ぬくもり 1
夜明けが差しはじめ、王宮の騎士団たちが後片付けに追われる中、私とディランは静まり返った王宮へ戻った。今日はひとまず、王国に泊めてもらえることになっている。
「ティアナ様、お部屋をご用意しております」
レイさんに案内され、侍女たちが用意してくれた湯で身体と頭を洗う。傷口が痛み、思わず声が漏れた。
「し、しみる……」
用意されていた絹のワンピースに袖を通す。指先が触れるたび、さらりとした感触が心地よい。鏡に映る自分の髪は、肩で揺れるすみれ色の短い髪。見慣れない姿に、胸の奥がじんと熱くなる。――本当に、終わったんだ。ベッドに身を投げ出すと、ふわりと柔らかさに包まれた。
緊張がほどけていく。
(よかった……ほんとに)
でも、あのときは危なかった。セナとテオが来てくれなかったら、きっと――。
「弱いな……わたし」
ぽつりと漏れた言葉が、静かな部屋に落ちる。そのとき。コンコン、と扉を叩く音が響いた。
「はい」
グッと上体を起こし、扉を開ける。
「お嬢様、お疲れ様です」
「ユウリ」
穏やかに微笑む彼は、戦闘の直後とは思えないほどきっちりしていた。
「紅茶と軽食をご用意しました。
少し召し上がってから休まれた方が良いかと思いまして、レイさんにお願いしました」
テーブルには、湯気の立つリゾットと紅茶。
「ありがとう! ちょうどお腹空いてた」
へらっと笑うと、ユウリは手際よく食器を並べてくれる。
「いただきます」
「ええ、どうぞ」
ふーっと息を吹きかけて——
「あっつ!」
「お気をつけて。お水をどうぞ」
さっと差し出されるグラス。こういうところ、本当に頼りになる。
「美味しい」
ほっと胸がゆるむ。
「なら良かったです」
ユウリの穏やかな笑顔に、心が救われる気がした。
「ご馳走様でした」
一息ついたところで、ユウリが柔らかく言う。
「お嬢様、本当によく頑張りましたね」
その労いに、胸がじんとする。
「うん。でもね、みんなが来てくれなかったら無理だったよ」
「間に合って良かったです」
「もっと、強くなりたい……」
「これ以上強くなるんですか?」
ユウリが目を丸くする。
「……だって、私、強くないもん。
見た目がディランだったから、躊躇したの。
中身はジョルジュだって、わかってたのに」
ぽつりと落とした言葉に、ユウリは一瞬だけ目を伏せた。
その沈黙は責めるためではなく、ただ私の痛みを受け止めるための間だった。
「……怖かったんですね」
静かで、優しい声。
「お嬢様が弱いからではありません。
大切な人を傷つけたくないと思う——その気持ちがあるからこそ、迷いが生まれるんです」
ゆっくりと顔を上げ、まっすぐに私を見る。
「それでも前に進んだ。
恐怖を抱えたまま、立ち向かった。
それは強さです。誰よりも」
胸の奥に、じんわりと温かいものが広がる。
「……ありがとう」
そう言うと、ユウリはふっと柔らかく笑った。
「いえ」
「あーあ。ユウリの前だと、ほんとカッコつかないなー」
ソファに寄りかかり、天井を見上げる。
「カッコつける必要はないですよ?」
「だってさ。私は私を好きでいるために……
カッコよく、凛としていたいんだよ」
「それはわかりますけど。ですが——」
ユウリは少しだけ表情を和らげ、静かに続ける。
「私の前では、無理に取り繕う必要なんてありません。
私はお嬢様の執事です。ずっと味方です。なにがあっても」
その声は穏やかで、けれど揺るぎない。
「ダメなところも、弱音も、吐き出してください。
それが私の勤めです」
その言葉は誓いのようで、押しつけがましさはなく、ただ真っ直ぐだった。
「ほんと、頼もしいね」
「そうですよ。だから自分を卑下しないでください。
むしろ——お嬢様は、周りをもっと頼ってくださいね」
紅茶の湯気がふわりと揺れ、静かな部屋に優しい温度が満ちていく。
「……頼る、かぁ。
もう随分みんなに頼ってるよ」
天井を見上げたまま呟くと、ユウリがそっと視線を落としてくる気配がした。
「足りないぐらいですよ」
穏やかな声が降りてくる。
「強くあろうとするのは素晴らしいことですが……
強さは、誰かに支えられても失われません」
その言葉は、まるで心の奥に触れるように静かで優しい。
「ユウリは……そうやって、いつも私を甘やかす」
「甘やかしているつもりはありませんよ。
ただ、必要なときに必要な言葉をお渡ししているだけです」
柔らかな微笑みが、ほんの少しだけ照れくさくなる。
「お嬢様が前を向けるように。
その背中を支えるのが、私の役目ですから」
その言い方があまりにも自然で、胸がまたじんと熱くなる。
「ほんと、有能な執事がいて助かる」
「ありがたいお言葉です」
ふたりで顔を見合わせ、思わず笑い合った。そのとき——コンコン、と控えめなノックの音が響く。
「はい」
返事をすると、扉の向こうにはレイさんが立っていた。
「お疲れのところ申し訳ありません」
「いえ、むしろ休ませていただいてありがとうございます」
「殿下がティアナ様に少し会いたいとおっしゃってまして……大丈夫ですか?」
申し訳なさそうに言うレイさんに、私はすぐ頷いた。
「もちろんです」
立ち上がると、ユウリがそっとカーディガンを肩にかけてくれる。
「じゃあ、ちょっと行ってくるよ。
ユウリもゆっくり休んでね」
「ええ、ありがとうございます」
軽く微笑み合ってから、私はレイさんの後に続いた。
◇
レイ side
ティアナ様と並んで、殿下の部屋へ向かって歩く。太ももを怪我されている。自然と歩幅をゆっくりと合わせた。
「怪我は……つらくないですか?」
気づけば、口が勝手に動いていた。
「大丈夫です」
ティアナ様は、いつものように柔らかく笑って答える。
「そうですか。無理はなさらずに」
「……はい。それにしても、後処理が大変そうですね」
窓の外へ視線を向けながら、ティアナ様が呟く。魔宝獣が暴れた痕跡。崩落した迷宮。
「そうですね。まあ、どうにかしますよ」
私は少し肩の力を抜いて笑ってみせた。
「ティアナ様」
意を決して声をかける。
「はい?」
「本当に……ありがとうございました」
足を止め、深く頭を下げた。
「そ、そんな! 顔を上げてください!」
慌てた声が返ってくる。
「感謝してもしきれません。貴方がいなければ……どうなっていたことか」
自分でも驚くほど、声が震えていた。
「私ひとりでできたことじゃありません。みんながいたからこそです」
ティアナ様は、静かに微笑む。
本当に……強い人だ。
「それに……そうさせたのはディランの人柄ですよ。なんだかんだ、みんなディランのこと好きなんです」
自分の功績を誇ることもなく、殿下の人柄だと言い切るその姿勢。本心からそう思っているのだろう。
「やはり……殿下の隣に立つのは、貴女しかいませんね」
「……そうだといいんですが」
照れ隠しのように笑うティアナ様を見て、胸が温かくなる。
殿下……ちゃんと愛されていますよ。やがて、ディラン殿下の部屋の前にたどり着いた。コンコン、とノックをする。
「殿下……ティアナ様をお連れしました」
「ああ、入ってくれ」
中から落ち着いた声が返る。
「では、私はこれで」
軽く頭を下げる。
「はい、ありがとうございます」
「もし殿下に何かされそうになったら……容赦なく手を出して構いませんからね」
「ふふ、それ、側近の言うセリフじゃないですよ」
「そうですね」
ふたりで小さく笑い合った。




