第5話 好きでいること
毎週金曜日は数学の授業。
金曜日なのに塾があってさらに数学かよ、と思う人がいるかもしれないが、実は理系の俺からしたら楽な1日なのである。
理系を選んだのは数学が好きだから、という理由もあるけれど、断然国語よりも出来たからという理由の方が強い。
とは言え今日こそ授業に集中して取り組むことができているという訳でもなかった。
なぜなら今日も既に、閉まっている窓を貫通して例の音が薄ら聞こえていたからである。
(あいつまた演奏してるのかよ……)
実は、今夜も駅前に居るかもと言っていたのは知っていたが、相変わらず軽快な音が授業中でもお構い無しに聞こえてくるものだから、気になって仕方がなかった。
授業が終わってもまだ鳴り続けていたサックスの音に誘われ、足の向くままに駅前へ歩いた。
(あ、いた)
俺が彼女の姿に気付くと同時に、彼女も俺がいることに気付いた。
途端に頬を赤らめたのが見えたが、どうにか心を落ち着かせようと小さく目を瞑り、平常心を保ちながら演奏を続けている。
やはり、この音には何か魅力がある。
元々俺はポップミュージックにしか興味が湧かないし、ジャズとかクラシックとかいったジャンルは大人が聴くものだと思っていた。
そんな俺がたった数回聞いただけでここまで引き込まれるだなんて、思ってもいなかった。
「……」
「……」
何回かちょくちょく目が合う気がするけれど、俺は気にせず微笑みを送り続けた。
そのたびに彼女が困っているような照れているような表情を見せるものだから、小さく笑い返すことしかできなかった。
そうしているうちに、あっという間に演奏が一段落ついて終わりになった。
スマホで時刻を確認すると、本当に、いつの間にか時が経っていたことに改めて気付く。
そして、前みたいにこちらにやって来ては「やっぱり知り合いに見られていると恥ずかしい」と言ってくる。
今日も公園まで連れて行かれたのだが、その足取りは初めてライブで会った時とはかなり違って見えた。
◆◇◆◇◆◇◆◇
「なんでそんなに落ち着かないの」
「……しょうがないでしょ」
すっかり人気の少なくなった小さな公園のベンチで、初めてできたお客と話す。
杏輔は、ガチャンという音を立てて自転車を止めて、こちらへやってきた。
逆にアンタは、なんでそんなに平然としていられるのよ――――そう言おうとして言葉が詰まる。
「今日も迫力があって良かったって言いたいのにな。嫌だったら、なんかごめん。明日からは控えるよ」
「いっ、嫌じゃないよ! 本当は、アンタ以外にも、たくさんの人に聞いてもらいたいの。でも私、自分勝手だからさ」
「自分勝手? アーティストなら、そう言った個性はあって当然だと俺は思うよ。特に演奏は、その人の個性が顕著に現れるだろうしさ」
声変わりしたての彼のミドルボイスは、思わず信じてしまいそうになるような、不思議な説得力があった。
彼の優しさは十分伝わる。けれどそれと同時に、私の中にある、薄暗い色に染まった性格を知られた時のショックがどれだけ大きくなるかが心配になった。
「それに、俺が言うのもだけど演奏すっごく上手じゃん。なんと言うか、人の心を掴む音だった」
「別に。言うほど上手くないよ。ただ音楽が好きなだけ。下手の横好きってやつよ」
「ううん、好きならいいじゃん。好きなことを好きって口に出して言うのは難しいって言うしさ。自分の好きなことにまっすぐで居られるのって凄いことだよ」
どうしてだろう。
つい最近までただのクラスメイトだった彼が露骨に私を励ましてくれる。
――――好きでいていいのか。
"好きでいること"を肯定されたのは、初めてだったのかもしれない。
彼と話したことなんてほとんどない。
なのに、彼の言葉に何故か心が揺らいだ。
私は、"夜の自分"を許してもいいのかもしれない……?
好きなことに対して真っ直ぐで居られること。
お父さんやお母さんにも同じようなことを言われた気がする。
けれど、彼の言葉だけは何か違うものを心の奥底で感じた。
同じようなことを言っているはずなのに、彼の言葉にだけ、熱があった。
心がポッと温まるような、優しい熱。
彼の言葉は、私の心を動かす原動力のようなものだった。
この時にはもう、彼の言葉は特別なものとして私の胸に残っていた。
「一応聞きたいんだけど、どうして夜にライブみたいな事をするようになったの?」
「うーん、話すと長くなるかもだけど……。実は、私、吹奏楽部が凄く好きで入部したところから始まったの」
「たまに音楽室の前を通った時に、すごく楽しそうに演奏してたの見たことあるよ。一生懸命、自主錬してるなって思ってた。……もしかして、辞めたのか?」
「……うん」
昔から自分語りは好きじゃなかったけれど、彼になら自然と話してみたくなった。




