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夜明けが世界を染めるころ、 悪意の見える伯爵令嬢は王子の執着から逃れられない  作者: 舞響
第一部

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はじまり1

【夜明けが世界を染めるころ】


伯爵家の長女・ティアナ=ラピスラズリは、

悪意を宿した宝石を見ると黒い靄が見える不思議な瞳を持っていた。

静かに生きることを望んでいた彼女だが、

宝石事件をきっかけに王国の陰謀へと巻き込まれていく。

執事や騎士、料理人、デザイナー、そして彼女を溺愛する王子とともに、

宝石に秘められた真実と向き合う中で、

ティアナは自らの運命を選び取っていく。

甘くて少し危険な、恋と共鳴のラブファンタジー。



レースのカーテンの隙間から作業机の上の宝石を淡く照らしていた。まだ街は眠っているというのに、令嬢はすでに仕事を始めている。


布の上に並べられた宝石は10数個。

色も輝きも申し分ない――普通の鑑定士なら、そう判断するだろう。


だが彼女の目には、

そのうち2つだけが、薄い黒いモヤをまとって見えていた。


「……やっぱり」


小さく息を吐き、手袋越しに石を裏返す。

細工は巧妙だ。悪意も、ほとんど隠されている。

それでも、見逃すわけにはいかなかった。


扉が静かにノックされる。


「お嬢様。もう朝でございます」


入ってきたのは、専属執事のユウリ。

銀のトレイには、温かい朝食が整えられている。


「また徹夜ですか?」


責めるような口調ではない。

ただ、ほんの少しだけ眉が寄っている。

髪はきっちり揃えてあり、清潔感に満ちている。


「もう少しで終わるよ」


そう答えながらも、令嬢は石から目を離さない。


執事はそれ以上言わず、机の端に朝食を置いた。

焼きたてのパンとベルガモットティーの香りが部屋に広がる。


「冷める前に、少しでも召し上がってください。

 お身体を壊されては、本末転倒です」


その声音は誠実そのもの。

だが、彼の視線は宝石――特に黒いモヤの立つ二つに、わずかに鋭く向けられていた。


「……これ、また“良くない石”だよ」


令嬢の言葉に、執事は一瞬だけ沈黙する。


「ええ。市場に出回る前で助かりました」


それ以上は語らない。

だが彼はすでに、

この石がどこから来たのか、誰が関わっているのか

調べる算段を頭の中で組み立てていた。


窓の外で、朝の鐘が鳴る。


世界はまだ、何も知らない。

この静かな朝の裏で、

悪意を宿した宝石が、確実に増えていることを。


そして――

それを見抜ける目を持つ令嬢 ティアナ ラピスラズリが世界を救うために奮闘することを。



「いただきます」


紅茶を口にすると、ベルガモットの爽やかな香りがふわりと広がった。

胸の奥まで染み渡るような一杯に、ユウリのささやかな労りが感じられる。

今日は、穏やかな気持ちで始められそうだ。


「ミルクはお入れしますか?」


「うん、お願い」


そう答えると、ユウリは慣れた手つきでカップにミルクを注いだ。

白がゆっくりと紅茶に溶け、色がやわらいでいく。


「朝食を終えましたらお着替えのお支度をしていただき、9時に出発でよろしいでしょうか」


「そうだね、そのくらいで大丈夫。……あ、そうだ。セナに護衛を頼み忘れてた。お願い」


「かしこまりました。伝えておきます。7時ごろ、アリスを向かわせます」


「いつもありがとう、ユウリ」


「はい」


灰がかった薄栗色の髪が、窓から差す光を受けて柔らかく揺れる。

長さは肩に届くほど。

きちんと整えられているが、どこか風にほどけやすそうな柔らかさがある。

切れ長の瞳は淡い灰色。


ユウリはふんわりと微笑んで答えた。

穏やかで優しく、それでいて仕事は的確。

幼い頃から支えてくれている存在で、家族よりも長い時間を共にしてきた。

だからこそ、私は彼を疑ったことがない――それほどの信頼がある。


やがてユウリが部屋を出ていく。

私は用意された朝食を手早く食べ、机に残された宝石に視線を戻した。


出発まで、もう少し。

残りの仕事を片付けてしまおう。



よし、とりあえずひと段落。黒いモヤの残る宝石は、別にしておこう。

そう思った瞬間、まるで狙ったかのように扉がコンコンとノックされた。


「どうぞ」


「おはようございます、お嬢様。……また朝早くからお仕事ですか。昨日もお戻り、遅かったですよね?」


入ってくるなり小言。

けれどその手は止まらず、空になった食器を次々と片付けていく。


焦茶色のボブヘアが、肩口で静かに揺れている。

派手さはないが、丁寧に整えられた髪は清潔で、

月明かりを含んだような柔らかな艶を帯びていた。


灰色の瞳は淡く、

光の加減で銀にも薄藍にも見える。


私の専属侍女のアリスだ。

仕事は早く、判断も的確――その分、口もなかなか辛辣。


「ははは……」


曖昧に笑ってごまかし、椅子から立ち上がる。


「……ん、腰が痛い」


「同じ姿勢で何時間も座っていれば、当然です」


容赦ない即答だった。


書斎を後にし、アリスの後ろについて自室へ向かう。

歩きながら、今日の予定を頭の中で整理する。


――街に出て、市民向けに売り出した品の確認。

それからアルフレッド家での昼食会。


「……っ」


考えごとに夢中になりすぎた。

前を歩いていたアリスに、思いきりぶつかる。


「う、う――」


「おはようございます、マリアンヌ様」


凛とした声が、真正面から降ってくる。

アリスがすっと脇に下がり、綺麗なお辞儀をした。


私は反射的に鼻を押さえた。


――ジャスミン。

しかも、かなり強い。


この香りを好む人物は、限られている。


アリスを手にしていた扇子で軽く押しのけ、その先を見る。

派手なメイク、過剰な装飾、視線に混じる遠慮のなさ。


その人物と、ばっちり目が合った。


「おはようございます…お母様」


丁寧に一礼する。


「まだ身支度も整えていないの?淑女として恥ずかしいと思わない?」


扇子で口元を隠し、冷たい視線を向けてくる。

その目にさらされるのは、もう慣れっこだった。


私の格好といえば、下ろした髪にカチューシャ、ブラウスにロングスカート。

寝巻きではないが、正装とは言いがたい。

華やかなドレスに宝石をこれでもかと飾った母と並べば、

そう言われても仕方がないのかもしれない。


「お見苦しいところをお見せし、申し訳ありません。

急ぎの用がありますので、これにて失礼いたします」


さっさと立ち去ろうとした、その背に――

気に入らなかったのだろう、刺すような声が投げつけられる。


「急ぎの用、ね。

女のくせに主人の真似事などして……無意味だというのに、本当にご苦労なこと」


胸の奥で、小さく息を吐く。


男ではない私は、この家を継げない。

だから父の仕事を手伝っているだけ――

それを、母は滑稽だと思っているのだろう。



何をしても無駄だと。

私はただ、この家に貢献し、

いずれは“都合よく結婚させられるための道具”に過ぎないと。


皮肉たっぷりの嫌味。

けれど、不思議と心は痛まなかった。

もう慣れてしまった。


言われっぱなしも癪に合わない。

立ち止まり、くるっと顔を向ける。


「お父様から直々に任されておりますので、名誉なことです。それでは」

こちらもたっぷりの嫌味を込め、にこりと笑う。その態度に、母は顔を歪めたが、もうこれ以上口を出す気はないらしい。


母は長男マルクにはとても甘い。

マルク本人は経済に全く無頓着で遊んでばかり。父が仕事を任せないのも、一目瞭然だった。


自室に戻り、アリスの肩に手を添える。


「ごめんね、肩、大丈夫?」


「大丈夫です。ただ触れただけです」

そう言って、私の手をそっと下ろすアリス。


「息子の面倒もろくに見れないくせに、お嬢様にケチをつけるとは相変わらずですね。あの下品なドレスと派手な化粧もセンスがないです。扇子をへし折っておけばよかったんですかね」

ふんすふんすと文句を言いながらも、アリスは手際よく私の身支度を整えてくれる。


まあ、母が私を気に入らないのも仕方がない。


本作はベリカフェでも投稿してあります。

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