ディランの兄 1
王妃教育が始まって、まもなく3週間。ようやく3日間の休暇が与えられた。
張りつめていた空気が、ほんの少しだけ緩む。
私はアリスと並んで、静かな回廊を歩いていた。
その時だった。――視線を感じる。
胸の奥がひやりとする。思わず顔を上げ、そして息を呑んだ。
「初めまして。君がティアナ嬢かな?
噂はかねがね聞いているよ」
柔らかな声。
けれど、その声音とは裏腹に、視線は鋭く、こちらを値踏みするようだった。
金色の髪は丁寧に整えられ、後ろで一括りにしている。
淡い茶色の瞳は、感情を巧みに隠している。
一瞬で理解する。
――この人は、“見抜く側”の人間だ。
「初めまして。
ティアナ・ラピスラズリと申します」
背筋を伸ばし、一礼する。相手はわずかに口角を上げた。
「私はディランの兄だ。
アラン・アレキサンドライト。よろしく」
その名を聞いた瞬間、胸の奥がざわめいた。ディランが以前、話してくれた実の兄。
学問、剣、政務――何をさせても完璧で、本来なら王となる器を持ちながら、ただ“瞳の色が違う”それだけの理由で王位継承から外された人。
そして――
ディランに向かって「可哀想だ」と言った人物。
目の前のアラン殿下は、穏やかな微笑みを浮かべている。
けれどその奥にあるものは、同情か、興味か、それとも――
まだ、測りかねていた。
「少し、話をしようか。弟がずいぶん君と親しくしているようだからな」
穏やかな口調。
けれどその声には、逃げ場を与えない圧があった。
――重い。
ディランの“感情の重さ”とは違う。
これは、理と経験で積み上げられた、静かで確かな重圧。
「……はい」
短く返事をし、正面に向き直る。
「悪いが、侍女は外してくれ。今日は二人で話がしたい」
その言葉に、アリスがわずかに身構えた。さりげなく私の前に出ようとする気配が伝わり、胸が少し温かくなる。
私はそっと目で合図を送る。
――大丈夫。
アリスは頷いたのち、静かに一礼した。
「失礼いたします」
扉が閉まり、室内には私とアラン殿下、二人きり。静寂が落ちる。だが、陛下と対峙したときのような、背筋が凍るような恐怖はなかった。
代わりにあるのは、逃げも誤魔化しも許されない、王族としての風格。
圧はある。けれどそれは、暴力ではない。
積み重ねた思考と覚悟が、空気そのものを重くしている―そんな感覚だった。
私は無意識に、背筋を正していた。
「まずは、礼を言っておこう。弟が世話になっているようだな」
穏やかな声。けれどその言葉の奥に、静かな探りがある。
「いえ……」
形式的な挨拶のはずなのに、次に向けられた視線は、さっきより一段深かった。
「恋仲だという話は、本当か?」
一瞬、息が詰まる。――どう答えるべきか。
曖昧にもできる。取り繕うこともできる。
けれど、ディランへの気持ちだけはこの人の前で嘘にしたくなかった。
「ディラン殿下のことは……お慕いしております」
短く、しかしはっきりと告げる。
「そうか」
その一言と同時に、アラン殿下の表情がわずかに緩んだ。
ほんの一瞬。だが確かに“兄の顔”だった。
「では、聞こう」
静かな声が落ちる。
「ディランの、どこが好きだ?」
胸の奥がきゅっと締まる。
綺麗な言葉なら、いくらでも並べられる。
王子としての資質、優しさ、責任感――
けれど、この人には取り繕いは通じない。
本音を見抜かれてしまう。そう思った。だから正直に話そう。スッと息を吸う。
「……完璧な王子じゃないところです」
そう答えた瞬間。
「へぇ」
アラン殿下が、珍いものをみるように目を丸くした。
そして、興味深そうに身を乗り出す。
「それは、面白い答えだな」
先ほどまでの重苦しさが、ほんの少しだけ和らいだ気がした。
「出会った頃のディラン殿下は……何でも完璧にこなす、冷たい王子でした」
淡々と、記憶をなぞるように言葉を紡ぐ。
「本音を上手に隠していて、誰にも弱さを見せようとしなかった」
一瞬、視線を落とし、そして顔を上げる。
「でも、彼と向き合って……本当の強さも、優しさも、それから――弱さにも触れました」
胸の奥に浮かぶのは、拗ねた顔、子供みたいな言い分、仲間たちと無邪気に笑う姿。
「子供みたいに拗ねたり、仲間と笑い合ったり……」
小さく息を吸う。
「そういう姿を見て、どうしようもなく……愛おしいと思ったんです」
言い切ったあと、室内が静まり返る。
やがて――
アラン殿下が、とても穏やかで、どこか嬉しそうな笑みを浮かべた。その表情を見て、確信する。
やはり、この人はディランを嫌ってなどいない。
むしろ――誰よりも理解している。
「なるほど」
低く、満足げな声。
「ディランが、君に執着している理由がわかったよ」
その言葉は、評価であり、同時に――兄としての承認だった。




