救世主6
孤児院でのボランティアが落ちつき窓から夕焼けが差す。静かすぎるほど穏やかだった。ちらほらと片付けが始める。
そういえばセナどこ行ったのかな…
私は、パンを頬張る子どもたちの様子を横目で見る。
「トワ」
そう声をかけるとこちらに駆け寄ってきた。
「お姉様」
「これもみんなで食べて。余ったクッキーだよ」
「ありがとうございます」
穏やかに笑う。
「今日はありがとう。
トワのおかげで良いボランティアになったよ」
一瞬キョトンとしたトワがすぐ微笑みを作る。
「それはお姉様のおかげでしょ?」
「え?」
返ってくると思った回答と違うので少し驚く。
「整理券を配布したのは正解ですね。」
「どうして、そう思うの?」
問いかけると、トワは一瞬だけ考える素振りを見せたあと、淡々と答えた。
「午前と午後で人の流れが分散しましたし、
待ち時間が読めるから不満が出にくいです。
それに――」
そこで、言葉がぴたりと止まる。
「それに?」
促すと、トワは小さく肩をすくめた。
「……感情が荒れにくいです」
その言葉に、胸の奥がざわついた。
「感情、って?」
「並ぶ時間が長いと、不安や苛立ちが溜まります。
空腹だと、なおさら。
でも整理券があれば、“待てばもらえる”ってわかるから」
まるで、人の心理を一段上から眺めているような言い方だった。
「トワ……よくわかるのね」
そう返すと、トワは小さく首を傾げる。
「いつも、こういうのを見てしまうんです。
どうして上手くいくのか、とか。
どうして失敗するのか、とか」
その言い方は、まるで――
“経験したことがある”人間の口ぶりだった。
「でも」
トワは、ぎゅっと自分の服の裾を握る。
「ここでは、失敗しても怒られないから」
その言葉に、胸がちくりと痛んだ。
「失敗は悪いことじゃないわ。
むしろ、次に繋がる大事なことよ」
そう言うと、トワはじっと私を見つめた。
――じっと、探るように。
「……お姉様はそう言い切れるんですね」
「ええ」
「壊してしまっても?」
一瞬、空気が止まる。
その一瞬、トワの表情がほんのわずかに変わった気がした。
幼さが引き、別の“何か”が覗いたような。
「……壊して?」
聞き返した私に、トワははっとしたように目を見開いた。
「あ……ごめんなさい。
今の、変でしたよね」
慌てて取り繕うように、いつもの少年の表情に戻る。
「ううん。大丈夫」
そう答えながらも、私は心の中で引っかかっていた。
――壊す、という言葉。
――そして、その言い方。
ふと宝石の光が強まる嫌な気配を感じた。
周囲の様子を伺う。
どこだ?
黒いモヤが見える。見つけた!
ぬいぐるみから出てる?
ぬいぐるみを持つミヤの呼吸が浅くなり、視線が揺れた。
「わたし……いらない……?」
その瞬間、空気が歪んだ。
不安と自己否定が、宝石を媒介に膨れ上がり、感情が暴走しかける。
「トワ下がって」
トワを自分の背後に隠れさせる。
「ミヤ!」
私は駆け寄り、ミヤの前に膝をついた。黒いモヤが私を遠ざけようとピリピリとした刺激を与える。
剣に手をかける寸前で、静かに息を整えた。
剣はダメだ。ここには子供達もいる、力を使うには人が多すぎる。
巻き込めない。
それにミヤと宝石が近すぎる、これでは万が一剣が逸れたりしたら大惨事になってしまう。
エマの時みたいに、宝石を引き剥がすのは難しそうだ。
騎士団達が様子を聞きつけて何人か集まってきた。
「お嬢様!」
テオが剣を抜いてこっちにやってこようとするのが見える。
「ダメ、テオ来ないで」
ピシャリと言い放つ私にテオがピタリと止まる。
後ろからアレンとロベルトも剣をもって参戦しょうとする姿が見え、それをテオがさっと止める。
それを確認してから私はミヤに目を向ける。
「顔を上げて。私を見て」
ミヤの瞳は涙で揺れていた。
「……わたし、捨てられたんだよ……」
捨てられた?
確かに孤児院に来る理由は様々だ。
だけどミヤの経歴を思い出す。
「それは、嘘よ」
はっきりと、否定する。
「ミヤ。あなたの両親は、事故で亡くなった。
不幸な、どうしようもない事故だった」
ミヤの目が見開かれる。
「……うそ……わたしなんていらない」
「本当よ。誰も、あなたをいらないなんて言っていない」
宝石の光が、一瞬揺らぐ。
私は続けた。
「この世界にはどうしょうもできないことだってあるの。
みんなに等しく優しい世界ではないの」
ミヤは唇を噛みしめる。
「でもね…残された者は、選べる。
不幸に飲み込まれるか、強く、正しく生きようとするか」
剣の宝石が淡く輝く。
抜かずとも、その波動がミヤのぬいぐるみの宝石と対話しているような気がする。
「あなたは、いらない子じゃない。
ここに生きている、それだけで意味がある」
ミヤの呼吸が、少しずつ落ち着いていく。
だけどまだ…足りない
思い出せ。
埃の匂いがする古い書庫。
古書店でディラン殿下が勧めてくれた一冊の本。
「浄化とは、断つことではない。
同質の宝石は、刃を介さずとも響き合い、
心の歪みを正しい位置へ戻す」
(……共鳴)
読んだだけだ。
実際にやったことは、一度もない。
失敗すれば、どうなるか分からない。
それでも――。
私は剣の柄を強く握りしめたまま、抜かなかった。
代わりに、柄の中央に埋め込まれた宝石に、そっと指先を当てる。
ラピスラズリ…どうか 私に力を。
ひやり、とした感触。
まるで深い水に指を沈めたような静けさ。
「……落ち着いて。ミヤ」
声を低く、ゆっくりと。
目を閉じ、自分の呼吸に意識を向ける。
息を吸い、吐くたびに、剣の宝石の奥にある「澄んだ感覚」を探す。
(力を出すんじゃない……
合わせる)
「蒼き想いよ、応えて――ラピスラズリ」
宝石は、いつもなら静まり返っている。
だが今、微かに――本当に微かに、温度が変わった。
次の瞬間。
ミヤのぬいぐるみの宝石が、びくりと震えた。
黒いモヤが紫の濁った光に変わり糸のように伸びる。
空間を越え、私の剣の宝石へと触れようとする。
「……っ」
反射的に、指が震えた。
(来る……!)
だが、拒まない。
押し返さない。
ただ、受け止める。
剣の宝石が、淡い白光を帯びる。
眩しさではない。
月明かりのような、静かな光。
二つの宝石が触れ合った瞬間、
空気が、音もなく揺れた。
――共鳴。
高い音でも、衝撃でもない。
心の奥で、かちりと歪みがはまる感覚。
紫の光が、波打つように乱れ、
白い光がそれに寄り添うように重なる。
「……っ、苦しい……」
ミヤの声が震える。
私は、歯を食いしばった。
(今、離したらだめ……!)
宝石同士の光が、絡まり合い、ほどけていく。
濁りは、無理やり消されるのではなく、薄く引き延ばされ、形を失っていく。
まるで、固く結ばれていた結び目を、
一本一本、丁寧にほどくように。
剣の宝石が、かすかに熱を帯びる。
初めて感じる感覚だった。
(これが……本に書いてあった……)
共鳴は、次第に安定していく。
紫は淡く、やがて透明に近い光へと変わった。
ミヤの呼吸が、ゆっくりになる。
「……あれ……?」
熊のぬいぐるみの宝石は、もう暴れていなかった。
ただ、静かに、優しく光っている。
私はようやく指を離した。
掌には、じんわりとした余熱が残っている。
――できた。
はじめての実践。
完璧ではない。
けれど、確かに、剣を抜かずに、心に触れられた。
私は小さく息を吐き、ミヤに微笑んだ。
「大丈夫。ちゃんと、戻ってきた」
ミヤの呼吸が、少しずつ落ち着いていく。
「……こわかった……」
「うん。怖かったね。
ミヤ忘れないで。貴方は一人じゃない」
ミヤを抱きしめながら
宝石は完全に静まり、ただの温かな光を残した。




