ディランの兄 3
……なぜ、こうなったのだろう。
気づけば目の前には紅茶とケーキが並び、アラン殿下は腕を組んで真剣な顔でこちらを見つめていた。
「さあ、ティアナ嬢。弟の好きなものを教えてくれ。プレゼントしたい」
「……あの。そういうことではない気がするのですが」
「いや、今さらだ」
即答だった。
「あれは違うんだ、などと言えるか? あいつは信じない。だいぶ、捻くれているからな」
(……それ、誰のせいでしょう)
喉まで出かかった言葉を飲み込む。
「……わかりました」
観念して答えると、アラン殿下はぱっと表情を明るくした。
「助かる」
その切り替えの早さに、思わず呆れる。
「ところで、ティアナ嬢。君の王妃教育は、いつまでだ?」
「あと……2週間ほどでしょうか」
「そうか」
何かを考えるように顎に手を当てる。
「退屈だろう?」
「ええ」
即答。
「発狂したくなるほどに」
一瞬の静寂。そして、アラン殿下が吹き出した。
「ははっ、正直だな」
その笑いは、王族の仮面を外した、素のものだった。
「なら、丁度いい」
意味深な言い方に、背中を嫌な予感が駆け上がる。
「……何が、でしょうか?」
アラン殿下は、まるで重大な決断を下すように真剣な顔で言った。
「君には、少し付き合ってもらうことになるかもしれん」
――ほら来た。
(……絶対に面倒なやつだ)
胸の奥で、確信だけが静かに積もっていく。
◇
――視察という名目の、プレゼント選び。
そんな口実で街へ出た日のこと。
「これが終わったら……次は王国創立式典だな」
アラン殿下が、何気ない調子で言った。
そういえば、王妃教育の合間にそんな話を聞いたような気がする。
「……式典では、何をするんですか?」
「各地に派遣している王国騎士団員を集めてな。一週間ほど合同で訓練を行う、いわば、合同合宿みたいなものだ」
なるほど、と頷く。
「多分、伯爵家にも通達が行っているはずだ」
……合同合宿。その言葉が、胸の奥で小さく引っかかった。
「それって……色々な人が出入りしますよね?」
探るように尋ねると、アラン殿下は特に疑いもせず頷いた。
「ああ。今年は区切りの良い年でな。例年よりもかなり盛大にやる。騎士だけじゃない。使用人や補助要員も増える。
その分、警備も厚くなるがな」
……なるほど。
人の出入りが多い。役職も立場も様々。顔を覚えきれないほどの人数。それはつまり――紛れ込む余地があるということ。これは……ジョルジュ陛下を探るには、これ以上ない機会かもしれない。
そう思ったことを、私はまだ口にはしなかった。
静かに、心の中でだけ、駒を並べ始める。
「あの……ディランへのプレゼント探し、全面的に協力します」
少し背筋を伸ばしてそう告げると、
「……本当か?」
アラン殿下の声が、わずかに弾んだ。
「はい。ですので――こちらも、交換条件があります」
「ほう。いいだろう」
即答だった。
(よしっ)心の中で小さく拳を握る。
こうして私は、アラン殿下と並んで店を見て回ることになった。
正直に言えば、ディランの“好きなもの”をすべて把握しているわけではない。
それでも、店先に並ぶ品を眺めていると、自然とディランとの日々が口をついて出た。
剣の話。無茶な行動。拗ねたときの顔。ふとした優しさ。
気づけば、話は止まらなくなっていた。
アラン殿下は品を手に取りながら、時折、穏やかに相槌を打つ。
その表情は意外なほど柔らかく、どこか楽しげだった。
「……そんな顔を、していたのか」
ぽつりと漏れたその言葉に、胸が少しだけ痛む。
この人もまた、弟のことを知らなかったのだ。
――いや、知る機会を失っていたのだ。
その距離を、私は今、言葉で少しずつ埋めている。
そんな、不思議で温かな時間だった。
「……それなら、これだな」
アラン殿下は迷いなく一つを選び、その瞬間、今日の目的はあっさりと果たされた。
帰り道――
ふわりと風が吹き抜ける。
昼間よりも冷たく、季節が確実に進んでいるのを肌で感じた。気づけば、私の髪に小さな葉が絡まっている。
「少し冷えるな……」
そう呟いたアラン殿下が、私の方へ手を伸ばした。
――髪についた葉を取ろうとしている。
そう理解したので、私はそのまま大人しくしていた。
その瞬間。
バシッ。乾いた音が、頭上で弾けた。
「……え?」
驚いて顔を上げる。
視界に飛び込んできたのは、額に汗を滲ませたディランだった。彼はアラン殿下の手首を、強く掴んでいる。
「兄上……」
低く抑えた声。
「勝手に、私の婚約者を連れ回すのはやめていただけますか?」
空気が、一瞬で張りつめた。……怒ってる?
「ああ、すまなかった」
アラン殿下は素直に謝罪する。
だが――ディランは、まだその手を離さない。
兄弟の視線が、静かにぶつかり合う。
そこにあるのは、子供じみた意地ではない。
積み重なった距離と、言葉にできない感情が火花を散らすような――静かな、衝突だった。
とりあえず、自分の頭についた葉を取ろうと手を伸ばした――その時だった。
ディランの手が、アラン殿下の手首を離し、そのまま私の方へ伸びてくる。
「……はい。取れたよ」
指先がそっと髪に触れる。
完璧な笑顔。いつも通りの、王子様の顔。
――なのに。その笑みの奥に、わずかな強張りが見えた。
「では、私はこれで」
空気を読んだように、アラン殿下が一歩下がる。
「ティアナ嬢。楽しい時間を、ありがとう」
「ええ。こちらこそ」
そう返すと、アラン殿下は軽く手を振り、歩き出した。
その背中を――ディランは黙ったまま見送っている。
言葉もなく、表情も動かさず。ただ、兄の姿が人混みに溶けていくまで、視線を離そうとしなかった。
冷たい風が、もう一度吹き抜ける。
私は、その横顔を盗み見ることしかできなかった。
(……やっぱり、気にしてる)
兄として。王族として。そして――自分より先を歩いていた存在として。
ディランの胸の内には、まだ整理しきれない想いが渦巻いている。
それだけは、痛いほど伝わってきた。




