4.薬の効果は
ユンはうろ覚えな道を地図片手に辿りながら麓まで降りた。少し楽しみのような、やはり怖いような変な気持ちだった。
でも、麓に降りて村に近づいただけで、やはり村人たちの心の声が聞こえてきたのである。
(今日は曇りか。夕方から雨になりそうな天気だ)
(今日は隣の婆さんとこに行って草履を譲って貰わねえと。持っていくもんはどうしようかね、あとで畑の菜っぱでも摘んでくるか)
(ねーちゃんばっかり服買ってもらってずりーよ!俺はまたお下がりかよ…)
(なんで私ばっかり怒られるのよ!あんな妹、嫌い!)
(おねえちゃんきらーい!いじわる!何よ!人形ぐらいくれたっていいじゃない!)
(最近肩が凝ってきたわ……。目も霞んでいるし……。もう私も年かしら……)
こんな風に。
(薬の効果が切れたわけじゃなかったのか!?範囲も……変わっていない気がする)
学院にいた頃や実家の屋敷にいた頃は、きちんと検証できるような状態じゃなかったため範囲を調べ切れていないが、その頃の脳内へ響く心の声の聞こえ方を考えると、ほとんど変わっていない気がした。
(今すぐに家の屋敷に戻れるわけじゃ……ないか。それにピーコがどこ出身かも分からない。まだ色々と結婚には壁があるか……)
ユンは色々と考えながら村を離れた。
(帰ったらピーコの心の声も聞こえるようになってたりして……)
ユンは期待半分、怖さ半分で山小屋に戻った。それでもやはり、ピーコからは心の声が聞こえなかったのだ。
「帰ったよ。何もなかったか?」
「うん!今日は魚を獲ってたよ!ほら!」
ユンが帰ると、まるでご主人様の帰りを待ち侘びていた子犬のように走って近づいてきたピーコは、ユンに抱きついてきた。満面の笑みである。
ユンもつられて思わず笑顔になっていた。
(帰った時に喜んでくれる誰かがいるのって……いいかもな)
見ると、そばにある大きめの桶の中に魚が何匹も入っている。
「今夜は焼き魚だな」
「うんっ!」
ピーコはニコニコと頷き、嬉しすぎたのか、その場でくるくると回転した。まるで子どものようである。
(可愛いな……)
そんなピーコを微笑ましく見ていたユンだったが、ピーコと他の人間では何が違うのかを考え始めていた。
(やっぱりピーコの心の声は聞こえない……薬の効果がなくなったわけじゃないようなのに。何故だ?)
ピーコはどう見ても人間の美少女である。少し素直すぎたりユンに従順なところはあるが、ユンは彼女の身体を隅々まで確認している。人間ではない部分はなかったはずだ。
(今夜もピーコの身体をあちこち確認してみるか……いや、これは学術的興味関心であって、決して邪な考えでは……)
誰に言い訳しても、やっている内容が全く弁明になっていなかったが、何故かユンは心の中で言い訳した。ユンは段々とピーコの正体が気になり始めていた。
(ピーコは一体何者だ?心がない人間がいるのか?たまに出没するという、魔法使いが作った人造人間か?それか……悪魔……?まさかそんなはずは……)
でも、ユンはその気持ちに蓋をした。(あの純粋無垢なピーコがそんな変な生き物なわけない)と思いたかったのだ。
ユンは今までより一層、ピーコの様子をよく見るようになった。少しストーカーのようでもあったが、ユンはピーコを傷付けるつもりはなかった。ユンはただ、ピーコのことをもっと知り、彼女の心の声が聞こえない理由を見つけたかったのである。
ピーコは色々と雑であった。
例えば、洗濯を手伝うようになってはいたが、水で衣類を洗う際、かなりバシャバシャと水を飛ばすのだ。
(ピーコは村で洗濯をしたことがないのか?……いや、貧しい村でそんな子はいない……よな?)
だが、想像に限界もあった。ユンはこの山小屋に来るまでは、きちんと貴族として育っていたからだ。来る前に屋敷の者たちが山小屋で生活できるよう色々と手配してくれたり、参考になる山小屋管理人の記録を渡してくれたとはいえ、山小屋に来てからはそれなりに大変な思いをしていた。
だから、貧しい村での実生活がどうなっているのかについては、これまであちらこちらで見聞きした噂や資料による伝聞からユンが自身で考えるしかない。
ただ、この山小屋生活だけを考えてみても、洗濯も経験せずにピーコがその年齢まで生きていたとは考えにくかった。
そして、ピーコは燻製がかなり苦手であった。ユンが燻製を作ろうとすると、ピーコは必ず水汲みに行く。
「今日は燻製の日?」
そう聞く時、ピーコはいつも少し嫌そうな顔をした。煙が苦手なのかもしれない。
「うん。今日も水汲み行ってくる?」
「うんっ!」
「川に流されないように気をつけろよ」
「気をつけるっ!」
そんな時、ピーコはいつも大急ぎで川に走って行った。ピーコの身体には不釣り合いなほど大きく見える桶を天秤棒で担いで。
そして、燻製している間は何往復もして水を沢山汲んでくれるのだ。疲れるのか水が重すぎるのか、途中で休憩しつつ、のようではあったが。
また、川でのピーコはまるで水を得た魚のように動きが俊敏であった。ユンはピーコが来るまで、水中に仕掛ける罠の類は作っていなかったこともあり、川に行っても魚が獲れない日も多かった。川では釣りをするものだと思っていたから、罠を作るという発想が出てこなかったのである。
でも、餌も擬似餌もないままの川釣りはかなり難しい。そういうわけで魚はあまり獲れなかったのだ。
ただ、ピーコが来てからは、魚が全く獲れない日はなかった。
あまりにもピーコが魚を獲るのが上手いので、ユンは(このまま俺だけ魚を獲れないのは男としてイケてないよな……)と少し悔しくなり、色々考えた結果、仕掛け罠の発想が浮かんだのである。
男の競争心や見栄は、正しい方向に向かえば思わぬほど斬新で画期的な発想を生み出したり、何かの成長に繋がったりする。つまり、ユンの精神は急激に成長し始めていた。
本人は全く気付いていなかったが。
(釣りではなく仕掛け罠のおかげとはいえ、魚が獲れれば最低限の面子は保たれるよな?)とユンは思った。ピーコは全然気にしていないようだったし、他に誰も見ているわけではないのだから、面子も何もといったところではあるが、男としての自尊心の問題である。
そして、ユンが風呂を沸かし始めると、いつもピーコはどこかへ隠れようとする。こんな山の中であるから、本気で隠れようとすればどこにでも隠れられてしまうのだが、ピーコが隠れるのは大抵山小屋の中だったから、いなくなってもすぐに見つけることができた。
(風呂を沸かす時の薪が燃える熱気が嫌なのか……?)
ユンには分からなかった。それに、ユンが一緒だとピーコも諦めた顔をしてしおらしく風呂に入ってくれた。だいぶ渋々には見えたが。
(やはりピーコは人間と何かが違う……。一体……?)
学術的興味関心とやらのためか、その日もしっぽりと寝床で肌を重ねたユンは、コトが終わるとすぐにぐっすりと眠るようになったピーコを見ながら、彼女を見つめた。窓から射し込む月明かりに照らされてピーコの顔はますます美しく見えた。
ユンの欲がまた少し疼いたが、昨日も交わったばかりである。連日なのに長くてはピーコの華奢な身体が持たないだろう。
(それに、明日もあるしな)
ユンはそう思ったが、やはり、彼の中でピーコへの違和感は少しずつ大きくなってきていた。




