そばにいるために1
テオside
まだ、あれから3年しか経っていない。
この先もずっと、お嬢様と一緒にいられると思っていたのに。
ところが、耳に入ってきたのは――お嬢様がお見合いをしている、という話だった。
木に登って確かめに行くと、そこには第2騎士団団長とお嬢様の姿があった。
いつもとは違う、華やかなドレスに化粧。
俺の知らない、別の顔。
住む世界が違うことはわかっている。
それでも、ずっと一緒にいられると思っていたのに。
もしお嬢様が結婚して、どこか遠くに行ってしまったら――どうすればいいのだろう。
俺は、捨てられるのか。
いやだ――。
お嬢様のそばにいられないのなら、俺は騎士になった意味がないじゃないか。
「テオ。おい、テオ」
何度も呼ばれているのに気づかず、肩を掴まれる。
「あ、セナ副団長……。なんですか」
「『なんですか』じゃないだろう。テオ、お前ちゃんと食事とって、休んでないだろう。」
「そんなことないですよ。……あ、そうだ。セナ副団長。俺と手合わせしてください」
セナ副団長よりも強いと証明できれば、
お嬢様は、俺をそばに置いてくれるかもしれない。
――捨てられずに、済むかもしれない。
「いいけど」
「どうせなら、今日は魔宝剣でやりましょうよ」
その瞬間、こちらを見るセナ副団長の目が、はっきりと鋭くなった。
一拍の沈黙。
断られるかもしれない――そう思ったが、彼は小さく息を吐き、
「……わかった。
ただし、出力は3割以下」
短く、しかし重い条件だった。
俺は頷き、腰の魔宝剣に手をかける。
抜き放たれた刃の根元で、
赤いスピネルが微かに脈打った。
信念と再生、揺るがぬ意志に応える魔宝石。
熱を帯びるような感覚を、必死に押さえ込む。
対するセナ副団長の剣には、
澄んだ蒼のアクアマリンが埋め込まれていた。
静謐と理性、冷静な判断を司る石。
その輝きは、持ち主と同じく一切の隙を見せない。
俺たちは互いに剣を構える。
この人は、昔からずるい。
お嬢様との付き合いも長く、今も専属の護衛騎士を任されている。
ずるい。
ずるい。
ずるい――。
一瞬、殺したい、なんて考えが頭をよぎる。
……でも、そんなことをしたら、お嬢様が悲しむ。
それだけは、絶対にできない。
次の瞬間。
魔宝剣同士がぶつかり合い、
カキン――と、高く澄んだ金属音が訓練場に響いた。
――ああ、これだ。
普段の木剣では決して鳴らない、
命を削る覚悟を孕んだ、金属同士の乾いた音。
さすが、セナ副団長。
俺の剣を、余裕をもって捌いていく。
目の前にいるのは、銀髪に切れ長の瞳。
容姿端麗で、剣の腕も立つ――誰からも信頼されるセナ副団長。
この人は――
お嬢様に捨てられるかもしれない、なんて不安を、きっと一度も抱いたことがないのだろう。
――いいな。
もし俺がこの人を倒せば、
この胸のざわつきも、焦りも、嫉妬も。
全部、消えるのだろうか。
覚悟を決め、足を踏み込む。
本気で向かう。
少しくらい怪我をさせても……平気、だよな。
俺は小さく息を吸い、魔宝剣を強く握りしめた。
「紅く、鋭く――
我が想いに応えよ、スピネル」
その言葉に呼応するように、
鍔元の赤い宝石が強く脈打つ。
深紅の魔力が刀身を染め上げた。
燃え盛る感情そのものが刃となり、
胸に渦巻く迷いと恐怖を焼き切っていく。
――守りたい。
捨てられたくない。
置いていかれたくない。
そのすべてが、一振りの剣へと収束する。
踏み込みと同時に、風が炸裂した。
指先から解き放たれた魔力は、
見えない刃となって空気を切り裂き、
一直線にセナ副団長へと襲いかかる。
瞬時に氷が展開される。
鋭い衝突音。
金属ではない、冷え切った空気同士がぶつかり合う音――
紅と氷、2つの魔力が激しくせめぎ合った。
セナ副団長を傷つければ、お嬢様が悲しむ。
その思考が、一瞬だけ剣を鈍らせる。
そのとき――
「なにしてるの?」
高く澄んだ声が、2人の間合いを切り裂いた。
はっとして顔を上げる。
そこに立っていたのは、
間違いなく――お嬢さまだった。
騎士たちが止めに入るよりも早く、
お嬢さま自身が、迷いなく2人の間に踏み出している。
「魔宝剣を使った模擬戦は、報告が必要よ」
その一言で、
刀身を染めていた深紅の魔力が揺らいだ。
――ああ、やっぱり俺は、まだ子供だ。
焦りと嫉妬に突き動かされ、
本気で斬り結ぶ覚悟をしたはずなのに。
お嬢さまがそこに立つだけで、
心は簡単に乱れてしまう。
お嬢さまは怒りも責めもしない。
ただ静かに、諭すように言った。
「やめなさい。2人とも。
そんなことをする理由なんて、ないでしょう?」
「申し訳ありません」
セナ副団長は短く答え、深く頭を下げる。
――そうだ。
理由なんて、どこにもない。
勝っても、何も手に入らない。
守りたい、そばにいたいという想いは、
誰かを傷つけて証明するものじゃない。
深紅の輝きが、ゆっくりと霧散していく。
紅の刃も、氷の壁も、跡形もなく消えた。
俺は荒い息を整え、顔を上げる。
お嬢さまの眼差しを受けて、
胸のざわつきが、ほんの少しだけ静まっていった。
――守りたいのは、剣で勝つことじゃない。
そばにいることだ。
けれど、もしそれを望まれなかったら?
俺は……捨てられるのか。
こわい。
「……お嬢さま、ごめん」
それだけを残し、
俺は逃げるように背を向けた。
◇
気づけば、夜中に寮を抜け出していた。
こんなことをするのは、初めてだった。
夜の街は、嫌というほど昔を思い出させる。
酒の匂い、笑い声、男と女が入り乱れる雑踏。
どこか淫らで、息苦しい空気。
「あら〜、そこの綺麗な旦那。寄っていかない?」
軽薄な声に呼び止められる。
薄い布に包まれた体、作り笑い。
――お嬢様じゃない、誰か。
そのぬくもりに触れれば、この苦しさや不安は消えるのだろうか。
気づけば、知らない部屋にいた。
目の前には、見知らぬ女。
何かを話しているが、耳に入らない。
濃い化粧、強すぎる香り。
お嬢様とは、何もかもが違う。
衝動のままに身を委ねた。
けれど――。
終わったあと、胸に残ったのは満足ではなく、
余計に深くなった虚しさだけだった。
「良かったわ。また来てね、旦那」
女が手を振る。
抱きしめられても、抱きしめ返しても、何も感じない。
そのあとのことは、よく覚えていない。
ただ、絡んできた男がいたから――返り討ちにした、それだけだ。




