約束
王国創立記念式典パーティーまで、あと3日。騎士団合宿も、気づけば折り返しだ。当日の動き、もっと詰めないと。
潜入ルート。警備の配置。万一の撤退経路。ディランへの共有事項――。そんなことを考えていた、その瞬間。背後から、ふわりと腕が回された。
「……っ」
「やあ、ティアナ」
低くて、耳に触れるほど近い声。続くように、くすっと笑う。
「――いや、今は“ソラ”だったな」
(ば、ばれてる……)
「まさか男装で来るとは思わなかったよ」
「えっと……い、いつから気づいてたんですか?」
恐る恐る尋ねると、
「剣を交えた時かな」
「わりと、すぐですね!?」
思わず声が裏返る。ディランは楽しそうに目を細めた。
「分かるさ。君のことは――ずっと見てる」
「へ、へえ……」
胸の奥が、熱く跳ねる。そして、さらに距離が縮まった。耳元に落ちる、甘い囁き。
「それに……そろそろ、足りなくなってきただろう?」
「……な、何がです?」
一瞬の沈黙。ディランはわざとらしく首を傾げてから、微笑む。
「俺、に決まってる」
「……っ」
言葉が出ない私を見て、彼は満足そうに目を細めた。
「無理してる顔、してるぞ。……会いたかったんだろ?」
(……ばれてるのは、正体だけじゃない)
逃げ場のない距離で、私は小さく息を呑んだ。
「それにしても……声まで変えてくるとは」
感心したように、ディランが小さく息を吐く。
「兄上から借りたのかい?」
視線が、そっと首元へ落ちる。隠すようにつけていたチョーカーに、指先が触れ――つう……と、なぞられた。
「っ……」
くすぐったさと、妙な熱が走る。反射的に肩が跳ねた。
「まあ……」
曖昧に返すと、
「まったく。油断も隙もないな」
呆れたようで、どこか楽しげな声音。その響きが、胸の奥をくすぐる。
「……」
言い返せずに黙り込む私を見て、ディランは一拍置いてから、
「さて」
と、空気を柔らかく切り替えた。
「お茶に付き合ってくれないか?」
「い、いえ。そんなことをしている場合では――」
任務。潜入。時間。言いかけた瞬間、
「多少の息抜きをしないと」
まっすぐな視線が、逃げ道を塞ぐ。
「判断力も、集中力も落ちる」
「……」
「それに」
声が、少しだけ低く甘くなる。
「君は今、一人で抱え込みすぎだ」
図星すぎて、胸がきゅっとなる。
「短時間でいい。俺と話すだけでいいから」
優しいのに、拒めない誘い方。まるで、手のひらで包み込まれているみたいだ。……ずるい。
「……少しだけ、ですよ」
そう答えた瞬間、ディランはふっと目元を緩めた。
「十分だ」
その笑みがあまりに嬉しそうで、――ああ、この人、本当に最初から逃がす気なんてなかったんだ。そう思わされるほど、甘くて、近い。ディランに促され、部屋へ入る。扉が閉まった瞬間、そっと腕を引かれ――気づけば、ソファに並んで座らされていた。
「ち、近くないですかね」
思わず身を引こうとすると、
「そう?」
ディランは悪びれもせず、首を傾げる。
「君の声が、ちゃんと聞きたくて」
そう言いながら、指先が首元へ伸びる。チョーカーの留め具に触れ、す、と外された。
「……っ」
ひやりとした空気が喉に触れ、思わず息が詰まる。
「キスしたいが……」
一瞬だけ、間を置いて。
「男装だと、違和感あるかな」
「い、今はしないですよ!」
慌てて否定すると、
「関係ないか」
ふっと柔らかく笑う。
「君は、君だ」
その言葉とともに、手が伸びてくる。
「いやいや、待って!」
慌てて制止すると、
「安心しろ。今回は無理矢理じゃない」
落ち着いた声で、さらりと言う。
「してほしそうな顔をしてただけだ」
「してません!」
「本当に?」
「ほ、ほんとです!」
じっと見つめられながら言い切ると、
「……そっか」
ディランは少しだけ残念そうに息を吐いた。
「それは、残念だな」
ほっとした――その瞬間。
「ちゅ」
頬に、軽い感触。
「――なっ、何するんですか!」
「頬ならいいかと思って」
「よくないです!」
即答すると、ディランは肩を揺らして笑った。
「相変わらずだな」
からかうようでいて、どこか優しい目。そして、ふっと声が落ち着く。
「でも……こうして君に触れると安心する」
その言葉は、甘さよりも温度があった。胸の奥が、じんわりと熱くなる。
「スーザ、ローゼ…刺客の件だが……」
ディランは、静かに切り出した。
「スーザとローゼには、国外への静養命令を出す。
二度と、王都の政治には関わらせない」
淡々としているのに、迷いのない声。
「もちろん、婚約者候補からも外す」
胸の奥で張りつめていたものが、少しだけ緩む。
「そして、刺客については――」
短い沈黙。
「処刑はしない」
その言葉に、思わず息を呑んだ。
「だが、身分を剥奪する。
以後、王国で剣を取ることを禁ずる。
監視付きで、生かす」
はっきりとした線引き。厳しいけれど、命までは奪わない。その判断に、胸がすっと軽くなる。
「……ありがとうございます」
自然と、そう口にしていた。ディランは、静かに首を振る。
「礼を言われることじゃない。
この処遇を決めたのは――レオだ」
「……レオが?」
「ああ」
ふっと口元が緩む。
「“お嬢さんだったら、きっとこう言います”ってな。良い庭師……じゃないな」
くすっと笑って、
「料理人だ」
その言い方が妙に可笑しくて、思わず笑ってしまう。
「ふふ……確かに」
誰かを切り捨てるだけじゃない。誰かの心を、ちゃんと考えた判断。…私の周り、ほんと頼もしい。そんな私を見て、ディランは穏やかな目をしていた。
「君が望む未来を、少しでも守れるなら……それでいい」
その言葉は、静かで、まっすぐで。胸の奥に、深く沈んでいく。
「式典当日の話だ」
ディランは、わずかに姿勢を正した。その仕草だけで、空気が引き締まる。
「パーティーでは――君と、踊る」
「……」
胸が一瞬、止まる。
「公式の場だ。
王子として、そして婚約者として」
視線が逸れない。まっすぐで、揺るぎない。
「誰の目にも、君が俺の隣だと分かるように」
胸の奥が、静かに熱を帯びる。
「……注目、集まりますよ?」
「望むところだ」
迷いのない即答。
「そのあとだ」
声が、わずかに低くなる。
「曲が終わり、拍手が起きたその隙に――君は姿を消せ」
「はい」
「俺は陛下の目があって、公には動けない。
だが俺が引き留める。
警備も、視線も、全部こちらに集める」
頭の中で、動線が自然と組み上がっていく。
「……その間に、地下へ」
「そうだ」
短く、力強く頷く。
「危険な役回りだ。
それでもやるか?」
その問いは、試すためじゃない。ただ、私の覚悟を確かめるためのもの。私は迷わず答えた。
「やります」
ディランは、ふっと息を吐いて笑った。
「やはり、君だな」
そして、ほんの少しだけ距離を詰めて。
「約束だ。パーティーでは、俺の手を取れ。そして――」
声が落ちる。触れたら壊れそうなほど、静かに。
「必ず、生きて戻れ」
「……はい」
その返事に、ディランの目がわずかに柔らかくなる。
「終わったら」
一瞬、感情が滲む。
「また、踊ろう」
任務のためのダンス。そして、生き延びた証のダンス。その約束が、胸の奥に深く刻まれた。
――この人となら。どんな未来でも、きっと戦っていける。




