ブラッドハートと町娘と転生者
翌日。朝市で賑わう通りを、フードマントで姿を隠してブラッドハートはゆっくりと見物していた。
「懐かしいな。以前、視察した時のままだ」
笑みを浮かべて、活気のある通りを見回した。
この平和な町や人々――自分が、バンダルディアが破壊するわけにはいかない、フロンティアのくれる温かさを知った後では冷酷さで支配もできない。
今のブラッドハートにはそう強く思えた。
「ご覧ください。さすが、ネバーローズ王国だけあって薔薇の種類が豊富です」
側近が花屋を指し示した。
「ああ、フロンティアに買って帰るとしよう」
帰りに寄ることにして、ブラッドハートは歩を進めた。
少し先の家の扉が開いて、若い娘が出てきた。
ブラッドハートは立ち止まって、町を見回す娘をじっと見た。
娘のオッドアイの瞳もブラッドハートを見た。
一瞬見つめあったが、娘は男に見つめられたせいか、不安そうな顔を見せて家に入った。
「町娘はどこも変わりませんな」
側近がブラッドハートの視線の先に気づいて言った。
「しかし、町娘にしては美しい娘でしたな」
「……もう、戻るぞ」
力のない命令に、側近は少し首をかしげた。
そして、薔薇を買うのを忘れている王子に、困惑しながらつき従った。
ブラッドハートは薔薇も側近も忘れて、物思いに耽りながら歩いていた。
まさか、今さら、一目惚れするとは――
いや、見た目だけだ。
心はフロンティアに惹かれている。
ブラッドハートは思い直して、さっきの娘を振り切るように力強く歩いた。
侯爵家の屋敷にいる転生者は、フロンティアの部屋の安楽椅子に淡い桃色に金糸で薔薇が刺繍されたドレスを着た体を預けて、物思いに耽っていた。
フロンティアの家、ルルシア侯爵家の人々はブラッドハート様を受け入れてくれた。
フィル王子と結婚するはずの娘を敵国ともいわれるバルダンディア王国の王子が妻にしたいと申し出て来たのだから――お父様とお母様はもちろん驚愕されたけれど。
「突然、会談場所に向かったと聞いて、帰ってきたと思ったら……急にどうしてこんなことに?」
お父様はふらついて、お母様はガクガク震えてた。
「どうしても……!」
ブラッドハート様と咄嗟に声を揃えていた。
手を握っていてくれる腕にしっかりと寄り添って。
一心に想いを込めて見つめると。
お父様は何度も私に、
「本当に? 正気か?」
と聞いてきて、
「はい、本気です。正気です」
と答えているうちに納得してくれたのか、呆れたのか、絶望したのか、とにかく事を荒立てるのはまずいと判断したようでブラッドハート様を追い出さなかった。
「フロンティアとの婚約は両国のためにもなる平和的なものだ」
ブラッドハート様の言葉に。
お父様は真意を探るような目を向けていて、ブラッドハート様の冷徹な瞳から反対したらどんな手段を取るか、彼の危うさを感じ取ったみたいだった。
お母様は恐ろしそうに怯えながら、私を心配そうに見て、ブラッドハート様をチラ見していた。
「手荒な真似は致しません、丁重に接します」
ブラッドハート様は真摯な態度で約束してくれた。
疑いようもない気高い姿に、お母様は安心したようだった。
フィル王子とシルビア嬢と会談した後は、
「殿下まで認めるとは、ここで私達が騒いで掻き乱すと、両国間の新たな問題になる」
お父様はそう判断してブラッドハート様を正式な婚約者として私の部屋に入れてくれた。
「ブラッドハート様!」
二人きりになったとき。
気持ちを抑えきれなくて泣いてしまった。
死の運命を変えるために、とにかく行動しようと飛び出した結果、無事に私の部屋に居る!
体に触れて確かめると、抱きしめてくれた。
「このまま離さずにいたいが……」
私が落ち着くとブラッドハート様は笑った。
「婚約したばかりの身だ、これ以上は控えていよう」
ドキッとさせて細かいことは全て忘れさせることを。
また、顎クイしてきてサラッとかっこよく言って。
日が沈んだ後は、おやすみを告げるだけで。
寝る時は客間に行ってしまった。
それでも、ブラッドハート様は一緒に居る――!
そのことにはホッとしたけれど……
朝まで、安眠はできなかった。
寝ていて見た夢――
森の中に倒れている娘。
この娘こそが、自分の本当の体だと確信して、飛び起きたから。
自分は事故で死に、愛読していた小説のヒロイン、このフロンティアに転生したと思っていたけど……
そうではなく、なにかの間違いで本来入るはずのあの体ではなく、フロンティアの体に入ってしまったんだ……そう確信した。
「どうしよう」
フロンティアの体で突っ走ってしまった。
このままでは、いずれ戦争になっていたネバーローズ王国とバルダンディア王国。
大好きなブラッドハート王子の戦死を回避するためとはいえ、会談に乗り込み、フィル王子に婚約破棄を突きつけ、ブラッドハート王子に好きですと告白してしまった。
結果、ブラッドハート王子はフロンティアと結ばれ、フィル王子はシルビアと結ばれた――
気絶しそうになってのけぞり、額に手の甲を当てた。
私は? 私はどうなるの? あの体はどうなったんだろう?
その前に、ブラッドハート様は、私ではなく、フロンティアと結ばれて喜んでいる……!
両手に顔を埋めて嗚咽をこぼしたが、あまりのショックのせいで頭が少し麻痺しているのか、涙は出なかった。そうだ、またもや泣いてる場合じゃない。
なにもかも話さなければ、あの体を探さなければ!
今のブラッドハート様はフロンティアが好きだから……
私、独りで探すことになるかもしれない。
最悪の予想に、体が動かなかった。
動けないでいる間にブラッドハートが帰ってきた!




