鏡花の恋・3
学校が終われば、教室まで迎えに来てくれる。
放課後には二人でショッピングモールに行って、買い食いなんてしちゃって。
それで、家に帰ってからも通話するの。
寝るまで繋げたまま。次の日の朝になって、どちらが長く起きられていたかって競う。
欲しかった。ただ、そんな特別なんて何も無い日々が。
ほしかった、なぁ⋯⋯。
❁
「――夢月!」
光が弾けた瞬間、視界が一気に開けた。
耳に飛び込んできたのは、焦りを含んだ声。
夢月が目を開けると、そこは見慣れた「夢幻喫茶」の店内だった。
カウンター越しに置かれたアンティークのランプが、温かな橙色の光で室内を柔らかく照らす。
壁に掛けられた古時計が、カチカチと規則正しい音を刻んでいる。重厚な木製のカウンター、革張りのスツール、心地よいジャズのBGM。
自分が、元の世界へと無事に戻ってこられたのだと、肌に触れる空気の温もりが教えてくれた。
「夢月さんっ!」
目の前で、マスターがいつになく痛々しそうな、けれど深い安堵を湛えた眼差しで自分を見つめていた。その手には、夢月が闇に呑み込まれた瞬間に倒れそうになった身体を支えようとしていた痕跡が残っている。
カウンターの上では、珠吉が二股の尾をピンと逆立て、金の瞳を極限まで見開いてこちらを凝視していた。
『帰ってきたか⋯⋯今回は、お前の想いが勝ったということだな』
珠吉の声は珍しく裏返っており、その小さな身体は微かに震えていた。いつもは毒舌ばかり吐いている猫又が、どれほど本気で心配していたかが痛いほど伝わってくる。
少し離れた壁際に立っていた神楽も、いつもの飄々とした笑みを消し、涼やかな目を細めて夢月の状態をじっくりと観察していた。言葉には出さないものの、その肩の力がすっと抜けたのが分かった。
「私……」
夢月は、掠れた声で呟いた。
自分の足でしっかり立っていることを確認し、ゆっくりと手を見下ろす。
右掌の中には、あの小さく古びたブローチがしっかりと握られていた。怪異となっていた少女が、最期に宝物として抱きしめた、あの手作りの品だ。
「戻って……これたんだ」
「ああ、戻ってきたんです。よく頑張りましたね」
マスターが低く、包み込むような優しい声で言った。彼の手が夢月の頭の上にそっと置かれ、大きな掌が優しく撫でる。その温もりに、夢月の緊張が一気に解け、身体から脱力感が押し寄せてきた。
『おい。 一体あっちで何があった。 あの怪異の気配、一時は完全に膨れ上がって……お前が呑み込まれるかとヒヤヒヤしたんだからな』
珠吉がカウンターを踏みつけるようにして身を乗り出し、捲し立ててくる。相変わらず口調は荒いが、その瞳には溢れんばかりの安堵が浮かんでいた。
神楽がすっと歩み寄り、落ち着いた声で口を挟む。
「珠吉、落ち着きなさい。夢月は無事だ。それに……怪異の気配は、もう綺麗に消え去っている」
神楽の言葉に、珠吉は鼻を鳴らした。
『ふん、言われなくても分かってる。 気配が消えたからこうして聞いてるんだ。おい、あの怪異はどうなったのだ?」
夢月は、静かに、そしてゆっくりと首を横に振った。
その表情には一切の迷いや戸惑いはなく、固い決意と何処か穏やかな温もりが宿っていた。
「ううん。私、何もしてないよ」
『じゃあ、どうやってあの領域から脱出したというのだ?』
夢月は掌を開き、握りしめていたブローチを二人と一匹に見せた。
ランプの光を浴びて、古びた金属が微かに輝く。
「このブローチを、あの子に返したの」
『あの子……?』
珠吉が不機嫌そうに眉を顰める。
「うん。鏡の怪異になっていたのは……自分の名前も、顔も忘れちゃった女の子だった。誰かを呪いたくて怪異になったんじゃない。ただ……大切なものを失くして、寂しくて、ずっと探していただけだったの」
夢月は、暗闇の中で見た少女の姿を思い出しながら、語り始めた。
顔を失い、黒い影となっていたこと。
ブローチを見せた瞬間に動揺したこと。
冷たい手でブローチを抱き締め、涙を流しながら顔を取り戻したこと。
夢月の静かな語り口に、店内はしんと静まり返った。
カウンターの中でマスターが静かに珈琲を淹れ直す音が、心地よく響く。
聞き終えた珠吉は、気まずそうに耳を伏せ、二股の尾を床へと落とした。
『……はぁ、全く。怪異に情をかけるなど、お前は相変わらずのお人好しだ。一歩間違えれば、お前まで顔を奪われてあの暗闇の住人になるところだったのだぞ』
捨て台詞のように吐き捨てる珠吉。けれど、その声に棘は一切なかった。
「だが、それが夢月の強さだろう」
神楽が、全てを見透かしたかのように穏やかに微笑みながら言った。
「力で伏せるのではなく、怪異の根底にある悲しみに寄り添い、すれ違った糸を解きほぐす。夢月だからこそ、あの怪異は救われ、浄化された。討伐するよりも遥かに困難で、尊い解決法だと思うけれどね」
『ふん……言いたい奴には言わせておけ』
珠吉がぷいと横を向いた。不機嫌そうに鼻を鳴らし、二股の尾をパタンと一度だけ大げさに床へ打ちつける。
けれど、あからさまに背を向けたその耳先だけは、こちらの一挙一動を逃すまいとぴんと立ったままだった。毒舌を吐きつつも最後まで付き合ってしまう、猫又特有の不器用で天邪鬼な優しさが、その頑なな後姿に滲み出ていた。
その何でもないことに、夢月は小さく笑った。
心の奥底では、足が竦むほど怖くてたまらなかった。
けれど、冷え切っていたはずの掌に、ふっと温かな感覚が戻ってくる。
振り返れば、素直になれない毒舌を吐きながらも寄り添ってくれる珠吉がいて、静かに事実を見極める神楽がいて、包み込むような眼差しで見守るマスターがいる。
今の自分は、もう決して一人きりではない。
恐怖が消え去ったわけではない。けれど、その恐怖を優しく上回る確かな温もりと心強さが、彼女の背中を静かに、そして力強く押し続けていた。
「さあ、夢月さん。温かいものでも飲んで、落ち着きましょう」
マスターが差し出したカップから、芳醇な香気の湯気が立ち上っていた。
夢月は両手でカップを包み込み、ゆっくりと口を付ける。温かい液体が喉を通り、胃に染み渡っていくにつれて、身体の芯に残っていた暗闇の冷気が完全に溶けていくようだった。
「マスター、ありがとう」
「礼には及びません。君が無事に戻ってきてくれたことだけで十分です」
マスターは目元を緩め、穏やかな笑みを浮かべた。
夢月は、手の中のブローチをカウンターの上にそっと置く。
「このブローチ、どうしようか」
神楽がそれを手に取り、光に透かすようにして観察する。
「怪異の核となっていた縁は、既に綺麗に昇華されています。もう呪いも怨念も残っていません。ただの古い、綺麗なブローチです。……そうですね、彼女が生きていた証として、この店で預かるのが良いかもしれません」
マスターはそう言って、ガラスケースの棚へとブローチを大切に納めた。微かな光を反射するブローチは、何処か満足そうに、静かに収まっていた。
『……たく、厄介な怪異を持ち込みおって』
珠吉がカウンターの上で寝そべりながら、あくびを噛み殺した。
『だがまあ……今回ばかりは、上出来と言ってやらんでもない。あのまま怪異が肥大化していれば、街ひとつが化け物屋敷になるところだったからな』
「珠吉にしては、珍しい素直な評価だね」
神楽が口元を綻ばせると、珠吉はギロリと金の瞳を光らせた。
『うっさい! 誰が素直だ! 我は事実を述べたまでだ!』
シャーッと威嚇する猫又の姿に、店内には小さな笑い声が弾けた。
夢月も、思わずくすくすと笑ってしまう。
少し前までのあの深い闇、孤独な対話、泣いていた少女――それらがまるで遠い夢だったかのように、この夢幻喫茶には変わらない穏やかな時間が流れていた。
けれど、夢月は知っている。
この穏やかな日常のすぐ裏側には、常に歪んだ闇が潜んでいることを。人の心の弱さ、悲しみ、憎しみが引き起こす怪異は、これからも姿を変えて現れるだろう。
そして自分は、これからもその闇と向き合っていかなければならない。
「夢月さん」
マスターが静かに呼びかけた。
「怖くは、ありませんか?」
その問いに、夢月は一度深呼吸をした。胸の奥に手文を当て、自分の心と対話する。
怖くないと言えば嘘になる。
暗闇の中で押し潰されそうになった恐怖は、まだ記憶に新しい。
けれど、夢月は力強く顔を上げる。
俯いていた視線が真っ直ぐに前を捉え、その表情からは怯えや逡巡の色が綺麗に消え去っていた。
灯りに照らされた瞳には、どんな困難や怪異の闇にも決して屈しないという、固く澄んだ覚悟の光が宿っている。
「怖いです。……でも、逃げたくありません」
その言葉に、一切の迷いはなかった。
「怪異になってしまう人達の哀しみを知ってしまったから。そして……私には、助けてくれる皆がいるから。だから私は、これからも私にできるやり方で、願いに向き合っていきます」
少女の芯のある声音は、静まり返る夢幻喫茶の空気をぴんと張り詰めさせ、その場にいる仲間達の胸へとしみ渡っていく。
神楽は満足そうに深く頷いた。
珠吉はフンと鼻を鳴らしたものの、その瞳には夢月を認める確かな光が宿っていた。
マスターは、静かに、そして誇らしげに言う。
「そうですか。……であれば、私達は全力で君を支えましょう。願いを見つける、その日まで」
「はい!」
夢月は、満面の笑みで頷いた。
この夢幻喫茶の扉の向こうには、決して消えることのない温かな灯火が、今夜も優しく輝き続けている。
❁
あれから、数日が経った。
何事もなかったように、朝はやって来る。
目覚まし時計の不躾な音に叩き起こされ、眠たい目を擦りながら制服に着替える。鞄を肩に掛け、家を出れば、いつもと変わらない通学路の風景が広がっていた。
信号が青になるのを静かに待つ人。
コンビニの前でスマホを眺めながら立ち止まっている学生。
慌ただしく自転車のペダルを漕いでいく会社員。
何処にでもある、ありふれた平和な朝だった。
学校へ着けば、教室にはいつもの通りの賑やかな喧騒が満ちている。
「おはよー! 夢ちゃん!」
「おはよう、華夏」
「ねえ聞いてよ。昨日のドラマ見た?」
「ごめん、昨日は早く寝ちゃった」
「えー、珍しい!」
そんな他愛もない会話を交わしながら、自分の席へ向かう。
窓の外を見上げれば、雲一つない爽やかな青空が何処までも広がっていた。
あまりにも平和で。
あまりにも何もない。
だからこそ、夢月は時々、深い惑いのような不思議な気持ちになる。
――本当に、あれは夢だったのではないか。
そう錯覚してしまうほどに、現実は何事もなかったかのように平穏を保っていた。
かつて学校中を騒がせていた、あの恐ろしい噂。
十七時ちょうど。
本館一階から二階へ続く階段の踊り場にある姿見の前で、願いを口にすれば好きな人と結ばれる。
そんな、何処にでもありそうな甘い恋の噂。
けれど、その噂に囚われ、何人もの生徒が鏡の深淵へと引き摺り込まれた。
そして、その奥には――一人の少女がいた。
長い長い時間、誰にも知られることなく、誰にも見つけてもらえないまま、闇と鏡の向こうに取り残されていた少女。
その少女が何を思い、何を望み、何故あんな悲しい姿になってしまったのか。
それを知っているのは、きっとこの世界で夢月だけだった。
いや、もしかすると、夢幻喫茶にいるあの不思議な彼らも覚えているのかもしれない。
けれど、それをこの学校で確かめる術はない。
何故なら――あの狂乱のような噂は、いつの間にか校内から跡形もなく消え去っていたからだ。
誰も、その存在を口にしない。
恋占いという言葉すら、今では誰の口からも聞こえてこない。
まるで、最初から、そんな噂など存在していなかったかのように。
ある日、本館の踊り場に置かれていた大きな姿見も撤去された。
学校側が出した説明は、老朽化による安全上の問題、それだけだった。
誰もそれを不思議には思わない。
「どうして今まであんな場所に鏡があったのだろう」と疑問にすら思わない。
そこに鏡があったことさえ、人々の記憶から静かに洗われていく。
そして、もう一つ奇妙なことが起こっていた。
あの噂が流行っていた頃、校内では何組ものカップルが急速に誕生していた。
けれど、そのほとんどが、ここ数日で綺麗に別れてしまったのだ。
しかも、それは喧嘩別れでもなければ、何か決定的な出来事があったわけでもない。
「なんで付き合ってたんだろうね」
そんな言葉を、不思議そうに口にする者までいた。
「好きだったはずなんだけどな」
「うん。付き合ってたことは覚えてる」
「でも……なんで好きだったのか、よく分からないんだよね」
記憶は残っている。
確かに付き合っていたという事実も、どちらから告白したのかも、初めて一緒に帰った日の夕焼けの美しさも覚えている。
けれど、そこにあったはずの「好き」という熱い感情だけが、ぽっかりと綺麗に抜け落ちているのだ。
まるで、誰かにそっと掬い取られてしまったみたいに。
そんな会話を耳にするたび、夢月は胸の奥がキュッと少しだけ痛くなった。
そして、夢月が必死になって探した少女――涼風美咲。
彼女もまた、以前とは少し違っていた。
八雲に向けていた、あの強烈で苦しいほどの恋心。
彼の姿を見ただけで胸が高鳴り、少しでも近くにいたいと泣きながら願い、彼と結ばれる未来を必死に夢見ていた感情。
それらはもう、彼女の何処にも残っていなかった。
「八雲先輩って、本当に優しいですよね」
そう言って可愛らしく笑う美咲の顔には、以前のような過剰な熱はない。
けれど、その笑顔は何処までも穏やかで、澄み切っていた。
無理に自分を振り向いてほしいとも。
自分だけを見てほしいとも。
彼の隣に立ちたいと焦ることもない。
ただ、一人の尊敬できる先輩として八雲を見ている。
それでいいのだと、今なら夢月にもよく分かる。
きっと、姿見の怪異に囚われ、暴走していた「恋」という歪んだ感情は、怪異が昇華して消えたのと同時に、綺麗に失われてしまったのだろう。
あれほど強く人を求めていた美咲でさえ、今は何事もなかったように穏やかな学校生活を送っている。
それを少しだけ寂しいと思う気持ちは、確かにあった。
けれど、同時に、これで良かったのだとも心から思う。
恋は盲目――昔からそんな言葉がある。
好きだから。
愛されたいから。
ずっと一緒にいたいから。
その想いが強くなればなるほど、人は時に自分の周りが見えなくなる。
自分が本当に何を望んでいるのかさえ、分からなくなってしまう。
そして、自分以外の誰かや、不気味な噂に願いを叶えてもらおうとした瞬間、その都合のいい幻想に呑み込まれてしまうことだってあるのだ。
今回のことで、夢月はそれを嫌というほど思い知らされた。
恋は、誰かに与えてもらうものじゃない。
お呪いや占い、はたまた噂に縋りついて、手軽に都合のいい未来を見せてもらうものでもない。
自分自身で、傷つく覚悟を持って相手と向き合って。
迷ったり、すれ違ったり。
時には上手くいかなくて涙を流したりしながら。
それでも、自分の足で一歩ずつ進んでいくものなのだ。
「恋って、難しいなあ」
窓際の席から、遠く広がる空を眺めながら、夢月はぽつりと小さく呟いた。
「何が?」
「うわっ!?」
突然、すぐ隣から声を掛けられて、夢月の肩が大きく跳ねた。
「華夏……びっくりさせないでよ」
「何その顔。ぼーっと空なんか見ちゃって、黄昏れちゃってさ」
「別に、なんでもないよ」
「ふーん?」
疑わしげな視線を向けられ、夢月は苦笑いしながら誤魔化すように言った。
それから、ふと教室の壁に掛けられた時計を見上げる。
十六時。
あと少しで放課後だ。
今日も、いつもと変わらない穏やかな一日が終わろうとしている。
もう、あの不気味な本館の階段へ向かう必要はない。
十七時という時間を恐れて気にする必要もない。
鏡の前で、偽りの願いを口にする必要もないのだ。
誰かが突然姿を消すことも。
暗闇の中から、自分を試すような声が聞こえることも。もう二度と――。
……いや、きっと、これからも「夢幻喫茶」では何かが起こるのだろう。
あの日常の裏側に潜む不思議な店は、今も世界の何処かに静かに存在している。
現世と、怪異が蠢く別の場所を繋ぐように。
夢月があの重厚な扉を開けば、マスターがいつものように穏やかに微笑み、珠吉が不機嫌そうな顔で偉そうに出迎えてくれるはずだ。
今回の出来事も。
鏡の向こうで泣いていた、あの哀しい少女のことも。
きっと、彼らは忘れずに覚えている。
けれど、この人間達の世界ではもう、あの噂が生まれることはない。
恋を叶える姿見も。
十七時の約束も。
鏡の向こうに一人で囚われていた少女も。
最初から存在しなかったこととして扱われていく。
そうして世界は、何事もなかったかのように明日へ向かって進んでいくのだ。
それでいい、と夢月は思う。
誰も知らなくても。
誰にも覚えてもらえなくても。
あの少女が確かにここにいたことを、夢月だけは絶対に忘れない。
あの子が誰かを一途に好きだったことも。
その想いが届かずに傷ついたことも。
そして最後に、自分の恋を手放して、長い長い孤独の原罪から解放されたことも。
だから、もう、振り返らなくていい。
夢月は鞄をしっかりと肩に掛け、立ち上がった。
「華夏、帰ろ」
「うんっ! 帰ろー!」
二人で並んで教室を出る。
夕暮れに染まり始めた廊下には、放課後を迎えた生徒達の明るい笑い声が響き渡っていた。
誰かが楽しそうに笑っている。
誰かが友達の名を呼んでいる。
誰かが、大好きな人の話をして頬を染めている。
そんな、何処にでもある愛おしい日常。
その中を歩きながら、夢月はふと足を止め、後ろを振り返った。
そこには、ただ夕日に照らされた静かな廊下が続いているだけ。
もう、怪異も、影もない。
何も起こらない。
それでも、ほんの一瞬だけ。
オレンジ色に染まる夕暮れの窓ガラスに映った自分の姿の隣に、誰か小さな少女が寄り添って微笑んでいるように見えた気がした。
けれど夢月は、もう振り返らなかった。
「夢ちゃーん! 置いてくよー!」
「あ、待って! 今行く!」
遠ざかる友達の声に笑って答えながら、夢月は廊下を駆けていく。
少女の切ない恋が消えた世界で。
あの惨劇の噂が生まれなかった世界で。
今日もまた、当たり前で特別な一日が終わっていく。
そして明日も。
きっと、何も知らない人々の間で――優しく温かな日常が続いていくのだ。
『不思議な店と、奇妙な噂』・完
これにて第一部完結です。
次のお話もどうぞ。




