番外編 幻の魚が恋した味3
帰ってから、
レオはエンジェルドラゴンを新しい桶に移し替え始めた。
「この白ひげちゃんさ」
「……名前、つけたの?」
「普通の魚用のエサ、食べないんだよなぁ。
今日はエビのウニソース和え、あげたんだ」
「なにそれ!」
思わず声が出る。
「貴族か!」
「だろ?
しかもさ、同じメニュー続くと食べないんだよなぁ」
「めんどくさい魚ね……」
桶の中で、白ひげちゃんがふわりと尾を揺らす。
その動きに合わせて、微かに風が動いた。
「それでお嬢さん専門家の人はどうなったの?連絡とれた?」
レオがこちらみる。
「そうそう…トワが持ってた“幻の生き物集”、
その著者に連絡取ったら今日、来てくれるみたいよ」
そう告げると、
「そうなんですね!」
トワの声が弾む。
「それにしても……」
桶を覗き込みながら、トワがぽつりと呟く。
「白ひげちゃん、なんだか不思議ですねぇ」
その言葉に、私は一瞬だけ魚から目を離せなくなった。
(……ほんとに)
水面は静かなのに、
風だけが、そこに“何か”あるみたいに揺れている。
専門家がやってきて、桶の中を覗き込んだ瞬間――
その表情が、明らかに変わった。
「……これは」
虫眼鏡を取り出し、身を屈めてまじまじと観察する。
「本物の――エンジェルドラゴンですね」
空気が、一段階引き締まった。
「これは、どちらで?」
「えっと……ここから1時間くらいの湖で捕まえました」
レオが答える。
専門家は小さく頷き、説明を続けた。
「このエンジェルドラゴンは、
非常に特殊な性質を持っています。
この魚の心臓は、魔宝石と似た性質を持っているんです。
そのためこんなに小さな体ですが、
体長10メートル級の魚と同等の“引き”を生むとされているんです。
まあ、力が強い、というよりは……」
専門家は桶の水面を指した。
「風を操る性質を持つ。
水面の流れと風圧を利用して、
自分の何倍もの重さを演出する」
「そのため、大人数でかかっても
まず捕まえられない――
“幻の魚”と呼ばれています」
(……やっぱり)
胸の奥で、腑に落ちる感覚があった。
通りで。
あの時、風の力が異様に働いていたわけだ。
「それから」
専門家は、少しだけ表情を緩める。
「この魚は、大変な美食家でもあります。
並大抵の餌には、見向きもしません。
相当、腕の立つ料理人でないと……」
その瞬間。
「ふふん」
レオが、胸を張った。
「だって、今日あげたの
エビのウニソース和えですから」
専門家が、ゆっくり顔を上げる。
「……なるほど」
桶の中で、白ひげちゃんが満足そうに尾を揺らした。
その周囲で、風が――くるりと、小さく踊った。
「……ところで」
専門家がふと顔を上げた。
「エンジェルドラゴンについて、
どうしてご存じだったのですか?」
一瞬、空気が止まる。
「え?」
レオが目を瞬かせてから、
慌てたように画用紙を取り出した。
「これです!」
「農家仲間のジャマルおじさんって人が教えてくれたんだ!
むかーし、そういう魚がいたらしいって」
「それで、特徴を教わって――
絵、描いたんです!」
「ジャジャーン!」
そう言って差し出された画用紙に、
専門家は思わず目を見開いた。
「……これは。す、すごいですね。
非常によく描けています。なるほど……」
絵と桶の中を見比べ、専門家は何度も頷いた。
「特徴の捉え方が正確です。
文献でしか知られていない部位まで描かれている」
「へへ」
レオが、照れたように頭をかく。
「それと」
私は、自然な流れで言葉を足す。
「トワが持っていた『幻の生き物集』にも
この魚が載っていました」
「ですので、
著者であるあなたに連絡を取らせていただいた、
というわけです」
「……なるほど」
専門家は納得したように息を吐いた。
「そういう経緯でしたか」
桶の中で、白ひげちゃんが小さく身を揺らす。
そのたびに、風がふわりと撫でる。
疑念は、静かに――霧散した。




