第16話 悪夢の影
いじめの話をしてしまえばさすがにビビってどこかへ行くと思った。
……けれど、私はこいつらを舐めていたのかもしれない。
彼らがそんなことで引き下がる訳がなかった。
「いじめ? 被害妄想が激しすぎるんじゃない?」
「安良さん、今はそういう話はしてないんだよ」
「屁理屈は良いから部活に戻るでいいんじゃないの?」
完全に目の前が真っ暗になった。
また責められている。
私のせいで皆が怒っている。
皆が私のことを苦しめようとしている。
あの時私のことを除け者にしたこいつらは、今になって私が1人で演奏しようとすると突っかかってくる。
彼らに好きなことをする場所まで奪われる。
それじゃ、私はどこでサックスを吹けば良いのだ。
私が好きなことをしようとしたら、嫌な目をした彼らが寄ってたかって文句をつけてくるのである。
これは、私が悪いのだろうか?
私が好きなことをすると、周りを傷付けてしまうのだろうか?
迷惑がられて、また場所を変えて、また涙を流す。
私の音楽って、他人に悪影響をもたらすことしかできないのだろうか?
ネガティブなことを考えれば考えるほど、心臓の鼓動が早くなって苦しくなる。
緊張で口が乾く。
吐き気が止まらなくて突っ伏すことしかできない。
私はこれ以上裏切られたくないんだ。
そういう独りよがりな思いが拍車をかけるように、人間不信を強めていってしまう。
「ダメだ。話を聞く気が無さすぎる。先生に言おう」
何故こんなにも私に敵が多いのか分からない。
顧問の先生もきっと、私のことなんて信用してくれない。
とにかく今は、こいつらがどこかに行ってくれるならなんでも良かった。
いくらなんと言われても良いから、早くこの状況から脱したかった。
「おい、何してんのお前ら」
「は?」
「お前ら吹部だよな? まさか小夜にまたなんかしたのか?」
「誰ですか? 無関係の人は首を突っ込まないで欲しいんですけど」
聞き覚えのある声だった。
顔をあげる必要も無かった。
暗かった視界に、声だけが届いたのだ。
どこか安心感のあるこの声を聞いて、悪夢から引き戻されたみたいに吐き気が引いた。
「お前らの話は聞いてるぞ。小夜はもう関わりたくないって言ってた。なんでしつこくいじめるんだ?」
「あーもう、めんどくさいなお前。一旦先生のところ行こうぜ」
彼の勢いに折れた男子は、仲間の女子を促して教室の外へ出ていった。
「大丈夫?」
「ありがとう……すごく怖かった。こういう時に来てくれてありがとう……!」
「俺がライブに来ない時があったか? いつでも居るから心配するなって」
杏輔は私の肩に手を置いてポンポンと優しく叩いた。
彼の手の温もり肩から直接伝って心に染みる。
ふぅ、と深呼吸をした。杏輔も溜めていた息を吐く。
滲み出るような彼の優しさのおかげか、心臓を直接撫でられているみたいに、ゆったり落ち着くことができた。
「本当に大丈夫なのか? 汗がすごいぞ」
「もう大丈夫。ありがとう。杏輔が居なかったら全然大丈夫じゃなかった」
「そうか……良かった」
「……やっぱり私は、こういう怖い思いをしないといけないのかな? 私がしてきたことって間違いだったのかな……?」
「そんなことない。そんな気を負わなくて良いんだって言ってるだろ。自分の好きなことを信じろ」
彼はそう言って私の背中をそっと撫でた。
そうだ。
私はずっと彼の言葉を信じようと思ったんだ。
彼の言葉なら信じられる。
どんなに辛い時でも励ましの言葉をくれるから、安心していいんだ。
教室を見ると、さっきまで隅に居たはずの男女数人は居なくなっていた。
きっと、教室内の状況を見て察して、場所を変えてくれたのだろう。
教室内に杏輔と2人だけということにホッと安心していた時だった。
突然、杏輔が座っている私の上から覆い被さるようにハグをしてきた。
そして、耳元でお願いするように呟いた。
「もう何も怖がるな。大丈夫だから」
「……き、杏輔?」
「……はっ、ご、ごめん。つい」
体温がググッとあがる。
ドキドキという音が聞こえてしまいそうなくらい、鼓動が激しくなる。
それ以上に杏輔の体温も上がっていたのを背中で感じた。
それは恥ずかしくなったからではなく、彼の温かみなんだと今は思うようにした。
昼休みの終わりのチャイムが鳴って、一気に現実に引き戻される。
こんな所を誰かに見られていたら本当にまずかった。
「ありがとう、杏輔」
「う、うん」
杏輔は照れながらもそそくさと教室を出ていった。
廊下からちょっと控えめなロッカーを開ける音が聞こえてくる。
するとたちどころに、校庭や体育館に行っていた男子たちが教室内に帰ってきた。
あのままだったら色々危なかった、と小さく息を吸う。
心臓はこの時もまだ、バクバクと早く打っていた。
午後の授業はぼーっと過ごした。
授業中なのに意識がぼんやりとしていて、内容がほとんど頭に入らなかった。
桐也君とも気まずい空気だし、さっきあれほどの事があったから杏輔と話すのも今はなんだか距離を感じた。
小さなロウソクの弱々しい火のように、心の中にポッと湧き上がった感情は、早くサックスを吹きたいという簡素な思いだけだった。
◆◇◆◇◆◇◆◇
僕は、聞いてしまった。
あの小夜さんが顔を赤らめながら、「今日来てね」と囁いていたことを――――。




