侍女ティアナ 2
陛下と二人きりで行われた、あの試験。あのときのディランの慌てた顔が脳裏に浮かぶ。……きっと、心配をかけてしまったのだろう。だけど、今はまだ言うべきじゃない。
ディランにとって、陛下は“家族”だ。証拠もないまま疑念を口にすれば、余計な不安を背負わせるだけになる。
――だから、黙っている。
それでも。陛下が何かを企んでいる。その確信だけは、胸の奥で静かに、しかし確かに膨らんでいた。
ディランの部屋の場所を教わり、私は廊下を進む。
そして、角を曲がる直前――ふいに足が止まった。
視界の先にいたのは、ローゼだった。
なぜ。どうして、ディランの部屋から……?
一瞬、噂話が脳裏をよぎる。本当、だったの?心臓が、嫌な音を立てる。
ディランの姿は見えない。けれど、見間違えるはずがない。
紛れもなく、彼の部屋から出てきたのは――ローゼだった。
胸の奥が、ちくりと痛んだ。
……気のせい。そう言い聞かせて、私は背筋を伸ばす。
というか、紅茶……いらなくない?私が飲んじゃう?
そんな現実逃避をしながらも、別の不安が頭をもたげる。
――声、バレないよね。
ウィッグは完璧。服装も問題なし。まあ、低めの声でいけば……いける、はず。
そう思った、そのとき。
「何してるのかな」
低く、よく通る声。
「――私の部屋の前で」
「……っ!」
反射的に振り向こうとした瞬間、
「振り向かなくていいよ」
背後から、すっと手が伸びてきた。
肩が一瞬、強張る。
その手が私の持つポットに触れ、カチャリ、と蓋が開く。
ふわりと、レモンの爽やかさな香りが広がった。
「あれ。レモンバームだ」
……やっぱり、分かるんだ。
「これは、私に?」
その声は、さっきより少しだけ優しい。
私はゆっくりと頷いた。こくん、と。よし。今のところ、バレてない……よね?
胸の鼓動を必死で抑えながら、“侍女”の顔を崩さないようにした。
「じゃあ、中に運んでくれるかい?」
その穏やかな声に、私はもう一度、静かに頷いた。
ディランが扉に手をかける。その瞬間から、胸の鼓動がひとつ速くなる。
扉が開き――部屋の中には、レイさんがいた。
まずい!反射的に視線を落とし、顔を見られないように深く俯く。
「殿下。先程、ローゼ嬢がいらっしゃいました」
「そうか。それで?」
「内容を確認いたしましたところ、ただの筆記テストのようでした」
「……そうか。分かった。もう下がれ」
「はい」
レイさんが一礼し、静かに部屋を出ていく。
そのすれ違いざま――鋭い視線が、頬をかすめた気がした。
心臓がぎゅっと縮む。喉がひりつくほど緊張しているのに、息を吸うことすら忘れそうになる。
それでも私は、視線を伏せたまま、“ただの侍女”を必死に演じ続けた。
お願い……お願い……!
扉が閉まる音がしても、まだ身体が固まったまま動かない。
――どうか、バレていませんように。胸の奥で、祈るように願った。
ディランが、ふうっと息を吐きながら襟元を緩めた。
「紅茶、置いてくれるかな」
そう言われて、私は一瞬だけ迷う。
どこだ……?
部屋を見回す。ソファの前の、大きめのテーブル。
ここで、いいよね……?
そう判断して、私はそっと紅茶を置いた。
――よし。役目は果たした。あとは、何事もなかった顔で出ていくだけ。
そう思って踵を返した、その瞬間。背後から、両手が伸びてきた。逃げ道を塞ぐように。
「……さて」
低い声が、すぐ後ろで落ちる。
「君は、侍女じゃないね」
心臓が、凍りつく。
「何をしに来た?」
――ぞわっ。背筋を冷たいものが走った。
え、なんで!?
ウィッグは完璧だったはずなのに!?
声も出してない!
混乱する私をよそに、ディランは淡々と続ける。
「私の侍女はね」
一拍。
「紅茶を置くとき、
必ず――そこの小さなテーブルに置くんだ」
視線の先。
ソファの脇にある、目立たない小さなテーブル。
(そんなの、知らん!!)
ディランは、責めるでもなく、ただ静かに続けた。
「婚約者候補の侍女かもしれないが……侍女というものはね」
淡々とした口調なのに、妙に胸に刺さる。むしろ、怒られているより怖い。
「主人が飲みやすい紅茶の温度を計算して、持ってくるものなんだよ」
その一言で、息が止まった。
ディランは、置かれたカップに視線を落とす前に、ポットの蓋にそっと指を添えた。
「……湯気が薄いね。」
淡々とした声なのに、逃げ場がない。
「入れてきた場所から、ここまでは少し距離がある。
だから本来なら、もう少し熱いお湯で淹れるんだよ。」
視線が、私の置いたカップに落ちる。
「今そこにある紅茶は――私の好みの温度じゃない」
……た、確かに。脳裏に浮かぶのは、ユウリやアリスが淹れてくれた紅茶。いつも、少しだけ熱めで、時間が経っても美味しい、あの温度。
―それを、完全に忘れていた。致命的なミスだ。
まずい…。胸の奥が、きゅっと縮む。
完全に……詰んだ。逃げ道なんて、どこにもなかった。




