兄と弟 2
アランside
……行ったな。走り去るディランの背が見えなくなった瞬間、胸の奥で、ひとつ息を落とす。本当に、大きくなった。もう、私の影を追って泣いていた幼い少年ではない。
これも彼女の影響か…。さて――。
「お前たち。立ち尽くしている暇はない」
鋭い声が廊下を切り裂く。騎士たちがびくりと肩を震わせた。
「魔宝獣が出現した。状況は最悪だ」
「は、はいっ……!」
ようやく正気に戻ったように、騎士たちが動き出す。
「こちらはこちらで対処する」
誰に聞かせるでもなく、自分に言い聞かせるように呟く。
「……待っていろ、ティアナ嬢」
その直後、騒ぎを聞きつけた騎士たちが次々と駆け込んできた。一瞬の迷いもなく、声を張り上げる。
「第一部隊、魔宝獣の迎撃に当たれ!第二部隊は招待客の避難誘導!パーティー会場に魔宝獣を一歩たりとも近づけるな!」
空気が一気に引き締まる。
「第三部隊――結界を張れ!」
「はっ!!」
号令とともに、騎士たちが散っていく。混乱の中でも、彼らの動きは訓練された鋭さを取り戻していた。アランはふと、ディランが走り去った方角へ視線を向ける。
……必ず、間に合え。王族としてではなく、ただ一人の兄として、強く願った。
「……来るか」
魔宝獣の咆哮が、空気そのものを震わせた。廊下の温度が一瞬で下がる。俺は静かに一歩、前へ出る。剣を握る手に、迷いはない。退けば誰かが死ぬ。だから、退かない。
「情熱よ。
血と覚悟を糧に、我が誓いとなれ――ガーネット」
刹那。鍔に嵌め込まれたガーネットが、深紅の光を噴き上げた。それは炎ではない。熱でもない。血の脈動そのもののような、重く、揺るがぬ光。紅光が刃を包み、剣身に結晶の紋様が走るたび、空気が震えた。
「――行くぞ」
踏み込んだ瞬間、床石が砕ける。魔宝獣が咆哮し、爪を振り下ろす。風圧だけで皮膚が裂けそうな一撃。だが、退かない。剣を正面から叩きつける。
――ガンッ!!衝撃が腕を痺れさせるほど重い。だが、紅い光が爆ぜ、魔宝獣の巨体を押し返した。
「退くのは、私じゃない」
次の瞬間、振り抜いた剣から紅い斬撃が奔る。それは、守ると決めた数だけ重くなる一太刀。魔宝獣の咆哮が、悲鳴へと変わった。背後で、騎士たちが息を呑む。
「……これが、王国騎士団の前線だ」
剣を下げない。紅く燃えるガーネットが、まだ脈打っている。まるで、まだ終わっていないと告げるように。魔宝獣は――増えていた。一体、二体。闇の裂け目から、次々と這い出してくる。だが。
「……数が増えたところで、同じことだ」
剣は下ろさない。紅く燃えるガーネットは衰えず、その足取りには、まだ余裕すらあった。
「前線は維持しろ。
下がる必要はない」
その一言で、騎士たちの背筋が伸びる。恐怖が、命令によって押し込められていく。次の瞬間――風が、変わった。
「――よいしょっと!」
澄んだ声が、戦場の空気を切り裂く。緑の光が閃き、魔宝獣の群れの間を駆け抜けた。現れたのは、風に揺れる緑髪の騎士。
「邪気を払え――グリーントルマリン!」
剣先が鮮やかな翠に輝き、振るわれた一閃が、魔宝獣を包む黒い靄を音もなく裂いた。黒い霧が霧散し、魔宝獣が一瞬たじろぐ。
「……ほう」
アランはわずかに目を細める。この男――只者ではない。
「アラン殿下、ですよね!ルークといいます。ラピスラズリ伯爵家の騎士です」
緑髪の騎士は、戦場とは思えないほど軽い調子で言った。だが、その立ち姿には一切の隙がない。剣の角度。重心の置き方。呼吸の深さ。――間違いない。これは、前線に立てる騎士だ。
「助太刀、感謝する」
アランが告げると、ルークはにっと笑った。
「いえいえ!
お嬢様が大変なことになってそうなんで!」
その背後に、さらに二つの影が並ぶ。空気が、再び張り詰めた。
「オリバー、抑えるぞ」
「了解だ、ルーク団長」
「――強く、硬く、ヘマタイト!」
オリバーの魔宝石が黒鉄のように光を帯び、重く沈む力が剣身へと流れ込む。その一歩だけで、床石がわずかに沈んだ。
「エリック、後衛の結界を補強する」
「任せてください」
「冷たく清く、ブルーサファイア」
エリックの魔宝石が淡い青光を放ち、その光は冷静さと精密さを宿して広がる。空気が澄み、魔宝獣の邪気が押し返されていく。揃った瞬間――戦場の空気が、はっきりと変わった。圧が増す。魔宝獣が本能で後ずさるほどの“気”が満ちる。
「……心強いな」
剣を構え直す。紅と翠の光が並び立ち、前線に2つの柱が生まれた。
「では行こう。
――ここから畳み掛ける」
魔宝獣の咆哮が響く。だが、その声を押し返すように――
騎士たちの気迫が、戦場を支配した。




