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第8話 魔王城到着。実力主義の部下たちとの対面〜「人間の女に何ができる」ですか? では、結果で黙らせて差し上げますわ〜

 重厚な城門が、低い地鳴りのような音を立てて開いていく。


 黒鉄に似た鈍い光を放つ巨大な門扉。

 その向こうに広がっていたのは、ルチアが道中の馬車でぼんやり想像していた「血と恐怖に支配された陰鬱な魔王城」とは、少し――いや、かなり違う光景だった。


 城塞都市そのものが、ひとつの巨大な『実務機構』のように機能している。


 高い城壁の内側には、黒灰色の石で築かれた堅牢な街並みが整然と連なり、魔導灯が一定間隔で配置され、荷車が決まった動線ルールで行き交っていた。

 道行く魔族たちは人間国の貴族のような虚飾まみれの華美な装いではないが、武器、工具、分厚い書類箱、それぞれが自分の役目タスクを持って無駄なく動いている気配がある。

 貧しさは見える。だが、スラムのような怠惰や退廃的な空気は微塵もない。


(……悪くないわね。むしろ、すごく良いわ)


 王都の、見栄と腹の探り合いばかりで一向に仕事が進まない腐敗した秩序より、こちらのほうがよほど性に合う。

 見栄のためではなく、生きるため、護るために最適化された都市。

 そのプロフェッショナルな実務の匂いに、ルチアは無意識のうちに口角を上げていた。


 馬車はそのまま城の正面玄関へ滑るように横付けされる。

 塵一つなく磨かれた黒石の階段、その上には数名の魔族の幹部たちが整列して主の帰還を待っていた。


 先頭に立つのは、銀灰色の髪をきっちり撫でつけた、神経質そうな痩身の男だ。

 切れ長の目に縁なしの魔導眼鏡。手には書記官用の薄板端末タブレットを持ち、いかにも『事務処理能力が異常に高そうな顔』をしている。

 その隣には、褐色の肌に黒い立派な角を持つ女武官。背は高く、鍛え上げられたしなやかな筋肉と、腕を組んだ拒絶の姿勢からして、他者を簡単には認めない実力主義のタイプだろう。

 さらに後方には、長い耳を持つ少しやつれた蒼白の青年、無口で岩のような巨躯の魔族、そして古い羊皮紙束を大事そうに抱えた老齢の文官が控えていた。


 ルチアが馬車から優雅に降り立つと、彼らの視線が一斉に突き刺さる。

 好奇。

 警戒。

 不信。

 そして、冷酷な値踏み。

 それらが実に分かりやすく混ざっていた。


(まあ、当然よね)


 魔王が自ら王都まで出向いて連れて帰ってきた、人間の女。

 しかも肩書きは『魔王領専属法務顧問』という重要ポスト。

 大歓迎されるほうがおかしい。前世の企業で言えば、社長が突然連れてきた素性不明の社外取締役パラシュート人事のようなものだ。現場が反発するのは必定である。


「到着した」


 レオンハルトが馬車から降り、短く告げる。

 たったそれだけで、整列していた幹部たちは一斉に膝を折り、絶対的な臣下としての礼を取った。


「お帰りなさいませ、陛下」


 最初に口を開いたのは、魔導眼鏡の銀灰色の男だった。

 声はひどく落ち着いているが、レンズの奥の目はルチアの頭の先から爪先までを、値踏みするように逃さず観察している。


「そして……そちらが」

「ルチア・フォン・クライスだ」


 レオンハルトは一切の躊躇なく言い切った。


「本日付で、我が魔王領の専属法務顧問に任じた。人間国との不平等条約は、今後彼女の指揮下で法的に解体する」


 沈黙が落ちる。

 一拍。

 二拍。

 それから、誰かがごく小さく「本気か……?」と息を呑んだ。


 最も露骨に反応したのは、褐色肌の女武官だった。

 吊り上がった眉が、さらに険しくなる。


「……本気ですか、陛下」

「冗談で超高額な報酬を払って人を雇う趣味はない」

「ですが、そいつは人間です」


 率直な物言いだった。

(建前でニコニコしながら背中から刺してくる人間貴族より、よほどマシね)

 それ自体はルチアも嫌いではない。


「しかも、こんな細腕の女。魔力も感じられません」

「その二点が、職務能力スキルを減ずる理由になるか?」

「少なくとも、我ら魔族の血を吐くような苦しい事情を、どこまで理解できるかは別問題です。温室育ちの公爵令嬢に、国を背負う覚悟があるとは思えません」


 女武官の視線は鋭利な刃物のようだ。

 敵意というより、国を護る実力主義者としての純粋な警戒だった。使えないお飾りに大事な領国を任せる気はない、と顔に書いてある。


 ルチアは静かに、その獰猛な女を見返した。


(結構。上等だわ)


 こういう相手のほうが、むしろ扱いやすい。

 感情論や同情で動く者はコントロールが難しいが、結果しか信じない合理主義者は、圧倒的な『結果(数字)』さえ出せば一瞬で沈黙するからだ。


 ◇ ◇ ◇


「紹介しておこう」


 レオンハルトが階段を上りながら言う。

 ルチアも完璧な姿勢でその隣へ並ぶ。


「こちらは宰相補佐兼財務総監、シュタール」

 銀灰色の男が、眼鏡を押し上げながら一礼する。

「歓迎いたします……と申し上げたいところですが、現時点では評価は『保留』にさせていただきたく」

「結構ですわ。空虚な歓迎の言葉より、正直な保留評価のほうが、ビジネスパートナーとしてよほど信用できます」

「……なるほど。胆力はおありのようだ」


 シュタールのレンズの奥の目が、わずかに細くなる。

 どうやら第一印象は「ただのお飾りではない」と認識を改めたらしい。


「こちらは近衛副長、ゼノヴィア」

 褐色肌の女武官が、腕を組んだまま敵意も露わに睨みつけてくる。

「人間の文官がどれほどのものか、せいぜい見せていただきますよ。期待はしていませんが」

「ええ、お望みとあらば」

「減らず口まで達者か」

「口(交渉力)だけなら、こんな辺境まで破格の条件で雇われておりませんもの」


 ゼノヴィアのこめかみに青筋がピクリと浮かんだ。

 だが怒鳴りはしない。自分が魔王の判断を試していることは分かっているのだろう。


「こちらは外務記録官、エイル」

 長い耳を持つ青年が、少し気まずそうに頭を下げる。

「……ど、どうも」

「随分と覇気がなく、顔色も悪いですわね。鉄分が足りていないのでは?」

「……相手の理不尽な外交文書を十年間も読み続けていると、だいたいこんな顔色になります。胃薬が手放せなくて」

「同情しますわ。気が合いそうですわね」


 思わず実務家としての本音が出たのか、エイルが少しだけ目を丸くした。


「最後に、法務庫管理官のバルグ」

 羊皮紙束を大事そうに抱えた老文官が、深く頭を垂れる。

「法務庫の管理を任されております。必要な過去の記録があれば、可能な限りお出ししますじゃ」

「可能な限り、では足りませんわね」

「……と、おっしゃいますと?」

「『全部』出していただきます」


 ルチアは極めて涼しい顔で、恐ろしいオーダーを出した。


「通商協定原本、附属覚書、過去二十年分の改定交渉記録、魔石採掘量推移、納入実績、支払記録、未払残高の元帳、輸送事故報告書、派遣労務者名簿、帰還率、死亡報告、密輸疑惑の諜報資料、外交往復文書、そして……内部監査記録。最低でも十年分。できれば二十年分、すべて私の執務室へ」

「に、二十年分……!?」

「案件の根がこれほど深い以上、徹底的な洗い出し(デューデリジェンス)は基本中の基本でしょう?」


 バルグが絶句して硬直する。

 ゼノヴィアは「こいつ正気か?」と呆れたように鼻を鳴らし、シュタールは「ほう……」と興味深そうにルチアを見た。


 レオンハルトだけが、平然としている。

 つまり、彼女がこの程度の無茶振りを初日からかますと、事前にある程度は見越していたのだろう。

(さすがは雇用主トップ。部下の使い方が分かっているわ)


 城内へ案内されながら、ルチアはプロの目で周囲を観察する。

 壁の構造、警備の配置、使用人たちの歩き方、文官区画の位置、魔導具の更新具合。

 どれも一目で『完璧ではない』と分かる。そこかしこに深刻な予算不足の跡がある。

 だが、最低限の業務効率はギリギリ保たれていた。


(削られているのは贅沢ではなく、仕事の『余裕』ね)


 それが一番厄介だ。

 日々の業務に追われ、余裕のない組織は、過去の契約を見直したり、相手の不正の証拠を整理する時間すら持てないまま、ジリ貧になっていく。


 ◇ ◇ ◇


 通されたのは、城の西棟上階にある、見晴らしの良い執務区画だった。


 ルチアの専用執務室として用意された部屋は広すぎず狭すぎず、窓からは城下の一部と遠い山並みが見える。

 巨大なマホガニーの机、壁一面の書架、応接用の高級ソファ。

 しかも隣室は、小規模な資料保管庫アーカイブとして使えるように改装されていた。


「……随分とまともな環境ですわね。労働基準法を完全にクリアしています」

「不満か」

「褒めているのです。これなら残業も苦になりませんわ」

「そうか」


 レオンハルトがあっさり答える。


 その会話の後ろで、ゼノヴィアが部屋の様子を一瞥し、不機嫌そうに言い放った。


「陛下、私はやはりまだ反対です」

「理由を言え」

「この女が人間だから、ではありません。今の我らに必要なのは、机上の理屈(お勉強)ではなく、理不尽な状況を打破する『結果』です」

「完全同意ですわ」

「……は?」


 ルチアが即答すると、ゼノヴィアが目を瞬かせる。


 ルチアは執務用の椅子へ腰掛けもせず、机の前に立ったまま、ゼノヴィアを真っ直ぐに見据えて続けた。


「私も全くの同意見です。表面的な歓迎も、根拠のない信用も不要。圧倒的な成果リターンが出るまで、徹底的に私を疑っていただいて結構ですわ」

「……ずいぶん自信があるようだな」

「ええ。あります。私は負け戦(案件)は引き受けませんもの」

「では、いつ証明する」

「なるべく早く」


 ルチアはそこで初めて、血も涙もない悪魔のような、完璧な笑みを浮かべた。


「なので、いまここで一つお願いがございます」

「何だ」

「この城にいる方々へ通達してくださいませ。私に媚びなくて結構、遠慮も不要。ただし、私に対する資料の隠蔽と虚偽報告だけは『絶対に許さない』と」


 シュタールが眼鏡の奥で目を光らせて腕を組む。

「随分と強気な要求ですね」

事実確認ファクトチェックに必要ですもの。傾いた組織の再建は、だいたい“誰が都合の悪い事実を隠しているか”の確認から始まります」

「……耳が痛いな」

「でしょうね」


 ルチアはそう言って、ようやく机へ白魚のような指先を置いた。


「それともう一つ」

「まだあるのか」

 ゼノヴィアがややうんざりしたように言う。

「当然ですわ。超高給取りの仕事を始めるのですから」


 ルチアの声は、澄み切った冬の空のように冷たかった。


「本日これより、私はこの案件の『初期監査』に入ります。よって向こう三日間、不要不急の面会をすべてお断りいたします」

「三日間、部屋に引きこもって何をするつもりだ」

「ひたすら資料を読みます」

「それだけか?」

「それだけで十分ですわ」


 ゼノヴィアの眉が険しくなる。

 だがルチアは構わず続ける。


「条約案件は、剣で斬るより先に、記録と論理で斬るものです。まずは事実関係と矛盾(不整合)を徹底的に洗い出す。そのあとで――人間国の連中を、法廷で社会的に抹殺(潰)します」

「物騒な言い方だな……」

 エイルが青ざめた顔で小さく呟く。

「比喩ですわ」

「たぶん半分くらいしか比喩じゃないよね……!?」

「気のせいでしょう」


 レオンハルトは無言のまま、ルチアの不敵な横顔を見ていた。

 その視線の意味を読み取るのは難しい。

 だが少なくとも、彼女の暴走を止める気は一切ないらしい。


「良い」


 ひとこと、彼が低く言う。


「シュタール、通達を出せ。ルチアの求める資料はすべて優先的に供出させろ。三日間の面会制限も許可する」

「陛下!」

 ゼノヴィアがなおも食い下がる。

「もし、三日経ってこの女が何も有益な手立てを出せなかった場合はどうなさるおつもりで!?」

「その時は」

 ルチアが魔王の代わりに、氷のような声で答えた。


「私の給与を全額カットし、好きなだけ『無能な詐欺師』と呼んでいただいて結構ですわ」


 その言葉に、部屋の空気がピタリと凍りついた。


 啖呵ではない。

 本気で、自分の実力に絶対の自信を持っているのだと、誰の耳にも分かったからだ。


 シュタールがわずかに目を伏せて口角を上げる。

 エイルは引き攣った乾いた笑みを浮かべ、バルグは抱えていた羊皮紙束をぎゅっと持ち直した。

 そしてゼノヴィアは、しばらく押し黙った後、短く吐き捨てるように言った。


「……いいだろう」

「光栄ですわ」

「勘違いするな。お前を認めたわけではない」

「ええ、存じております。だから、圧倒的な『結果』で黙らせて差し上げます」


 正面から堂々と返され、ゼノヴィアが初めて本気でルチアを睨みつけた。

 だが、その睨みの中には先程までの「人間への単なる拒絶」だけではなく、同じ実力主義者を見る目が少しだけ混じっていた。


 ◇ ◇ ◇


 それから一刻(約二時間)後。


 ルチアの執務室は、膨大な羊皮紙と記録板と補助帳簿の山で完全に埋没していた。


 巨大な机の上だけでは足りず、床、側机、窓際の高級ソファにまで資料が山脈のように積まれている。

 通商協定原本、附属覚書、採掘量の年別推移、輸送損失報告、支払記録、在庫台帳、出荷命令書。

 文字通り、情報の山だった。


 エイルが白目を剥きながら、その惨状(光景)を見ている。


「……初日から、これ全部読むの?」

「ええ。当然でしょう」

「人間の目玉って、そこまで頑丈なの?」

「頑丈ではありませんわ。目薬は必須です。ただ、読む必要があるだけです」

「怖いなあ……ブラック労働の匂いしかしないよ……」

「外務記録官なら、ぼやいていないで資料の年代別分類を手伝いなさい」

「はい……」


 言いつつも、エイルは泣きそうな顔をしながら資料の分類に加わる。

 どうやら根は真面目で、実務能力は高いらしい。


 一方、老文官のバルグは、最初こそ人間の女に怯えていたものの、ルチアの異常な資料の扱い方(情報処理速度)を見るうちに、次第に目の色が変わってきていた。

 ルチアが「どこにどんな不正情報が潜みやすいか」を迷いなく的確に指示するたび、長年くすぶっていた文官としての好奇心が激しく刺激されているのだろう。


「バルグ殿。この年の採掘報告、現場の原本と、人間国への提出版で数字が違いますわね」

「な、なぜそれを一目で見抜くのですじゃ……!?」

「筆跡の乱れと、意図的な訂正跡(インクの濃さ)です。あと集計欄の桁の不自然な切り上げ方」

「ほ、本当に見つけるとは……」


 ルチアは猛スピードで頁をめくる手を止めない。


「エイル殿。こちらの輸送事故報告は、事故原因が全部“悪天候による荷崩れ”で統一されすぎています」

「……言われてみれば」

 エイルが資料を覗き込み、目を丸くする。

「十年分、八割近くが悪天候だ。そんな馬鹿な……」

「そんなに便利な悪天候が、毎年都合よくピンポイントで起きるわけないでしょう。誰かが輸送中の紛失(横流し)の責任の所在を曖昧にするための『便利語(言い訳)』ですわ」

「なるほど……!」

「あと、この納品書」

「何かある?」

「人間国側の受領印が、なぜか『二種類』あります」

「二種類?」

「ええ。しかも時期が不自然に重なっている。正式な官印以外の、非公式な流通経路(裏ルート)が存在する可能性が極めて高い」

「……密輸、ってこと!?」

「ええ。その強烈なドブの匂いがしますわね」


 エイルとバルグの顔つきが、劇的に変わった。

 ただ理不尽な人間に資料を運ばされるだけだと思っていたのだろう。

 だが今、自分たちが何年も何年も見過ごしてきた膨大な記録の中から、実際に“明確な綻び(証拠)”が次々と魔法のように浮かび上がり始めているのだ。


 そこへ、ノックもなく乱暴に扉が開く。

 ゼノヴィアだった。


「陛下が夕食を共に――」


 そこまで言って、彼女は部屋の惨状に息を呑み、絶句した。

 紙の山、広げられた地図、走り書きの論点整理メモ、空になったインク壺の数々、そして中央で一切疲れた様子もなく、むしろ生き生きと資料へ目を走らせるルチア。


「……何をしている」

「見ての通り、仕事(監査)ですわ」

「初日からか?」

「初日だからです。鉄は熱いうちに、証拠は隠滅される前に打て、ですわ」


 ルチアは顔を上げもせず、ペンを走らせながら言った。


「ゼノヴィア副長。人間国の外交官が、次にここへ『集金(搾取)』に来るのはいつですの?」

「定例の補給請求なら、十日後だ」

「遅いわね」

「遅い?」

「もっと早く来てほしいですわ。こちらの『迎撃準備』が整った頃に」

「……本気で言っているのか」

「当然でしょう」


 そこでようやくルチアは顔を上げ、ゼノヴィアを真っ直ぐに見た。

 そのサファイアの瞳には、一切の迷いもない。


「彼らが次にここへ来たら、二度と我々を舐め腐った態度が取れないよう――交渉の席で、立ったまま帰れなくして(論破して)差し上げます」


 静かな口調だった。

 だが、そこに一片の冗談もないことは明らかだった。


 ゼノヴィアは数秒黙り、そして初めて、ほんの少しだけ口角を上げた。

 笑ったというより、強敵を認めた獰猛な獣が牙を見せたような、好戦的な顔だった。


「……面白い」

「でしょう?」

「まだお前を信用はしない」

「結構です」

「だが」

 ゼノヴィアは低く言う。

「少しだけ、お前の手腕に期待してやる」


 それだけ言い残して、彼女はバタンと扉を閉めた。


 ルチアは再び視線を資料の山へ落とす。

 その美しい唇に浮かんだ笑みは、どこか冷たく、どこか最高に楽しげだった。


(いいわ)


 空気が変わり始めている。

 熱烈な歓迎はされていない。だが、少なくとも「ただの人間の女」ではなく、「もしかしたら本当に結果を出すかもしれない専門家」として見られ始めた。


 十分だ。

 最初から安い信頼など求めるつもりはない。

 まず必要なのは、権限と、資料と、時間と、邪魔のない環境だけ。


 ルチアは新しい白紙の羊皮紙を取り出し、そこへ大きく見出しを書く。


『人間国側・重大契約違反の可能性および訴訟論点整理』


 その下に、箇条書きではなく、鋭い筆圧で次々と論点(攻撃材料)を並べていく。

 受領印の不一致(密輸疑惑)。

 輸送事故原因の画一化(横領疑惑)。

 採掘報告の改竄痕(公文書偽造)。

 価格算定の不自然な固定(事情変更の原則無視)。

 労務派遣名簿と帰還記録の齟齬(人権侵害・不当拘束)。


 どれもまだ点だ。

 だが、点はやがて線になる。

 線になれば、相手の喉笛を掻き切る『法理の刃』となる。


 夜が更けるころ、魔王城の西棟の一室にだけ、いつまでも煌々と魔導灯の明かりが灯り続けていた。


 そして数日後。

 人間国の傲慢な外交官たちが、いつものように「条約通りに魔石を寄越せ。さもなくば制裁だ」と居丈高に魔王城へ乗り込んできたとき――。

 その頃にはもう、ルチアの机の上には、彼らを合法的にボコボコに叩き潰すだけの完璧な『証拠エビデンス』が、ほぼ揃い始めていたのである。



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