地下潜入 1
地下潜入決行前夜。
王都の喧騒から切り離された、ひっそりとした隠れ家。
机の上には、城の簡易見取り図と地下へ続く推定ルートが広げられている。灯りは最小限。揺れる炎が壁に影を落とし、静寂に緊張だけが濃く積もっていく。
「――いよいよ、明日の夜に決行する」
その一言で、場の空気がぴんと張り詰めた。
「まず、私はディランと踊る」
視線が一斉に私へ向く。
「式典の最中、最も注目が集まる瞬間。
曲が終わったら、迷わず離脱する」
指先で地図をなぞりながら続ける。
「セナ、テオ。
この地点で合流して、私と一緒に禁書庫から北側の部屋へ向かう」
「了解」
セナの返事は短く、揺るぎない。
「隠し扉も確認済みだよ」
テオが軽く笑ってみせるが、その目は鋭い。
「ユウリ、ルイ、レオは、それぞれの定位置から禁書庫で合流して」
「はい」
「わかったわ!」
「了解です!!」
三者三様の声が重なる。
「ルーク団長、アレン、ロベルトは殿下周辺の警戒を。
私が離れたあと、少しでも不審な動きがあれば即対応して」
「了解」
3人の表情は、戦場に立つ者のそれだった。
「そして――」
最後に視線を向ける。
「オリバー副団長、エリック。
外で待機。合図があれば即介入できる距離で。
指示が出来ない状態の場合は、臨機応変に対応してもらう」
「……承知した」
重く、覚悟のこもった返答。一瞬、誰も口を開かない。沈黙が、これから向かう危険の深さを物語っていた。
「この先、何が起きるかわからない。
最悪の場合――合流できない可能性もある」
それでも、誰一人として目を逸らさない。
「でも」
私は顔を上げる。
「必ず戻る。
全員で」
その言葉に、張りつめた空気がわずかに緩んだ。
「生きて帰るのが最優先よ」
「はい」
全員の声が、静かに、しかし確かに重なった。
◇
そして、当日を迎えた。怪しまれないよう、私は合宿の最終日まで参加し、その足で慌ただしく隠れ家へ戻った。ルイに急いで身なりを整えてもらい、息を整える間もなく再び会場へ向かう。
「ふう……間に合った」
「本当に、ギリギリですよ。お嬢様」
セナが呆れたように言いながらも、その表情には安堵が滲んでいた。
「さて、行こうか」
「はい」
差し出されたセナの腕に手を添え、会場へ足を踏み入れる。
――瞬間、視界が光に満たされた。
天井から幾重にも吊るされた巨大なシャンデリア。きらめくドレスと礼装が波のように揺れ、優雅な音楽が空気を満たす。これが、王国創立記念式典その中心。階段の上から、ゆっくりと姿を現す影。
金色の髪。エメラルドの瞳。誰が見ても疑いようのない王子。ほんとに、絵に描いたみたいだな。視線が絡む。ディランが、わずかに微笑んだ。
「ティアナ」
一段ずつ降りてきて、私の前に立つ。
「手を、取ってくれるね」
「ええ」
セナが静かに一礼し、後ろへ下がる。私はディランの手を取った。温かくて、強い手。そのまま2人で進む。玉座の前。ジョルジュ陛下が、冷たい瞳でこちらを見下ろしていた。
――氷のような視線。すべてを値踏みするような、逃がす気のない目。
「よく来たな」
低く、感情の読めない声。
「今日は存分に、楽しんでいくといい」
(……白々しい)
「ええ。ありがとうございます」
形式通りに頭を下げる。その間も、陛下の視線は一瞬たりとも離れない。まるで――獲物が逃げないか確認するように。
ディランの手に、わずかに力がこもる。言葉にしなくても伝わる。――ここからだ。この華やかな夜の裏で、すべてが動き出す。
音楽が、ゆるやかに流れはじめる。自然と、視線が集まった。――王子と、その婚約者。会場の中心で向かい合った瞬間、周囲のざわめきが遠のいていく。決戦前だというのに胸の奥は、不思議なほど静かだった。むしろ、彼の手に触れた瞬間、すべてが落ち着いていく。ディランが、私の手を取る。もう片方の手が、そっと背に添えられた。
優しくて、迷いのない動き。そして、私だけに向けられた微笑み。
「……やっと、君と踊れた」
その声音が、甘くて胸がくすぐったい。
「そうでしたか?」
少しだけ意地悪に返すと、
「だって」
彼は声を落とし、距離をさらに近づける。
「王妃教育の時は、君はすぐレイのところへ行ってしまっただろう」
「あー……」
苦笑しながらも、どこか嬉しい。
「仕方ないじゃないですか。ローゼがいましたし」
「だからこそ、だ」
真面目な顔で言われて、思わず息をのむ。
「かなり、妬いた」
「……そうなんですか?」
「ああ」
迷いなく頷く。
「みんな、君が綺麗だから見ている」
「違いますよ」
くるりとステップを踏みながら、そっと囁く。
「ディランを見ているんです」
「いや」
彼は少しだけ口元を歪めた。
「俺に向けられているのは、殺意だな」
「殺意?」
「ひしひしと、感じる」
そう言って視線を逸らす。つられてそちらを見ると――
……テオ。完全に、睨んでいる。思わず笑いがこぼれた。
「ふふ……」
「ほらな」
ディランが、どこか満足そうに言う。その瞬間、指先がきゅっと絡められた。ほんの少し強く。離さないと言うように。その温度が、胸の奥まで甘く染みていく。
「……このまま、君の手を離したくない」
ディランの声は、音楽に溶けるほど低くて、甘かった。
「なんだか、子どもみたいですね」
くすっと笑って返すと、
「それでもいい」
迷いのない、真っ直ぐな声。
「このままずっと、君とこうしていたい」
「ずっと踊るのは、さすがにきついです」
そう言うと、彼は小さく息を吐いた。
「……そういう意味じゃない」
わかってる。でも、言葉にしないと胸が熱くなりすぎてしまう。一拍、間を置いて。
「ディラン……」
視線を合わせる。
「アラン殿下とは、話しましたか?」
「……今、兄上の話をするのか」
少しだけ苦笑が混じる。
「終わったら」
指先が、ほんの一瞬だけ強く絡む。
「ちゃんと、向き合ってくださいね」
「……わかった」
短く、でも確かな返事。音楽に合わせて、私はターンする。
スカートがふわりと広がり、光を受けて揺れた。再び向き合った瞬間。
「ティアナ……」
その声には、飾りがなかった。
「無事で、戻ってきてくれ」
「もちろん」
そう言って微笑む。その笑みは、自分でも驚くほど自然だった。手が離れる、その瞬間——ディランが迷わず私を引き寄せた。そして、額に優しいキスが落ちる。周囲から、特に令嬢たちの悲鳴が上がった。
「ティアナ、愛してる。
行っておいで」
名残惜しそうに私を見つめるディランの手を、私はそっと離す。離した瞬間、指先に残る温もりが、胸の奥をきゅっと締めつけた。
――戻る。必ず。
その誓いだけを心に刻み、私は彼から一歩、踏み出した。




