侍女ティアナ 4
「ところで……なんで、そんな格好を?」
「……言いたくないです」
即答すると、ディランは一度だけ瞬きをした。
「そうか」
あっさり引いた――と思ったのも束の間。
「分かった。俺に会いたくて、侍女の格好でやってきたんだな」
「……めでたいですね」
間髪入れずに切り捨てると、ディランは肩を揺らして笑った。
「冗談だよ」
軽く肩をすくめ、続ける。
「せっかく来たんだ。少し、付き合ってくれるだろ?」
そう言った直後――
ガチャリ。鍵の閉まる音。……しれっと、逃げ道を塞がれた。
(今、閉めたよね?普通に?)
私は、そのままソファに腰をおろし、ウィッグを外して脇に置く。はらり、と髪が肩に落ちると、ディランの視線が一瞬だけ止まった気がした。
ディランも私の向かい側に腰掛けた。私は冷め切った紅茶へ目を向ける。
「これ、私が飲みますね」
ポットから紅茶を注ぎ、ソーサーごと持ち上げようとした――その瞬間。手首を、そっと掴まれた。
「だめだ」
ディランは、私の手を止めたまま低く言う。
「君が淹れてくれたんだろ。……俺のために」
「まあ、そうですが。もう飲み頃は過ぎてますし。好みの温度ではないのでしょう?」
少し意地悪気に言うが、
「関係ないさ」
迷いのない即答。
「君が俺を想って淹れた紅茶なら、たとえ毒が入っていたって飲む」
「……物騒なことを言わないでください」
眉をひそめると、ディランはふっと笑った。掴んだ手は、驚くほど優しい力加減のまま離れない。ディランは気にした様子もなく、ゆっくりとカップに口をつけた。
一口、喉を通る音まで聞こえそうなほど静かな時間。
そして、ふっと表情が緩む。
「……美味しいな」
「……本当ですか?」
「ああ。気持ちが、落ち着く」
その言い方があまりにも穏やかで、胸が少しだけ温かくなる。
「……心配だった」
低く、静かな声。その一言に、胸の奥がきゅっとなる。
「陛下に呼ばれて、二人きりで試験をしたって聞いたとき」
一拍置いて、視線が深くなる。
「……何も、なかったか?」
私は一瞬だけ迷い、そして。
「はい」
しれっと嘘をついた。
ディランはじっと私を見つめる。その目は、明らかに納得していない。けれど。
「……そうか」
そう呟くと、ゆっくりと立ち上がり、私の横へ来る。距離が近い。息が触れそう。
「……迷わず、剣で扉を斬り破って入ろうとした」
淡々とした声なのに、背筋がひやりとする。
「王子が、そんなことをしていいんですか」
「君が傷つくくらいなら」
視線が逸れない。まっすぐで、揺らぎがない。
「王子なんて、やめてやるさ」
「また……そんなことを」
苦笑しながらも、胸の奥がざわつく。そんなこと、言ってほしくないのに。でも、言われると嬉しい自分もいる。
「君と向き合ってからだ」
エメラルドの瞳と目が合い、心臓が跳ねる。
「こんなにも、自分の感情に正直でいられるようになったのは」
にこり、と優しく笑う。その笑顔が、どうしようもなく甘い。
「それは……いいこと、ですかね」
「いいことだ」
迷いのない即答。その目は、まるで“君がいるからだ”と語っているようで。胸の奥が、じんわり熱くなる。
「……俺の可愛い侍女を、このままずっと傍に置いておきたいが」
少しだけ低くなった声に、胸がくすぐったくなる。
「そうもいかないな」
空気が、ふっと張り詰めた。
「……も、戻ります」
逃げるように立ち上がったり歩き出した瞬間。
「……ティアナ」
背後から、落ち着いた声。振り返ると、ディランが何かを指先でつまんでいた。――ウィッグ。
「忘れもの」
そう言って、ゆっくりと歩み寄ってくる。
「……あっ」
思わず手を伸ばそうとした瞬間。
「動かなくていい」
軽く制される。ディランは、まるで宝物でも扱うようにウィッグを持ち、私の前に立つと、そっと手を伸ばした。
指先が髪に触れる。距離が近い。息が触れそう。
「……ほら」
優しく、丁寧に。まるで“触れたかった”と言わんばかりの仕草で、ウィッグを被せてくる。
「これで、君は俺の侍女だ」
小さく笑う声が、耳のすぐそばで落ちた。
「……ありがとうございます」
小さく呟いた声にディランは、満足そうに目を細める。
「返すついでに、一つだけ、いいか?」
嫌な予感しかしない。
「……なんですか」
「――ご主人様、って呼んでみて」
思考が一瞬で真っ白になる。
ぞわり、と背中を甘い悪戯みたいな感覚が撫でた。
「……この、バカディラン!!」
感情が先に口を突いて出た。
「ふんっ」
ぷいっと背を向けると、後ろでくすりと笑う気配。
「……可愛いな」
低く、愉しそうで、どこか甘やかすような声。距離を取ろうと一歩踏み出した、その瞬間。背後から、そっと抱きしめられた。逃げ場がなくなるほど近い。ディランの体温が、背中越しに伝わってくる。耳元を掠める吐息。
「……紅茶、ありがとう」
低くて、優しくて、反則みたいな声。
「俺を労ってくれたんだろう」
胸の奥が、じんわり熱を帯びる。
「……まあ」
それ以上、言葉が出なかった。
「おやすみ」
抱く力が、ほんの少しだけ緩む。
「ティアナ」
名前を呼ばれただけで、心が引っ張られる。
「……はい」
ようやく身体を離し、扉に手をかける。背中に、まだ視線が刺さっている。
去り際。扉がゆっくりと開かれ、私は思わず振り返った。
扉にもたれ、どこか満足そうに微笑むディラン。
ひらりと手を振る仕草が、妙に優しい。小さく頭を下げ、静かに部屋を後にする。
――扉が閉まってもなお、彼の気配だけが、離れなかった。




