悪意 2
私は一歩、前に出た。
「ティアナ嬢!?」
背後で、震えた声が上がる。止めようとする声だと分かっていても、もう耳には届かない。胸の奥で、何かが静かに燃える。――息を吸う。
「蒼き風よ、導け。ラピスラズリ」
短剣が、魔力に応じて軋むような音を立てる。
刃が蒼い風をまとい、伸び、鋭く、長剣へと変わる。
迷いは、欠片もない。踏み込む。
狼型の魔宝獣の額―核となる宝石を、一直線に貫く。
――砕けた。
魔力が暴走し、獣の身体が霧のように崩れ落ちる。
その残滓が肌に触れた瞬間、冷たい悪意が散った。
「……っ!」
だが、その刹那。
背後。嫌な気配が、重なる悲鳴とともに膨れ上がる。
「きゃあっ!」
振り向いた視界に、影が次々と滲み出る。
垣根の奥、植え込みの陰―2体、3体……いや、もっと。
――増えている。喉の奥が、ひりつく。
私は即座に位置を変え、令嬢たちの前に立つ。
「下がって!」
蒼い刃を振るい、一体の喉元を裂く。だが、横からもう一体が飛びかかる。
回避。
「っ……!」
足が滑りかける。背後には、怯えきった令嬢たちの気配。
――庇いながらの戦闘。正直、きつい。
一体を斬れば、別の方向から牙が迫る。
狙いは、私ではない。弱いところ。逃げ遅れたローゼ。
「させない!」
踏み込み、蒼風を刃に乗せて横薙ぎに払う。
風圧だけで、獣が吹き飛ぶ。
だが、息が上がる。魔力の消費が早い。
それに――完成度が高い。動きが洗練されている。私の癖を、見ている。
―上からの視線が、まだ消えない。
これは、試されている。どこまで守れるか。どこで折れるか。歯を食いしばり、剣を構え直す。私は、退かない。
「お嬢さま!!」
叫びと同時に、テオの気配が背後に重なる。
その存在だけで、背中にあった緊張が一瞬だけ緩む。
「テオ!」
「なんなの、これ」
「多分、陛下」
背中を合わせ、声を落とす。互いの呼吸が、戦場の中心で静かに重なる。
「あのたぬきジジイか」
テオが低く吐き捨てる。怒りではなく、冷えた軽蔑。
その声音が、逆に恐ろしい。
「テオ、共鳴を使う」
「いいの?」
「たぶん陛下は、それを確認しようとしている。
だったら――見せてあげる」
「なるほどね」
獣の咆哮が近づく。空気が震え、地面がわずかに軋む。
「どうせ、ここでやらなければ全員やられる」
「わかった」
その瞬間、空気が変わった。
「蒼き想いよ 応えて ラピスラズリ」
「紅く 鋭く 我が想いに応えよ スピネル」
――共鳴。蒼と紅。
二つの光がぶつかるのではなく、絡み合い、溶け合い、ひとつの“意思”を形作る。
風に熱が混じり、刃に脈動が宿る。
まるで、世界そのものが色を変えたようだった。
「来る!」
正面から魔宝獣が跳躍する。私は踏み込み、蒼い刃を横に振る。
「蒼き風よ――裂け!」
斬撃は獣を吹き飛ばす“壁”となり、その反動で体勢が揺らいだ瞬間――
「今」
テオが私の影を踏み、背後へ滑り込む。
「紅く鋭く――穿て、スピネル」
紅い拘束が獣の四肢を縛り、次の瞬間、魔宝石だけを正確に貫いた。
断末魔はない。崩れ落ちる音だけが、冷たく響く。
だが終わりではない。
左右から、同時に2体。
私は前に出て、あえて大きく魔力を放つ。
蒼い風が渦を巻き、視界を奪う。
――囮。
「右、任せたよ」
「了解」
背後から、風を切る音。
テオが完全に気配を消し、一体の背後へ回り込む。
拘束。断絶。
私は残る一体へ踏み込み、至近距離で刃を突き立てる。
魔宝石が砕け、獣が霧散する。
全て倒した。
一瞬の静寂。令嬢たちの息を呑む音が、遅れて届く。
……視線。上だ。
ベランダから、すべてを見下ろす目。
私は刃を下ろさず、あえてその視線に応える。見せたわ。この力は、あなたの“管理下”に収まるものじゃない。
背後で、テオが低く笑う。
「……いい顔してるよ、お嬢さま」
戦いは、まだ終わっていなかった。
「完全に目をつけられたね、お嬢様」
「……ほんとにね」
私はゆっくりと剣を下ろす。テオも同じように刃を収めた。
砕けた魔宝獣の残滓が、風にさらわれて消えていく。
蒼と紅の残光だけが、まだ空気に揺れていた。
周囲を見渡すと、令嬢たちは青ざめ、声も出せずに震えている。教育係は胸を押さえ、崩れ落ちそうな足を必死に支えていた。
ほどなくして、騎士たちが駆けつける。――だが、遅い。
最初から、“間に合うかどうか”など問題ではなかったのだろう。
ディランがいない、この絶妙なタイミングで。上から感じていた視線は、いつの間にか消えていた。
……逃げたわね。
確認は済んだ。あとは、どう扱うかを決めるだけ。
「ティアナ様……」
ミラが震える声で私の名を呼ぶ。私は振り返り、静かに微笑んだ。
「大丈夫です。もう終わりましたから」
その声は、自分でも驚くほど落ち着いていた。
◇
その日のうちに通達が出た。
『王妃教育、危険事案発生につき一時終了とする。』
「一時」そう書かれてはいたけれど。
これは事実上の、打ち切りだ。
これは配慮でも、善意でもない。
“これ以上、表で動かれると困る”そう告げられているのと同じだ。
テオが隣で肩をすくめる。
「ずいぶん早いお開きだね」
「ええ」
私は空を見上げた。
静かな青。何事もなかったかのような、穏やかな午後。
けれど確実に―盤上の駒は、動き始めている。
「さて……」
小さく息を吐く。
「次は、こちらの番かな」
遠く離れた屋敷にいる仲間たちの顔が浮かぶ。
――早く、帰ろう。嵐はもう、始まっているのだから。
第4部 完
第4部完となります。第5部に続きます。ティアナとディランの行末を最後まで見届けていただけたら幸いです。 舞響




