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夜明けが世界を染めるころ、 悪意の見える伯爵令嬢は王子の執着から逃れられない  作者: 舞響
第五部

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奪われた王子 1

ティアナside


足を踏み入れた瞬間――ずっと会いたいと願っていた、金髪の彼の姿が目に飛び込んできた。


「ティアナ」

その声を聞いた途端、胸の奥がざわりと波立つ。確かにディランの声なのに、そこに混じるのは湿った冷気。

背筋を撫でる、不吉な気配。


「ディラン……?」

一歩近づいた瞬間、氷の指で背骨をなぞられたような悪寒が走った。目の前に立つのは、確かにディランの姿――けれど、違う。瞳の奥にあったはずの温もりが、跡形もなく消えている。代わりに沈んでいるのは、底なしの闇。その視線を浴びるだけで、皮膚の下を黒いものが這い回る錯覚に陥った。


「……あなたは誰?」


震える声で問いかけると、ディランの口元がゆっくりと歪む。その笑みは、彼が決して浮かべない種類のものだった。


「はは、さすがだな。よく気づいた。

ディランの婚約者だけある」


ぞっとする声。部屋の空気が重く沈み、呼吸が浅くなる。


「まさか……ジョルジュ陛下……?」


名を口にした瞬間、ディランの身体がわずかに傾き、影が揺れた。その影が、まるで別の生き物のように蠢いた気がした。


「ああ、そうだよ。来るのが少し遅かったな」


ディランの手がゆっくりと持ち上がる。その動きは、彼のものとは思えないほど滑らかで、冷たく、無機質。


「ディランの身体は――もう私のものだ」


その言葉が落ちた瞬間、世界が音を立てて崩れた。


「ディランは……貴方の孫でしょ!

どうしてそんなことが!!」


声が震え、喉が焼けるように痛む。叫びは冷え切った空間に吸い込まれ、まるで最初から存在しなかったかのように消えた。ディランの姿をした“それ”は、ぎこちなく首を傾けた。

その動きは、人間の仕草を後から模倣したような、微妙にズレた軌道を描く。かつての彼の柔らかさとはまるで違う。

まるで、壊れた人形が無理やり笑おうとしているような、不気味な違和感。


「長年の夢だよ」

返ってきた声は、低く湿っていて、耳の奥にまとわりつく。

その瞬間、空気がひやりと沈み、肌の表面に冷気が張り付いた。


「老いた身体で不老不死になったって意味はない…

美しい見た目でなくてはね。完璧ではない」


ディランの顔に浮かんだ笑みは、皮膚の下で別の生き物が蠢いているような歪みを帯びていた。私は反射的に一歩後ずさる。


「ディランは完璧だ」


その言葉だけが、異様な熱を孕んでいた。熱といっても、人の情ではない。狂気が沸騰しているような、濁った熱。


「整った顔立ち、体つき。

瞳の色――明るいところではエメラルド、

暗いところではルビーのように輝く」


ディランの瞳が、光を受けて妖しく揺らめく。その色は確かにアレキサンドライトのようだった。だが今は、宝石の輝きではなく、獲物を値踏みする捕食者の目だ。


「まさにアレキサンドライトを象徴するものだ!」


声が弾け、空気が震えた。心臓が跳ね、血が逆流するような感覚に襲われる。


「だからディランは、いずれ私の器になる。

そのつもりで育ててきた」


その言葉を聞いた瞬間、血の気が一気に引いた。ジョルジュ陛下の声は甘く、慈しむようで――しかしその奥には、底なしの欲望が渦巻いている。


「強く、賢く、美しく。

立派にね」


ディランの身体が誇らしげに胸を張る。だがその動きは、彼のものではない。そこにいるのは“孫を誇る祖父”ではなく、“理想の器を完成させた創造主”だった。


「だけど……指導のせいかな」


ディランの口元が、ゆっくりと歪む。その笑みは誇らしげでありながら、どこか人を嘲るような影を落としていた。


「次期王としての資質は十分だった。

強さも、賢さも、美しさも――すべて備えていた」


胸が締めつけられる。本来なら祖父が孫を褒めるときの言葉のはずなのに、今の声には温度がない。あるのは、冷たい計算と、所有物を眺めるような歪んだ満足だけ。


「ただ……心も強くなりすぎた」


ディランの瞳が、暗い光を宿して私を射抜く。


「大切なものも、執着するものもなくてね。

一時期は、人形のようだったよ」


背筋が震える。ジョルジュ陛下の声には、失望と同時に、奇妙な愛おしさが混じっていた。まるで“理想の作品が未完成だった”と嘆く芸術家のように。


「完璧に育てすぎたんだ。

弱みも、隙も、揺らぎもない――そんな器では、私が入り込む余地がなかった」


息が止まる。


「だけど君だよ、ティアナ」


名を呼ぶ声は、甘く、ねっとりと絡みつく。耳の奥に残り、逃げ場を奪う。


「君のおかげでディランは変わった。

大切なものを失う怖さを知り、弱さを見せた」


胸が痛む。それは本来、彼が“人間らしさを取り戻した”証のはずなのに――今はそれが、最悪の形で利用されている。


「しかも君は共鳴が使える。

その力は貴重だ」


ディランの瞳が、宝石のように妖しく揺らめく。


「ディランの器。

そして――お前の血と魂」


声が低く沈み、空気が震えた。部屋の温度がさらに落ち、息が白くなりそうなほど冷たい。


「それがあれば、私は完璧な王となれる」


その宣言は祝福の言葉のように響いた。だがその実、底なしの欲望と狂気が渦巻いている。目の前にいるのは“王”でも“祖父”でもない。永遠を求め、孫を理想の器へと作り替えた――ただの怪物だ。

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