ディランの兄 2
一歩、踏み込むことにした。
「……アラン殿下」
「なんだい?」
「ディランのことを、昔『可哀想だ』とおっしゃったことは、覚えていらっしゃいますか?」
アラン殿下はすぐには答えなかった。
わずかに視線を外し、何かを思い返すように目を細める。
「……言ったな」
静かな肯定。
「その言葉は……どういう意味だったのでしょうか?」
短い沈黙。やがて、重く息を吐いた。
「ディランはな、昔から体を動かすのが好きだった」
ゆっくりと、噛みしめるように語り出す。
「感性も豊かで、自由に過ごす方がずっと向いていた」
淡い茶色の瞳が、遠くを見る。
「だが……エメラルドの瞳。アレキサンドライトの魔宝石。“選ばれた”王位継承者として」
声が少し低くなる。
「幼い頃から、あいつには向いていないと思った。
椅子に座り続ける厳しい授業。細かすぎる食事作法。感情を抑え、型にはめられる日々」
唇をきゅっと結ぶ。
「――そして」
短い間のあと、絞り出すように。
「あいつは、笑わなくなっていった」
胸がぎゅっと締めつけられる。
「人形のようにな……」
その声には、嘲りも怒りもない。
ただ、兄として守れなかった者への痛みだけが滲んでいた。
「……だから、可哀想だと言った」
アラン殿下は淡々と続けた。
その声音には、同情ではなく、長い年月を抱えた悔恨が滲んでいる。
「その瞳の色を持たなければ、もっと自由に過ごせたはずだった。誰かの重圧に耐える必要なんて、本当はなかったのに――そう思った」
胸の奥がじんと熱くなる。
「そ、それは……」
言葉を探す私に、アラン殿下は静かに首を振った。
「心から、心配していたんだ」
……やはり。
胸の奥で、何かがすとんと落ちた。
「この前、別荘地にディランと行きました」
そう告げると、アラン殿下の瞳がわずかに揺れた。
「木のそばで…箱を見つけました」
「……やっと、か」
短く、安堵の息が漏れる。
「やはり、アラン殿下が用意されたものだったのですね」
「ああ」
ゆっくりと頷く。
「あいつが……心から信頼できる誰かと、一緒にやる日が来ればいいと思っていた。だが、両親が亡くなってからは、あそこへ行くこともなくなってな」
少しだけ、目を伏せる。
「……最後の箱の中身は、空っぽでした」
その言葉を告げた瞬間。
アラン殿下は驚いたように息を呑み、そして――小さく、柔らかく微笑んだ。
「そうか」
穏やかな声。ふと視線を落とし、何かを噛みしめるように目を閉じる。
「……何を入れるつもりだったのですか?」
問いかけると、アラン殿下は少しだけ視線を逸らした。
「一言だけだ」
短い間のあと、どこか照れたように続ける。
「手紙を入れたかった。
『自慢の弟だ。お前らしく生きろ』ってな」
胸がきゅっと締め付けられる。
「……でも、入れられなかった」
「少し、照れくさくてな」
――この人は。
思わず、ため息が漏れた。
「ちゃんと、本人に言わないと駄目です」
はっきりと告げる。
「ディランは今でも、貴方に嫌われていると思っています」
「……な、なんだって!?」
アラン殿下が、信じられないというように身を乗り出す。
「『可哀想』という言葉を、同情だと思ったそうです。ディランは、“お兄様から奪ってしまった”と思っています」
「……違う」
アラン殿下は、頭を抱えた。
「私は、そんなつもりで……」
「私、ディランに前に言ったんです」
静かに続ける。
「まどろっこしい、って」
「……ん?」
「貴方も、ディランとよく似ています」
驚いたようにこちらを見るアラン殿下に、私はまっすぐ視線を返した。
「言葉が足りないところも、不器用なところも。
でも、大切に思っている気持ちだけは、本物です」
一瞬の沈黙。
そして、アラン殿下は苦笑した。
「……参ったな」
その笑みは、王族でも、完璧なアレキサンドライト家の嫡男でもなく。
ただの、弟を想い続けてきた一人の兄のものだった。
――失礼なことを言ってしまっただろうか。
そう思いながら様子を窺うと、目の前の人物は、小さくぶつぶつと呟いていた。
「……言わないと伝わらない、か。いや、今さらか?
だが、タイミングというものが……」
どうやら、一人反省会に入っているらしい。
(……兄弟そろって不器用だな)
私は気配を殺しつつ、そっと立ち上がる。
「それでは……」
一歩、後ろに下がった、その瞬間。
「待て」
低い声に、ぴたりと足が止まる。
「……はい?」
振り返ると、アラン殿下は腕を組み、真剣な顔でこちらを見ていた。
「ちょっと、頼みがある」
その一言で、胸の奥がざわりと揺れる。
(……ろくな予感がしない)
内心でそう呟きながら、覚悟を決めて問い返す。
「……どのようなご用件でしょうか?」
アラン殿下は、ほんの少しだけ視線を伏せ、そして決意を固めたように顔を上げた。
――さて、何を言い出すつもりですか、兄殿下。




