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夜明けが世界を染めるころ、 悪意の見える伯爵令嬢は王子の執着から逃れられない  作者: 舞響
第五部

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約束

王国創立記念式典パーティーまで、あと3日。騎士団合宿も、気づけば折り返しだ。当日の動き、もっと詰めないと。

潜入ルート。警備の配置。万一の撤退経路。ディランへの共有事項――。そんなことを考えていた、その瞬間。背後から、ふわりと腕が回された。


「……っ」


「やあ、ティアナ」


低くて、耳に触れるほど近い声。続くように、くすっと笑う。


「――いや、今は“ソラ”だったな」


(ば、ばれてる……)


「まさか男装で来るとは思わなかったよ」


「えっと……い、いつから気づいてたんですか?」


恐る恐る尋ねると、


「剣を交えた時かな」


「わりと、すぐですね!?」


思わず声が裏返る。ディランは楽しそうに目を細めた。


「分かるさ。君のことは――ずっと見てる」


「へ、へえ……」


胸の奥が、熱く跳ねる。そして、さらに距離が縮まった。耳元に落ちる、甘い囁き。


「それに……そろそろ、足りなくなってきただろう?」


「……な、何がです?」


一瞬の沈黙。ディランはわざとらしく首を傾げてから、微笑む。


「俺、に決まってる」


「……っ」


言葉が出ない私を見て、彼は満足そうに目を細めた。


「無理してる顔、してるぞ。……会いたかったんだろ?」


(……ばれてるのは、正体だけじゃない)

逃げ場のない距離で、私は小さく息を呑んだ。


「それにしても……声まで変えてくるとは」


感心したように、ディランが小さく息を吐く。


「兄上から借りたのかい?」


視線が、そっと首元へ落ちる。隠すようにつけていたチョーカーに、指先が触れ――つう……と、なぞられた。


「っ……」


くすぐったさと、妙な熱が走る。反射的に肩が跳ねた。


「まあ……」


曖昧に返すと、


「まったく。油断も隙もないな」


呆れたようで、どこか楽しげな声音。その響きが、胸の奥をくすぐる。


「……」


言い返せずに黙り込む私を見て、ディランは一拍置いてから、


「さて」


と、空気を柔らかく切り替えた。


「お茶に付き合ってくれないか?」


「い、いえ。そんなことをしている場合では――」


任務。潜入。時間。言いかけた瞬間、


「多少の息抜きをしないと」


まっすぐな視線が、逃げ道を塞ぐ。


「判断力も、集中力も落ちる」


「……」


「それに」


声が、少しだけ低く甘くなる。


「君は今、一人で抱え込みすぎだ」


図星すぎて、胸がきゅっとなる。


「短時間でいい。俺と話すだけでいいから」


優しいのに、拒めない誘い方。まるで、手のひらで包み込まれているみたいだ。……ずるい。


「……少しだけ、ですよ」


そう答えた瞬間、ディランはふっと目元を緩めた。


「十分だ」


その笑みがあまりに嬉しそうで、――ああ、この人、本当に最初から逃がす気なんてなかったんだ。そう思わされるほど、甘くて、近い。ディランに促され、部屋へ入る。扉が閉まった瞬間、そっと腕を引かれ――気づけば、ソファに並んで座らされていた。


「ち、近くないですかね」


思わず身を引こうとすると、


「そう?」


ディランは悪びれもせず、首を傾げる。


「君の声が、ちゃんと聞きたくて」


そう言いながら、指先が首元へ伸びる。チョーカーの留め具に触れ、す、と外された。


「……っ」


ひやりとした空気が喉に触れ、思わず息が詰まる。


「キスしたいが……」


一瞬だけ、間を置いて。


「男装だと、違和感あるかな」


「い、今はしないですよ!」


慌てて否定すると、


「関係ないか」


ふっと柔らかく笑う。


「君は、君だ」


その言葉とともに、手が伸びてくる。


「いやいや、待って!」


慌てて制止すると、


「安心しろ。今回は無理矢理じゃない」


落ち着いた声で、さらりと言う。


「してほしそうな顔をしてただけだ」


「してません!」


「本当に?」


「ほ、ほんとです!」


じっと見つめられながら言い切ると、


「……そっか」


ディランは少しだけ残念そうに息を吐いた。


「それは、残念だな」


ほっとした――その瞬間。


「ちゅ」


頬に、軽い感触。


「――なっ、何するんですか!」


「頬ならいいかと思って」


「よくないです!」


即答すると、ディランは肩を揺らして笑った。


「相変わらずだな」


からかうようでいて、どこか優しい目。そして、ふっと声が落ち着く。


「でも……こうして君に触れると安心する」


その言葉は、甘さよりも温度があった。胸の奥が、じんわりと熱くなる。


「スーザ、ローゼ…刺客の件だが……」


ディランは、静かに切り出した。


「スーザとローゼには、国外への静養命令を出す。

 二度と、王都の政治には関わらせない」


淡々としているのに、迷いのない声。


「もちろん、婚約者候補からも外す」


胸の奥で張りつめていたものが、少しだけ緩む。


「そして、刺客については――」


短い沈黙。


「処刑はしない」


その言葉に、思わず息を呑んだ。


「だが、身分を剥奪する。

 以後、王国で剣を取ることを禁ずる。

 監視付きで、生かす」


はっきりとした線引き。厳しいけれど、命までは奪わない。その判断に、胸がすっと軽くなる。


「……ありがとうございます」


自然と、そう口にしていた。ディランは、静かに首を振る。


「礼を言われることじゃない。

 この処遇を決めたのは――レオだ」


「……レオが?」


「ああ」


ふっと口元が緩む。


「“お嬢さんだったら、きっとこう言います”ってな。良い庭師……じゃないな」


くすっと笑って、


「料理人だ」


その言い方が妙に可笑しくて、思わず笑ってしまう。


「ふふ……確かに」


誰かを切り捨てるだけじゃない。誰かの心を、ちゃんと考えた判断。…私の周り、ほんと頼もしい。そんな私を見て、ディランは穏やかな目をしていた。


「君が望む未来を、少しでも守れるなら……それでいい」


その言葉は、静かで、まっすぐで。胸の奥に、深く沈んでいく。


「式典当日の話だ」


ディランは、わずかに姿勢を正した。その仕草だけで、空気が引き締まる。


「パーティーでは――君と、踊る」


「……」


胸が一瞬、止まる。


「公式の場だ。

 王子として、そして婚約者として」


視線が逸れない。まっすぐで、揺るぎない。


「誰の目にも、君が俺の隣だと分かるように」


胸の奥が、静かに熱を帯びる。


「……注目、集まりますよ?」


「望むところだ」


迷いのない即答。


「そのあとだ」


声が、わずかに低くなる。


「曲が終わり、拍手が起きたその隙に――君は姿を消せ」


「はい」


「俺は陛下の目があって、公には動けない。

 だが俺が引き留める。

 警備も、視線も、全部こちらに集める」


頭の中で、動線が自然と組み上がっていく。


「……その間に、地下へ」


「そうだ」


短く、力強く頷く。


「危険な役回りだ。

 それでもやるか?」


その問いは、試すためじゃない。ただ、私の覚悟を確かめるためのもの。私は迷わず答えた。


「やります」


ディランは、ふっと息を吐いて笑った。


「やはり、君だな」


そして、ほんの少しだけ距離を詰めて。


「約束だ。パーティーでは、俺の手を取れ。そして――」


声が落ちる。触れたら壊れそうなほど、静かに。


「必ず、生きて戻れ」


「……はい」


その返事に、ディランの目がわずかに柔らかくなる。


「終わったら」


一瞬、感情が滲む。


「また、踊ろう」


任務のためのダンス。そして、生き延びた証のダンス。その約束が、胸の奥に深く刻まれた。

――この人となら。どんな未来でも、きっと戦っていける。

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