第10話 輝き
今日は車に乗らずにこの通りに来た。
父と母には少しだけ出かけると言って家を出た。
新潟では一度もしたことのないことだ。
先週と同じ曜日、同じ時刻、同じ場所。
ここでもう一度、巡り会いたい。
そう。
僕はあの音と再び出会うためにここに来ている。
そして、その色を確かめるために。
クラスメイトで隣の席の安良小夜さん。
今朝も実は、少し話を聞いていた。
クラスメイトの男子が、バンドを組もうと誘っていた、みたいな話。
それでも、彼女は手短にキッパリと断っていた。
それを見て、確信した。
何にも邪魔されずに演奏される音――。
どんな色を混ぜても自身の輝きを失わない、独自性のある色――。
彼女が演奏する音色は、彼女のアイデンティティそのものであるということを。
いつも何かに縛られている僕は、そんな勇敢さや自由さに憧れていた。
勉強、父と母の期待、将来――。
そういったプレッシャーが僕には難敵だった。
本の中の主人公は、周りの目や期待に押し潰されそうになっても自分を信じ続けるし、そういうピンチさえもチャンスに変えてしまう。
僕の中でいつの間にか、好きな作品の主人公に彼女の姿を重ねて描いていたみたいだ。
少し歩いただけで、耳を澄ますとやはり聞こえてくる。
時間通りだ。
これは間違いなく、彼女が演奏している音。
音のする方向に向かって歩くと、そこには昼間に見慣れた制服姿の彼女が、サックスを吹いていた。
彼女が演奏する姿はやはり、かっこ良かった。
キラキラと輝くサックスに共鳴して、彼女自身の光も放たれているみたいだった。
前と同じ時間と思っていたけれど、音には少しこの前と違った印象があった。
軽快なリズムに周期的に加わる低音がブレンドして、淀みない流れを生み出している。
さらに、低音の押し出すような勢いが僕の心をぐっと押す。
奏でられる音の一つ一つに、前向きな力がかかっているのだ。
このまま見入ってしまう、と思った時だった。
視界に見覚えのある顔が映った。
私服で自転車を押しながら近付く、僕と同じくらいの男の子。
それも、教室で見たことがある顔な気がする。
(あれ、クラスの男子だな……多分)
その男子は、包むような優しい笑顔でコクコクと頷きながら演奏を聴いていた。
よく見れば、小夜さんもその男子の方に目線をやっているように見える。
彼と小夜さんの関係は一体どんなのなんだ……?
そんな思いが自然と湧いたところでハッとする。
僕はただの転入生。そんな個人の人間関係なんて以前からあったって不思議でないはずなのに。
僕はいったい、何を気にしているんだ――――?
それより、彼女が夜にここに居ることって、そこそこ周知の事実だったのか。
僕だけが知っていると思っていたのに、案外普通のことだったみたいで、見事に当てが外れた。
もしかすると、例のバンドを誘っていた男子もまたこの近くに居るのかもしれない。
それに加えて、彼女だけにならまだしも、他のクラスメイトに僕がここに居ることがバレると色々面倒くさそうだったので、今日もまたすぐに家に帰ることにした。
だんだん遠く聴こえなくなって行く音に寂しさを感じる。
家に着いてからも、未だに耳に残り続ける音を思い返す。
どうしてそこまでして、あの音を聴きに行ったのか、自分でもまだ分からなかった。
ただ、あの演奏をもっと近くで聴いていたかったという思いだけが募っていたのだ。
「何をしていたの」
「散歩。都会の空気に慣れておきたかったから」
両親に対して、嘘をついたり隠し事をしたりしたことなんてあんまり無かったのに。
でも、この音だけは胸の奥にしまっておきたかった。
この時間を、誰かと分け合う気には到底なれなかったからだ。
正確には、まだこの音について誰かに話す言葉を持っていなかった。
僕の言葉じゃこの美しさを完璧に言い表せないのである。
小さい頃からずっと読書だけが趣味で、それ以外はそこまで熱中することはなかった。
だからこそ、彼女のサックスの音にここまで心を奪われている自分が不思議でならない。
車の中でCDから流れるサックスの音を聴くくらいに身近なはずなのに、こんなにも特別なものを感じるとは思いもしなかった。




