6.魔法使いの女
(もし子どもができたら、いつだって屋敷に戻ろう。父上にも兄上にも頭を下げて、土下座でもなんでもして、屋敷でピーコと子どものためにきちんと働こう)
ユンはもう、そう思っていた。
それは、若さ故の、恋に浮かれた思春期ならではの未熟な覚悟だったのかもしれない。
でも、その本能的に誰かを想ってしまう愚かな性質や覚悟のおかげで、人類は今日まで脈々と子孫に命を繋いできているのかもしれなかった。
もう何回肌を重ねたのか、子どもが出来たらどうするのか、ユンは数えたり考えたりするのをやめていた。
(そうなったら、覚悟を決めるしかない)
ピーコには言わなかったが、ユンは完全に腹をくくっていたからだ。
一方でピーコは、何も考えていないような顔で、それでもやはり毎日嬉しそうにユンを慕ってくっついてくるのだった。
「今日は魚にしようか」
「魚!ピーコ、魚、好き!」
ユンは肉ではなく魚を食べる日を増やしていた。ピーコは魚の方が好きだからだ。
(もうピーコが悪魔でも魔獣でもなんでもいい。何であろうと俺ができる範囲で守ってやろう)
若い者の性質は、他者や多種族への寛容性や理解などを含め、あらゆる知識を学ぶ柔軟なスポンジであるというのが1番いいところなのかもしれない。ただ、それを利用して、悪の道に引き摺り込む者たちもいるというのが、残念なところでもあった。
その茨の道から引っ張り上げようとする者を、何故か彼らは疎んですらしまうのだから、救助者はどうもなかなか報われない。
そんな2人を魔法陣で少し覗いた魔鳥は、呟いた。
「どこにでもどうしようもないバカはいるねえ。鳥に限らないのが残念だ。本当に、世界というのはつくづく奇妙で醜く、そして時々美しい」
魔鳥は羽をバタつかせ、魔法陣を閉じた。魔鳥はもう、何百年も生きていた。
「あの女が死んじまって何年になるかねえ……。ほんと、人間の魔法使いのくせに、殊更バカな女だったよ」
魔鳥は昔のことを思い出していた。それは本当に随分と昔のことで、魔鳥がまだ普通の鳥より少し大きいだけの鳥だった時のことである。
「あら、可愛い鳥さん!あなた素質があるわね!私の使い魔にならないかしら?」
そう言って美味しそうな野ネズミを差し出してきた魔法使いなんていう生き物の契約に乗ったのは、冬のことであった。
その冬はいつもより寒さが厳しかったし、その少し前の秋には山の状態が悪く、あまり食料が獲れなかったものだから、腹が減っていた魔鳥は思わずそれに飛びついたのだ。
「餌、いっぱい?くれる?」
契約するなりそう言った魔鳥に、
「いーっぱい!山盛り!ついでにそうねえ、あなたは素質があるし、私を守らなくっちゃいけないから、長生きで大きくしちゃいましょう!」
その女魔法使いは気分を悪くするでもなく、面白そうに言ったのだ。
それに、その日から女は本当にたくさんの餌をくれた。女はあちこち旅をして歩いていたおかげか、魔法陣の扱い方も、世の中のことも、人間のことも、色々と魔鳥に教えてくれたのだ。
女は時々いくつかの魔法を魔鳥にかけてくれたが、魔法を女ほど上手く扱えない魔鳥には分からない魔法も沢山あった。
「何してるの?」
魔鳥がそう言っても、女は、
「うーん……。将来誰かが幸せになるための、ちょっとした準備……のお手伝いかしら?」
なんてよく分からないことを言ったのだ。
それに、女は何故かいつも楽しそうであった。魔法使いだったからかもしれない。
そんな風に魔鳥に色んな魔法をかけていたくせに、山のことだって魔鳥より随分と詳しかったくせに、ある日、女は突然消えたのだ。
それは岩山を登っている最中の、滑落事故であった。
「あっ」
女が言った瞬間にはもう、女の姿は岩の隙間に消えていた。
それから何回魔鳥が呼びかけても、女が戻ってくることはなかった。
……でも、なんとなく魔鳥は、女が落ちた先を見ることが出来なかった。教えてもらった魔法でいくらでも見る方法はあったはずなのに、それでも何故か見れなかったのだ。
「あんな隙間に落ちて……生きてるはずがないんだよ」
魔鳥はひとりごちた。
それでも魔鳥は、何故か離れがたくて、その近くにずっと住んでいるのだ。その山が何百年も経って木々で覆われ、多くの鳥が住みつくようになっても。魔獣が時折出現するようになっても。魔鳥は様々な他の生き物から身を隠し、時には闘いながらそこにずっと住んでいた。
鳥とはつくづく不思議な生き物である。
ユンとピーコは幸せそうに過ごしていた。
初めての冬の寒さは堪えたようだが、それでも2人は工夫しながら暖を取っているようであった。
「川は凍らないんだな」
「川だもの!」
そこまでの寒冷地ではなかったため、川が全て凍るようなこともなかったのも幸いした。ピーコはそれを当然のように思っているようだったが。
2年目の冬、焚き火で暖を取りながらユンは考えていた。
(3年経ったら……約束の3年経ったら、ピーコと一緒に屋敷に戻ろう。そして、俺は一生無給でいいから、ピーコに食事をやってくれと頼もう。……でも、急すぎて難しいかもしれないな。もし許されるのであれば、ピーコを屋敷で働かせてもらおう。もし許されなければ……孤児院なら、働き手が足りなかったはずだ。孤児院で働き口を探してもらおう)
ピーコはくるくるとよく働く。きっと探せば少しは役立てる職場があるはずだ。
「洗濯、終わった!」
ピーコがニコニコ顔で近づいてきた。
「ありがとう。俺は薪割りが終わったとこだ」
「お水、飲む?」
「ああ、ありがとう」
ピーコは水を湯呑みに入れにパタパタと走って行った。
急なままごとのようでもある不思議な関係から始まったその生活ではあったが、その頃にはもう、2人は田舎はずれに暮らす本当の夫婦のようでもあった。
(父上や母上、兄上に、ピーコをなんて言って紹介しよう……)
そう心を決めつつも悩んでいたユンが、それでも、そろそろ終わってしまう山小屋暮らしを毎日満喫していたある日の朝、ピーコは寝床で冷たくなっていた。
それは、ユンが山小屋で暮らし始めてから3年目の、屋敷に戻らなければならない日のわずか10日前のことであった。
(寒かったからか!?俺がもっときちんと毛布をかけてやらなかったからか!?)
ピーコが急に息を引き取った理由が分からず混乱したユンは、自分を責めた。それはただ、彼女の寿命であったのだが。
ユンがどんなにピーコを揺さぶっても、声をかけても、叫んでも、泣いても、ピーコは生き返ることはなかった。どんな生物も、死から逃れることはできないのである。
(せめて屋敷に帰る日までは、そばにいよう)
そう思ったユンは、山小屋にピーコを寝かせた。でも、2日目ともなると、段々とピーコの遺体は様子が変わってきたのだ。段々と皮膚が緩み、腹部は膨張し、臭いまで変わってきて、山小屋に置いておくのは厳しくなってきていた。
(それでも、最後の日までは……)
そう思ったユンは、3日3晩、ピーコの遺体をそばに置いていた。でも遺体の損壊は、どんどん酷くなってくる。いくら人間が臭いには慣れてくるとはいえ、山小屋に入る時にすらウッとくる臭さである。
(見た目が変わったり腐敗臭がするよりも、ちゃんと埋葬してやった方が、ピーコも幸せなのかもしれないな)
いつも色々と先々のことを考えないユンがようやくそう思って決意を固め、ピーコを土に還そうとした時、それは起こったのだ。
ユンが自身で何時間もかけて一生懸命掘った土の穴にピーコを入れると、ピーコは橙色の光を放つ魔法陣に包まれながら、穴に似合わぬほど小さな元の小鳥の姿に戻ったのである。
ユンはそこでようやく全てを理解した。
ユンの慟哭はきちんとした声にはならなかったが、魔鳥にだけは確かに聞こえていた。
「バカめ」
それを聞いて、魔鳥はそっと呟いた。
勿論、涙なんて流してはいなかった。鳥だからである。




