第8話 音楽の形
翌日の水曜日。
昨日は彼が居ないから落ち着いて吹けるなどと思っていたが、来ないは来ないで妙に落ち着かなかった。
なんというか、心の中がざわざわっとしたような感覚だ。
私の中では、演奏をすること自体も楽しい。
だけど――――演奏後に彼と話すことにも楽しさを見出しているのかもしれない。
すると、ひょこっという音が聞こえてきそうなほど軽やかに、杏輔が角から顔を出した。
彼は私の姿に気付くと、小さく笑いながら自転車を押して近付いてくる。
相変わらず速そうな自転車を持っているな。
風のような彼を見つけると、私の演奏のテンポまで速くなってしまわないか心配になる。
いくら彼と話すことが楽しくても演奏を疎かにすることはできないと心の中で呟き、サックスに集中する。
けれど、度々頷く彼の姿が視界の端でチラつくものだから、動揺で慌てて音がズレることもあった。
周りに知り合いが居ないかに加えて杏輔のことに対してまで焦り、演奏はやっぱりツギハギだった。
後で彼に文句でも言うとするか。
「ちょっと今日は特別、着いて来て欲しいところがあるけどいい?」
「えっ、うん」
いつもと全然違う流れだったのに、何も考えずに流れでうんと言ってしまった。
彼は自転車を押しながら、いつもの公園から少し離れたコンビニへ私を連れて行った。
「何か買うの?」
「うん、まあね。小夜は?」
「こういうの全くしたこと無いから分かんないや。お金も今持ってないし」
「そっか」
数分経ち、杏輔はフルーツジュースを片手に飲みながらコンビニから出てきた。
「今日水筒持ってくるの忘れちゃってすっごい喉がカラカラでさ。それにこの前、塾の先生からちょうどクーポン貰ってて都合良いなと思って」
「ふーん」
どうして私を連れて来る意味があったんだろう、と素朴な疑問を感じたのだが、不思議と嫌な気持ちはしなかった。
すると彼は突然、ジュースを飲んでいた手を引いて肩の奥にしまおうとした。
「さすがにあげないよ。異性だし……」
「別に羨ましく見てないわよ。アンタのお金で買ったものはアンタが飲まなきゃ」
「ふーん……。多分お前さ、お父さんとかお母さんに買い食いは良くないって教えられてるだろ」
「まあ一応。ホント、コンビニでこういうことをするのは新鮮」
「新鮮かー。俺にとっては普通だけど。最早コンビニに来たこともあんまりない感じなのか?」
私は黙ったままゆっくり頷いた。
私にとっては全然、普通じゃなかった。
放課後、部活の帰りに友達とコンビニに寄って何かを買い、皆で食べたり飲んだりするなんて、吹奏楽部ではありえない話だった。
私以外の部員達はそんなことが出来ていたかもしれないけれど、私にはあまりにも縁遠いものだった。
「そっか。じゃあ、次またコンビニ寄る時は一緒に何か買おうな。今日俺が付き合わせちゃったし」
「……気遣いありがとう。ぜひぜひお試しさせてほしいな」
当たり前のように言う彼の優しさが、骨の髄まで染みていくのを感じる。
その何気なさが胸の奥をくすぐり、何とも言えない嬉しさがじわじわと込み上げてきた。
「ふふ、私もこれから毎日、財布も持ってくるようにしないとだね」
「やっと、笑った。お前あんまり表情変えないからさ」
「えーなに、私が普段仏頂面とでも言いたいの?」
「はは、そういう意味じゃないよ。リアクション面白いな」
「……なんか、遊ばれた気分」
「ごめんって」
でもやっぱり、悪い気がしない。
吹奏楽部に入っていた頃は毎日のように貶されていた私だけど、彼の揶揄いにはほとんど悪意を感じないのだ。
無邪気に笑う彼を見ると、本当に冗談半分というか、楽しませようとしてくれているんだろうなと思えてくる。
「また明日も演奏するんだよな?」
「もちろんよ。どうせアンタもまた来るんでしょ?」
「どうせ、って言わないでくれよ。来たくて来てるんだから」
「ふふ、ありがとう」
「ん? お? ま、まあな」
彼は一瞬腑に落ちなさそうな顔を見せたが、私が『じゃあまた明日ね』と言うとすぐに笑顔に戻り、さっと手を振った。
家へ向かう道すがら、さっきの会話を思い返していた。
どうせ明日も来るんでしょ?
自分で言った言葉なのに、妙に嬉しかった。
吹奏楽部にいた頃は、音楽のために友達との時間を削っていた。
今は、音楽を終えた後に誰かと笑っている。
もしかしたら、私にはこっちの方が大切なのかもしれない。
吹奏楽部の事を思い出すと、頭痛がしたり体調が悪くなったりするけれども、やっぱりあの時退部しておいて良かったなと思えてくる。
音楽はこうやって、色んな形で営まれるのだ。
そこにどんな幸せを見出すかは、人それぞれ自由なんだと思う。
だから、私は今の音楽が一番自分に合っていると思うんだ。
それはきっと、彼と話していると自然に笑えるみたいに、自然と幸せを享受できるようになるからなのだろう。




