交わる運命
イリアが魔獣に襲われる、数分前——
王都から遠く離れた南の辺境にある村に、馬に乗った数人の騎士が訪れていた。
地方の討伐隊とは違った煌びやかさと威厳を感じさせる王都の騎士たちは、辺鄙な田舎の小さな村には浮世離れして見える。物珍しさで集まってきた村人たちはその姿に圧倒されつつ、遠巻きに彼らを眺めていた。
村から程近い場所に駐在する討伐隊からの連絡で、王都から急ぎ馬を走らせ、目的の村へと着いた騎士団一行——その団長であるティール・フローガーは、このまま更に南へ進むか決めかねていた。
王都へ知らせを寄越した討伐隊は、村の近隣に広がる小規模の土地の管理を受け持つ伯爵家が、緊急時に備えていたものだ。
そのうちのひとりが、恐ろしい咆哮が聞こえたという噂を耳にして見回りをしていたところ、偶然にも魔獣を目にしてしまった。それは想像を超える大きさと恐ろしさで、自分たちでは手に負えないと判断した彼らは王都に助けを求めた。
それから一週間も経たないうちに騎士団がやって来たわけだが、村長に現在の状況を聞いたところでは、まだ誰ひとり魔獣には遭遇しておらず、被害もないということで内心ほっと胸を撫で下ろす。
魔獣が村に来ようとしているのでなければ、このまま山へ進んでも問題はなさそうだ。
「魔獣が出たのはもっと南の山中だったか。どっかで馬を置いていくしかなさそうだな」
騎士団の中でも特に恰幅のいい男が、馬の手綱を軽く引きながら、はやる気持ちを抑えるようにひとり呟く。
彼の言うように馬を置いて歩くのは構わないが、念のため、村にも騎士を配置しておくことを考えなければ。討伐のために魔獣を追い詰めた結果、村へ来てしまうようなことがあれば大惨事になる。
最悪の状況を回避するためには、隙のない計画を立てなければならなかった。
遠征にあたって、向かう土地のことは事前に調べてはいたが、細かいことは実際に現地で確認しなければわからないこともある。騎士団が入ってきた道とはちょうど反対側に続く道を目にしたティールは、そちらを指して近くにいる村長に尋ねた。
「あちらに道が続いているようだが、あの先には何がある」
「村の外れに一軒だけありまして、そこに家族が住んでいます」
心配そうに気を揉む年配の村長は、村外れに住む老夫婦とは家族ぐるみでの仲のため、心から彼らの身を案じていた。
しかし村の者たちは、村長や騎士団の把握している状況よりは悪く捉えていないようだった。
だが実際のところ、村が血の海になる、という目も当てられない惨状が現実になる可能性がないわけではない。魔獣の動き次第で、それは今すぐにでも起こり得る。魔獣は夜の方が活発になりやすいが、それも確実とは言い難い。
だからこそ下手に混乱を招かないよう発言に気を配りつつ、一刻も早く周辺の人々の安全を確保しておきたかった。
「では、あの道を進もう。向こうの安全も確保しておきたい」
「王都の騎士団が来てくださるとは思ってもおらず……これで安心です。本当に、ありがとうございます……!」
「いや、まだ安心するには早い。魔獣を確実に討伐するまでは村の者には暫く、無闇に外へ出掛けないよう伝えてほしい」
村長は真剣にその言葉を聞き入れ、深く礼をすると、騎士団の周りに集まっていた村人たちに家へ戻るよう大声で促し始めた。
村に騎士を配置するため、ティールが団員へ指示を出していく。
団長を含めた七名の騎士は、一人を除いて若者ばかりが編成されている。もちろん戦闘力は折り紙付きの手練ればかりだが、その中でも最も経験豊富な壮年の騎士を含めた三人に村を任せることにした。
南へ向かうために村を出ようと再び馬に乗ったティールは、一人の騎士が馬を寄せてくることに気付いてそちらを向く。どうやら、まだ近くにいる村人に話を聞かれたくないらしい。
深刻な面持ちの男は、魔力探知を得意としている。その正確性は誰より高く、時には最悪の報せをもたらすこともあった。
「急ぎましょう」
「まずい状況か」
「ええ……魔獣が突然、移動を始めました。おそらく、村はずれの家があるという方へ向かっています」
それはまさに、最も危惧していた報せだった。
ともに南へ向かう騎士達が二人の緊迫した様子に気付いて、すぐにでも動ける体勢に入る。
「行くぞ!」
ティールの掛け声で、皆が一斉に馬を走らせた。
村を離れたところで他の騎士に状況をあらかた説明しながら、馬車が一台通れるほどの幅しかない道を突き進む。
身を隠せるメリットはあるが、山の麓に近く、木々に囲まれて見通しが悪いこの辺りで魔獣と対峙するのは、他の団員では分が悪いことも多い。
どこで鉢合うか確実なことが分からない今、馬に乗ったまま魔獣へ突っ込むというのも現実的ではない。
「どこから来た魔獣なんだろう」
「国内の魔獣は全て殲滅したはずなので、やはり外からでしょうね」
「それって誰かが意図的に放ったってことか?」
「この先を南へ更に進めば国境だから、外からこちらに入りこんだ可能性もあるかもしれないが……」
魔獣の出どころを巡って口々に話す団員たちに混じらずに前方を進むティールは、別のことを考えていた。
自らの脚で駆けた方が速い。
そう判断した彼は、すぐ後ろにいる男に手綱を預けた。
「馬を頼む!」
「待ってくださいティール! この先に家族が住んでいるということでしたが、そちらから別の魔力反応もあります」
「魔法使いがいるのか? 村長はそんなこと言っていなかったが」
「どうでしょう。魔法使いにしては、少し妙な反応に思えたので……念のため知らせておこうかと」
「わかった、ありがとう」
ある程度の距離まで近付けば、ティールでも魔獣の位置はわかる。本能を騒つかせる特有の魔力が、鋭い感覚を刺激するからだ。
魔獣が移動速度を徐々に上げ、馬での移動が遅く感じてもどかしくなる。速度を緩めず走り続ける馬から素早く降りたティールは、馬を遥かに凌ぐスピードで地を駆けた。
心臓が激しく脈打つ。身体中を巡る血が異常なまでに熱く滾り、ドクドクと痛いほどの強い耳鳴りが襲ってくる。
それは命を削る音。
いつか父であるフォティアが言っていた。
『死に急ぐな、ティール』
先祖返りの力は彼の身体能力を底上げし、人間を超越した動きを可能にする。だが同時に、人の身にとって強大過ぎる力は、使う時間が長くなるほどティールの人間としての身を激しく消耗させ、命を削る行為に繋がる。
けれどもう、己の身など惜しくはなかった。
大切な者を守れなかった、これは罰だ。
あっという間に引き離した団員たちを待たずに、ティールは魔獣へ突っ込む勢いでひたすら南へと急ぎ駆けた。魔獣はもうそこまで迫っている。
ひとり村はずれへ乗り込む手前で、腰に携えた大剣を引き抜いた。
木立に挟まれた道をあと数メートルで抜けるという手前で、ドンッ、という地響きと木が薙ぎ倒される音が響く。南方の山から、魔獣がひとっ飛びに降り立ったらしい。
家族が住んでいるという拓けた場所が見えてきたところで、不意に、女性の後ろ姿が視界に飛び込んできた。
強烈な胸騒ぎで、息が詰まる。
(まさか、そんな……!)
幻を見たのだと思った。
焦がれすぎて、ついに気が触れたのだと。
真っ赤な髪が風に揺らいで、彼女の横顔が晒された瞬間。
愛しい人の面影を——確かに、見た。
込み上げる恐れと怒りで、全身に焼け付くような痛みが走った。無意識のうちに増幅した先祖返りの力が駆け巡る。
誰より大切な者が危険に晒されている。
二度と失いたくない。
(もう……誰にも奪わせない!)
王都からの騎士がすぐそこまで来ていることに気付いていないイリアは、目前に立ちはだかる巨大な魔獣に唖然としながらも、ひとりでなんとかしようと必死に思考を巡らせた。
まだ魔獣はイリアを目視してはいないが、動けばきっとすぐに見つかる。
家にいる二人を連れ出したかったが、アグスは昨日村から戻ったあとに腰を痛めている。エフィも流石に、若いイリアのようには走れない。
考えている間に魔獣が移動し、二人の家とイリアの間にある畑を踏み荒らす。耳をつんざく咆哮が、頭を激しく揺さぶってくる。
(二人が助かる可能性があるのなら、私はどうなったって構わない)
それ以上は考えている時間などなかった。
魔獣の襲撃に気付いた二人が、隠れ潜んで見つからないよう願うしかない。
彼らが住む家とは正反対の方向へ走り出す。真っ赤な髪は想定通り魔獣を惹きつけ、予想を遥かに上回る速さでおぞましい巨体が迫り来る。
人間の何倍もの大きさの魔獣が鋭い爪を振り翳し——刹那、イリアは死を覚悟した。
「——伏せろ!」
どこかから緊迫した男の勇ましい声が響き渡る。考えるよりも先に体が動き、イリアは頭を抱えてその場に伏せた。
何かがぶつかる鈍い音が聞こえた次の瞬間には、彼女が身を隠そうと向かっていた小屋へ魔獣が吹っ飛ばされる。先ほどの声の主が、魔獣に蹴りを入れてイリアから危険を遠ざけた。
小屋に衝突したことであたりに砂塵がもうもうと舞う中、彼は持っていた大剣を構え、地面をしっかりと踏みしめた。
彼が手にしている剣が燃え盛る青い炎を纏っているのを見たイリアは、衝撃のあまりその場に座り込んだまま呆然と眺める。
およそ人間離れした跳躍で男がイリアの真上を飛び越え、閃光のようにまばゆく輝く。
高い位置から一気に振り落とされた大剣は、体勢を立て直す隙すら与えずに魔獣を深く貫いた。
青い炎が魔獣だけを覆い尽くし、その身をごうごうと燃やしていく。
「ぁ……」
言葉をなくして動けないままでいるイリアのもとへ、切なげに名を紡ぐ男が駆け寄った。
「イリア……!」
ドラゴンを想起させる、見るものを射抜く美しい金眼。
なにより見紛うはずがない、振るう大剣に纏う——青い炎。
彼女だけに見せてくれた秘密が、幸せだった懐かしい過去が、色鮮やかに蘇る。
(何年ぶりだろう……その名で呼ばれたのは)
逞しい体躯が、華奢なイリアを無我夢中で掻き抱いた。
伝わるぬくもりに心が打ち震える。歓喜と、それを遥かに上回る恐怖で。
早鐘を打つ心臓の鼓動が伝わらないようにと必死に祈る。
けれど心の奥底に無理矢理しまいこんでいた愛おしい思い出が、あたたかな春風のようにぶわりと駆け巡って、耐えきれず涙が溢れてしまう。
抱きしめ返したい気持ちを無理矢理抑え込んで、どうにか押し返そうと試みた。
しかし屈強な男から逃れるのは、そう容易いものではない。
身長も頭ひとつ以上は超える高さに成長し、体格も随分と逞しくなっている。
でも、彼は間違いなく幼馴染で最愛の人——ティール・フローガーだ。
彼が一目見てイリアだと気づいたように、イリアもまた、ティールを見間違えるはずがなかった。
懐かしい面影が、成長した今でも容易く見て取れる。
(でも、これ以上はだめ……っ)
イリアは変わってしまった。
彼の傍には居られないほど、穢れてしまったのだから。
「お願いします、あの、離してください……っ」
懐かしい再会であるはずの相手からよそよそしい態度を取られたティールは、戸惑いながらイリアを腕から解放する。
気付かれないように涙を拭いて、イリアは咄嗟に頭を下げた。
初対面のように振る舞って、赤の他人のふりをしなければ。
けれどあまりにも突然のことで、震えたままの声では上手く平静を装えなかった。
「わ、わたしは、エマと申します」
「イリア、一体何を言って……」
「助けていただき、本当にありがとうございました」
「会いたかったんだ、ずっと……!」
ティールの切実な言葉を聞いて、イリアは叫びたくなるほど嬉しかった。同時に、傷ましくも思った。
過去の無垢な少女に囚われたままなのだと知って、悲しくなった。
どうしてまた、出会ってしまったのだろう。
この残酷な運命を、心から呪いたくなった。




