順番に視線を動かす。


「……先にフィールド確認するんだな」


澪が禮を見る。


「さっきまでの試合、見てましたから」

「へえ」

「床まで壊す人を相手にするなら、見ておかないと困るので」


観客席から小さく笑いが起こる。

禮も笑った。


「確かに」


だが、澪はすぐに表情を戻した。


「それと、一つ聞いていいですか?」

「ん?」

「私も勝利条件、変えるんですか?」


禮は少し考える。

《均衡》。

相手の力さえ利用できる。

それなら――。


普通に戦わせてもかなり面白いことになりそうだった。

禮は澪を見ながら、ゆっくり口を開いた。

禮は九条澪を見ながら、その場で軽く手を開いた。


武器はない。

何も持っていない。

素手のまま。


「なら――」


少しだけ笑う。


「俺の攻撃を、完璧に相殺できたら」


少し間を置いた。


「その時点で、お前の勝ちにしよう」


澪の目が僅かに細くなる。


「……完璧に、ですか」

「ああ」

「受けるでも、逸らすでもなく?」

「相殺」


禮ははっきり言う。


「俺の攻撃と、お前の力をぶつけて」

「結果をゼロにできたら勝ちだ」


観客席から小さなどよめき。


「今度は防御側か」

「でも相殺って……」

「九条の《均衡》なら相性いいんじゃないか?」


その時、ゴゴゴゴ……。

足元から低い振動が響く。

瀬名戦で破壊された闘技場の床。

大きく割れていた部分の縁がゆっくりと繋がり始めていた。


砕けた床材が浮き上がり。

亀裂が塞がれ。

欠損部分が埋まっていく。


施設の自動修復機構。

前の戦闘で受けた損傷を基準にただ戻すだけではなく、以前より、僅かに強度を引き上げながら、修復していく。

澪が足元を見る。


「……これ」


禮もちらっと見る。


「修復始まったか」


観客席から。


「床、勝手に直ってる……」

「さっき壊されたばっかなのに?」

「しかも前より頑丈になるやつだろ、あれ」


天倉は審査席で嫌な予感しかしない顔をしていた。


「……次は壊すなよ」


禮は聞こえているのかいないのか。

九条へ向き直る。

澪も修復されていく床から視線を戻した。

そして、ゆっくりと構える。


「分かりました」

「相殺できたら、私の勝ち」

「ああ」


禮も何も持たないまま。

軽く腰を落とす。


「じゃあ」


視線がぶつかる。


「始めようか」


開始の合図。

禮は武器を出さない。

能力も使わない。

ただ、拳を握った。


次の瞬間、床を蹴る。

真正面。

澪との距離を一気に潰し――

右拳。


「――っ!」


冗談でも牽制でもない。

本気で振り抜く拳。

澪は即座に反応した。

《均衡》を使うため禮の拳へ意識を集中する。


威力。

速度。

力の流れ。

正面から相殺するために――。

だが、禮の拳は寸前で止まった。


「え――」


フェイント。

本命は逆。

禮の左手。

既に澪の腹部へ潜り込んでいる。


「こっち」


ドンッ――!

腹部へ拳が入る。


「かっ……!」


澪の身体が浮く。

観客席から声が上がった。


「フェイント!?」

「最初から右は囮か!」

「本気の攻撃を囮にしたのかよ!」


澪は数歩後ろへ飛ばされ。

修復途中の床へ足を滑らせながらも。

どうにか倒れず踏み止まった。

腹を押さえ。


息を整える。

禮は追撃しない。

ただ、澪を見る。


最初の一撃。

《均衡》を使う以前にどの攻撃を相殺するのか。

そこから見極めなければならない。

澪もそれを理解した。


「……なるほど」


ゆっくり顔を上げる。


「相殺するだけじゃ……駄目なんですね」


その目がさっきよりも鋭くなった。

禮は、腹部を押さえる澪を見る。


「何度もいたぶる趣味はないからな」


右手を軽く開き。

もう一度拳を握る。


「次は――最初から本命だ」


その言葉に澪の表情が変わった。

今度はフェイントではない。

禮自身がそう宣言した。


なら真正面から受ける。

相殺する。

それだけ禮が一歩踏み出す。


「《零衝》」


瞬間先ほどまでとは違う。

派手な予備動作も大きな踏み込みもない。

ただ、禮の拳が真っ直ぐ。

澪へ向かって放たれる。

観客席も一瞬だけ静まった。


「……普通の拳?」

「いや……違うだろ」


澪も同じだった。

見た目だけなら単純。

真正面。


逃げもフェイントもない。

だからこそ。

今度は迷わない。


「《均衡》――!」


澪が能力を発動する。

禮の《零衝》。

自分の《均衡》。

勝利条件は一つ。


この一撃を完全に相殺すること拳が澪の目前へ迫る。

今度こそ。

正面衝突だった。

拳と《均衡》がぶつかる。


瞬間衝撃がほとんど消えた。

澪の足元。

修復途中だった床が僅かに震える。

だが、完全ではない。


「っ……!」


澪の身体がほんの少しだけ後ろへ押された。

数十センチ。

それだけそれでも条件は満たしていない。

直後、会場全体へ大会運営AIの機械音声が響いた。


『判定』


大型モニターへ数値が表示される。


『対象攻撃に対する相殺率――九十八・七%』

『残留衝撃、一・三%を確認』

『完全相殺条件――未達成』


観客席がどよめく。


「惜っし……!」

「あと一・三%!?」

「ほぼ消したじゃん!」

「でも完全じゃないのか……!」


澪も自分の手を見る。


「……足りなかった」


ほんの僅か。

だが、確かに禮の《零衝》が勝った。

AIはさらに淡々と告げる。


『九条澪の能力運用を再解析』

『直前記録と比較』

『出力配分精度――上昇』

『能力制御誤差――減少』

『適応傾向を確認』


その放送に澪が顔を上げる。

失敗。

だが、さっきより、近い。

禮の攻撃をあと少しで完全にゼロへできるところまで来ている。

禮は、九十八・七%という表示を見上げる。


「惜しいな」


澪へ視線を戻し。

僅かに笑った。


「じゃあ次は――完璧に相殺しよう」


澪が息を整える。


「……はい」


禮は右手を前へ出した。

《創》。

その瞬間、禮の周囲で力の組み上がり方が変わる。

新しい能力を得たわけではない。


禮歌の破壊そのものを扱っているわけでもない。

壊穿という技。

その構造。

成立条件。


力の通る軌道。

そして、対象を穿ち、崩壊へ導く結果。

それらを《創》によって再構築し。

別の形で成立させる。


「《壊穿》」


審査席。

禮歌の目が少し開く。


「……それ使うんだ」


隣で久世もすぐに気づいた。


「ああ、あれか」


二人とも見覚えがある。

以前禮が再構築して使った技。

観客席の大半には何が始まったのか分からない。

ただ、先ほどの《零衝》よりも明らかに空気が重い。

澪の表情も変わる。


「……これを」


禮は手を向けたまま答える。


「ああ」

「今度こそ――ゼロにしてみろ」


《壊穿》が放たれた。

《壊穿》が真正面から澪へ迫る。

先ほどの《零衝》とは明らかに違う。

単純な衝撃ではない。


一点を穿ち。

そこから崩す。

禮が《創》で再構築した。


特殊な一撃。

澪は逃げない。

視線を逸らさない。

そして、両手を構える。


「《均衡》」


瞬間澪の能力が《壊穿》へ噛み合った。

力の偏り。

進行。

衝撃。


崩壊へ向かう流れ。

それらを一つずつ。

均していく。

禮歌が僅かに目を細める。


久世も黙った。

そして、接触。

――音がしなかった。


爆発も衝撃波も床の破損も何もない。

ただ、《壊穿》がその場で綺麗に消えた。

同時に、大会AIの音声が響く。


『判定』


大型モニター。

数値が表示される。


『相殺率――一〇〇・〇%』

『残留衝撃――〇』

『残留現象――〇』

『完全相殺を確認』


少し間を置いた。


『勝利条件――達成』


会場が爆発するように沸いた。


「うおおおおおっ!」

「やった!」

「一〇〇%!」

「今の完全に消したぞ!」


澪はしばらく。

自分の手を見ていた。


「……できた」


さっきは九十八・七%。

僅かに足りなかった。

だが、今度は違う。


《壊穿》という。

先ほどとは性質そのものが違う攻撃に対して、一度で完璧に合わせた。

審査席。

久世が笑う。


「へえ」


禮歌も少しだけ嬉しそうに澪を見る。


「ちゃんと合わせたね」


闘技場。

澪が顔を上げる。

その正面には禮が立っていた。

今の一撃を完全に消されたまま。

禮は、完全に消えた《壊穿》の跡を見ながら、少しだけ笑った。


「それ、戦闘でも安定して使えるようになれば」


澪が顔を上げる。


「フェイントにも使えるぞ」

「……フェイント?」

「ああ」


禮は軽く手を振る。


「相手の攻撃を相殺するだけじゃない」

「わざと受けるように見せて消す。逆に、自分からぶつけて相手の力を崩す」


少し考えて、さらに続ける。


「今みたいに完全相殺まで持っていけるなら、攻撃、防御、牽制、時間稼ぎ」

「使い方次第で、かなり広がる」


澪は黙って聞いている。


「《均衡》って名前の通り、真正面から力を揃えるだけでも強いけど」


禮は澪を見る。


「そこから外して使えるようになれば、もっと厄介になると思うぞ」


少し間を置いて。


「少なくとも」


禮は大型モニターに残る。


『相殺率――一〇〇・〇%』


その表示を見る。


「今ので、お前の能力の汎用性はかなり上がったと思う」


澪はしばらく自分の手を見つめていた。


「……大会中は」


小さく口を開く。


「均等にすることしか考えてませんでした」

「うん」

「でも今は……」


澪が手を握る。


「相殺するために、どう均衡させるかを考えた」


禮は頷(うなず)く。


「それでいい」


澪の表情にほんの少し。

自信が浮かんだ。

九条澪の最終実戦評価が終了した後。

会場には、しばらく拍手が響いていた。


『本日予定されていた最終実戦評価は、以上をもって終了となります』


運営AIのアナウンスが流れる。


『参加者の皆様は、係員の誘導に従ってご退場ください。明日の評価は午前九時より開始いたします』


観客席が少しずつ空いていく。

その一方で、闘技場では修復作業が続いていた。

瀬名戦で破壊された床は既に元の形を取り戻し、表面を淡い光が走っている。


損傷を受けた箇所の再構築。

強度の再設定。

次に同程度の攻撃を受けても耐えられるよう、施設そのものが更新されていく。


「……本当に便利だよね、これ」


審査席から降りてきた久世が、足元を軽く踏む。


「私も一回、壊してみたいな」

「やめてください」


天倉が即答した。


「まだ何もしてないじゃん」

「するつもりの人間の発言です」


そのやり取りを聞いていた禮歌が、少し笑う。


「でも、今日は結構面白かったね」

「特に最後の子?」


久世が尋ねる。


「うん。《壊穿》をあんなふうに止められるとは思わなかった」

「私も驚いたよ。あれ、普通の衝撃とは違うからね」


久世は九条が立っていた場所を見る。


「一度目に失敗して、二度目は性質の違う攻撃を完全相殺。本人も、まだ自分の能力の使い道を全部は分かってなさそう」


天倉が手元の端末を操作する。


「AIの分析でも、戦闘中の能力運用に変化が確認されています。正式な評価は他部門の成績と合わせて行いますが……」


一度、言葉を切った。


「少なくとも、今日の試合で新しい判断材料が増えました」


禮歌は静かに頷く。


「それが、禮の見たかったものなんだろうね」


禮歌は、修復の光が静かに走る闘技場を見渡した。

明日もまた、誰かが予想もしなかった可能性を見せてくれるかもしれない。

その時に禮がどんな顔をするのか、少しだけ楽しみだった。


こうして、最終実戦評価の初日は幕を閉じた。


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