そばにいるために3
「テオ、入るよ?」
扉は開いていた。
私は静かに中へ足を踏み入れる。
机とベッドだけの、簡素な部屋。
余計なもののない、彼らしい空間。
ベッドの上では、テオが腰をかけ、
布団を被って小さく丸くなっていた。
……顔が見えない。
胸の奥が、ちくりと痛む。
そっと近づく。
「テオ、隣に座ってもいい?」
布団の向こうで、小さくこくんと頷く気配。
テーブルにサンドイッチの入ったカゴを置き、
私は彼の隣に腰を下ろした。
「どうしたの?
セナが心配してたよ」
返事はない。
――どう声をかければいいのだろう。
叱りたいわけでも、責めたいわけでもない。
ただ、話してほしいだけなのに。
「お腹、空いてない?
私が作ったの。レオも手伝ってくれたんだけど」
「……あとで食べる」
かすれた声。
拒絶ではない、その曖昧さが、胸に刺さる。
「調子、悪い?
熱でもある?」
そっと額に手を伸ばす。
熱はない。
安堵して手を下ろそうとした、その瞬間――
不意に手首を掴まれ、体勢が崩れた。
気づけば、ベッドの上。
驚きに息を呑む。
近すぎる距離。
真正面から見たテオの顔は、思っていた以上に弱々しくて――
私は思わず、その頬に手を伸ばしていた。
「……どうして、そんな泣きそうな顔をしてるの?」
震える声で、そう尋ねる。
強い騎士のはずのテオが
今にも泣き出してしまいそうな瞳で、
ただ黙って、私を見つめ返していた。
「お嬢さま……結婚、するの?」
「すぐにはしないわ」
「でも、いつかはするんでしょ?」
「うーん……まあ、いつかはね。
それも、ラピスラズリ伯爵家に生まれた者の務めだから」
一瞬、彼の指先が強張った。
「……そしたら、お嬢さまは俺を捨てるの?」
その言葉に、胸がきゅっと締めつけられる。
頬に触れていた私の手に、
テオがそっと自分の手を重ねた。
――ああ、そういうことだったのね。
何をそんなに不安そうな顔をしているのかと思っていたけれど、
彼はずっと、私が遠くへ行ってしまう未来を怖れていたのだ。
「捨てるなんて……そんなこと、しないよ」
そう答えながらも、喉の奥が少しだけ苦しくなる。
「テオ、今の生活はどう?
……好き?」
「……好きだよ。この生活が」
迷いのない声。
「お嬢さまが、いてくれるから」
その一言が、胸に深く突き刺さる。
「でも……もし、お嬢さまがいなくなったら。
俺、ここにいる意味なんて……ない」
私の手を握る力が、徐々に強くなっていく。
騎士団員たちが思わず身構えるほどの、その手。
けれど今は――
頼りなく、怯えるように、
小さく震えていた。
「テオ。初めて会ったときのこと、覚えてる?」
「……うん」
「私、あなたに言ったよね。
生きていてよかったって、幸せだって思えるようにするって」
ゆっくりと、思い出をなぞるように続ける。
「それはね……これから先も、変わらないよ」
彼の目を見つめながら、言葉を選んだ。
「私だけじゃない。
テオのことを心配して、気にかけてくれる人たちがいる。
その人たちの存在も、大切にしてほしいの」
胸の奥に願いを込める。
「そうすれば、きっと――
あなた自身が、ここにいていいんだって思えるようになるから」
「……違う」
かすれた声が、静かに震えた。
「俺は、他の誰かなんていらない。
お嬢様しか……いらない」
握られる手に、強い力がこもる。
「俺が、お嬢様のそばにいられるなら、何だってする。
邪魔なやつがいるなら……俺が全部、片づける。だから――」
その言葉を遮るように、私は彼の手を強く握り返した。
「違うよ、テオ」
視線を逸らさず、静かにはっきりと告げる。
「あなたには、陽の光が当たる穏やかな場所で、笑っていてほしい」
胸の奥から溢れる想いを、言葉にする。
「誰かを傷つけたり、自分を削ったりしなくていい。
そんな生き方をしなくても……あなたの価値は、何一つ変わらない」
「……でも、それじゃ俺、お嬢様といられない」
「たとえ、私が結婚してこの家を出ることになったとしてもね」
一度、言葉を区切る。
「あなたを連れていく努力をするよ。
私も心細いから、信頼できる人がそばにいてくれたら嬉しい」
少しだけ、微笑んで続けた。
「でも……それが叶わないことも、きっとある。
立場の問題もあるし、嫁ぐとなれば難しいかもしれない」
それでも――という想いを込める。
「だからこそ、テオ自身の居場所を、ちゃんと持ってほしいんだよ」
そっと彼の頬から手を離す。
それでも、重なったままの彼の手は、まだ微かに震えていた。
今度は、その手を導くように――
彼の胸に、そっと触れる。
「テオ……」
鼓動が、はっきりと伝わってくる。
「あなたが私を大切に思ってくれているように、
私も、あなたが大切よ」
指先に伝わる温もりが、確かだった。
「だから、笑っていてほしい。
あなたを想ってくれている人たちの気持ちも、見逃さずに受け取って……幸せになってほしいの」
ゆっくり、噛みしめるように言う。
「たとえ、そばにいられない時があっても――
私の想いは、ちゃんとあなたのここにある」
胸に当てた手に、少しだけ力を込める。
「そして私も、あなたの想いを受け取って持っていく。
だから……この先も、私と一緒に生きてくれる?」
……これで、伝わっただろうか。
さすがに、ベッドに押し倒されたままというのは落ち着かないけれど。
「……ずるいよ、お嬢様」
そう言ったテオの声は、もう震えていなかった。
気づけば、私の手を押さえていた力も、少し緩んでいる。
「あの、テオ。そろそろ――」
言い終える前に、額に触れる、あたたかな感触。
一瞬、思考が止まった。
「……大好きだよ、お嬢さま。
これから先も、よろしくね」
照れたように、けれど穏やかに微笑むテオ。
その表情を見て、胸の奥が、静かに――確かに、温かく鳴った。
ガタガタドッターン!
「ちょ、何事!?」
テオが腕を引いて私を起こし、そちらを見る。
「テオ!! お嬢様からさっさと離れろ!」
セナが、すごい剣幕で飛び込んできた。
「あれ、扉壊れちゃったけど、今回は俺じゃないよね!?」
レオも慌てて入ってくる。
「俺たちはさっさと退散するぞ、アレン」
「は、はい! 失礼しました!!」
アレンとロベルト……か。
待って、見られた!?
うそだー、恥ずかしい!
「うわ、覗き見とか趣味悪いですよー」
テオはすっかり元気そうだ。
「お前さっき、お嬢様になにした!? 表でろ!」
「内緒! ねー、お嬢さまぁ」
テオが意味深に微笑み、人差し指で「しーっ」とする。
やめんかい! 誤解を生むだろう!
そしてテオは、窓から颯爽と抜け出した。
……ここ、3階なんだけどな。
上手に木に捕まり、地面に降りていく。
それをセナが慌てて追いかける。
「ちょっと! サンドイッチは!?」
せっかく作ったのに!
「セナ副団長、まいたら食べるよー」
「おい、ふざけるな! もう1回勝負だ」
珍しく、セナが感情を表に出して怒っている。
「俺も退散しますね。扉、今回は俺じゃないですからね!」
そう言って、レオも足早に去っていった。
「お嬢様、キスでもされました?」
後から入ってきたユウリに聞かれ、顔がみるみる赤くなるのがわかる。
「……されたんですね」
「いや、あの。お、おでこだからぁー!」
「ちょっと、その色ガキに一発かましてきます」
ユウリの目が本気で光っている。
「ちょ、いいからぁー!」
裾をグイグイっと引っ張って阻止する。
まだ幼かったと思っていたテオが、立派な男性になっていたことを実感する。
それでも、やっぱり胸はドキドキする。
……それより、扉、また直さなきゃ。




