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夜明けが世界を染めるころ、 悪意の見える伯爵令嬢は王子の執着から逃れられない  作者: 舞響
第五部

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ぬくもり 1

夜明けが差しはじめ、王宮の騎士団たちが後片付けに追われる中、私とディランは静まり返った王宮へ戻った。今日はひとまず、王国に泊めてもらえることになっている。


「ティアナ様、お部屋をご用意しております」


レイさんに案内され、侍女たちが用意してくれた湯で身体と頭を洗う。傷口が痛み、思わず声が漏れた。


「し、しみる……」


用意されていた絹のワンピースに袖を通す。指先が触れるたび、さらりとした感触が心地よい。鏡に映る自分の髪は、肩で揺れるすみれ色の短い髪。見慣れない姿に、胸の奥がじんと熱くなる。――本当に、終わったんだ。ベッドに身を投げ出すと、ふわりと柔らかさに包まれた。

緊張がほどけていく。

(よかった……ほんとに)

でも、あのときは危なかった。セナとテオが来てくれなかったら、きっと――。


「弱いな……わたし」

ぽつりと漏れた言葉が、静かな部屋に落ちる。そのとき。コンコン、と扉を叩く音が響いた。


「はい」


グッと上体を起こし、扉を開ける。


「お嬢様、お疲れ様です」


「ユウリ」


穏やかに微笑む彼は、戦闘の直後とは思えないほどきっちりしていた。


「紅茶と軽食をご用意しました。

少し召し上がってから休まれた方が良いかと思いまして、レイさんにお願いしました」


テーブルには、湯気の立つリゾットと紅茶。


「ありがとう! ちょうどお腹空いてた」


へらっと笑うと、ユウリは手際よく食器を並べてくれる。


「いただきます」


「ええ、どうぞ」


ふーっと息を吹きかけて——


「あっつ!」


「お気をつけて。お水をどうぞ」


さっと差し出されるグラス。こういうところ、本当に頼りになる。


「美味しい」


ほっと胸がゆるむ。


「なら良かったです」


ユウリの穏やかな笑顔に、心が救われる気がした。


「ご馳走様でした」


一息ついたところで、ユウリが柔らかく言う。


「お嬢様、本当によく頑張りましたね」


その労いに、胸がじんとする。


「うん。でもね、みんなが来てくれなかったら無理だったよ」


「間に合って良かったです」


「もっと、強くなりたい……」


「これ以上強くなるんですか?」


ユウリが目を丸くする。


「……だって、私、強くないもん。

見た目がディランだったから、躊躇したの。

中身はジョルジュだって、わかってたのに」


ぽつりと落とした言葉に、ユウリは一瞬だけ目を伏せた。

その沈黙は責めるためではなく、ただ私の痛みを受け止めるための間だった。


「……怖かったんですね」


静かで、優しい声。


「お嬢様が弱いからではありません。

大切な人を傷つけたくないと思う——その気持ちがあるからこそ、迷いが生まれるんです」


ゆっくりと顔を上げ、まっすぐに私を見る。


「それでも前に進んだ。

恐怖を抱えたまま、立ち向かった。

それは強さです。誰よりも」


胸の奥に、じんわりと温かいものが広がる。


「……ありがとう」


そう言うと、ユウリはふっと柔らかく笑った。


「いえ」


「あーあ。ユウリの前だと、ほんとカッコつかないなー」


ソファに寄りかかり、天井を見上げる。


「カッコつける必要はないですよ?」


「だってさ。私は私を好きでいるために……

カッコよく、凛としていたいんだよ」


「それはわかりますけど。ですが——」


ユウリは少しだけ表情を和らげ、静かに続ける。


「私の前では、無理に取り繕う必要なんてありません。

私はお嬢様の執事です。ずっと味方です。なにがあっても」


その声は穏やかで、けれど揺るぎない。


「ダメなところも、弱音も、吐き出してください。

それが私の勤めです」


その言葉は誓いのようで、押しつけがましさはなく、ただ真っ直ぐだった。


「ほんと、頼もしいね」


「そうですよ。だから自分を卑下しないでください。

むしろ——お嬢様は、周りをもっと頼ってくださいね」


紅茶の湯気がふわりと揺れ、静かな部屋に優しい温度が満ちていく。


「……頼る、かぁ。

もう随分みんなに頼ってるよ」


天井を見上げたまま呟くと、ユウリがそっと視線を落としてくる気配がした。


「足りないぐらいですよ」


穏やかな声が降りてくる。


「強くあろうとするのは素晴らしいことですが……

強さは、誰かに支えられても失われません」


その言葉は、まるで心の奥に触れるように静かで優しい。


「ユウリは……そうやって、いつも私を甘やかす」


「甘やかしているつもりはありませんよ。

ただ、必要なときに必要な言葉をお渡ししているだけです」


柔らかな微笑みが、ほんの少しだけ照れくさくなる。


「お嬢様が前を向けるように。

その背中を支えるのが、私の役目ですから」


その言い方があまりにも自然で、胸がまたじんと熱くなる。


「ほんと、有能な執事がいて助かる」


「ありがたいお言葉です」


ふたりで顔を見合わせ、思わず笑い合った。そのとき——コンコン、と控えめなノックの音が響く。


「はい」


返事をすると、扉の向こうにはレイさんが立っていた。


「お疲れのところ申し訳ありません」


「いえ、むしろ休ませていただいてありがとうございます」


「殿下がティアナ様に少し会いたいとおっしゃってまして……大丈夫ですか?」


申し訳なさそうに言うレイさんに、私はすぐ頷いた。


「もちろんです」


立ち上がると、ユウリがそっとカーディガンを肩にかけてくれる。


「じゃあ、ちょっと行ってくるよ。

ユウリもゆっくり休んでね」


「ええ、ありがとうございます」


軽く微笑み合ってから、私はレイさんの後に続いた。


レイ side

ティアナ様と並んで、殿下の部屋へ向かって歩く。太ももを怪我されている。自然と歩幅をゆっくりと合わせた。


「怪我は……つらくないですか?」


気づけば、口が勝手に動いていた。


「大丈夫です」


ティアナ様は、いつものように柔らかく笑って答える。


「そうですか。無理はなさらずに」


「……はい。それにしても、後処理が大変そうですね」


窓の外へ視線を向けながら、ティアナ様が呟く。魔宝獣が暴れた痕跡。崩落した迷宮。


「そうですね。まあ、どうにかしますよ」


私は少し肩の力を抜いて笑ってみせた。


「ティアナ様」


意を決して声をかける。


「はい?」


「本当に……ありがとうございました」


足を止め、深く頭を下げた。


「そ、そんな! 顔を上げてください!」


慌てた声が返ってくる。


「感謝してもしきれません。貴方がいなければ……どうなっていたことか」


自分でも驚くほど、声が震えていた。


「私ひとりでできたことじゃありません。みんながいたからこそです」


ティアナ様は、静かに微笑む。

本当に……強い人だ。


「それに……そうさせたのはディランの人柄ですよ。なんだかんだ、みんなディランのこと好きなんです」


自分の功績を誇ることもなく、殿下の人柄だと言い切るその姿勢。本心からそう思っているのだろう。


「やはり……殿下の隣に立つのは、貴女しかいませんね」


「……そうだといいんですが」


照れ隠しのように笑うティアナ様を見て、胸が温かくなる。

殿下……ちゃんと愛されていますよ。やがて、ディラン殿下の部屋の前にたどり着いた。コンコン、とノックをする。


「殿下……ティアナ様をお連れしました」


「ああ、入ってくれ」


中から落ち着いた声が返る。


「では、私はこれで」


軽く頭を下げる。


「はい、ありがとうございます」


「もし殿下に何かされそうになったら……容赦なく手を出して構いませんからね」


「ふふ、それ、側近の言うセリフじゃないですよ」


「そうですね」


ふたりで小さく笑い合った。

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