闇へ走る 1
ディラン side
ティアナ……急げ。きっと、禁書庫のほうだ。胸の奥で焦りが燃え上がる。嫌な予感が、ずっと消えない。その感覚に背中を押されるように、俺は禁書庫の奥へと足を踏み入れた。空気が重い。まるで、暗闇そのものが俺を待ち構えているようだった。さらに奥へ進むと、古い本棚が並ぶ区画に出た。
普段は固く閉ざされているはずの棚が——開いている。
嫌な汗が背中を伝う。慎重に足を進め、開いた部屋の中へ入った瞬間——息が止まった。
壁一面に貼られた紙。幼い頃の肖像画。訓練中の写真。最近の、ティアナと並んだ写真まで。そして、俺に関する膨大な資料。執拗なほど、びっしりと。
「……なんだ、これ……」
震える指で一枚を掴む。そこには、見慣れない文字でこう記されていた。“ディランが、器として最適”その瞬間——
「もう来たのか。早いな、ディラン」
背後から聞こえた声に、心臓が跳ねた。振り返ると、薄暗い部屋の奥。祖父——ジョルジュ陛下が、愉快そうに笑っていた。
「なんですか……これは」
声が震える。怒りか、恐怖か、自分でもわからない。
「うむ。真実を告げるときだな」
ジョルジュは、壁に貼られた俺の写真を指でなぞった。
「お前は美しい。
エメラルドの瞳も、暗闇で変わるルビーの瞳も。
まさにアレキサンドライト。王の器だ」
「だからなんですか」
吐き捨てるように言うと、祖父は満足げに頷いた。
「お前のことは大事に育ててきたんだ。
精神も身体も、完璧になるようにな」
その言葉が落ちた瞬間、背筋がひやりと冷えた。まるで、ずっと背後にあった影が ようやく姿を現したかのように。
「ディラン、お前の両親は……なぜ死んだか知っているか?」
「船の事故ですよね」
「違うな。事故で死んだんじゃない」
ジョルジュは、まるで天気の話でもするように言った。
「私が処理した」
「……っ!」
視界が揺れた。怒りで、呼吸が乱れる。
「どうして……! 貴方の息子でしょう!」
「お前を“器”にしようとしていることに気づかれたからな。
我が息子ながら、鋭かったよ」
くつくつと笑うその姿は、もはや人間のものではなかった。
「そうそう。ガイルでは成し得なかった“完全な器”。
それをディラン、お前で完成させる。
さらに——不老不死を実現するために」
胸の奥が、ひどく冷たくなる。
「……」
「そのための“鍵”として、ティアナ——お前の婚約者が必要なんだよ」
その瞬間、胸の奥が焼けるように痛んだ。ティアナを巻き込むために。俺を“器”にするために。すべてが——最初から、歪んだ目的のために用意されていた。
「そんなこと……させると思うか」
低く、喉の奥から絞り出すように言った。怒りで視界が赤く染まる。ジョルジュは、まるでそれを楽しむように微笑んだ。その笑みは、血の通わない仮面のようだった。
「ティアナはどこだ?」
低く押し殺した声に、ジョルジュはふっと笑った。
「ついてきなさい」
背を向けて歩き出すその姿には、命令というより“確信”があった。まるで、俺が逆らえないことを知っているかのように。足が勝手に動く。怒りで震えているはずなのに、身体の奥が妙に冷たい。
薄暗い通路を抜けた先——そこは、古い魔法陣が床一面に刻まれた部屋だった。ジョルジュが手をかざすと、魔法陣が淡く光り始める。空気が震え、胸の奥がざわりと波打つ。
「さて……見せてやろう」
祖父は懐から、小さな銀の箱を取り出した。蓋を開けた瞬間、ふわりと光がこぼれ——
そこにあったのは、スミレ色と桃色が混ざる、柔らかな髪。ティアナの髪。
「……っ!」
息が止まる。胸が締めつけられ、視界が揺れた。
「ティアナは……無事なんでしょうね」
必死に声を絞り出すと、ジョルジュは愉快そうに笑った。
「無事かどうかは……お前次第だ」
その瞬間、魔法陣の光が強くなり、足元から冷たい何かが這い上がってくるような感覚に襲われた。
「やめろ……!」
「抵抗するな。
ティアナの髪は“鍵”だ。
お前の精神は、彼女を想うほどに脆くなる」
胸の奥に、鋭い痛みが走る。ティアナの髪が揺れるたび、心が引き裂かれるようだった。
「……っ、く……!」
膝が落ちる。視界の端が暗く染まり、思考が濁っていく。ジョルジュの声が、頭の中に直接響いた。
「さあ、ディラン。
お前の身体を借りるとしよう。
“器”として完成したその肉体をな」
魔力が精神に食い込み、意識がゆっくりと押し流されていく。——ティアナ。来るな。絶対に、ここへ来るな。願いは、声にならなかった。




