迷宮の罠 1
ユウリside
迷宮へと足を進める。石造りの通路は想像以上に広く、天井は高く、 壁に灯る魔石の光は弱々しく揺れている。 視界の先は闇に溶け、進んでいるのか、ただ迷い込んでいるだけなのか―― そんな不安が胸の奥でじわりと広がる。
「それにしたって……広いですね」
思わず漏れた声に、
「これ、本当に出口あるのかしら」
ルイが眉を寄せる。
「確かにな!! でもさ」
レオがいつもの調子で笑った。
「出口のない迷宮なんて、ロマンないだろ?」
……この2人、余裕あるな。 私だけが必要以上に周囲を警戒している気がする。そのときだった。微かな気配。 空気の流れが、ほんの一瞬だけ変わった。
「……2人とも、シッ」
声を潜めると、足音がぴたりと止まる。
「なにか来るわね」
壁の向こう、曲がり角の先。 何かが、こちらの様子を窺っている。
「うん」
レオの返事は短く、いつもの軽さが消えていた。私は剣を持ち直し、柄に力を込める。 金属の冷たさが、意識を現実へと引き戻す。緊張が張り詰めた、その瞬間――
「みなさん、こちらにいましたか」
静かに響いた声に、心臓が跳ねた。
「れ、レイさん!?」
思わず声が裏返る。殿下の側近、レイさんだ。 迷宮の薄暗さの中でも、彼の落ち着いた佇まいは変わらない。
「王子はどうしたの?」
ルイが尋ねると、
「それが……陛下にばれまして。私だけ落とされました」
レイさんは軽く肩をすくめた。 その仕草は淡々としているのに、どこか疲れが滲んでいる。
「……なんか、大変ね」
ルイがため息をつく。
「レイさんはさー」
少し間を置いてから、レオが口を開いた。 軽い調子だけど、その目は探るように細められている。
「この迷宮には、詳しくないの?」
「いえ、詳しくは私にも……」
レイはそこで言葉を切り、眼鏡を指で押し上げた。 レンズに反射し、きらりと光る。ひと呼吸置いてから、静かに続ける。
「むしろ、王城の地下にこんな構造があるとは知りませんでした」
その声音には、隠しきれない警戒が滲んでいた。
「それより――」
私は視線を上へ向ける。
「上は、どうなっていますか?」
「それが……大混乱で」
レイは簡潔に答えた。
「魔宝獣が出て、今はアラン殿下たちが何とか対処しています」
「……そうですか」
ルイとレオの表情がわずかに硬くなる。レイは続けた。
「陛下の仕業でしょうね。状況は、かなり深刻です」
その言葉に、空気が一段と重くなった。
「とにかく、我々は進みましょう」
レイがきっぱりと言い切る。 その背中はいつも通り冷静に見えるのに―― 歩幅が、ほんの少しだけ速い。焦っている。状況が読めない迷宮、分断された王族、そして地上の混乱。 冷静を保ってはいるが、レイの内側には確かな緊迫があった。私は剣を握り直し、前方の闇を見据える。――ここから先、何が待っているのか。レイと並んで歩きながら、足元へ視線を落とす。 石畳の継ぎ目が、妙に整いすぎている。
(……これ、道じゃない)
嫌な予感が背筋を走り、顔を上げた――その瞬間。
「それ踏んではいけません――!」
声が出たのは、半拍遅れて。
「ご、ごめん! 踏んじゃった!」
レオの軽い声が返った直後、 ぐにり、と石畳が歪む音がした。床が沈むのではない。 “折れる”ように、空間そのものがずれた。
「レオ! ルイさん!」
手を伸ばすが、もう遅い。石畳の裂け目が、2人の間に走り、 レオとルイの姿が、ゆっくりと遠ざかっていく。裂け目の向こうから、ルイの声が響いた。
「こっちはどうにかするわ!
進んで!」
迷いのない声。 指示というより、覚悟の音だった。
「ごめーん!」
続いて、少し間の抜けたレオの声。 その軽さが逆に、胸を締めつける。次の瞬間、石畳は何事もなかったように元へ戻り、 2人の姿は完全に消えた。静寂。
「……」
唇を噛む。
(止められた。 気づいてたのに)
悔しさが喉の奥に刺さる。レイが低く言った。
「追えません。もう、道が違います」
その言葉に、一度だけ振り返る。 そこには、戻る道などどこにもなかった。
「……進みましょう」
自分に言い聞かせるように、そう告げて、 私は前を向いた。はぐれてしまった。私としたことが、なんという失態だ。舌打ちを噛み殺す。くそ…お嬢様……どうかご無事で。
そもそも王妃教育へ行かせたのが間違いだったのだろうか。
あれほど嫌がっていたのだから、無理にでも止めるべきだったのかもしれない。……いや、違う。どれほど危険から遠ざけようとしても、お嬢様は必ず立ち向かってしまう。そういうお方だ。レイも、きっと焦っているはずだ。ディラン殿下と逸れてしまったのだから。後悔しても遅い。今は進むしかない。
「……心配ですか?」
レイが静かに問いかけてくる。
「はい。ですが、お嬢様はお強い方です。きっと大丈夫です」
そう答えると、レイはふっと微笑んだ。
「そうですね。殿下が気に入るほどですから」
確かに――あのディラン殿下が、あれほど強く執着するほどに。
「お嬢様が、まさか殿下とうまくいってしまうとは……」
思わず本音が漏れた。お嬢様が幸せであることは、何よりも嬉しい。それでも胸の奥が、少しだけざわつく。
「私は、非常に嬉しいですよ」
レイは即座にそう言い、柔らかく笑った。
「殿下には、彼女しかいませんから」
その笑みはどこか楽しげで、迷いがない。
「……お嬢様は、王妃にはならないと思いますよ」
静かに告げる。お嬢様はあの座を望んでいない。権力にも栄誉にも縛られることを嫌う方だ。
「ええ。それも承知の上でしょう」
眼鏡の奥で、レイの瞳がきらりと光る。
「とりあえず……お互い、主人の心配が尽きませんね」
「そうですね」
苦笑しながらも、自然と足は前へ進む。
「先を急ぎましょう」
「はい」
強く頷いた。――立場も、想いも、それぞれ違う。それでも仕える者として願うことは同じだ。どうか無事で。そして、選ぶのなら…お嬢様ご自身が、心から望む未来を。そのためなら、私はどこまでもそばにいる。
一瞬、視線を伏せると、レイは迷宮の奥を見据えたまま続けた。
「この迷宮……出口は一つじゃない気がします。
何個か、あるはずです」
根拠のない希望ではない。状況を冷静に切り分けた言い方だった。
「きっと、大丈夫なはずです」
「レイさん……ありがとうございます」
胸の奥に溜まりかけていたものが、少しだけ下りる。だが――足元の石畳。空気の流れ。音のないはずの空間に、何かが混じる。
「……何か、ありますね」
低く告げる。
「はい」
レイは短く応じ、武器に手を掛けた。その先。視界の奥に、嫌な気配が滲む。
「ここですかね」
部屋の前で足をとめる。
「そうですね」
レイも短く答えた。部屋の空気は、外からでも分かるほど重い。石壁の向こうから、じっとりとした“罠”の気配が滲み出ている。
「ですが、ここを突破しないと次には行けなさそうですね」
レイの言葉に、私も小さく頷いた。深く息を吸い、警戒を最大まで引き上げる。そして――部屋へ足を踏み入れた瞬間。視界が、ぐにゃりと歪んだ。床が傾いたわけではない。空気が揺れたわけでもない。ただ、自分の目と意識だけが、別方向へ引きずられたような奇妙な感覚。胸の奥がひやりと冷たくなる。
(……なんだこれは)
思考が一瞬だけ白く途切れ、次の瞬間――見覚えのある赤い絨毯が視界の端に滲んだ。磨かれた手すり。高い天井。伯爵家の玄関ホール。いや、違う。ここは迷宮だ。そんなはずはない。揺れる視界の中で、迷宮の石壁と伯爵家の廊下が、まるで水面のように重なり合っていた。




