アリスとお嬢様 2
そして私は、気づけばティアナ様の侍女になっていた。
特別な契約があったわけでもない。劇的な出来事があったわけでもない。ただ、自然にそこに立っていた。
——後から聞いた話だ。
ある日のこと。何気ない雑談の中で、ふと思い出したようにお嬢様が言った。
「研修でさ、伯爵家に侍女として来てた時期、あったでしょ?」
「はい」
「あの頃からね」
一拍置いて、こちらを見る。
「目、つけてたの」
「……え?」
思わず聞き返すと、お嬢様はニヤリと笑った。年相応とは言いがたい、妙に大人びた笑み。
「良い仕事するなぁーって」
軽い調子なのに、背中に、ぞくりとしたものが走る。
——あの頃から?まだ幼い少女なのに、そんな“選別”を。
「それにね」
お嬢様は、少し声を落とした。
「アリスはさ、剣っていうより……」
一瞬、言葉を探すように間を置いてから。
「銃の方がいいよ」
「……銃、ですか?」
思わず目を見開く。
「うん」
当然のことのように、頷く。
「小型魔導拳銃」
さらりと告げられる単語に、言葉を失う。
「魔力だけを断ち切る、封魔弾」
——封魔弾。人の肉体ではなく、魔力そのものを封じる弾。
「だからさ」
少しだけ、声が柔らぐ。
「人を、傷つけないでしょ?」
その言葉を聞いた瞬間。胸の奥が、ひどく静かになった。
父が望んだ“騎士”でもなく、宝石が与えた“力”でもなく。
——この方は、私の「望まなかった未来」まで見えていた。
ぞっとするほど、優しくて。同時に、底知れなく恐ろしい。
この人は、最初から——私の行き先を決めていたのだ。
それから私は、お嬢様の侍女として、ずっとそばにいた。
お嬢様はいつも前を向いていた。頑張り屋で、人のために傷つくことを厭わない人だった。
昔、どうしてそんなに頑張れるのですか、と尋ねたことがある。
そう聞くと、お嬢様は首を振って笑った。
「違うよ。全部、自分のため。
私、計算高くて、けっこう悪役っぽいよ?」
そう言って笑うお嬢様は、悪役というにはあまりにも可愛らしかった。
◇
「ねぇ、アリス」
その声に、私はふと回想から引き戻される。
「はい。お嬢様」
いつも通りに姿勢を正す。
「何か考え事してた?」
「お嬢様との出会いを思い出していました」
お嬢様はきょとんと目を丸くした。
「懐かしいね。……もしかして、私の侍女になったこと、後悔してる?」
少しだけ不安そうに、こちらをうかがう。
「まさか。……まあ、でも穏やかとは、ほど遠い場所に来てしまいましたね」
「はは、それはごめんって」
「いえ」
「でも、いつもありがとう。私が立っていられるのもさ、アリスのおかげなんだから」
少し照れたように言うその声に、胸が温かくなる。
「お嬢様はお強いですよ。私がいなくても、きっと立って歩いていってしまいます」
「そう?」
「ええ。だけど――そうはさせません」
お嬢様が瞬きをする。
「貴女が立つなら、私も立ちます」
「……ふふ、頼もしい」
お嬢様は嬉しそうに笑った。その笑顔を見るだけで、私はまた強くなれる気がした。
お嬢様がグッと伸びをして、こちらをみつめる。
「アリス、あの件はどんな感じ?」
軽い調子で聞かれ、私は一瞬だけ言葉を選ぶ。
「……怪しい場所は、いくつかございました」
「え、ほんと?」
お嬢様は椅子ごと前のめりになった。倒れそうで怖い。
「はい。明らかに使われていないのに掃除が行き届いている部屋と、なぜかいつも閉まっている部屋です」
「よし」
秒で決断した。
「アリス」
「はい」
「脱いで」
「――はい???」
脳が処理を放棄した。
「え、えっと……ど、どこを……?」
「全部」
「全部!? なんでですか!?」
思わず三歩下がる私を、お嬢様は三歩で詰めてくる。速い。
「早くしないと見回り来るよ?」
「それを先に言ってください!」
心臓が忙しい。色んな意味で。
「だって、私が行くと目立つでしょ? だから入れ替わるの」
「あ……潜入、ですか」
「そ。変装。アリスの服、借りるね」
「最初からそう言ってください……!」
ぶつぶつ言いながらも、私は観念して服に手をかける。そこからは戦場だった。
「ちょ、そこ逆! 袖が前に来てる!」
「お嬢様こそ動かないでください! ボタン外れます!」
「えー、きつい〜」
「文句言わない!」
ばたばたと結び目を解き、着せ、直し、また直し。
ようやく鏡の前に立つと、そこには――
「……まさかまたこんな事をすることになるとは……」
「えー、前回ノリノリだったじゃん!」
「あの時と今では状況が全然違いますから!」
楽しそうに笑うお嬢様に、私は深いため息をついた。あの時はルイと三人で出かけた日のことだ。
「よし!」
満足げに頷いたお嬢様は、一歩下がって私を見上げた。
「完璧」
「ありがとうございます……?」
素直に喜んでいいのか判断に困る。
「でも、さすがに私の髪色は目立つよね」
スミレ色と桃色が混ざった、存在感のある綺麗な髪を指先でつまみながら、お嬢様は腕を組む。
「うーん……ウィッグ、あったかなぁ」
言うが早いか、荷物をガサガサと漁り始めた。
「お、お嬢様!?
そんな乱暴に扱って大丈夫なんですか!?」
「だいじょーぶだいじょーぶ」
――全然大丈夫そうじゃない音がしている。
「……あった!」
ぱっと掲げられたのは、落ち着いた色のウィッグ。
「よかったぁ〜。こんなこともあろうかと、前に用意してたんだよね」
「“こんなこと”の想定範囲が広すぎませんか?」
「備えは大事」
きっぱり言い切るその姿勢だけは、妙に説得力がある。
「よしできた! 私が侍女です!」
びしっと自分を指差し、
「アリスは――お嬢様!」
「逆です!!」
反射的にツッコミが出た。
「まさか……お一人で行かれるつもりですか?」
「そうだよ?」
即答だった。
「だって、魔宝石絡みならさ。不穏な空気とか黒いモヤとか、私なら感じ取れるかもしれないでしょ?」
「それは……確かに」
反論しかけて、言葉が詰まる。
「ねっ!」
勝ち誇った笑み。完全に“してやったり”の顔だ。
「……はぁ」
私は深くため息をついた。
「分かりました。ですが、その代わり――」
「その代わり?」
「絶対に無茶はしないでください。お嬢様」
「善処する!」
……一番信用できない返事だった。




