王都への帰還
王都に着いたのは、途中で泊まった宿を出てから二日目の夜だった。
早駆けでも三日はかかると言われていたが、馬車に乗っていたイリアの体感としては、かなりの速さで進んでいたように思う。そのためか、予定より少し早く王都に着いたのだろう。
今の正確な時間はわからなかったが、ほとんどの人が寝入ってる頃合いだ。
賑やかな街も深夜となっては人通りも少なく、騎士団一行や、王都では見慣れない簡素な馬車が通っても、気に留める人はほぼいない。それを見計らっていたのだろうか。
見覚えのある景色に干渉に浸る間もなく、イリアはフローガー邸に到着した。
一国を背負うほどの強さを誇る騎士団率いるフローガー家は、王家の血を引く公爵の家柄でもある。
加えてドラゴンの血を引くフローガーは、遥か昔から、国王により特別に目を掛けられてきた。
リヴァルティア王国はその昔、魔物の襲撃により一度滅ぼされ、のちに再建された国である。
その際、国の再建に密接に関わったのが初代フローガーであり、数百年を経た今でも、その恩は王家に受け継がれている。
王都にある宮殿に近い場所に広大な敷地を与えられたが、私利私欲を振るうことはせず、そこに大きな屋敷を構えたフローガーは、国を護る騎士を育成するべく、騎士専用の宿舎や訓練施設を設けた。
宮殿も構えている王都は、フローガー騎士団に所属する団員たちが主に護りを固めている。それは七年前の聖女狩りによって、より一層、強固なものとなった。
イリアが連れて来られたのは、国内で最も警護が厳重な場所だった。
身構えていたとはいえ、イリアには不安が常に付き纏っていた。王都へ着いた後の処遇を何より心配していたからだ。
イリアは着の身着のままここまで連れてこられたのだから、当然、一銭も持ってない。身寄りもなければ、泊まれる場所も頼れる者もいない。
ティールから離れられる手段があるならなんでもするつもりでいたが、ここへ来て、その気持ちは一気に挫かれた。
「馬車は僕が片付けておきますから、彼女を先に……」
「一晩くらい、ここに置いても構わない。キーリも今夜は休んでくれ」
フローガー邸の敷地内の一角で止められた馬車の外から、話し声が聞こえてくる。
どうやら団員たちはここで解散らしい。
明かりが漏れる屋敷の玄関からは、使用人らしき老齢の男が一人出てきた。彼らの近くに控え、屋敷の主人であるティールの指示を待っている。
団員たちが各自別れた後、イリアは馬車からひっそりと降りた。それに気付いたティールがイリアに視線を向けながら、先ほどの使用人と何か話している。彼らから離れていて話の内容は分からないが、イリアに関わることを話しているのは、火を見るより明らかだった。
なんとなく気まずくなったイリアは、辺りを見渡す。ティールとよく遊んでいた庭が視界に入り、目頭が熱くなった。
暫くして使用人が先に屋敷へ戻ると、ティールが庭を眺めている彼女の名を呼んだ。
「イリア」
細い肩がびくりと跳ねた。
過剰反応しないよう意識しているつもりでも、唐突に本当の名を呼ばれると、その努力が打ち砕かれる瞬間がある。
イリアはわざと、ティールの方を見なかった。
「中に入ろう」
「私のような平民に、このような場所……相応しくありません」
本来なら、イリアのような立場の者がいられる場所ではない。だからといって、行く当てもない。
明かりから逃げるように馬車の影にいるイリアは、近くにきたティールを避けるように、更に奥へ下がった。その様子を見たティールは、僅かに眉を顰める。
「では、もし君を自由の身にさせたとして……どこへ行くつもりなんだ」
「家へ帰ります」
イリアはきっぱりと言い切った。
嘘でもそう言うしかなかった。それがどんなに非現実的なことだとしても。
「君の頼みでも、今は自由の身にさせられない」
「私を……放っておいてはいただけないのですか」
「それはできない。拐われて、生死も不明のままだった者が見つかった。国に仕える騎士として、詳細を調べる義務がある」
イリアは何も答えることができなかった。
ティールの立場は理解しているつもりだ。騎士となった今では、彼なりの理由で動かねばならないことがあるのだろう。イリアとしても、誰にも迷惑はかけたくないとは思っている。
だからといって、身元を偽り、口を閉ざしたままでは、イリアが自由の身になる日は永遠に来ない。
「だが……それは騎士としての務めの話だ。本心は、ただ俺の目の届くところにいてほしいと思っている」
それを聞いたイリアは、思わず息を呑んだ。
他にどうしようもないとはいえ、ティールを幻滅させるような態度ばかりとるイリアを、いまだに想ってくれている。
その気持ちがどんなに嬉しいことか、彼に伝えてしまいたい衝動に駆られた。
「君が何も話せないというのなら、今はそれで構わない。俺が勝手に調べるだけだ。これからのことは、一緒に考えよう」
無意識のうちに暗がりに身を隠したがるイリアを、ティールが優しく声を掛けて明かりの方へ誘う。
ふと、幼い頃にイリアを遊びに誘う彼の姿が重なった。
初めて、再会できたことを喜ばしいと思えた。変わらないままでいるティールの存在が、イリアの心の救いになる。
「行こう、イリア」
イリアはようやく重い足を踏み出した。
ティールの無償の優しさを大事に心にしまって、広くなった背中を目に焼き付ける。
(私のために人生を犠牲にしてほしくない)
だからこそ、絶対にティールから離れなければ。そう心に決めて。
◇
「君の部屋だ。ここにあるものは好きに使って構わない」
案内されたのは、イリアが想像していた以上に広い部屋だった。
おそらく、ここへ来る前にティールと話していた使用人が、イリアのために事前に整えてくれたのだろう。テーブルには軽食も用意されていた。
それはとても有難いことだったが、同時に、イリアの身には有り余るものだと感じてしまう。
「ゆっくり休んでくれ」
終始誰かに見張られるのかと思っていたが、イリアを一人残したティールは、すんなり部屋を出て行った。
鍵を掛ける音もしなかったが、そこから外へ出られたとしても、ティールの目が届くフローガー邸を、簡単に抜け出せるとは到底思えない。
外へ出るのは一旦諦めたイリアは、部屋の中を改めて一通り見渡した。
隣の部屋へ続いているのかと開けたもう一つの扉の先には、洗面台やバスタブがあった。すぐにでも湯浴みができるよう、温かい湯まで張られている。
バスタブの縁に腰掛けると、温かい湯に手を浸した。ティールの気遣いに涙が込み上げてくる。
「あたたかい……」
まるで彼の心に触れたように感じられたイリアは、物思いに耽りながら、暫くそこに留まっていた。
部屋を出入りできるのは、先程ティールと入った扉だけだ。他に部屋を出られる扉はない。
洗面所を出たイリアは、バルコニーへ出られる大きな窓を見つけた。窓を開いて手すりから身を乗り出したが、ここは三階だ。落ちたら怪我だけでは済まないだろう。
ティールを撒くためには、まともに動ける体のまま、ここから出る必要がある。
「ここから落ちたら……死ぬのかな」
バルコニーからじっと地面を見つめていたら、不意に、下へ吸い込まれるような強烈な感覚がイリアを襲った。
目眩のようなそれに、足元がふらつく。
「ぃ、たい……!」
突然、首の後ろに刺すような痛みが走った。長い髪で隠れたうなじの辺りに直接触れると、酷く熱を帯びている。
まるで肌を焼かれているような感覚に、イリアは呻きながらバルコニーの手摺りに縋った。しかし痛みに耐えきれず、ずるりと膝から崩れ落ちる。
イリアを苛む、脳裏にはっきりと浮かぶ声。
『貴様が死を選んだら、その亡骸を愛しの騎士の前に献上してやろう』
おぞましい記憶が甦る。
腐臭、激痛、目に焼きついた血の赤。
思い出したくないそれは、強制的にイリアの意識を支配し、見るに耐えない凄惨な光景を鮮明によみがえらせる。
「たすけ……て……っ」
増していく強烈な痛みとともに、イリアの意識は昏い底に深く沈んだ。




