仲直り 1
ディラン、意外と早い。足が長いからだろうか。そんなことを考えてしまう自分が情けない。
「で、ディラン!!」
思いきって声を張り上げると、その背中がピタリと止まった。……お、追いついた。
追いついた、けど――私は、なにを話すんだ?なにを言えばいいの?頭の中で、ルイとの会話がぐるぐる回る。
――ちゅーとぎゅーすればいいのよ。
いやいやいや、それは違う。絶対違う。
「あ、あの……」
喉がひっかかる。胸がぎゅっと縮む。
「で、ディラン……」
もう一度、名前を呼ぶ。……でも。
止まったままの背中は、それでも振り向いてはくれなかった。
「今は……俺とは、話したくないだろ?」
振り向かないままの声。
低くて静かで――それなのに、胸の奥に刺さるほど寂しさが滲んでいた。
……拗ねてる?それとも、怒ってる?
どちらにしても、このまま背中を見送るなんてできない。
私は一瞬ためらってから、そっとディランの服の裾をつかんだ。その瞬間、ディランの体がわずかに強張る。あ、やっぱり。
「ねぇ、こっち向いて」
「……いまは、無理だ」
その一言で、胸がぎゅっと縮む。
「なんでよ。心配して、来てくれたんでしょ?」
責めたいわけじゃない。ただ、確かめたかった。
私のことを、ちゃんと見てくれているのかを。
「それは……そうだが……」
「ねぇ……」
考えるより先に、声が出た。
「仲直り、しよ」
ただ素直な気持ちが、ぽつりと零れた。
「喧嘩をしたつもりはないんだが……」
少し間を置いて、ディランが続ける。
「……でも、そうだな。俺が悪かった。あんなこと、二度としない」
「……わかった」
胸の奥の固さが、すっとほどけていく。
「私も、何も言わずにアラン殿下と出かけてごめんね」
「ああ。……心配した」
その一言が、嬉しくて。
「うん」
小さく頷いた。
「ねぇ。まだ、こっち向かないの?」
「……」
……ほんと、頑固。
しょうがない。ちょっとだけ、ずるをしよう。私は、ディランの服をつかんでいた手をそっと離した。
「わっ! 足が……!」
大げさに声を上げ、その場にしゃがみこむ。
「えっ!?」
慌てた声と同時に、ディランが勢いよく振り向き、私の目の前にしゃがみこんだ。
「どうした!? やっぱりどこか怪我でもしてるのか!」
心配でいっぱいの顔が、すぐそこにある。その距離に、胸が少しだけ痛くなる。
――今だ。
私はディランの襟を、ぐっと引き寄せた。
ちゅっ。触れたのはほんの一瞬。でも、世界が止まったみたいだった。
「これで、おあいこね」
そう言って笑うと、ディランは固まったまま両手で顔を覆った。
耳まで真っ赤。
「……ほんと、きみは……」
指の隙間から漏れる、かすれた声。
「……ずるいな……」
その瞬間、手を引かれた。
驚く間もなく、強く――でも乱暴じゃない力で抱き寄せられる。胸に閉じ込められて、息が詰まりそうなほど近い。
……近い。鼓動が、触れそう。あったかくてずっと欲しかった温もりだった。
「デ、ディラン……?」
腕に込められる力が、ほんの少し強くなる。
「心配してた……ずっと」
耳元に落ちる声は、震えるほど真剣で、胸の奥が熱くなる。
「はい」
返事をすると、ディランは息を吸い込むように続けた。
「こんなことになるのなら……王妃教育の場になんて連れ出さなければ良かった」
「それは仕方ないですよ」
「それでも、だ。君を危険に晒した」
ディランの声が、耳に、胸に、深く響く。
「平気ですよ。確かに王妃教育は大変でしたけど……」
言葉が自然とこぼれた。
「でも、ディランと授業をサボって散歩したのも、侍女になりすまして、まんまと見つかったのも……なんか、ちょっと楽しかったです」
素直な気持ちが、あふれ出る。
「こんな醜い嫉妬も、弱さも……君に見せたくなんてなかった」
その声は、触れたら壊れそうなほど弱い。いつもの余裕のある彼とは違う。
「いいじゃないですか」
私はそっと微笑む。
「私は、完璧な王子より……弱さも、狡さも、嫉妬もある、いまのディランが好きですよ?」
ディランの肩が、わずかに震えた。
「君は本当に……カッコつけさせてくれないな」
そう言いながら、さらに腕に力がこもる。
「ディラン?」
「……もう少しだけ」
耳元に落ちる声は、低くて、熱くて、どうしようもなく甘い。
「……はい」
小さく答えると、私もそっと抱き返した。
そのとき――はらり、と白いものが頬に触れる。
「……雪だ」
見上げると、静かに降り始めていた。
「ですね」
吐く息が白く揺れる。
「さすがに……冷えるな」
名残惜しそうに腕がほどかれる。
「……中、行きましょうか」
そう言って、ディランは私の手を取った。
今度は、離さないように。指を絡めたまま、ふたり並んで歩き出す。
雪の中、手の温もりだけがやけに鮮明で――
胸の奥が、じんわりと甘く満たされていった。




