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夜明けが世界を染めるころ、 悪意の見える伯爵令嬢は王子の執着から逃れられない  作者: 舞響
第四部

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侍女ティアナ 1

ティアナside


さてと。アリスが調べてくれた部屋、探ってみるかな。

足音を殺しながら、廊下を進む。夜の屋敷は静かすぎて、逆に落ち着かない。


「……この辺、のはずなんだけど」


1つ目の扉に手をかける。違う。2つ目も、3つ目も――違う。


「うーん……」


部屋が、広すぎる。同じような扉が並びすぎていて、どれも怪しく見える。


「もうちょっと絞り込みたいんだけどなぁ」


私は軽く息を吐き、目を閉じた。視覚を手放し、代わりに―“感じる”ことに集中する。私は持っていた短剣、魔宝剣のラピスラズリに触れる。胸の奥がざわつくあの感覚。空気の重さ。肌にまとわりつく、わずかな違和感。感覚を、研ぎ澄ませる。

――こっちだ。

ほんの一瞬、風に混じって、嫌な冷たさが流れた。

目を閉じ、呼吸を整える。


「蒼き想いよ…応えて ラピスラズリ」


――来い。意識を内側へ沈めていく。

すると、空気が変わった。冷たいわけじゃない。重いわけでもない。ただ…濁っている。

胸の奥が、わずかにざわつく。嫌悪感とも違う、警戒に近い感覚。


「……やっぱり」


目を開けると、視界の端が一瞬だけ歪んだ。

はっきりと“見える”わけじゃない。黒い霧のようなものが、そこにある――気がするだけ。

壁に染みついているようで、それでいて、ゆっくりと脈打っている。


「魔力の残滓……?」


それとも、人の欲や恐れが溜まったものか。

近づくほど、胸の奥が小さく軋む。耳鳴りのような、かすかな不快感。

――ここだ。

この部屋。間違いない。私はそっと重厚な扉に手を伸ばしかけたが…


「――そこの侍女!」


ビクッ、と肩が跳ねた。心臓が一拍、遅れて大きく鳴る。


「……はいっ」


できるだけ平静を装って振り返る。


「何をしているのですか」


鋭い視線、侍女長だろう。一瞬でも気を抜けば、全部見抜かれそうだ。


「申し訳ありません。

道に迷ってしまいまして……まだ不慣れなもので」


軽く頭を下げながら、内心では必死に魔力を抑える。

さっきまで感じていた、あの嫌な共鳴を、悟られてはいけない。


「……もしかして、あなたは」


来た。


「はい。婚約者候補の侍女です」


一瞬の間。相手の視線が、私を値踏みするように動く。


「そうでしたか。

それで、どちらへ?」


「紅茶の茶葉を切らしてしまいまして」


我ながら無難。誰もが納得する理由。


「なるほど……では、こちらです」


促され、私は一歩、また一歩とその場を離れる。背中に、あの部屋の気配を感じながら。


――くっ。

振り返りたいのを必死で堪え、

何事もなかったかのように歩き続ける。

ちゃんと調べられなかった。

けれど――


(……絶対、ここだ)


そう確信したまま、その場を後にした。

それから私は何事もなかった顔で、紅茶の茶葉を受け取った。


「ありがとうございます」


声も、表情も、完璧な侍女。

……内心では、さっきの共鳴の余韻がまだ気持ち悪く残っているけれど。


「ねぇ、聞いた?」


背後から、ひそひそ声。


「ローゼ嬢が、ディラン殿下の部屋から出てくるのを見た人がいるんですって」


「うそ!」


思わず、手が止まりそうになるのを堪える。


「だって、ディラン殿下の本命はティアナ様でしょ?」


「えー、あれは形式上のものでしょ?

どうせ政治よ、政治」


侍女たちは楽しそうに顔を寄せ合い、噂を膨らませていく。

……本当に、噂話が好きだな。それにしたって。

(その名前、ここで出る?)

胸の奥が、わずかにざわつく。

すると、別の侍女がふと思い出したように、私を見た。


「そういえばさぁ。

あなた、婚約者候補の侍女よね?」


「は、はい!」


条件反射で背筋が伸びる。


「だったら、あそこの北側の部屋には近づいちゃだめよ」


「……どうしてですか?」


なるべく、興味のないふりで。


「前にね、知らずに入っちゃった侍女がいてさ。

次の日には、いなくなったのよ」


手元の茶葉が、かさりと音を立てる。


「なんでも、亡霊が出るとか……」


「それか、ジョルジュ陛下に目をつけられたんじゃない?」


ひそっと笑う声。……笑えない。

私は曖昧に頷きながら、胸の奥で確信を深めた。

――さっきの部屋だ。あの、黒いモヤが共鳴した場所。

(やっぱり、当たりじゃない)

背筋を冷たいものが伝う。


亡霊でも、陛下でも、

どちらにしても――

近づいてはいけない理由がある部屋。


私は、何も知らない侍女の顔を保ったまま、

静かに紅茶の茶葉を抱え直した。


「分かりました。

それでは、失礼いたします」


そう言って一歩下がろうとした、そのとき。


「誰か悪いが、殿下に紅茶を持って行ってくれるか?」


廊下に響く声。


「はいはい!」


「私行きます!!」


一斉に手が上がる。


(……人気あるんだな、ディラン)


私は関係ありません、という顔で、

そのまましれっと場を離れようとしたが…


「あなたたちは、まだ仕事が残っているでしょう」


ぴしっとした一声で、空気が締まる。上げられていた手が、しゅんと下がった。そして。


「――そこの侍女。

悪いけど、殿下に紅茶を持って行って」


「……え」


まさかの指名。


「わ、私ですか?」


「ええ。急いで」


逃げ道、完全封鎖。


「……は、はい」


返事をしながら、私は内心で深くため息をついた。

(よりによって、ディラン……)

…毒殺未遂された経験があるのに、知らない侍女に紅茶を運ばせていいのか。ディランの周り、どうなってるんだ。

――いや。それ以上に、本人が相当用心深い、か。

(っていうか……私、バレないよね?)

一瞬、ウィッグの位置を気にする。よし、ずれてない。

まあ、平気か。多分。

それよりも。紅茶を用意しろ、って言われても。ディランの好みは、何だろう?

うーん……。歩きながら、棚を眺めて考える。


「あ」


手が止まった。レモンバームティー。

これ、いいかも。ディランがくれた香水も、柑橘系の香りだった。

気分を落ち着かせる作用があるハーブティーで、蜂蜜を入れると、角が取れて飲みやすくなる。

私が仕事を詰め込みすぎていたとき、ユウリが淹れてくれたっけ。「頑張りすぎですよ」なんて言いながら。

……ユウリにも、会いたいな。

そんなことを思い出しつつ、私は静かにお湯を注ぐ。

(よし。これなら、怪しまれない……はず)


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