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托卵されたのですってね? それはお気の毒に。  作者: Mel


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04 カッコウの集う家

『愛するルパート様と新しい御方の幸せを願って、私は身を引きます』


 そんな殊勝な手紙を残して屋敷を出た私は遠く離れた教会へ身を寄せた。

 ティグリス家に帰ってもよかった。嫁入り前にあんなことを言っていた父も兄も、私が身重と知れば小言を言いながらも迎え入れてくれたことだろうから。


 けれど、ティグリス家は真っ先に捜索される場所であり、父が私を守ろうとすれば両家の争いにもなりかねない。

 だから私は無事を知らせる手紙だけを送り、レオバルト家を過度に糾弾しないよう書き添えた。それだけで何かを察したのか、父は私の意思を尊重してくれた。


 やがてレオバルト家は、リオーネ・レオバルトが病を得て亡くなったと公にした。

 私の居場所を知る者はごく僅かだった。父と兄。それから、教会を介して密かに連絡を寄越してくるラムゼイだけ。

 そのおかげで、レオバルト家の様子も断片的には耳へ入っていた。


 ルパートと分家筋の令嬢との間に生まれた子どもは女の子だったようだ。マルグリッドは酷く落胆したそうだけれど、その後、新たに子をもうけたという話は聞いていない。いずれはどこかから婿か養子を迎えるつもりだったのかもしれない。

 そんな状況でこの子の存在が知られれば、レオバルト家へ連れ戻されることなど容易に想像がつく。そしてマルグリッドに奪われるであろうことも。


 だから私はティグリスの名を捨て、戦で夫を亡くした未亡人を装って教会に身を隠した。戦の絶えない帝国内ではそのような女はどこにでもいる。市井に紛れて暮らしても誰も深くは詮索してこなかった。


 生まれた子どもには、ライオネルと名付けた。

 触れれば折れてしまいそうな小さな手が、初めて私の指を握った日のことは一生忘れないだろう。


「母さん、今日は隣町の奴らと戦争ごっこをしたんだ! もちろん俺の率いる騎士団が勝ったんだぜ!」


 誰に似たのか身体を動かすことが大好きで、病気ひとつしない健康な子に育ってくれた。


「母さん、今日の晩飯は肉だといいな!」


 生憎と貴族としての教育をまともに施すことはできなかったけれど、それでも素直で可愛い私だけの息子。


「母さん、どうして俺には親父がいないんだ? 死んじまったのか?」


 物心がついた頃には、そんなことを尋ねられた日もあった。否定することも肯定することもできず、私は曖昧に笑ってライオネルの髪を撫でる。


「あなたがもう少し大きくなったら、きちんと教えてあげるわ」


 そう言って抱きしめると、ライオネルは気恥ずかしそうに身をよじりながらも素直に頷いてくれた。


 教会へ集う町の子どもたちと一緒に、ライオネルはすくすくと成長して——。

 そうして十五年という歳月が流れ、私の背丈をとうに追い越した頃。


 ——そろそろかしら。

 そう考えていたら、ラムゼイから一通の手紙が届いた。


『マルグリッド様とルパート様が、血眼になってお二人を捜しておいでです。レオバルト家の未来のためにも、そろそろお戻り願えませんでしょうか』


 いかにもラムゼイらしい、丁重でありながら有無を言わせぬ手紙だった。


 *

 

 久方ぶりに訪れたレオバルト家のお屋敷は、以前と変わらぬ豪奢さを保っていた。

 いつかのようにラムゼイが私たちを屋敷の中へ招き入れる。廊下に飾られた甲冑は趣味の悪い壺に置き換えられていた。


「なあ、本当に母さんはここで暮らしてたのか?」

「ええ、そうよ。中にいる人たちはあなたを息子や孫と呼ぶんじゃないかしら」

「……母さんは、本当にお嬢様だったんだな。冗談だと思ってた」

 

 感心したようにライオネルが呟く。まったくこの子ったら……。でもおかげで肩の力は抜けたかもしれない。

 

「そう、だからあなたはお坊ちゃまってことよ。これまでとはまるで違う世界が広がっているでしょうから、気を引きしめなさい」

 

 ライオネルが緊張したように背筋を伸ばす。そして案内された大広間には、あの頃よりすっかり老け込んだ義母——いえ、マルグリッドと、ライオネルを見るなり目を輝かせたルパート。ご当主様の席に我が物顔で腰を下ろすオズヴァルドの姿があった。


「おお、リオーネ。ようやく戻ったか! ずっとお前を捜していたのだぞ!」


 最初に口を開いたのは、ルパートだった。彼は興奮した面持ちでライオネルを見上げている。

 

 ライオネルの髪は、ティグリスを象徴する燃えるような紅。そしてその金色の瞳はレオバルト家の直系に時折現れるものだ。

 だからこそ、かつてのレオニード様と同じ色を見て、ルパートも確信したのだろう。

 ——この少年こそが、自らの子どもである、と。


「お久しぶりでございます。愛らしい女の子がお生まれになったと伺っておりました。すっかり遅くなってしまいましたが、お祝い申し上げます。ぜひご挨拶させていただきたいのですが……新しい奥方様とお嬢様はどちらにいらっしゃいますの?」

「……二人なら、実家に帰した。あれは……私の子ではなかったのだ」

「まあ! それはそれはお気の毒に。でも、どうしてルパート様のお子様ではないと……?」


 ラムゼイが教会組織を介し、定期的に連絡を寄越してくれていたからわざわざ聞かなくても知っているけれど。

 それでも戯れに尋ねると、彼はぐっと言葉を詰まらせた。


「……成長したあれが、あの女が傍においていた護衛騎士とよく似ていたのだ」


 それ以上は言葉を濁したけれど、ちょっとした騒動があったことなど把握している。

 その護衛騎士が、自分こそ娘の父親だと名乗り出たこと。必死に否定する女と、彼女を問い詰めるマルグリッドとの間で諍いが起こり、とうとう女が娘を連れて実家へ逃げ帰ったことも。


 跡取りを失った彼らは、私とラムゼイが帝都の商人を介して流した噂にすぐさま飛びついたらしい。

 燃えるような紅い髪とレオバルトの金眼を持つ十五歳ほどの少年が、亡くなったはずのリオーネによく似た女と暮らしている——と。


「左様でございましたか……。ルパート様も十五年もの間、父親として接していらしたのですから。さぞかしお辛かったことでしょう」

「不貞をするような汚らわしい女と同じ血を引いている娘だぞ? 実の子ではないと分かった瞬間に親子の情など消え失せたさ。そもそもお前が私の子を孕んでいたと知っていれば、こんなことにはならなかったものを。どうして黙って家を去ったのだ」

「申し訳ございません。私もこの家を出てから子を宿していることに気づいたのです。余計な諍いを招いてはならないと思い、誰にも申し上げられませんでした……」


 レオバルト家を出る際に残した手紙には、ティグリス家から賠償を求めるような真似もさせないと書き添えていた。そうしてリオーネ・レオバルトは死んだものとされ、ルパートは多少の醜聞も承知の上で愛する女を新たな妻として迎え入れたのだ。

 

 最初から、その女に裏切られていたとも知らずに。


 殊勝な態度でいる私にルパートはすっかり気をよくしたようだ。マルグリッドもどこか満足げに口元を緩めている。オズヴァルドだけが、探るような視線を私へ向け続けていた。


「さあ、今日からお前もこのレオバルト家の一員だ。名は何という?」

「……ライオネル」

「そう。リオーネさんも、私の孫を立派に育て上げてくれてありがとう。その功績をもって、これまでの不義理は不問としましょう。さあ、ライオネル。まずはその伸び切った髪を整えないと」


 ルパートとマルグリッドに囲まれたライオネルはすっかり困り果てた顔で私に助けを求めてくる。無頼者に絡まれたときはその身で私を庇ってくれたのに、こんな状況は予想もしていなかったのかまったく対処しきれない様子だ。

 当主になろうという子がこれでは困ったものね。もっとも、慣れない市井での暮らしに手いっぱいで、まともな貴族教育を受けさせられなかったのは私の責任なのだけれど。

 

 もう少しこの茶番を眺めていてもよかったのだけれど。

 私はゆっくりと辺りを見渡し、最後にオズヴァルドへ視線を留めた。


「……レオニード様は、まだ療養なさっているのでしょうか」

「ああ。もう長くはないかもしれないな。だからこそ喜ばしいことだ。この家の跡取りが戻ってきてくれたのだから」

「長い間、この家を支えてくださりありがとうございました。オズヴァルド様の手腕がなければ、とうに潰えていたかもしれませんね」


 これは皮肉ではなく本心からの言葉。微笑みかけると、彼は訝しそうに眉をひそめた。


「お褒めにあずかり光栄だが……本当にその子が、ルパートと君との子どもだと?」

「いいえ? そのようなことは、ひと言も申し上げておりませんが?」


 笑顔で問い返す。一度痛い目に遭ったばかりだからだろう。ルパートの顔から、見る間に血の気が引いていった。


「どういうことだ、リオーネ。私の子ではないと、いま、そう言ったのか?」

「ええ。どうしてそんな勘違いをされているのか不思議で仕方ありません。一度もまともに私の中で果てたことのない男と、どうやって子を成せましょう?」

「な、何を馬鹿なことを!」

「後から迎えた奥方とも、同じだったのではございませんか? だからその方も余所から種を貰ってくるしかなかったのかもしれませんね。……ああ、そんなお気になさらないで。そういった殿方は、決して珍しくはないそうですから」


 そもそもあの夜の前後、ルパートは皇命で引き離された娘とやらとの逢瀬を重ねるのに忙しくて何ヶ月も私の寝室を訪れていなかったではないか。

 随分と都合のよい記憶だこと。くすりと笑うと、ルパートは顔を真っ赤に染め上げた。


「私を侮辱しているのか!」

「いいえ、まったく。こちらとしてはかえって好都合でございましたから」

「先ほどから何を言っているのだ、お前は! 第一、この子は確かにレオバルトの特徴を——」

「それならばなおさら、あなたとの子であるはずがないではありませんか。……あなたの身体には、レオバルトの血など一滴も流れていないのですから」


 一瞬、大広間からすべての音が消えた。

 

 ずっと不思議だった。

 どうしてルパートはあの人の息子でありながら、こんなにも何も持たない人なのだろう、と。

 あの人のような恵まれた体躯も、優れた武勇も、人徳も持ち合わせていない。

 あるのは劣等感から生じる卑屈さと、酒に溺れる弱い心だけだった。


 必要なことだったとはいえ、こんな男に身体を触れさせたことはいま思い出しても屈辱でしかない。

 それでも私はこの家を捨てるわけにはいかなかった。まだここにはどうしても、手放せないものが残されていたから。


「……何を、言っている?」


 ルパートは笑いとばそうとしたのかもしれない。でも引きつった口元からは息が漏れただけで、声も震えている。


「私はレオニード・レオバルトの嫡男だ。生まれたときから、そう育てられてきた。お前のような女が勝手な憶測で口にしてよいことではない!」

「そうですねぇ。憶測であれば、どれほどよかったでしょうね」

「母上!」


 縋るように呼ばれたマルグリッドはすぐには答えなかった。扇子を握る指が小刻みに震えている。


「母上、嘘だと仰ってください。私は父上の息子なのでしょう?」

「そ、それは……もちろんです。こんな女の戯言に惑わされるのではありません! それに、話の論点はそこではないでしょう? あなたはルパートとの婚姻中に不貞を——」

「誰に聞いた」


 マルグリッドの喚き声を遮ってオズヴァルドが低い声で問うてきた。ルパートの出生を否定するでも、取り乱すマルグリッドを慰めるでもなく。ただ私がどこまで知っているのかを探るように。


「まさか、レオニード殿から聞いたのか?」

「あの人は最後まで父親の名を口になさいませんでした。でも、マルグリッドが夫より誰を信頼し、あなたが誰を我が子のように扱っていたかを見れば、答えは一つしかありません。……そうですよね、レオニード様」

「……まったく。戻るなり好き勝手してくれているな」


 何年もの間、耳にすることのなかった声が大広間へ響き渡る。

 一斉に視線が向けられた扉の前には、ラムゼイに付き添われながらも自らの足で立つレオニード様の姿があった。


 若い頃より痩せ、頬には病の色が残っている。それでも背筋を伸ばして立つ姿からは、かつて戦場を駆けた獅子の威厳が失われていない。

 マルグリッドが驚愕に目を見開き、オズヴァルドの顔から完全に笑みが消える。ライオネルの目がぱちぱちと瞬いた。


「レオニード様……!」

「久しいな、リオーネ。変わりないようで安心した」


 長い年月を経て再び交わす言葉と視線に、胸が張り裂けそうになる。

 今すぐにでも駆け寄りたい気持ちを抑えていると、ルパートがよろめくように前へ出た。


「父上……! 今の話は嘘ですよね? 私は、あなたの息子なのでしょう?」


 レオニード様は答えない。ただその沈黙だけでルパートには十分だったのだろう。顔を歪めた彼は、今度は私とライオネルを交互に見た。


「では、この子は……。まさか父上は、私の妻と姦通したというのですか!」

「そうだと言ったら、どうする」

「なんと悍ましい……! 母上がいるにもかかわらず、他の女へ手を出すなんて!」

「違います」


 思わず口を挟むと、レオニード様が静かに私を見た。


「最初に鍵を使ったのは私です。あの人は、何度も私を拒みました」

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