はじまり2
私を世話してくれたのはナタリーさんだ。
もう80歳近いので施設にいるけど、その人がよく言ってた。
【女だからって諦めちゃだめですよ!知識や経験は貴方の武器になる。なんでも学びなさい】
その言葉がずっと私の中にあるから、とにかく挑戦しようと思える。
フリルのついたブラウスに上質なジャケット、ロングスカートには控えめなフリル。腰のくびれにあしらわれたリボンを、アリスが手際よく整えてくれる。
化粧をしながら、アリスが口を開いた。
「お嬢様の髪はスミレ色で毛先は桃色、夜明けみたいにとても綺麗です。瞳も深い碧、肌も白くて素敵ですが、寝不足で少しカサついていますね。目の下のクマも気になります。素材がいいからといって、睡眠を疎かにしてはいけませんよ」
鏡に映る私は、母マリアンヌとは似ていない。
だからだろうか……ときどき、そんな噂を向けられた。
父には、他に女がいたのではないかと。
けれど伯爵家の当主であれば、
それくらいは珍しくないことだとも言われた。
……本当かどうかは、わからないけれど。
アリスが手際よく化粧を施し、くたびれた顔が美しく彩られる。髪は器用にサイドを編み込み、ハーフアップに仕上げてくれた。ドレスと同じ色のシルクのリボンも添えられ、全体が華やかにまとまる。
「出来ましたよ。今日も完璧で、とてもお綺麗です」
清々しいほど褒めるアリスに、鏡越しで笑顔を返す。
「ありがとう。これで完璧にこなせるわ」
女だからと侮られないように、手を抜かず、すべてをこなさなくては。
ラピスラズリ伯爵家としての務めを果たす以上、家柄に泥を塗るわけにはいかない。
そのとき、コンコンと扉をノックする音が聞こえた。
「どうぞ」
と声をかけると、扉が静かに開く。
「失礼いたします。少し早いですが、馬車の準備が整っております」
丁寧にお辞儀するユウリ。
「ありがとう、ユウリ」
「いえ。今日もお綺麗です、お嬢様。それでは参りましょうか」
「ええ」
ユウリの後に続き、私は玄関へ向かった。
玄関ホールへ向かう途中、廊下の真ん中を堂々と、いや大きい態度で歩く人物が目に入った。その横には、どこの令嬢かもわからないが、真っ赤なドレスに身を包んだ少女がぴったりと寄り添っている。
「うげっ……」
思わず漏れた声に、ユウリが小さくたしなめる。
「お嬢様、声に出さぬように」
どうやら目の前の人物を回避するのは難しそうだ。顔を取り繕い、平静を装う。
「おや、我が妹よ。どこに行くのかな」
母とそっくりな、意地悪げな笑み。
隣の令嬢はべっとりとマルクに擦り寄り、媚びるように笑っている。
「少々、用がありまして出てきます」
適当に返事を返し、早々にその場を切り上げようとする。
しかし、追い打ちをかけるように、
「父上の仕事ですか? そんなことしても何の得にもならぬというのに、」
隣の令嬢もわざとらしく笑う。
「まあ、大変ですわね」
はあ……全く。ツッコミどころが多すぎて、朝から頭が痛い。
目の前の人物は、マルク・ラピスラズリ。20歳。この家の長男で、いずれ家を継がねばならない男だ。それなのに、遊び惚けていて、大した教養も身につけていない。相手にするだけ無駄だと、心の中でため息をつく。
優雅に笑みを浮かべ、口を開く。
「ラピスラズリ当主に直々に頼まれた仕事ですので、期待に応えられるよう懸命にこなすのは当然です。それを媚を売ると言うのであれば、そうかもしれませんね。
あ、直々に任されたことがないから、兄上にはわかりませんよね。失礼しました。
それでは急いでおりますので」
そう言うと、横をさっと素通りする。振り返れば、真っ赤な顔で怒るマルクの姿が見える。良い気味だ。
一連のやり取りを見ていたユウリは、ふふふと小さく笑った。
「さすがです、お嬢様。良い気味です。あれが次期当主では、アドルフ様も頭が痛いでしょうね」
確かにその通りだ。次期当主としての勉強も疎かにし、遊び惚けているマルクに頭を抱えているのは事実。
そして、そんな息子を溺愛している母。
この家の将来が不安であるのは、間違いない。
だからこそ、私は自分のすべきことを、確実にこなさなければならないのだ。
やっと玄関まで辿り着いた。どっと疲れが出る。
はぁ、とため息をつきつつ、馬車の横に立つ人物に目を向ける。
銀色の髪に、切れ長の水色の瞳。
筋の通った鼻筋に、無駄のない整った輪郭。
長くすらりと伸びた手足は、濃紺色の騎士団の制服に包まれ、
服の上からでも鍛え上げられた筋肉の逞しさがはっきりと伝わってくる。
その男――セナは、静かに立っていた。
背筋は真っ直ぐ。
だが威圧するような気配はなく、
ただ研ぎ澄まされた刃のような静けさだけを纏っている。
「お待たせ、セナ。急だったのにごめんね。今日はよろしくね」
「いえ、お気になさらず。よろしくお願い致します」
馬車の運転席にいる小太りの男性にも声をかける。
「トムおじさんもよろしくね」
「こちらこそ、お嬢様を大事に運ばせてもらいますよ。こいつらも喜んでおる」
馬車の脇で、立派な毛並みの馬たちに目を向ける。
「リトル、ラン。よろしくね。あ、リトルもランも毛並みツヤツヤだね。トムおじさんが綺麗にしてくれたのかな」
馬たちの毛並みを撫でながら声をかけると、トムおじさんが誇らしげに笑う。
「お嬢様がくれた馬用のオイル、あれを使ってみたんだが、良かったよ。ゴワゴワだった毛がこんなに綺麗になった」
先日の雨で泥まみれになった馬たちに、市街で見つけた良いオイルをプレゼントしていたのだ。
「なら良かったです。またなくなったら買ってくるからねー」
リトルとランに声をかけると、嬉しそうに喉を鳴らす。
「お嬢様、そろそろ」
セナが声をかける。
「そうだね、行かなきゃ」
「私も行かなくて大丈夫ですか?」
ユウリは私の専属執事で、基本的にはそばにいる。
「大丈夫。セナがいるし、頼んだ仕事よろしくね」
別でお願いした仕事があるので、それを任せるつもりだ。
「かしこまりました。それではトムさん安全運転でよろしくお願い致します。セナもお嬢様のことよろしくお願いします」
「もちろんですよ」
トムおじさんが返事をする。
「はい。お任せ下さい」
セナも丁寧にお辞儀をし、私をエスコートして馬車に乗せる。自分も馬車に乗り込み、私の前側に腰を下ろした。
「ではトムさんよろしくね!」
「はいよ」
トムおじさんの返事とともに、馬車は静かに街へと走り出した。




