迷宮へ 3
さらに奥へ踏み込んだ瞬間、テオが鋭く叫んだ。
「お嬢様、危ない!」
テオが抱き寄せるように、自分の背後に私を庇い、セナが私の腕を引く。次の瞬間、テオの周囲だけがゆらりと揺れ、空間が切り取られたように遮断された。まるで薄い膜が張られたように、そこだけ世界が歪んでいる。
「て、テオ……?」
彼は一瞬、手をふわりと振った。セナが低く呟く。
「……魔術空間ですね。こちらからは見えるけど、向こうからは見えないタイプの」
「そんな……」
「騎士団で聞いたことがあります。あの空間に入ると精神作用の技をかけられて、
その人が“最も大切だと思う相手”が現れる。
そして――その相手を傷つけられないと、出られない」
「それって……」
「はい。テオにとって大事なのは、お嬢様です」
その言葉と同時に、空間の中に“私そっくりの人形”がふわりと姿を現した。
「わ、わたし……!?」
思わず声が裏返る。
「よく似ていますね……」
セナが小さく息を呑んだ。テオ…大丈夫かな。不安で胸が締め付けられる。
◇
テオside
罠の気配を感じた瞬間、身体が勝手に動いた。お嬢様を抱き寄せるようにかばい、背後へ押し出す。振り返れば、揺れる瞳。 その不安を払うように、俺は軽く手を振った。
(大丈夫。)
そう伝えた瞬間――お嬢様の姿がゆらりと揺れ、視界から消えた。空気がひやりと冷え、足元の影が歪む。
――魔術空間。精神を試す、最も嫌いな類の罠だ。 俺の“心”なんて、試されるまでもないのに。そして、目の前に現れたのは――お嬢様そっくりの偽物。肌の色、髪の揺れ、声の響き。 完璧に似せているつもりなのだろうが、 俺には一瞬で分かる。
本物は、もっと綺麗だ。 もっと柔らかい。 もっと、俺を狂わせる。
「へぇ……こんなものを出してくるか」
息を吐き、剣を握り直す。 手のひらに伝わる冷たい金属の感触が、逆に頭を冷やしてくれる。お嬢様には剣を向けられない。 だって――好きだから。 触れるだけで震えるほど、大事だから。だけど、これは違う。
「ねぇ、テオ。私、テオが好きよ」
偽物が甘ったるい声を出す。 その瞬間、胸の奥がざらりと逆撫でされた。虫唾が走る。 その言葉は、本物だけが言っていい。
「……はっ」
笑いが漏れた。 自分でも驚くほど冷たい声だった。
「バカにしてるのか?」
偽物が一瞬たじろぐ。俺はゆっくりと剣を構え、言葉を紡ぐ。
「本物のお嬢様は――あんたよりずっと可愛くて、綺麗で、
笑った顔は胸が苦しくなるほど可憐なんだよ。そのどれを、偽物のお前が再現できる?
何一つ、叶うわけないだろう」
一歩、踏み込む。 心臓が高鳴る。 お嬢様のことを語るだけで、身体が熱くなる。お嬢様とのデートの帰りの列車の中でのことを思い出す。
『世界中がさ、敵になったとしてもさ。
俺は絶対、お嬢様の味方だよ。
何があっても』
『……私を、どんな極悪人にする気なのよ』
呆れたように笑ったその横顔。 その一瞬を思い出すだけで胸が熱くなる。
『そうだね。
でも、いっそその方が——
お嬢さまを独占できそうだし』
あの時の言葉は、冗談なんかじゃない。 あれは――全部、本心だ。本気でそう思ってる。だって、そうすれば俺しか見ないでしょ? 俺しか必要じゃなくなるでしょ?それくらい俺は、お嬢様しかいらない。世界がどうなろうと構わない。 お嬢様が俺を見てくれるなら、それでいい。だからこそ許せない。 お嬢様じゃない“偽物”が、俺の前に立っていることが。
「テオ……」
偽物が本物の声色を真似てくる。 その瞬間、怒りが静かに沸騰した。俺は迷わず魔宝石の名を呼ぶ。
「紅く、鋭く、我が想いに応えよ――スピネル」
剣が赤黒く瞬き、空気が震える。 魔力が刃に絡みつき、熱を帯びていく。
「縛れ、スピネル!」
赤黒い光が鞭のように伸び、偽物の身体を絡め取った。 光は容赦なく締め上げ、偽物の肌に亀裂のような光の線が走る。偽物はもがき、幻の涙を零す。 その涙すら、お嬢様のものとは似ても似つかない。俺の心は一切揺れない。 むしろ――本物を汚された怒りで、視界が赤く染まる。
「本物の記憶を汚すな」
低く呟き、剣を振り下ろす。
「砕けろ!」
赤黒い光が爆ぜ、偽物の身体を一瞬で粉砕した。 破片は光の粒となって消え、空間に静寂が戻る。手の中には、もう偽物はいない。
「愛してるよ、お嬢様。
……すぐ行くからね」
その声は、誰に聞かせるでもなく、 ただひたすらに“本物”だけへ向けられたものだった。お嬢様を傷つけず、 しかし邪悪な幻影には一切の容赦をしない―― それが、俺の愛し方だ。
◇
ティアナside
テオの容赦のなさに、思わず身震いした。 胸の奥で、怖さと同時に、どこか安心感が芽生える。
「テオ、すごいや……でも、なんだろう。
ちょっとグサッときた」
口に出した瞬間、心臓が少し跳ねた。 偽物があまりに本物そっくりで、心の奥まで揺さぶられたのだ。 そして、その偽物をテオが躊躇なく斬り捨てたことへの驚きと…… もしあれが自分だったらと思うと、普通にこわい。
「わかります。
偽物ってわかってても、あんな似たものが来たら……俺でも躊躇します」
セナの声は冷静だけど、わずかに乱れていた。
「ほんとね。味方でよかったよ」
自然と口の端が上がる。
「激しく同意です」
セナも頷いた。 仲間が無事で、互いに支え合える安心感が胸を満たす。魔術空間が解けると、テオはいつものように軽く笑いながら近づいてきた。 さっきまでの冷酷さが嘘みたいで、思わず視線が揺れる。
「お嬢様〜、大丈夫だった?」
ひょいっと覗き込んでくるその距離感が近すぎて、心臓が跳ねる。
「う、うん。テオは?」
「俺?全然平気だよ」
さらっと言うその軽さが、逆に心に刺さる。
「私に剣を向けられないって言ってた割には……容赦なかったね」
苦笑しながら言うと、テオは迷いなく答えた。
「だって、あれはお嬢様じゃないでしょ?
本物のお嬢様は…こんなに綺麗で可愛いんだから」
へにゃりと笑い、私の頬に触れようと伸びてきた手を――
セナがすかさず掴んだ。
「気安く触るな」
「えぇ〜? ちょっとくらい良くない?
さっき命張って守ったんだよ、俺」
「それとこれとは別だ」
「けちー。
お嬢様少しぐらいいいよね?」
急にこちらに振られて、思わず言葉に詰まる。
「え、えっと……」
「ほら、困ってるだろ。離れろ」
「はーい、はーい。
でもさ、あとで手、握ってくれてもいいよ?」
「握るか!
そんなに握りたいなら俺が握ってやる」
セナがグッとテオの手を掴む。
「いっててて!強い強いって!!」
セナとテオのやり取りに、思わず笑ってしまう。
「とりあえず進もうか」
「ですね」
「はーい。
ほんと容赦なさすぎ」
テオが文句を言いながら、さらに迷宮の奥へと進んでいく。




